20-血縁との再会
霧が晴れた。
沸いて出た時と同様に、突然その霧はきれいさっぱりと消え失せた。
事態をよく理解できていない男たちは、呆然と周囲を見回すと、二人いたはずの女が一人いなくなっていた。
残されているのは侍女のお仕着せを着た方。もう一人の、おそらくどこかの裕福な家の娘と覚しき黒髪の女の姿は、霧に溶けたかのように消えてしまった。
残された女は、なぜか急に男の一人へと倒れ込んで来た。まるで誰かに突き飛ばされたように。
霧が晴れた当初は呆然としていたその男だったが、今では役得とばかりに女を抱き締め、その白くて細い首筋に鼻面を突っ込んで臭いを嗅いでいた。
「ぐへへへへへ。いい臭いだぁ。場末の娼婦が使う安物の臭え化粧品とは違う、ずっといい臭いがするぜぇ」
「い、いやっ!! 離してっ!! お、お嬢様はっ!? お嬢様はどうしたのっ!?」
何とか男から逃れようと、女は必死に身悶えするが徒労に終わる。
これから自身の身に降りかかる運命を判っているのかいないのか、女は自分自身よりもいなくなったもう一人の方を気にしているようだった。
「さあなぁ? もう一人の女は霧と一緒に消えちまったよ。どうなってんのか、俺たちが教えて欲しいぐらいだぜ」
「いいじゃねえか。こうして一人は捕まえたんだからよ? それよりも、早くこの姉ちゃんと楽しい事しようぜぇ? 俺ぁもう、この臭いだけでどうにかなっちまいそうだぁ」
女を捕らえている男の言葉に、他の者たちもさかんに頷く。
もちろん、男たちの中にその意見に反対する者などいる筈がなく、彼らは戦利品である女を手近な掘っ建て小屋がある方へと強引に引き摺って行った。
自分を助けてくれた二人連れの女性。
一人は碧の瞳で赤みの強い金髪を大きく三つ編みにして背中に流していて、その手には抜き身の剣。
もう一人は蒼い眼と青みの強い黒髪で、こちらの女性が弓を携えているところからして、今ミフィシーリアの目の前で踞っている男の手を射抜いたのはこの女性だろう。
「大丈夫? 怪我はない?」
金髪で碧の眼の方の女性が、剣を腰の鞘に収めながら安心させるようにミフィシーリアに微笑む。
「あ、ありがとうございました。そ、それで、あなた方は──?」
ミフィシーリアは、突然現れた二人組の女性の正体を測りかねていた。
彼女たちの見た目は、一見では魔獣狩りか傭兵のようだ。年齢は二人とも自分よりやや年上といったところか。加えて、二人とも標準以上の美人と形容できる容姿の持ち主たちだった。
もしかすると、本日のお忍びでの外出のために招集された、近衛隊か後宮騎士隊に属する者かも知れない。
だが、仮にそうだとしたら、彼女たちの自分に対する態度が柔らか過ぎる気がする。近衛隊か後宮騎士隊に属する者ならば、側妃である自分にもっと畏まった態度を取るだろう。
それに。
それにミフィシーリアは、金髪の女性の方に妙な既視感を感じるのだ。
まるで以前にどこかで会った事があるような、ミフィシーリアはそんな気がしてならなかった。
ミフィシーリアが内心で首を傾げていると、黒髪の方の女性がもう一人の金髪の女性を向きながら深々と溜め息を吐いた。
「ほら、そんな恐い顔をするから、このお嬢さんが警戒しているじゃないか。もっとにこやかな顔をしたらどうだ? ああ、そうそう。俺たちはキルガス伯爵の知人だからな。そう警戒しなくてもいいぞ?」
キルガス伯爵の──ジェイクの知人だと判り、ミフィシーリアはほっと安堵の溜め息を吐く。黒髪の女性の口調にちょっとびっくりしながらも。
二人とも十分に美人と言える容貌だが、特に黒髪の女性の方はその容姿とめりはりの効いた妖艶な身体付きと相まって、その魅力はサリナやマイリーにも匹敵する程だった。
そんな女性がどうにも妙な口調で喋るのは、ミフィシーリアにとっては違和感以外の何ものでもない。
