新米使用人の王宮事情-2
皆様、お久しぶりでございます。私、フィエスタ・プレサージュは、あろうことか王妃様であらせられるミフィシーリア様付きの使用人になるようにと命じられました。
思わず、頭の中が真っ白になります。
なんせ、いくら実家が多少は裕福とはいえ、庶民でしかないこの私がよりにもよって王妃様の使用人に命じられるとは。
正直、夢にも思っていませんでした。
そして、それは私だけではなく、今回一緒に採用された同僚たちも同様のようで。
皆、王妃様というこの国の全女性の頂点に立つ方のお傍に仕えることができて嬉しい反面、万が一不敬を働いたらどうしようという不安で複雑な表情をしています。
きっと、私も皆と同じような表情をしているに違いありません。
「あ、あのー……どうして庶民に過ぎない私たちが、王妃様の使用人に選ばれたのでしょうか?」
私は意を決して、私たちに王妃様付きの使用人になれと言ったリーナさんに尋ねました。
どうやらリーナさんもこの質問は予想していたようで、表情一つ変えることなく理由を教えてくれました。
「あなたたちも聞き及んでいると思うけど、ミフィ……ミフィシーリア様の出自は決して高いとは言えないわ。そのせいかしらね。あの娘、あまり身分が高い家の出身の侍女が傍にいると、どうしても気楽に振る舞えないみたいなの」
またしてもリーナさんの砕けた口調。とても王妃様に対する言葉使いとは思えません。ですがリーナさんは、まるで姉が妹を心配するかのような慈愛に満ちた表情を浮かべています。もしかして、この女性は王妃様ととても親しいのかもしれません。
「それにね? あの娘……ここのところちょっと変なのよね」
それまでの穏やかだった表情を一転して曇らせ、溜め息と共にリーナさんが吐き出します。
私たちが一斉に首を傾げたことに気づいたのでしょう。それまで語っていたリーナさんに代わり、メリアさんが説明してくれました。
「お嬢様……ミフィシーリア様は、ここのところずっと物憂げで気だるそうにしておいでなのです。そして昼間でもやたらと眠そうですし……」
「そうですね。これまでずっとあの娘が大好きだった、果物の風味を加えたお茶も最近はあまり飲んでくれませんしね」
メリアさんに続き、アミリシアさんも頬に手を当てて困ったような顔で言いました。
「そこでね。あの娘の気分を変えるために、新しい使用人を傍に置こうってことになったの。それもあの娘が立場を気にしなくてもいい庶民出身の使用人を、ね」
さすがに王妃様のすぐ傍に仕える侍女を庶民出身者から採用するわけにはいきませんが、侍女の方々を補佐する下働きとして私たちを採用したとのことです。
なるほど。その説明を聞いて、私たちのような者を王妃様の使用人とした訳が理解できました。
まずはメリアさんに連れられて、私たちにとっては上司に当たる王妃様付きの侍女の皆様と顔合わせ。
現在、王妃様は後宮の第六の間で暮らしていらっしゃるそうで、その部屋のすぐ近くに侍女の皆様の部屋があります。
ちなみに、側妃様たちが暮らす部屋は隣接しているわけではありません。各部屋の間には、それぞれに仕える使用人たちの部屋がいくつもあるのです。
当たり前ですね。各側妃様たちは言ってみれば敵同士。隣接した部屋で敵同士が安心して暮らせるわけがありません。
メリアさんが、とある部屋の扉を押し開きました。何でも、王妃様に仕える方々がこの部屋に集まっているとか。
私を始め、今日から後宮で働く面々──私を含めて五人──は緊張した面持ちで部屋へと入りました。
王妃様に仕える方々ですから、きっと大勢の方がいらっしゃるのでしょう。
その数は十人でしょうか。それとも二十人でしょうか。
少しどきどきしながら部屋に入った私は、驚きで思わず目を点にしてしまいました。
部屋の中にいたのは六人の侍女のお仕着せを着た女性と一人の執事服を着た男性。
思ったよりも少ないその数に驚いたのも事実ですが、私が目を点にしたのはそれが理由ではありません。
私が驚いた理由。それは部屋の中に二体……いえ、二人の犬人族がいたからです。
先程述べた執事服の男性というのが実は犬人族で、もう一人は犬人族用にあしらえた侍女服を着ているところから女性なのでしょう。
はっきり言って、獣人の男女なんて普通は見分けはつきませんので、着ている服などで判断するしかないですね。
しかし、王妃様の使用人に獣人族がいるとは思いもしませんでした。普通、貴族の方々は獣人族を嫌う傾向がありますから。
私がそんなことを考えていると、部屋の中にいた方々が一斉に頭を下げます。
もちろん、慌てて私たちも頭を下げます。そして、メリアさんがお互いを紹介してくれました。
「今日から私たちの手伝いをしてくれる人たちです。では、それぞれ自己紹介をお願いします」
メリアさんに促され、まずは侍女の方々がそれぞれ名乗り、次いで私たちが名前を告げます。
そして一通り自己紹介が終わったところで、赤毛をきっちりと結い上げた真面目そうな侍女の方が口を開きました。
「メリア様。先程からミフィシーリア様が、メリア様のことを呼んでいらしゃいます」
「お嬢様が?」
怪訝そうに首を傾げるメリアさん。
ですが、メリアさんはすぐに元の姿勢に戻ると、私たちへと振り返りました。
「丁度いいわ。ミフィシーリア様にあなたたちを紹介しましょう」
メリアさんのこの言葉に、思わずどきりと心臓が大きく鼓動します。遂に王妃様と対面するのですね!
