05-露呈
「た、大変なのよぉっ!!」
アマロー家の居間に飛び込んで来たもの。
それは銀のツインテールを振り乱したコトリだった。
そして飛び込んで来たコトリは、今まさにワンピースを床に落とそうとしているミフィシーリアを見て、きょとんとした表情を浮かべる。
「何してるの、ミフィ? あ、もしかして着替えてる途中だった?」
自分でそう言いながら、着替えるにしては変だなとコトリは思う。
コトリは周囲の者たちから、人前で、特に男性の前で服を脱いではいけないと教わった。
コトリの外見と同じくらいの年頃の娘たちにとって、それは常識であるらしい。
だからコトリも着替える時は、男性──父親を除く──のいない所で一人で着替えるか、侍女に手伝ってもらいながら着替えるように心がけている。
だが、ここにはミフィシーリアの父親を始め、見慣れない男性がたくさんいた。そんな場所でミフィシーリアが服を着替えるのは不自然ではないだろうか。
そう思ったコトリは、改めて周囲を見回しある事に気づいた。
「あれ? どうしてここに豚人族がいるの? ひょっとしてミフィの家の新しい使用人?」
そう言ってコトリがご丁寧に指まで差したのは、いうまでもなくアルマン子爵である。
そして指差されたアルマン子爵は、ミフィシーリアを辱めるという歪んだ楽しみの最中に飛び込んで来た、庶民らしき銀髪の少女に侮辱された事で顔を真っ赤に染めた。
「ぶ、ぶぶぶ無礼な娘めっ!! 儂が誰だか判っておらんのかっ!?」
「そんな事言ったって、コトリ、豚人族に知り合いなんていないよ?」
「誰が豚人族だっ!! 儂はれっきとした人間だっ!! 貴族だっ!! 無礼者っ!!」
「えっ!? 嘘っ!!」
あんぐりと口を開けて驚くコトリ。
彼女のその態度に、アルマン子爵は少女が貴族に対して無礼を働いた事を後悔していると判断し、改めて突然飛び込んで来た銀髪の少女を観察する。
「ほう……庶民にしては中々の上玉だな。銀の髪も珍しい。よし、いいだろう。庶民が貴族に対して、先程のような無礼な態度を取れば本来なら死罪だが、儂は心が広い。特別に許してやろう。ただし、アマローの小娘同様素っ裸になって謝罪し、儂の奴隷となるなら、だがな」
再びにやりと好色な笑いを浮かべるアルマン子爵。予想外の獲物に、込み上げてくる笑いが押さえ切れない、といった様子だ。
「ほれ、二人ともさっさと裸になれ」
子爵の言葉に、背後の使用人や兵たちが笑い声を上げる。中にはミフィシーリアたちに下品な言葉をかけたり、口笛を吹いてからかう者までいる。
コトリはアルマン子爵の言っている事の意味が判っていないのか、きょとんとして子爵を見つめるばかり。
そしてミフィシーリアは、ボタンの外れたワンピースの前を合わせるようにかき抱きながら、どうしたものかと必死に考える。
自分が奴隷に落ちるのはいい。既に決心した事だ。だが、コトリまでも奴隷に落とすわけにはいかない。
必死に考えるミフィシーリアをよそに、コトリはまじまじと子爵を見て再び口を開いた。
「あのねぇ、豚人族のおじさん! 貴族ごっこもいい加減にしてよね! コトリ、これでも忙しいんだからっ!! それに貴族じゃない人が貴族を名乗るのはそれこそ死罪だって聞いたから、貴族ごっこはあまりしない方がいいと思うよ?」
あくまでもアルマン子爵を豚人族扱いするコトリ。
どうやら先ほど彼女が「嘘」と言ったのは、貴族に無礼な態度を取って驚いたのではなく、豚人族が人間だと言い張った事に驚いたようだった。
居合わせた者は当の子爵を含め、そんな天然なコトリにあっけに取られて口もきけない。
そんな中、コトリはばたばたとミフィシーリアに近づくと、改めて彼女に向き直った。
「あのね、ミフィ! コトリ聞いちゃったの! ミフィが結婚するって言ってた、アルマンって貴族なんだけど、そいつ奴隷の密売をしているんだって! だからそんな奴のところにお嫁に行かない方がいいよ! ううん、絶対お嫁になんか行っちゃだめよぉっ!!」
このコトリの爆弾発言に、再びその場に静けさが訪れる。そして、そんな静寂を破ったのは、驚きに目を見開いたアマロー男爵だった。
「し、子爵……あ、あなたは本当に奴隷の密売を……? そ、それでは娘を奴隷にしようとしたのも、売ることが目的で……?」