だが、当の女性は自分の口調などまるで気にする素振りもなく、もう一人の女性と実に仲良さげに言い合いを続けている。
「失礼ねっ!! 私の顔のどこが恐いって言うのっ!?」
「それだそれ。その眉毛をぐいっと寄せて歯をむき出しにした顔が恐いんだよ」
「し、してないわよ、そんな顔っ!! してないわよ、ねえ?」
金髪の女性が振り向き、ミフィシーリアに同意を求めてくる。
そんな二人のやり取りがおもしろくて、思わずくすくすと笑いを零すミフィシーリア。
自分たちの様子を見て笑っている彼女を、当の二人は何も言わずに微笑んでいる。もしかして警戒心を解くために、わざと先程のような言い合いをしていたのかもしれない。
この二人は自分に対して害意を持っていないと判断したミフィシーリアは、二人に改めて助けられた礼を述べる。
「改めまして、助けていただきありがとうございました。私、ミフィシーリアと申します。できましたら、お二人のお名前を聞かせていただけますか?」
ミフィシーリアは、丁寧に頭を下げながら礼を言う。そして頭を再び起こした時、金髪の女性が眼を大きく見開いて自分を凝視している事に気づいた。
「ミフィシー……リア……? あ、あなた、もしかして……アマロー男爵家の長女の……ミフィシーリア……?」
「は、はい……確かに私はアマロー家の者ですが……?」
どうして自分の家名を知っているのか? 一瞬その事に疑問を感じたが、次にその女性が放った言葉に、今度はミフィシーリアが大きく驚愕する事になる。
「私……アリシア・カルディよ? 覚えてないかしら? ほら、父方の再従姉妹で、小さい頃に何度か顔を合わせたカルディ家のアリシアよ」
掘っ建て小屋の入り口に立てかけてあった戸板を蹴るように退かし、男たちは小屋の中に女を引き摺り込もうとした。
だが、その目論見は上手くは行かなかった。不意に空から降るように落ちてたきた黒い何かが、女──メリアを押さえている男へとぶつかったかと思えば、他の男たちの眼を眩ますかのように真紅の火炎を吐き出したのだ。
ぶつかった衝撃と熱波に煽られ、男たちとメリアとの間に距離が生じる。
その間の空間に、小さくて黒い何かがぱたぱたと小さな羽を動かしながら浮いていた。
「娘よ。少々尋ねるが、おまえがキルガス伯が探している者か?」
少々甲高くて聞き取りずらいものの、その黒い何かはちゃんとした言葉を放った。
「は、はい……キルガス閣下が探しているのは、おそらくミフィシーリア様と私だと思いますが……あ、あの、あなたは……?」
その黒い小物体が喋った事と、その小物体からジェイクの名前が出た事で、メリアは混乱しつつも何とか返事をする。
「我の名はロー。見ての通りの竜よ」
ローと名乗った黒い小物体。それは小さい──全長は三十センチ程──ながらも確かに翼を持った蜥蜴という、一般によく知られた竜の姿をしていた。
「そうですか。りゅ………………えええええええええっ!? りゅ、竜なんですかっ!?」
竜。それは伝説と化した生物であり、地上最強と言われる生物でもある。
御伽噺などにも頻繁に登場し、時には人に害をなす厄災として、時には人々を守り導く守護者として。竜を知らない者など皆無であると言ってもいいほど有名な魔獣である。
「え、えっと……そ、その竜さん……じゃない、ローさんはキルガス閣下のお知り合いなんですか……?」
「然様。キルガス伯に頼まれてな。お主たちを探していたのだ」
暢気にそんなやり取りをする女と竜を、男たちは最初こそぽかんと見詰めていたが、やがて我に返ると、こそこそと相談をし始める。
「や、やべぇよ。竜ってのは恐ろしいモノと相場が決まっているじゃねえか……何十年か前にこの国を襲った巨大な黒竜の話は有名だろ……?」
竜と聞き、すっかり腰が退けている男の一人がおそるおそる仲間たちに尋ねる。
