37-王都防衛戦終結
「申し上げます!」
成人である十五歳に僅かに満たない一人の少年兵士が、伝令として謁見の間へと飛び込んで来た。
「ユイシーク陛下、キルガス近衛隊長、および『魔獣使い』殿の活躍により、セドリック・エーブルの軍は壊滅! ユイシーク陛下は御身の名の元に勝利宣言をされました!」
国王自らが勝利宣言したと聞き、謁見の間に集っていた面々は安堵の息を吐いた。
そして、次の瞬間には謁見の間は大きな歓声に包まれる。
彼らは口々に勝利の立役者である国王や近衛隊長、そして『魔獣使い』の名を声高に呼ぶ。
だが、それらの名は次第に別の名前に塗り替えられて行った。
国王の勇名も近衛隊長の武名も『魔獣使い』の異名も、その人物の名前の前に徐々に消え失せていく。
今、謁見の間に集まっている者たちは、彼の英雄たちの陰でしっかりとこの国を支えた者の名を呼んでいた。
「ミフィシーリア王妃陛下、万歳!」
「国王陛下と王妃陛下が共におわせば、この国の将来は安泰だ!」
「ミフィシーリア様に栄光を!」
「未来の国母に祝福を!」
その後は、城にいた人間が次々に謁見の間を訪れ、ミフィシーリアの名を呼ぶ。
その光景を、伝令として謁見の間に訪れた少年兵は、眩しそうに見詰めた。
王妃の椅子に座ってこの国を支えた実の姉を、その少年は誇らしげに見詰め続けた。
戦闘は終わったが、戦争そのものが終わったわけでない。
戦死した兵士たちの埋葬もあれば、捕らえた捕虜を整理して収容する必要もある。
手柄を上げた者には報賞も与えねばならないし、負傷した兵たちには手当ても行わなければならない。
今日すぐにというわけでもないが、戦勝の宴も開かれるだろう。
武官たちの戦争は終わったが、文官たちの戦争はこれから始まるのだ。
戦勝に浮かれる者たちを前にして、ガーイルドと彼の補佐役のケイルは互いに顔を見合わせて苦笑を浮かべた。
「確かにこれから大変ですが……生き残れたからこそと思いましょう、閣下」
「そうだな。それに、今回の戦で手柄を立てた者は片手の指で足りるほどだ。報賞面では頭を悩ませずに済むだろうて。それに──」
ガーイルドの目は、王妃の椅子に座り、困ったような笑みを浮かべている少女へと向けられた。
彼女は今、多くの者たちに取り囲まれ、その名を称えられている。
そんな彼女の傍には、彼の娘ともう一人の補佐役もいて、押し寄せる人波から彼女を必死に守っていた。
「──あの娘には驚かされてばかりだわい」
何の後ろ盾も持たない、辺境の小貴族の令嬢。
この国の貴族の中でも、最底辺にいると言っても過言ではないほど、彼女の生家の身分は低い。
そんな低い身分の出身である彼女の事を、誰もが王妃と認めてしまった。
いや、彼女自身が認めさせたのだ。
敵の大軍に包囲されたこの王都を、彼女はたった一人で支える事によって。
今や、彼女が王妃の座に就くことを反対する者はいないだろう。
「……辺境貴族の令嬢の王家への輿入れ譚……いや、単に辺境令嬢輿入物語とした方が判りやすいか」
ぶつぶつと呟くガーイルドに、彼の傍らにいたケイルは首を傾げた。
「何か仰いましたか、閣下?」
「いやなに、あの娘の事は吟遊詩人たちがすぐに先を競って唄うだろうて。その時、そんな題名が掲げられるのではないかと思ってな」
まるでユイシークのように悪戯っぽい笑みを浮かべる上司を、ケイルは困ったような顔で見詰めた。
王城の正門が開き、続いてがらがらと車輪の音を響かせて馬車が一台、王城の中へと入って来る。
その馬車を出迎えるのは、きちんと整列した近衛隊に属する騎士を筆頭に、王都に残ってい兵士たち。
最低限の見張りだけを残し、王都に残っていた兵士たちは、主の帰還をこうして待っていたのだ。
兵士たちが左右に整然と整列する中、馬車は王城の正面入り口の前で進み、そこで停止した。
停止した馬車の扉が開き、そこから数人の男女が姿を見せる。
馬車から真っ先におりた一人の男性は、その場できょろきょろと周囲を見回す。
そしてその男性は、探し求めるものを見つけたらしく、足早にそちらへと駆け寄った。