私が王城で働く最大の目的は、もちろん身分の高い殿方に見初められることですが、やはり王妃様とお会いできるとなると胸がどきどきします。
本来、王妃様といえば庶民からすれば雲の上の存在。そんなお方と直接顔を合わせるなんて、普通なら考えられないことですから。
「遅いわ。何をやっていたの?」
どこか尖った声が、扉を開けた途端に聞こえてきました。
ちょっぴり怖じ気づきながらも部屋の中を覗いてみれば、ソファにゆったりと身を委ねた年若い女性がいました。
黒い髪に雪のように白い肌。
間違いありません。この方こそ、現カノルドス王国王妃陛下のミフィシーリア様です。
明らかに不機嫌な様子の王妃様。ですが、そんな王妃様に、メリアさんはちょっと怒ったような顔を向けます。
「何言っているんですか? 今日は新しい使用人が来るから、その使用人たちを迎えに行かなければならないって言っておいたじゃないですか」
「……そういえば、そんなことも言っていたわね」
王妃様の視線が私たちに向けられます。
ですがあまり興味なさそうに、王妃様の視線は私たちの上をざっと通り過ぎただけ。
「……なんだか眠いわ。少し寝てきます」
そう言った王妃様は、奥の寝室へと姿を消しました。
「本当にどうしたのかしら? 最近のお嬢様ってば、やっぱり変よね」
腰に手を当てたメリアさんが、はあと大きな溜め息を吐きつつ言いました。
その時。
「うん。やっぱりメリアも変だと思うよねぇ」
突然第六の間の入り口の扉が開いたかと思えば、ぞろぞろと三人の女性が部屋に入って来ました。
その内の一人は先程まで一緒だったリーナさんで、もう一人は面接の時に会った金髪の女性。最後の一人は初対面の人です。いえ、確かに初対面なのですが、どこかでお会いしたような……
そ、それよりももっと大事なことは……ここ、王妃様の私室ですよね? そこに無断で入って来るなんて……この人たちは一体何者なんですか?
どうやら、今日同僚となった私以外の四人も、同じ思いだったのでしょう。皆、目を丸くして入ってきた女性たちを見つめていました。本当、不思議というか不可解なところです。この後宮は。
ですが、私たちとはまるで違い、メリアさんを始めとした侍女の皆様は別に気にした風もなく軽く頭を下げてお辞儀をすると、すぐにお茶の用意などを始めます。
私と同僚たちがどうしたらいいのか判らず、思わずぼーっとしていると、その女性たちはまるでここが自分の部屋のように実に慣れた様子でさっさと椅子に腰を下ろしてしまいました。
「……やっぱり、アーシア様もおかしいと思われますか?」
「違うでしょ、メリア。ボクのことはお義姉ちゃんって呼ぶようにって言ったよね? お母さんじゃないけど、メリアがボクの家……ミナセル家の養女になってもう随分経つよ? 今じゃメリアはボクの義妹なんだからね?」
「あ……あ、あの、その……申しわけありません、お、おおおお、お義姉様……」
真っ赤になりながらも、義姉だという女性の言葉に従うメリアさん。
ですが、私はそれどころではありませんでした。
なぜなら、先程メリアさんがお義姉さんを呼んだその名前。その名前には心当たりがありまくりだったからです。
アーシア・ミナセル。
それは国王陛下の従兄妹にして、王家に次ぐ第二位の大貴族、ミナセル公爵家のご令嬢。そして、この後宮に住まう第一側妃様でもあらせられるお方。
アーシア様といえば、その身に宿る「癒し」の異能から『癒し姫』とも呼ばれているのはとても有名です。
この時になって、私は更にある事実に気づきました。
アーシア様がお母さんと呼ぶ相手。それは当然、現ミナセル公爵家の当主、アミリシア・ミナセル様に外なりません。
そして。
そして、面接の時にお会いし、先程もやはりお会いしたあの女性……今更ながら、目の前のアーシア様とそっくりなあの方こそ、ミナセル公爵様ご本人だったのです!
