04-婚約者
「奴が動いた?」
「ああ。奴の屋敷を張らせていた部下から早馬が届いた。一行は奴本人と数人の使用人、そして護衛の子飼いの兵たちが十数人といったところだ。昨日の昼前に領地の屋敷を出発したらしい」
とある一室。その部屋の中にいた男は、先程来客を告げられて部屋を出て行き、すぐに戻って来たもう一人の男からそう聞かされた。
「奴が出発する前日、数人の別の子飼いの連中が屋敷を出たらしい。途中まで尾行したところ、東に伸びている街道を使って領地を出たそうだ」
「なるほど。奴の領地から東って事は……目的地は間違いなくここだな」
この村に逗留して今日で二日目。それとなく村を見て回ったが、実にのんびりとした平和な村だった。
領民の数こそ少ないものの、大人たちは笑顔で畑を耕し、子供たちは元気に遊び回る活気のある良い村。それが男のこの村に対する感想だ。
「確かにここなら獲物にも事欠かないだろうしな。ん? 待てよ? って事は今、奴の屋敷は手薄って事か?」
「ああ。既に踏み込むように指示済みだ。一応見つかった場合の偽装工作で、盗賊を装って踏み込むように指示を出しているが、その心配はあるまい」
「これではっきりとした証拠が出れば、あとはこっちで奴を取り押さえるのみ、か」
「そうすれば、私たちの役目も終わりだ」
「全く、どうして俺たちがこんな田舎まで出しゃばらなきゃならないんだ? あいつも人使いが荒いったらないぜ」
「そう言うな。俺たちが動かなければ、あいつが直接動きかねん。さすがに今のあいつにそんな事はさせられんよ」
「確かにな」
「それに私にとっては、いい骨休みも兼ねていたしな」
そう言ってその男は苦笑を零す。普段から上役にこき使われ馬車馬のように働かされている彼にとって、役目とはいえここでのんびりと過ごした数日はまさに貴重な休暇であった。
「王都に帰ったら、またあの日々が始まるのか……」
普段の仕事を思い出したのか、男はげんなりとした表情を浮かべる。
「仕方ねぇだろ? あいつの尻馬に乗っちまったのは俺たちだぜ?」
「判っているし、後悔もしていない。しかし、こうまで忙しくなるとは思わなかったのも事実だ」
「ま、奴がこっちに到着するのは明日だ。残り少ないのんびりできる時間をそれまで満喫しておくんだな」
「言われるまでもない……と、言いたいところだが、そうはいかないようだ」
男は視線を不意に壁際へと向けた。
それが何を意味するのか、もう一人の男にも判っている。向けた視線の先、即ち隣の部屋から伝わってくる幾つかの気配。
それは数人の人間が、隣の部屋に入って来た事を意味していた。
コトリという少女と出会った日が一昨日。つまり今日で三日目。つまりはミフィシーリアがこの村を去る当日。
先触れによるとアルマン子爵がアマロー男爵領に到着するのは午後過ぎらしい。
そんな残り僅かな時間を、ミフィシーリアは自室でコトリと共に過ごしていた。
あれ以来、コトリは毎日ミフィシーリアを尋ねて屋敷に遊びに来る。
アルマン子爵の元へと嫁ぐ準備の傍ら、どうしても気分が沈みがちになるミフィシーリアにとって、コトリの存在は清涼剤のようなものだった。
婚姻の儀式そのものはまだまだ先の事なので、ウェディングドレスなどの準備は必要なく、今回は身のまわりの物だけを持って行くつもりのミフィシーリア。
身のまわりの物といっても、そもそもあまり私物の多くないミフィシーリアの事、その準備は一日も必要ない程だった。
そして、ミフィシーリアがアルマン子爵家へ嫁ぐ際、彼女付きの侍女としてメリアの同行も決っていた。
姉妹のようなメリアが同行してくれると知った時、ミフィシーリアは大きな安堵感に包まれ、メリアに縋り付いて何度も礼を言うほどだった。
「今日……行っちゃうんだよね……」
「ええ……短い間でしたけど、コトリと一緒にいると楽しかったです」
「うん! コトリもミフィと一緒だととっても楽しい!」
そう言ってにっこりと笑うコトリ。
一時はコトリがアーシア・ミセナル姫ではないか、と疑いを持ったミフィシーリアだったが、今ではその可能性はないだろうと思っている。
父であるグゥドン・アマロー男爵に聞いたところによると、アーシア姫の容姿は栗色の髪に黒い瞳。銀髪金瞳のコトリとはまるで違う容姿をしているらしい。
なお、アーシア姫の栗色の髪と黒い瞳は、従兄妹であるユイシーク・アーザミルド・カノルドス国王陛下と同じ色合いで、二人並んで立つと兄妹のようによく似ているという追加情報まで父は教えてくれた。
余談であるが、ミフィシーリアが父であるグゥドンにコトリを紹介した際、なぜかコトリは頭部のツインテールを押さえて震え出した。
どうしたのかとミフィシーリアが尋ねると、「グドンはツインテールの天敵なのっ! 頭からばりばりと食べられちゃうのよぉっ!」とコトリは震えながら答えた。
誰にそんな事を聞いたのかと疑問に思えば、どうやら彼女の父親かららしい。
どうしてコトリの父親がそんな意味不明の事をを彼女に教え込んだのかは知らないが、以来、コトリは絶対にグゥドンの前に出ようとはしなかった。
