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辺境令嬢輿入物語  作者: ムク文鳥
争乱編
60/74

29-蜂起


 ぎぃ、と扉が軋む音に、部屋の中にいた宮殿医師のシバシィ・ガーラムと、その弟子であるジークント・カーリオンは、同時に扉へと視線を向けた。

 そして、そこに最近ではすっかりこの部屋──王宮の医務室──の常連となってしまった少年の顔を見つけた。


「なんじゃい。また五番目の嬢ちゃんの弟かい。詰まらんのぉ。どうせなら、ばいんばいんでぴちぴちの女子が来ないもんかのぉ」

「シバシィ先生……そういう発言ばかりしていますと、また姉さんかサリナ義姉(ねえ)さんあたりに叱られますよ?」


 見るからにぶすっとした表情のシバシィを、苦笑を浮かべたジークントが窘める。

 そして、自分がここに来る度に繰り返されるそのやり取りに、この部屋にやって来たジガル・アマロー──現在はジガル・カルディと名乗っている──は、渇いた笑いを零した。


「二人とも……じゃれ合ってないで早く診てもらえないか? 俺、一応とはいえ怪我人だぜ?」


 ジガルは右手に巻かれた僅かに血の滲んだ布を左手で押さえながら、ふぅと呆れを含んだ溜め息を吐いた。

 ジガルたち見習いが訓練に用いるのは木製の剣や槍である。見習いでしかない彼らには、刃引きした訓練用の剣や槍はまだ使わせてももらえない。

 とはいえ、つい最近までは走り込みなどの基礎訓練ばかりだった見習いたちも、最近では木製とはいえ武器を用いた訓練を行うようになっていた。

 だが、所詮は見習いが使用するような木製武器である。きちんと手入れなどされているわけもなく、今日の訓練相手の木剣にどうやらささくれでもあったようで、その木剣が彼の右腕を掠めた際に軽い裂傷を生じさせたのだ。

 その話を聞いたシバシィは、ジガルを医務室の椅子の一つに座らせると、応急的に患部に巻かれていた布を剥がし、傷口をしげしげと観察する。


「ふむ……どうやら、傷口に異物は入っておらんようじゃの。傷そのものもそれ程深くはないし、消毒しておけば問題ないじゃろ」


 シバシィは清潔な布に消毒用の酒を含ませると、それで傷口を拭いその上から包帯を巻き付けた。

 傷口に酒が浸みてジガルは露骨に顔を歪ませるが、シバシィはそれに気づきながらも躊躇なく処置を施していく。


「ねえ、ジガル。訓練が厳しいのは仕方ないけど、あまり無理ばかりするとその内もっと大きな怪我をするよ? たまには身体を休める事も大切だと思うけどな。これは医師見習いからの忠告だ」


 処置の終わったジガルに、シバシィの傍らに立っていたジークントが心配そうな顔をして告げた。


「もし君が大怪我でもすれば、ミフィ義姉さんも悲しむ事になるからね」

「そいつも医師見習いの忠告か?」

「いいや。これは友人としての忠告だ」


 姉を持つ者同士、そしてその姉が側妃である者同士、ユイシークという義兄(あに)を慕い敬う者同士、そして辺境貴族の嫡子同士。

 何かと共通点の多い二人は出会ってすぐに意気投合し、今ではすっかり親友とも呼べるような間柄になっている。

 そんな初めてできた親友の忠告が嬉しくも照れくさく、ジガルはほっとけ、と小さく呟いてジークントからぷいっと視線を逸らした。




「……というわけで、息抜きは大切なのだよ、うん」

「なにがというわけ、だよガブスン?」


 厳しい訓練が終わり、すっかり空っぽになった胃袋を抱えながら、ジガルとガブスンは夕陽に染まる王都を歩いていた。

 周囲の露店や酒場などの料理を扱う店から漂う夕餉のいい匂いが、彼らのような空腹の者に無言の誘惑をしかけてくる。


「でも、息抜きが大切というのは私も賛成ね。ところで、ガブスンが聞き込んだっていう安くて料理の美味しいお店ってまだなの?」

「慌てるなって。もうすぐそこさ」


 彼らと一緒に歩くリーエルが、片手で自分の腹部を軽く押さえながら、周囲に漂ういい匂いに鼻をひくひくさせた。

 一日の訓練を終えた彼らは、これから息抜きと今日の夕食を兼ねて城下に繰り出したのだ。


「ジークも言っていたわ。あなた、訓練に真面目なのはいいけど、正直真面目過ぎなのよ」

「そうそう。最近、おまえ生傷が絶えないだろ? だから俺たちがジークに言われたんだよ。おまえに息抜きをさせてやってくれってな」


 ジガルを通じ、ガブスンとリーエルもジークントとはかなり親しくなっていた。

 ちなみに、ジークントとは医務室の常連になったために自然と親しくなったと二人には伝えてある。

 そして二人にはジークントの事を、辺境貴族の嫡子であり宮殿医師の見習いとだけ伝えておいた。

 リーエルも貴族の生まれではあるものの、その生家の身分はそれ程高くないのに加え、どうやら彼女は妾腹の生まれらしい。彼女が女の身でありながら騎士を目指すのも、その辺りに関係があるようだ。

