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辺境令嬢輿入物語  作者: ムク文鳥
争乱編
54/74

23-黒幕-1

 ばん、と大きな音を立てて扉が開く。

 部屋の中にいた面々は、そこにいたユイシークの姿を見て一瞬だが気圧される。

 今、彼は明かに怒っていた。

 その怒気は周囲の空気をびりびりと震わせている。いや、比喩ではなく、彼の周囲では小さな雷が絶えず発生しており、それが空気を震わせているのだ。

 どうやら怒りの余り、異能が暴走気味らしい。

 ユイシークは無言のまま部屋──彼の執務室──を横切ると、どかりと無遠慮に椅子に腰を下ろした。

 そんな彼の後から、アーシアとコトリ、そしてミフィシーリアとメリアが、不安そうな顔で執務室へと足を踏み入れた。

 ジェイクがこの場にいないのは、彼はすぐに出番が来るであろう近衛隊を指揮するため、近衛兵の屯所へと向かっているためだ。


「リィが攫われたそうだな? 状況を説明しろ」


 怒気を孕んだ質問の声が、部屋にいたガーイルドとケイルへと飛ぶ。

 とは言え、ユイシークの怒りようは予想の範囲内であったケイルは、彼のぴりぴりとした空気に怖じ気付くこともなく状況の説明を始めた。




 王都ユイシークの城下町にある「轟く雷鳴」亭。そこに城から使いが慌てて駆け込んで来たのは、ユイシークたちが噂の吟遊詩人の唄を堪能し、これからその吟遊詩人にまつわるもう一つの噂である、彼の魔獣を見せてもらおうと思っていた矢先だった。

 突然店に入って来た者に、店の中にいた人間の視線が集まる。

 だがその者は、周囲の視線などまるで気にする事もなく、目的であるユイシークを見つけるとそのまま彼の元へと赴き、彼の耳元でとある報告をした。

 この時、ユイシークの傍にいたミフィシーリアは、彼の雰囲気が一変した事に気づく。

 いつも飄々とした雰囲気のユイシークが、これほどまでに怒りを露にするのを彼女は初めて眼にした。

 彼の様子に何事かが起きたと悟った一行は、彼の行動を黙って注目する。

 そんな中で、ユイシークは仲間たちだけに聞こえるように小声で呟いたのだ。


「リィが何者かに連れ去られたらしい」


 驚くミフィシーリアたちを振り返る事もなく、ユイシークは店を飛び出して行った。

 その後を仲間たちと居合わせた近衛隊に所属する者たちが追う。

 そして店を出る時、ミフィシーリアは自分と血縁を持つ赤みの強い金髪の女性が、心配そうにじっとこちらを見ている事に気づいた。


「何かあったみたいね?」

「はい。詳しい事は言えませんが、急いで城に戻らねばならなくなりました」


 側妃の一人が誘拐されたなど、部外者に言えるはずもない。

 言葉を濁すミフィシーリアに、その女性はにっこりと微笑みながら近づいて来た。


「あなたの立場を考えれば、余人に話せない事もあるでしょうね。でも、これだけは覚えておいて」


 女性はぽんとミフィシーリアの肩に手を置くと、真っ正面から彼女の顔を覗き込む。


「私にできる事が……いえ、私たちにできる事があれば、遠慮なく言って。できる限り力になるわ」

「ありがとうございます、アリィ姉様」


 ミフィシーリアはその女性に頭を下げると、メリアを連れて急いで店の外に出る。

 外ではジェイクとアーシア、そしてコトリが彼女を待っていた。


「俺たちも急いで帰ンぞ。このままあいつを放っておくと、どこでどう暴走するか判ったもンじゃねぇからな」


 ジェイクの言葉に、アーシアとコトリが頷く。

 ミフィシーリアもまた、先程のユイシークの怒りに燃えた姿を見ている。

 ユイシークは突拍子もない事をいきなりやらかす事はあるものの、どちらかと言えば温厚な人物である。

 その彼があそこまで怒りを露にするとは。それだけ彼にとってリーナは、いや、側妃たちは大切な存在なのだろう。

 そしてその中に自分が含まれているだろう事に、ミフィシーリアは不謹慎ながらも少しだけ嬉しさを覚える。

 だが、今はそんな事を考えている時ではない。不謹慎な考えを頭の隅に追いやり、ミフィシーリアは仲間たちと共に王城へ向かって歩き出した。




「──目撃者もおらず、王城から後宮に至る各所には争った痕跡も見受けられなかった。おそらく、リーナは自分の意志で誘拐犯……この場合、誘拐と呼んでいいものか疑問だが、誘拐犯について行ったと思われる」