男性の行く先には六人の女性。彼女たちの顔には、一様に嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
「此度の活躍、誠にご苦労様でした、陛下──」
六人の中から黒髪で小柄な女性が一人進み出て、その男性に向かって頭を下げた。
次いで、彼女の背後の残る五人も同様に低頭する。
「──何にもまして、怪我がなくて本当に良かった。お帰りなさい、シーク」
先頭の女性──ミフィシーリアは、目尻に涙を蓄えたまま、嬉しそうに破顔して彼の胸へと飛び込んだ。
残る五人の女性たち──アーシア、サリナ、マイリー、リーナ、コトリ──も、ミフィシーリアと同じようにユイシークへと駆け寄る。
六人の女性たちに揉みくちゃにされている国王の姿に、彼以外の馬車から降りて来た面々は苦笑を浮かべるばかり。
中には一人、類まれなる美女たちに囲まれる国王に、羨ましそうな視線を投げかけていたが。
この場に集まった兵たちの中にも、その彼と同じ気持ちを抱いている者も少なくはないだろう。だが、兵士たちの殆どは、この国の若き国王と彼を包むように笑い合っている六人の女性たちの睦まじい姿を微笑ましく見守っていた。
その後、場所を公式な場から私的な場へと移し、ユイシークたちはようやく一息ついた。
戦後の処理のあれこれは、気を利かせてくれたガーイルドやケイルが今も尚、行っている真っ最中である。
だが、それが本格的になるのは明日からだ。今日は戦が終わったばかりであり、最低限の事務処理だけを済ませてガーイルドたちも仕事を終えるだろう。
城下の街も、明日から暫く戦勝に沸くに違いない。
「やれやれ。今回は本当に危ないところだった。おまえがいてくれなければ、今頃こうして酒を酌み交わす事もできなかっただろう」
ユイシークは、目の前に座っている黒髪黒瞳の男性の杯に自ら酒を注ぎ、その男性の今回の働きを労った。
「本当、シークの言う通りだ。前にも言ったが、今回の働きに対する報賞におまえは何を望む? これだけの手柄を立てたんだ。大抵の事は通るだろうよ」
ジェイクもまた、ユイシークや黒髪の男性と一緒のテーブルに付き、一緒に酒を交わしている。
そんな会話を交わす彼らの背後では、ミフィシーリアを始めとした側妃たちと、黒髪の男性の従者たちが楽しそうに会話している。
どうやら、女性たちは女性たちだけで楽しんでいるようだ。
「それで『魔獣使い』。おまえは何を報賞に望む?」
「それなのですが、実は……」
『魔獣使い』と呼ばれた男性は、あるものを報賞に望むとユイシークたちに告げた。
それは予てより彼がずっと考えていた事であり、その事の起こりはかつてジェイクが彼に言った事であった。
そして彼の望みを聞いたユイシークとジェイクは、最初こそぽかんとした表情になったが、すぐに楽しそうな笑みを浮かべた。
「おまえの今回の働きを鑑みれば、それも不可能じゃないな」
「今回の騒ぎで幾つか空いた土地も出たしな。丁度いいンじゃねえか?」
まあ、詳しい事はガーイルドのおっさんと相談してからだがな、とユイシークは彼の望みを前向きに検討する事を約束した。
「しかし、僕も驚きました。まさか、陛下たちが留守にしている間に、ミフィシーリア様が王妃になる事が正式に決定していたとは」
「ああ。俺も事の経緯をガーイルドのおっさんから聞いた時にはびっくりしたぜ」
ユイシークは自分が留守にしている間に、王城で起きた事をガーイルドから聞かされていた。
そして、ミフィシーリアが既に王妃として認められている事に、強い喜びも感じていた。
ずっと王妃として迎えたかった女性を、とうとう正式に王妃として迎える事ができるのだ。もちろん、正式な戴冠式は今回の戦の戦後処理が終わってからになるだろうが、今日までずっと待っていたのだ。あと少し待つのは造作もない。
ジェイクもまた、ミフィシーリアの武勇伝を聞いて大いに感心したほどだ。
「なあ、シーク。いっその事、王位をあの嬢ちゃんに譲ったらどうだ?」