し、しかも……ですよ? 先程まで馴れ馴れしく「メリアさん」などと呼んでいたメリア様も、養女ではあるものの公爵家のご令嬢ということに……
どうやらその事実に思い至り、私は今まで自分がやらかしてしまった数々のことを思い、顔を青くします。
ちらりと周囲を見れば、同僚たちも同じ様子。ええ、判りますよ。判りますとも。自分がやっちまったことの大きさに、今更ながら気づいたのですね。
なんせ、先程までの態度は十分不敬罪になってしまいます。しかも相手が大貴族である公爵家のご令嬢方ですから、明日の朝には私たちの首と胴は別れ別れになるやもしれませんから。
がくがくと身体が震えつつ、私は──いえ、私たちはアーシア様たちの会話に耳を傾けます。
「でも、確かにここ最近のミフィさんの様子は変ですわね」
「そうだよね。サリィもそう思う?」
「ええ。わたくしだけではなく、マリィもそう感じていますわ」
寝ている王妃様を気遣ってか、小声で相談するアーシア様たち。アーシア様たちは、私たちの態度などまるで気にした様子もなく、実に心配そうに王妃様のことを話しておられます。
「アーシアお義姉様、サリナ様、リーナ様。差し出がましい発言をお許しいただけますか?」
「あら、今更そんなこと、気にしなくてもよろしくてよ? それより、ミフィさんのことで、何か気づいたことでもありまして?」
「い、いえ、気づいたことというわけではないのですが……お嬢様の様子が最近変になった原因はもしかすると……」
「なるほどね。ミフィがああなるとしたら、原因はあいつしか考えられないってことね?」
「もう、シィくんたら……また何か無神経なことして、ミフィを怒らせたか悲しませたんだね、きっと」
「本当、仕方ありませんわね、シークさんは。ですが、ここはミフィさんに成り代わり、わたくしたちがつんと一発喰らわせてあげましょうか」
優雅に。華やかに。アーシア様たちは笑みを浮かべます。
ですが、美女の微笑みがこんなに恐いなんて、私は生まれて初めて知りました。
メリア様を始めとした侍女の方々がリーナ様──彼女が第四側妃様と知ってまたもやびっくりするのはもう少し後の話です──の指示でてきぱきと動き出し、やがて一人の男性がこの部屋に連行されてきました。
ええ、あれはもう連行です。なんせリーナ様がその男性の耳を引っ張ってこの第六の間まで連れてきたのですから。
「さあ、きりきりと白状しなさい。一体、何をミフィにやらかしたの?」
「な、何んだよ、やぶから棒に。俺が一体何をしたっていうんだ?」
「それを聞いているのはわたくしたちですわ」
第二側妃のサリナ様──侍女の皆さんがそう呼んでいました!──が、扇をひらひらとさせながらじっとりとした目でその男性を見つめます。
ところで、この男性は何者でしょうか?