 ケイルの報告を、ユイシークは憮然とした表情で聞いていた。

 いまだに彼の周囲で小さな雷が発生しているところを見ると、決して怒りが治まっているというわけでもなさそうである。


「……どうして、リィの奴が自分の意志で誘拐犯について行ったんだ?」

「実は、先程ミフィシーリア様の使用人であるコラルから、タロゥという名の犬人族(コボルト)の使用人が掃除の途中で姿が見えなくなった、という報告が上がって来た。もしかすると、その犬人族の使用人を人質にでもされたのかもしれん」

「リーナがただ黙って相手の言う事を聞くとは思えん。彼女には何らかの目的があってついて行ったのだろうて」


 ユイシークの質問に、ケイルとガーイルドが順に答える。

 話の中でタロゥの姿が見えなくなったとあり、ミフィシーリアは思わずその事を尋ねようかとも思ったが、今はそれどころではないと口を開かなかった。


「マリィはどこにいる? この城の中であいつが気づかない事なんてないだろう?」


 マイリーの『使(つかい)』を使った警備網の事は、この国の最高機密の一つではあるが、この場にいる者は誰もが知っている。

 そのマイリーなら、リーナが攫われた時の状況を把握しているに違いないのだ。


「カークライトの娘なら、後宮騎士隊の隊長室から出てこぬそうだ」

「なに? じゃあ……?」

「うむ。おそらく、『使』をリーナに貼り付けて状況を監視しておるに違いあるまい」


 ガーイルドの言葉を聞き、ユイシークは椅子の背もたれにどさりとその身体を預けた。この時、彼の身体の周囲から雷が消えている事にミフィシーリアを始めとした全員が気づいていた。

 どうやらリーナの置かれた状況が最悪なものではないと判り、ユイシークも幾ばくかは安心したらしい。

 だが、次にガーイルドが発した言葉を耳にした時、ミフィシーリアは思わず我が耳を疑うほどに驚いた。


「それにリーナの事だ。どんな状況に置かれようとも、即座に殺されでもしない限り自力で脱出してくるだろうて」




 がたがたと揺れる馬車の震動を感じながら、リーナは必死に耳を澄まして少しでも多くの情報を得ようと努力していた。

 その彼女の隣では、同じように犬人族のタロゥが身じろぎ一つしないで寄り添う。


「……随分と落ち着いているな。本当に大したタマだぜ」

「あら、こんな状態じゃ黙って座っているぐらいしかできないでしょう?」

「どうだか? おまえは心底油断がならねえからなぁ」


 くくく、と喉の奥で笑う男の声がリーナに耳に届く。

 思わずそちらに顔を向けるも、彼女の瞳が男の姿を捕らえる事はなかった。

 今、リーナとタロゥの眼は目隠しで封じられている。

 リカルドと名乗っているこの男に襲われた後、彼女たちは王城の裏口の外に待機していた馬車へと押し込められた。

 その馬車は王城の厨房へ食料を運び込む商人の馬車であり、この一件にその商人が関与している事を思わせた。

 無論、それが敵が彼女にそう思わせるための偽装工作の可能性も捨てられないが。

 そして馬車に乗る際、二人には目隠しが施されたのだ。その目的は、これから向かう先を覚えられないようにするためだろう。

 どれほど馬車に揺られていただろうか。徐々に馬車の震動が小さくなり、やがて馬車が停止した。

 馬車の扉が開く気配があり、その外に数人の人の気配も感じる。

 中には小さいながらも下卑た笑い声もあり、集まっている者たちがろくでもない人種だとリーナは判断した。


「こっちだ。そのまま真っ直ぐ歩け」


 リカルドが後ろから背中を押し、歩くように催促する。

 だが、その扱いは決して乱暴なものではなく、彼が単に腕力だけが取り柄の脳筋の類ではないことを思わせた。

 どうやらどこかの建物の中に入ったらしく、空気の質が変化する。足元には敷かれた絨毯の感触があり、どこかの裕福な人物の邸宅であろう事を、リーナは眼を封じられながらも敏感に感じ取っていた。