「お、いいな、それ。で、俺はその後は王配に納まる、と。その方が気楽でいいかも──あたたたたっ!」
突然顔を顰めて悲鳴を上げるユイシーク。
いつの間にかユイシークたちの元へと来ていたミフィシーリアが、彼の笑えない冗談に真顔で彼の脇腹を抓り上げていたのだ。
「何を巫山戯たことを言っているのですか、シーク? この国の王はあなたです。今回の事で、あなた以外にはこの国の王は務まらないと実感しました」
済ました顔でユイシークにそう告げたミフィシーリアは、『魔獣使い』と呼ばれた男に深々と頭を下げた。
「今回は本当にありがとうございました。シークも言っていましたが、リョウト様がいなければここでこうして笑い合っていられなかったでしょう。それに────」
ミフィシーリアの視線は、『魔獣使い』──リョウト・グラランの布に覆われた左の瞳へと注がれる。
「────リョウト様は左目を失ってまで、この国を救ってくれました。本当にお礼の言いようもありません……私たちにできる事があれば、何でも仰ってくださ────え?」
頭を上げたミフィシーリアは、目の前のリョウトが奇妙な表情でじっと自分を見ている事に気づいた。
彼は今、何とも困ったような表情でミフィシーリアを見ていたのだ。
「どうかしましたか、リョウト様?」
「いえ……そのですね、近い将来に王妃となられる方から様付けで呼ばれるのが何とも抵抗があると言うか……」
なるほど、そういう事か。ミフィシーリアも、近くで聞いていたユイシークたちも同時に納得した。
確かに彼の言う通り、目上の──それもこの国の頂点に立つ人物から、様付けで呼ばれれば抵抗の一つも感じて当然だろう。
「ですが、リョウト様はリョウト様ですし……」
対して、ミフィシーリアもまた困り顔だ。
彼は自分の血縁である女性の、伴侶となる可能性が極めて高い男性なのだ。彼女からしてみれば、彼の方が目上だという感覚がある。
そんな男性を呼び捨てにしたり対等な口の利き方をするのは、逆にミフィシーリアの方に抵抗があった。
果たしてどうしたものかと悩むミフィシーリアの脳裏に、一つの案が浮かんだ。
それは彼女にとって、とても名案に思えるものであり。
「では、これからはリョウト義兄様とお呼びしてもいいでしょうか?」
「……………………は?」
だが、この案は彼女以外には不評のようだ。
義兄と呼ばれたリョウトも、ユイシークやジェイク、そして他の側妃たちやリョウトの従者たちまでもが、ぽかんとしたまま彼女をじっと見詰めていた。
「え? あ、あの、で、ですから……リョウト様はアリィ姉様のご主人となられる方ですから……私からすれば、義兄にも等しいのですが……」
周囲を見回しながら、ミフィシーリアは顔を赤くしてしどろもどろになりながらも必死に言い募る。
リョウトもほとほと困った顔をして、思わずユイシークへと振り向く。
しかし、そこに彼は思いがけないものを見た。
それは、まるでおもしろいものを見つけた子供のような顔でにやりと笑うユイシーク。
「ははははははははははははははっ!! いいな、それ! じゃあ、これからは俺もおまえの事は『リョウトの兄貴』と呼ばせてもらうぜ! ミフィの義兄ならば、俺にとっても義兄だからな!」
国王と将来の王妃から「義兄」と呼ばれ、今回の争乱で英雄と呼ばれた男性は、戦場でも見せた事のないほど困った表情を浮かべた。
『辺境令嬢』更新しましたー。
さて、この『辺境令嬢』も残すところ後一話。
ミフィの立場をより明確にし、物語全体のエピローグを。
ただ、活動報告あたりに書いたと思いますが、本編から零れ出た話を何本か外伝として追加する予定です。
話は変わりまして、以前から挙げていた当面目標である「お気に入り登録2000件突破」は、先週めでたく達成いたしました!
……とか思っていたら、ぽぽぽぽんと登録が減って、再び2000を下回り……一時は2006とかまで行ったのになぁ(泣)。くそう。
てな事を書いている内に、再び2000件突破! でも、またすぐに下回るかも(笑)。
そんなわけですが、あと少しだけお付き合い願います。
ではー。