わなわなと振るえる男爵。その顔色は最初こそ青かったがやがて怒りのために真っ赤に染まる。
「ふざけるなっ!! いくら領民のためとはいえ、可愛い我が子を奴隷になどできるかっ!! 今回の話はこちらから断らせてもらうっ!! そして子爵! この件は国に報告させてもらうぞ!」
「し、知らぬっ!! 奴隷の密売など儂は知らぬっ!! 男爵よ、貴公はそんなどこの馬の骨か知れぬ小娘の言う事を信じるのかっ!?」
「この娘は娘の友人だ! ならばその言葉を疑う理由は私にはない! そもそも、そのような事は陛下に直々に調べていただけばはっきりする事だ! 申し開きは私ではなく陛下にしたまえっ!!」
激昂にかられ、テーブルに自らの拳を打ち付けるアマロー男爵。
そしてその音を合図とするかの如く、この場に更に一人の男が現れた。
魔獣の革製の武具を纏ったその男。特に目を引くのは背後に背負われた巨大な大剣。
「陛下に調べてもらう必要はねぇよ。今し方、子爵の領地の屋敷の地下牢から、数人の奴隷が見つかったって知らせが来たぜ? その奴隷はどいつも所持印を持たない奴隷だってよ」
奴隷には、その身に所有者の名前を刻む事が義務付けられている。
所有者の名前は所持印と呼ばれ、入れ墨で身体に直接刻み込む場合もあれば、首輪に名前を刻んだだけの場合もある。
普通は奴隷を転売する事も考え、首輪に名前を刻むのが主流だ。
そして誤解しやすいが、奴隷の売買は国の許可を得ているれっきとした商売である。
所持印を持たない奴隷とは、奴隷商人が所有する『商品』としての奴隷であり、奴隷商人以外が所持印を持たない奴隷を有するのは明確な犯罪であり処罰の対象となる。
もちろん、国から許可を得ていない者が奴隷を売る事も同様である。
この場に突然現れた男──ジェイクは、にやりと笑うと器用に片目を閉じつつミフィシーリアに告げた。
「というわけだ、お嬢さん。もうこれ以上こいつの言う事に耳を貸す必要はないぜ? だからさっさと身繕いを整えな」
言われたミフィシーリアは、未だに自分が服の前をはだけた状態でいる事に気づき、慌ててボタンを嵌める。
「ジェイク!」
「あのなぁ、コトリ。あいつにももっと落ちついて行動しろって言われているだろ? いくらこのお嬢さんが心配でも、いきなり飛び出して行くんじゃねぇよ。ま、今回に限っちゃ、それがいい方向に出たようだがな」
ジェイクは居間の中央にいるミフィシーリアとコトリに、つかつかと無造作に歩いて近づく。
その際、彼の背負う大剣が、子爵一行に無言の圧力となってのしかかる。
「な……何者だ、貴様っ!!」
わなわなと震えながら、アルマン子爵は突然乱入し、己の秘密を曝露した男を憎悪に燃える眼でねめつけて叫ぶ。
「き、貴様……どうやって奴隷の密売を嗅ぎつけたのかは知らんが……儂の秘密を知られた以上、生きて帰れるとは思うな!」
いくら大きな剣を携えているとはいえ、相手はたった一人。こちらは護衛の兵──その実はならず者と大差ないが──が五人いる。
更に、使用人として連れて来た者も、多少の荒事に耐えられる者ばかりだ。
人数的には多勢に無勢。この場で男爵一家や使用人を含めた全員の息の根を止めてしまえば、己の悪事が露呈することもない。
短絡的にそう思い至ったアルマン子爵は、背後に控える者たちへ視線を向ける。
「使用人を含め男は殺しても構わん。だが、男爵の女房を含め、女はできるだけ傷付けるなよ? 奴隷として売りさばく時の値が下がるからな。まあ、後で味見ぐらいさせてやる。儂の後で良ければだがな?」
子爵の言葉に嬉しそうな声を上げながら、配下たちは腰に帯びていた剣を抜き放つ。
煌めく複数の刃。それを見たアマロー男爵は、娘と妻を背後に庇いながら数歩後ずさる。
そんな男爵の前に進み出たのはジェイク──とコトリだった。
「心配すんなよ、アマロー男爵。この程度の人数に遅れを取る俺じゃねぇさ」
背負った大剣の柄に手をかける事もせず、自然体で立つジェイク。そしてコトリも腰に手をあて無意味に胸を張って言い放つ。
「そう、ジェイクの言う通り! 心配ないからね、ミフィ」
「コトリ! 危険です! 下がってくださいっ!!」
「大丈夫! コトリは強いのよぉっ!!」
そのコトリの台詞が合図だった。子爵の兵たちが一斉に男爵一家の前に立つジェイクとコトリに襲いかかる。