 やがて止まるように命じられ、同時に扉の開く音がする。

 そして再び背中が押される。どうやらこの先には部屋か何かがあるようで、そこに入れという指示らしい。

 それに従い、リーナはそこへ足を踏み入れる。

 その足下から伝わる感触が、それまでの柔らかな絨毯のものから固い石のものへと変化した。その事から、リーナはそこが倉庫か物置だと内心で判断した。


「ここでしばらく待っていてもらおうか。俺の雇い主があんたに会いたいそうだからな」


 リカルドはリーナとタロゥの目隠しを外すと、そのまま部屋の外へと出ていった。

 そして扉が閉じられ、施錠する音が室内に響く。

 その二つの音を確認し、リーナは改めて入れられた室内の様子を観察する。

 そこは彼女が予想した通り物置のようで、木箱などが乱雑に積み上げられていた。

 リーナは試しに木箱の一つを開けようとしてみたが、しっかりと釘で打ちつけられており開けることは適わなかった。

 また、出入り口は先程の扉が一つ。

 残るは天井近くにある小さな明かり取りの窓があるだけ。その窓も成人女性のリーナはおろか、小柄な犬人族のタロゥでさえ潜り抜けられないほどの大きさしかない。

 そもそも、窓は高い位置にあるのでとても手が届かないが。

 それらを一通り確認した後、リーナは手頃な木箱に服が汚れるのも構わずに腰を下ろす。

 そんな彼女の元に、タロゥがちょこちょとと駆け寄って来る。


「逃げられそうもないですね、リーナ様」

「そうね。きっとあの扉の向こうにも見張りぐらいはいるだろうし……」


 リーナの視線が、きっちりと閉じられた扉へと向けられる。


「向こうから会いに来てくれるそうだし、ここは身体を休めながら気長に待ちましょう」

「はい。判りました」


 そう返事したタロゥは、リーナの足元で踞る。彼ら犬人族は、眠る時は仰向けに眠ることはなく、動物のように踞って眠るのだ。

 タロゥのそんな姿に心が僅かにも癒されるのを感じつつ、リーナも木箱の一つに背中を預ける。

 そして仰ぎ見た倉庫の天井近くに、黒いトンボが一匹ゆっくりと旋回しているのを見つけた。

 おそらく明かり取りの窓から入って来たのだろう。そのトンボににっこりと微笑みかけたリーナは、足元のタロゥに倣ってそっと眼を閉じた。




「呆れた奴だなぁ。この状況で居眠りするか?」


 心底呆れた、という心境の声が聞こえ、リーナはその両の瞳を開く。

 いや、正確には扉の鍵が開けられた音で彼女は目を覚ましていた。薄目を開けて入って来たのがリカルドである事を確認したリーナは、そのまま寝たふりを続けていたのだ。


「私、どこでも寝られる性なのよ」

「ホント、側妃様らしくない女だな、おまえは」

「褒め言葉として受け取っておくわ」

「誉めてねぇよ」


 苦笑を浮かべるリカルドに、リーナは身体を起こしながら不敵に微笑みかける。


「それよりも、俺の雇い主がおまえに会いに来てんだよ」


 リカルドは注目しろとでも言いたげに顎をしゃくる。

 そちらへリーナが視線を移せば、そこには一人の人物が立っていた。


「ようこそ、第四側妃リーナ様。此度は当方の招待をお受けいただいてありがたく思います。このような汚く狭苦しい部屋にご案内して申し訳ありません。ですが、あなたにはこのような部屋こそぴったりではありませんか? 犬姫様?」


 優雅な挨拶をしながら、捻りもない皮肉を放ってくるその人物。

 その姿を見て、リーナはにんまりとした笑みを浮かべた。


「そう……あなただったの。この件の背後に潜んでいたのは」


 その笑みを見た時、リカルドは実に嫌な予感を感じて、雇い主を置き去りにしてこっそりと部屋から逃げ出して行った。



 『辺境令嬢』更新しました。


 先週は仕事の関係で更新ができず、申し訳ありませんでした。今回から再び平常運行に戻れそうです。

 とはいえ、夏コミ関係の執筆もあり、突発的に遅れる事があるかもしれません。


 え? 夏コミ関係の執筆って何かって?

 以前、『魔獣使い』の後書きでも少々触れましたが、当『辺境令嬢』と『魔獣使い』のキャラクターを使用したセルフ・パロディを現在書いています。

 詳しくは執筆が終わり次第、活動報告で発表しますので興味のある方はそちらをご参照ください。

 もっとも、原稿そのものが落ちる可能性もありますが……


 次はなるべく早めに更新しますので、次回もよろしくお願いします。

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