 庶民の出であるガブスンはもちろんの事、リーエルもまたジークントの事は詳しく知らないようで、二人ともそれなりに親しくジークントと接している。


「どうせなら、ジークも一緒に来れれば良かったんだけどな」

「仕方ないわよ。ジークは今晩シバシィ先生と一緒に用事があるそうだから」


 シバシィとジークントの用事とは、ユイシークや側妃たちといった親しい者たちだけでの夕食なのだが、そこまでは知り得ないジガルたちである。


「あいつの方こそ、息抜きが必要なんじゃねえか?」


 三人は共通の友人を話題に笑い合う。そうしているうちに、彼らの目の前には一件の酒場。

 その酒場の看板には、フォークとナイフと酒の満たされた杯、そして雲と雷を図案化した模様と「轟く雷鳴」亭という文字が刻まれていた。

 その酒場の扉を押し開けると、中の喧騒と料理のいい匂いが怒涛のように三人に襲いかかる。

 そして、新たな来客に気づいた酒場の女給が彼らへと振り返り。


「いらっしゃ────」


 女給は言葉の途中で突然石にでもなったかのように、その動きを止めて目を見開いてジガルを見詰めた。

 ジガルもまた、その女給の姿を見た途端、同じように身体の動きを止める。


「………………」


 しばらく無言で見つめ合う二人。見ようによっては、それは運命の人に巡り会った未来の恋人同士のように見えなくもない。

 事実、ガブスンはジガルがその女給に一目惚れしたのだと思い込んで、にやりと意味深な笑みを浮かべた程だった。


「……え、え? じ、ジガルさ……」


 ようやく口を開こうとした女給だったが、ジガルの近くに彼の連れと思われる人物がいる事に気づき、思わず「ジガル様」と言おうとした口を慌てて閉じた。彼女は今のジガルが身分を偽っている事を知っているからだ。

 ジガルの方も、この人がこんな酒場で女給をしているとは思いもよらず、呆けたように立ち尽くしていたがようやく気を取り直した。


「ど、どうしてメリアがこんなところで女給なんてしているんだ……?」


 そう尋ねられて姉の侍女頭であり、ジガルにとってももう一人の姉とも言えるその女性──メリアは、困ったような引き攣った笑みを浮かべた。




「……とまあ、そんな理由(わけ)でして……」


 「轟く雷鳴」亭の片隅のテーブルで、ジガルはメリアがどうしてこの酒場で女給をしているのか、その理由を聞いていた。


「アミィさん……じゃなかった、ミナセル公爵様は私を客人として公爵邸に招いてもいいと言ってくださったのですが、私は公爵様のお家の客人なんて柄じゃないし……お嬢様や陛下、その他の方々とも相談した結果、陛下の知り合いだというこのお店でしばらく働かせてもらう事にしました」


 何もせずにじっとしているより、何か働いていた方が性に合っていますから、とメリアは言葉を続けた。


「そうだったのか……」


 兵士どころかその見習いでしかないジガルは、姉やリーナが襲撃された事を初めて聞かされた。

 だが、側妃襲撃など事が事だ。箝口令が敷かれたのはジガルにも理解できる。


「姉さんや陛下がそう判断したのなら、俺がとやかく言う事じゃないな。でも、こんな酒場で働いていて大丈夫なのか?」


 ジガルはざっと周囲を見回す。賑わっている酒場の客の殆どが、厳つい男たちである。

 それも無理はない。ここは主に魔獣狩り(ハンター)たちが拠点として利用する酒場兼宿屋であり、当然その客層の殆どが様々な魔獣鎧(まじゅうがい)を身につけた魔獣狩りたちである。