その内訳はジェイクに三人、コトリに二人。
狭い室内ではジェイクの持つ大剣を振り回すのは難しい。そしてコトリは武器さえ帯びていない、どう見てもただの小娘。だがしかし、外見から単純に二人を判断した兵たちは、直後に後悔することになる。
同時に襲いかかる三人の兵たちを一瞥し、ジェイクはするりと背の大剣を抜いた。
そう。何事もなく抜いたのだ。
彼の持つ大剣は、切先から柄先までの長さが彼の身長ほどもある。そんな巨大な大剣を背から抜けば、そんなに高くないアマロー家の居間の天井にどう考えても引っかかるはず。
だが、彼の手には抜剣された大剣がある。
まるで背中から直接手の中に瞬間移動したかのような光景に、兵たちの勢いが僅かに緩む。
そしてその僅かな緩みをジェイクは見逃さない。
三度迸る銀光。
それだけでジェイクに詰め寄った兵士三人が、その場にばたりと昏倒した。
「一応、殺しはしねぇよ。男爵の家ン中をおめぇらの血で汚すわけにもいかねぇんでな」
ジェイクは自身の言葉通り、大剣の腹の部分で兵士の頭部を殴打したのだ。
尤も、ミフィシーリアを始め男爵夫妻やアルマン子爵にも、彼が剣を振るった光景は見えなかったのだが。
ジェイクが構える剣の位置が違う。彼らが気づいたのはそれだけであり、その一瞬で三人の兵士が無力化されて倒れ伏したのだ。
それだけではない。今彼らがアマロー家の居間には、僅かながら調度品が置かれている。
その置かれている調度品たちには、髪の毛ほどの傷もつけられていない。
あの巨大な大剣を眼にも止まらない速さで三度も振り、なおかつ、周囲の調度品に全く傷も付けない。
それがどれだけ難しい事であるか、剣に関して素人のミフィシーリアにも判る。
つまり、目の前にいるどこか飄々としたジェイクという男が、途轍もない程の剣の達人だという事にミフィシーリアは改めて思い至った。
そして同時に、居間の中にばちりという音が響く。
思わずジェイクをぽかんと見つめていたミフィシーリアだが、その音で頭が再起動をしたのかコトリの事を思い出した。
コトリは大丈夫なのかと彼女の方へ視線を移せば、そこにはジェイク以上にとんでもない光景が展開された。
コトリは兵が繰り出した剣戟をするりと躱す。その動きは猫科の動物のようにしなやかそのもの。
そして兵の剣を躱したコトリは素早くその懐に飛び込むと、その華奢な手を伸ばし兵の腹部に軽く当てる。
ばちり、と再び響く音。
コトリの手と兵士の腹部の間で青白い光が発せられ、それだけで兵が崩れ落ちるように倒れた。
この時になって、既に兵士の一人が彼女の足元で倒れている事に、ミフィシーリアはようやく気づく。
「……い……『雷』の……異能……?」
そう呟いたのは誰だったか。
『雷』の異能。それを持つ者は唯一人。
カノルドス王国の国王、ユイシーク・アーザミルド・カノルドス。彼の人だけがこの世で唯一人、『雷』の異能が使える筈。
では、今目の前で『雷』の異能を使ったコトリは一体何者なのか?
混乱するミフィシーリアの耳に、どこかのんびりとしたジェイクの声が響く。
「さあ、観念しな子爵。こんな連中が何人いようが、俺たちの相手にゃならねぇぜ?」
軽い口調とは裏腹に、鋭いジェイクの視線がアルマン子爵を射貫く。
それだけで子爵の背後に控えていた数人の使用人が、ばたばたと居間から飛び出して行く。
逃げ出した配下に振り返る事すらせず、その場で腰を抜かしたように座り込むアルマン子爵は、今度は畏れで振るえる指先を、ゆらゆらとジェイクに向ける。
「き、貴様は……貴様たちは一体何者だ……」
そしてジェイクは。
「俺の正体か? 知ったらきっと後悔すると思うがよ? それでも知りたい? じゃあいいぜ、教えてやろう」
と、にやりと悪戯小僧のような笑みを浮かべると、とんでもない事を口にした。
「俺の名はジェイク・キルガス。今ンところ、カノルドス王国近衛隊隊長ってぇ肩書きを背負ってるモンだ」
アマロー男爵領編もあと二話で終わりそうです。
その後は舞台を王都へと移します。
それはそうと、最近お気に入り登録してくださった方が25名を超えました。
ありがとうございます。アクセス数の方も順調に伸びています。
今後もがんばりますので、見捨てないでお付き合いください。
よろしくお願いします。