「馬鹿野郎。落ち着いてよく考えろ。女だけじゃなく、小さいとはいえ本物の竜を売り飛ばせば、幾らになると思う? 大体相手はあんなに小せぇんだ、竜とはいえ怖れる事ぁねえ! 女も竜も纏めて売り飛ばすんだ!」
その言葉に肯いた男たちは、再びじりじりとメリアとローと名乗った小さな竜との距離を縮め始めた。
男たちが、にやにやとした下卑た笑いを浮かべながら近づいてくる。
その光景に、メリアは自分の身体が震えているのを自覚した。
最初に男たちに囲まれた時はミフィシーリアがいた。
何があっても彼女だけは守ろうという気持ちが先立ち、あの時はそれほど恐怖は感じなかった。
だが、今は違う。
男たちの欲望に染まった眼。じろじろと値踏みするように自分を舐め回す視線に、彼女の身体は小刻みに震える。
今、彼女が頼れるものは、両手で握り締めた戦棍の『粉砕くん』と、目の前に浮かんでいる小さな黒竜。正直言って、どちらも心もとないことこの上ない。
だが、小さな黒竜はその更に小さい頭をくりっと回してメリアを見た。
「安心せよ、娘。なりは小さいとはいえ我は竜。このような下衆の五人や六人、ものの数ではない。それに────」
メリアを見ていた頭を前に戻し、竜は身体ゆえに小さいながらもよく通る声で、真っ直ぐに語りかけた。
先程、男たちがメリアを連れ込もうとした掘っ建て小屋の中へと。
「そこにいるのであろう? 黙って見ていないで、出て来て力を貸そうとは思わぬか?」
「……俺がいるとよく判ったな、チビ竜」
それに応えながら、一人の男が小屋の中から姿を現した。
「無論だ。我ら竜は一度『友』と認めた者の気配は絶対に忘れん。お主は前に我を『友』と呼んだであろう。ならば、我にとってもお主は『友』よ」
小屋から現れた男に、男たちの顔に緊張が走る。
なぜなら、その男は武装していたのだ。
金属製の防具に手にはしっかりと使い込まれた槍。そしてその身のこなしから、彼が二十歳前後の年若い年齢ながらも、それなりに経験を積んだ傭兵か魔獣狩りだと知れたのだろう。
その男は目の前にいる数人の男たちには目もくれず、じっと小さな黒竜を見詰めた。
「俺を『友』と呼ぶのか……? この身に類まれなる邪悪を宿した、この俺を……」
灰色の瞳と短く刈り込まれたアッシュブロンドの髪をした男は、なぜか芝居がかった仕草で、槍を持った右手の甲を左手で包み込んで苦しそうに呻いた。
メリアやその他の男たちの視線に、なんとも言えない生暖かいものが宿るが、槍を持った男はそれに気づく素振りもない。
やはり芝居がかった仕草で視線をメリアたちを取り囲む男たちへと向けると、くるりと槍を手の中で回転させ、槍の穂先ではなく石突きを男たちへと突きつける。
「いいだろう。改めておまえを『友』と呼ぼう。そして、『友』のために邪悪を封じた俺の力を揮おう……」
男は腰を落とし、槍の石突きを突き出して構えを取る。
「魔獣狩り、リークス・カルナンド。『友』の意志に応えて、いざ────参る」
男の手にした槍が、石突きを前にしたまま真っ直ぐにメリアを囲む男たちの一人の顎へと、電光の速度で叩き込まれた。
『辺境令嬢』更新しました。
今回は随分と多くの顔ぶれが『魔獣使い』から出張しており、もしかしたら混乱させてしまったかもしれません。
今回新たに出てきたチビ竜や槍使い、二人組の女性などのキャラがよく判らない場合は『魔獣使い』を参照していただければお判りになるかと。
はい、そうです。宣伝です。誠に申し訳ありません(笑)。
取りあえず襲撃を躱したミフィシーリアたち。ですが、事件はこれで終わりではありません。
ユイシークやジェイクといった面々がいない王宮で、もう一つの事件が平行して起きております。次回はそちらの描写をしていこうかと。
当面目標まであと150ポイントほど。よし、がんばるっ!! あとちょっとだっ!!
次回もよろしくお願いします。