 中には女性客の姿もちらほら見えるが、彼女たちもまた魔獣狩りであり、とてもじゃないが上品とは言えないような者たちが大多数を占めている。

 そんな酒場で働いていて、彼女は無体な事はされないのか。それがジガルには心配だった。

 しかし、当のメリアは笑ってその点は心配いらないと答える。


「この店に来る人たちは、みんな私がアリシア様の縁者だって知ってますから。この店でアリシア様やそのご主人である『魔獣使い』様を知らない人たちなんていませんよ」

「アリシア様……って、もしかして、小さい頃に何度か会った事のあるカルディ家のあのアリシアさんの事かっ!? そ、それに『魔獣使い』って……最近噂になっている『魔獣使いの英雄』の事だろっ!? ってか、今、アリシアさんの主人がその『魔獣使い』って言わなかったかっ!? アリシアさん、いつの間に噂の英雄なんかと結婚してたんだっ!?」


 あまりにも突然な事を次々と聞かされ、ジガルは絶賛混乱中であった。


「そうです。ジガル様にとっては再従姉弟(はとこ)にあたる、あのアリシア様です。そして『魔獣使い』様やアリシア様たちは、先日の襲撃の時にお嬢様や私を助けてくださった恩人でもあります」


 正確には『魔獣使い』様とアリシア様は夫婦ではないけど似たようなものです、とメリアは言葉を付け足した。

 最近アリシアたちが奴隷から解放され、一般市民に戻った事を知らないメリアは、目の前の少年の再従姉弟が奴隷に落ちているとは言えず、敢えて彼女たちの本当の関係を告げなかった。




 その後、仕事に戻るというメリアと別れ、ジガルはガブスンとリーエルが待っていたテーブルへと移動した。


「よう、随分と楽しそうだったな? ジガルってああいう娘が好みだったのか。それで? 今晩一緒に過ごす約束でもしてきたのか?」

「ち、違うよ。彼女とはその……同郷でさ。年も近かったから故郷では結構仲が良かったんだ。その彼女とここでばったり出くわしたものだから、思わず昔話に話が弾んだんだよ」


 実家の侍女がこんな場所で働いていたので、思わず驚いたとは言えないジガルである。

 それに同郷というのも間違いなく事実であり、丸っ切り口からの出任せでもなかった。


「あら、そうだったの? 私はてっきり、出会って早々あの女給を口説いていたのかと思ったわ」

「俺も俺も。なんだ、そうじゃなかったのか。詰まらん」


 何度も詰まらんを繰り返すガブスンの頭を、ジガルは軽く小突いてやった。

 そして改めて酒と料理を注文し、運ばれて来た杯を手に持つ。


「おっし、ようやく面子も酒も揃ったし、改めて乾杯といくか!」


 待ちかねたガブスンが嬉しそうに言う。

 どうやら二人は、ジガルとメリアの話が終わるのを待っていてくれたようだった。


「乾杯はいいけど……何に対して乾杯するの?」

「そんなの決まっているだろ? 俺たちの立身出世に乾杯だ!」


 高々と杯を突き上げるガブスン。そんな彼にジガルとリーエルは見つめ合って苦笑を浮かべると、ガブスンに付き合って杯を突き上げた。

 ここん、と木製の杯が景気の良い音を奏でる。三人はその杯に満たされた酒で喉を潤し、料理に舌鼓を打ちながら今の兵士見習いとしての生活や、軍に入る前の事を話し合いながら楽しく過ごした。

 途中、何気なくジガルが店内を見回せば、槍を持った一人の魔獣狩りらしき男とメリアが話しているのを目にした。

 別に絡まれているというわけでもなく、メリアも親しそうに話しているところを見ると、どうやら知り合いなのだろう。

 もしもメリアが一方的に絡まれていたら手助けに入ろうと思ったが、その必要もなさそうだとジガルは意識をテーブルの上の料理へと引き戻した。

 その時。

 店の入り口が慌ただしく開けられ、一人の魔獣狩りらしき男性が転がり込むように店内に入って来た。

 その男性の顔色は真っ青で、ぜいぜいと荒い息を吐いている。

 店主を始めとした店内にいる者全員が注目する中、ようやく息が整った男が途切れ途切れに呟いた。


「た、大変だ……は、反乱が……反乱が起きた……」



 『辺境令嬢』更新しました。



 いつもなら週の始めは『怪獣咆哮』から更新するのですが、今回は『魔獣使い』との兼ね合いでこちらを先に更新。今後もこんな事は多々あるかと思います。


 もしも他の二作品の進行が早ければ、今週中にもう一本更新できるかも?


 そんなわけで、次回もよろしくお願いします。


























 当面目標だった「両評価点四桁超え」は無事達成いたしました。

 評価点を投下してくださった皆様、本当にありがとうございます。


 続いて、次の当面目標は「お気に入り登録2000件突破」にしたいと思います。


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