国王陛下以外は男性が足を踏み入れてはならないこの後宮に、連行されてきたとはいえ立ち入ることができるなんて……
え? ま、まさか……
「陛下」
メリア様がその男性──やっぱり国王陛下でした!──の前に立ち、厳しい視線でその男性を見据えます。
「陛下はお嬢様のことが大切ではないのですか? 陛下自らがお選びになった妃様が……」
「だー! もー! おまえらは少しは人の話を聞けってっ!!」
ばちん、と大きく何かが爆ぜたような音がしました。同時に、男性──陛下のすぐ傍で何かがきらりと輝きます。
「ほらほら、落ち着いてシィくん。異能が暴走しかけているよ? メリアもサリィもリィも、少し落ち着こう? シィくんが嘘を言っているかいないか、サリィならすぐ判るでしょ?」
アーシア様が、ぽんぽんと陛下の背中を叩いて落ち着かせています。
サリナ様もリーナ様も、疑わしそうな目を陛下に向けつつも、アーシア様に言われてとりあえずは追究の手を止めたみたいです。
「アーシィ……やっぱりおまえは血の繋がった従兄妹だな。おまえだけは俺を信じてくれて……」
「で、今度は何やってミフィを悲しませたの?」
「……ちっとも信用してねえじゃねえかあああああああああっ!!」
再びぱしんぱしんと何かが弾ける音。しかも、今度は連発。
そんな陛下たちの様子を見ながら、「日頃の行いって大事よね」とメリア様がしみじみと呟きました。
「まあ、俺も気にはなっていたんだよ。ここ最近のあいつの様子は、さ」
倒れた椅子やテーブルなどを私たちが片付けた後、陛下と側妃様たちは改めて王妃様の様子について相談されます。
先程、陛下たちがあれ程騒いだというのに、王妃様は寝室から出てこられません。
不思議に思ってそのことをメリア様にお尋ねしたところ、「お嬢様は一度寝るとなかなか……」ととっても渋い顔で答えてくださいました。
何となく、その辺りのことには触れない方がいいと判断し、深くは聞かないことにします。
「確かに、あいつらしくないよな?」
「うん、そうだね。ボクもミフィらしくないって思うな」
「あの娘に限って、王妃になったからって突然性格が豹変するとは思えませんわ」
「そうよねぇ……」
口ではそう答えつつも、リーナ様は何やら思案しているご様子。
その後、しばらく考えていらしたリーナ様が、何かを思いついたような顔でメリア様を呼びました。
「悪いけど、シバシィ先生を呼んで来てもらえる?」
「シバシィ先生……ですか?」
「ええ。もしかしたら、ミフィは何かの病気で気分が優れないのかもしれないわ」
メリア様はリーナ様の言葉にはっとした表情になると、慌てて部屋を飛び出していかれました。
それからしばらくして、メリア様が初老の男性と一緒に戻ってこられました。どうやら、この方がシバシィ先生というお医者様のようです。
「やれやれ、なんじゃい。相変わらず揃いも揃って、五番目の嬢ちゃんのことになると騒しいのぉ、お主らは」
シバシィ先生はぐるっと陛下たちを見回すと、陛下たちや私たち使用人に退室を促しました。
「これから嬢ちゃんの診察をするからの。関係のない奴は部屋から出とれ。ああ、メリアよ。お主には手伝ってもらうからこの場に残れよ。間が悪いことにジークの奴が出払っておってのぉ」
こうして、陛下や側妃様方を始めとして、私たちは部屋の外に追い出されました。
陛下は落ち尽きなく、扉の前をうろうろとしておられますし、側妃様方も、心配そうな視線をじっと扉へと注がれておいでです。
どれくらいそうやって待っていたでしょうか。ようやく、部屋の中からシバシィ先生が入室の許可を出しました。
ばん、と勢いよく扉を開けて部屋に入る──というより飛び込む国王陛下。側妃様方も、慌てて部屋へ入っていきます。
部屋の中には、ソファに腰を下ろした王妃様と、その背後にメリア様。
寝起きのせいか、やっぱり王妃様はどこか眠そうというか、気だるげな顔です。
「それで、シバシィの爺ぃ。ミフィの容態はどうだ? やっぱり病気なのか?」
陛下がお二人の前に椅子を置いて座っているシバシィ先生に尋ねます。
「いや。嬢ちゃんは病気ではないな」
「病気じゃない? じゃあ、どうしてミフィは……」
この時、私は偶然にも気づいてしまいました。
王妃様の顔がやや赤く、恥ずかしそうに、それでいてどこか嬉しそうな……そんな顔をされていることに。
私が王妃様を見ている間にも、シバシィ先生は陛下に王妃様について答えていました。
「嬢ちゃんに見られるのは、微熱と疲れたわけでもないのに身体がだるく、それでいて眠気も多々ある……それから味覚の変化じゃ」
「だからよ、爺ぃ。それが何かって聞いているんだ!」
「やれやれ。これだけ言ってもまだ判らんのか。本当に鈍い小僧じゃのぉ」
よく見れば、憎まれ口を叩くシバシィ先生の口元は、にぃっと楽しげに歪められています。
「要するに、嬢ちゃんはな……」
更に口元を楽しげに歪めた先生は、ずびしっと右手の親指をおっ立てました。
「『おめでた』じゃ」
『辺境令嬢』外伝更新。
いやー、本当はもっと早くに仕上がる予定だったんだよー。
仕事が忙しいのに合わせて、どうしても書きにくくて……
くそう。一人称形式になんかするんじゃなかった。書きにくいよ、一人称……
一人称で長編を書いている作者様。本当に感服いたします。
さて、この外伝も残すところあと僅か。そろそろ書きたいことも尽きてきました。
あと一回ぐらいで、再び完結ってところかな?
では、残り僅かですが最後までお付き合いいただければ幸いです。
よろしくお願いします。