そうこうしているうちに午後も近くなり、コトリは絶対にまた会おうねっ、と何度も言いながらアマロー家の屋敷を後にした。
ミフィシーリアは、改めて残された時間で父や母、そしてたった一人の二歳年下の弟に別れを告げた。
この期に至って、行くなと言い出す弟や最後まで謝り通しの父、そして静かに泣くばかりの母を、逆にミフィシーリアが宥めていると。とうとうその時がやって来た。
アマロー家の数少ない使用人であるシリアが、アルマン子爵一行の到着を告げたのだ。
アグール・アルマン子爵。
初めて対面する自分の夫となる人物。
その人物に対するミフィシーリアの感想は、あまり良いものではなかった。いや、はっきり言って悪かった。
同年代の女性と比して小柄なミフィシーリア。そのミフィシーリアよりも低い身長。だが、体重は彼女の二倍以上は軽くあるだろう。
頭髪は本来は金髪なのだろうが、額の後退が激しく頭髪の色よりも広くなった額のてかりの方が目立つ。
顔だちはといえば、べちゃりと潰れた鼻がとても印象的。もちろん悪い方向で。
汗と油でてかりきった顔の中で、ミフィシーリアをじろじろと見つめる好色そうな眼は、顔中のてかりよりも更にぎらぎらと輝いている。
はっきり言って良いものではない。ぶっちゃけ、気持ち悪い。
目の前の人物を端的かつ的確に現わすとしたら「上等の衣服で着飾った豚」。これ以外にあるまい。
こんな中年男が自分の夫になるのかと思うと、いやもっと正確に言えば、この男に自分の純潔を捧げるのかと思うと、ミフィシーリアは身体が震えそうになる。
それを鉄の意志で何とか押え込み、ミフィシーリアは努めて表情を変えないようにしてアルマン子爵と対面する。
だけど。
──アルマン子爵って豚人族だったんですか? そんな話は聞いていません!
もし許されるのなら、きっとミフィシーリアはそう叫んでいただろう。
獣人族と呼ばれる者たちがいる。
文字通り直立歩行する獣といった外観の種族で、様々な亜種が存在する。
代表的なところでは犬人族、猫人族、豚人族、兎人族など。
どの亜種も身長は人間の大人の腰ほど。全ての獣人族に共通する特徴として、力は人間よりも弱いが手先が器用で臆病な性格などがあげられる。
中には例外的に傭兵や魔獣狩りの従者として、戦場に立つ剛の者もいるようだ。
彼らは彼らだけの集落を築く事もあるが、殆どは人間の街や村で暮らしている。
人間の営む商店や食堂などで下働きをする事が多いが、中には自身で商店や宿屋を営む者もいる。
貴族などの上流社会の間では忌避される傾向なものの、一般市民の間では人間と同格の存在として扱われる。
ちなみに、獣人族は全て男女で外観が変わらない。なので人間からすれば一目で獣人族の男女の見分けはまず不可能である。
つまり、『獣耳』や『獣尻尾』を持った少女や女性というものは存在しないのである。
そんな獣人族の一種である豚人族。その豚人族にアルマン子爵はそりゃあもう、そっくりだったのだ。
父であるアマロー男爵とアルマン子爵との会話で、子爵が人間である事に間違いないと知ったミフィシーリアは、こっそりと安堵の溜め息を洩らした。
いくら人間と同格に扱われている獣人族とはいえ、爵位を賜った獣人族がいるという話はさすがに聞いた事がない。
冷静に考えてみればアルマン子爵が豚人族なわけがないのだが、思わずミフィシーリアが慌てるほど、子爵は豚人族にそっくりだったのだ。
「おまえがミフィシーリアだな」
子爵と対面しているのはアマロー家の居間。
ミフィシーリアの両隣には父と母が腰を下ろし、その対面のソファにアルマン子爵が座っている。
そしてアマロー男爵との会話が一区切りついたところで、アルマン子爵はじろりとミフィシーリアへと視線を向けた。
子爵はじろじろとミフィシーリアを検分するかのように見つめると、彼女が何かを口にするよりも更に言葉を続けた。
「随分と地味な格好だな。それでは村娘と変わらんではないか。せっかくこの儂に対面するというのに、どうしてもっと着飾らないのだ? ん?」
確かに今のミフィシーリアは、いや、普段からミフィシーリアは上等は衣服など身につけない。
彼女も貴族の令嬢である以上、それなりの格好をしていてもおかしくはない。アマロー家がいくら貧乏貴族だからといっても、娘にドレスの一着や二着作ってやるぐらいの事はできる。
だが、ミフィシーリアは普段から村娘たちと同じような衣服を好んだ。
彼女は元々華美なものを嫌う性格であったし、なにより、彼女は自分も村人の一人として扱われる事を臨んだのだ。
領主の令嬢という特別な存在ではなく、一緒に苦楽を共にして生活する村人の一人。
そんな思いから、ミフィシーリアは普段から着飾るという事をしない。
それでも今日はミフィシーリアにとって特別な日。
好むと好まざるとに関らず、夫のなる人との初対面なのだ。彼女なりに自分が持つ衣服の中で一番上等なものを着ていた。
それでも、アルマン子爵にはそうとは見えなかったようだ。
「今後、そのようなみすぼらしい格好をする事は許さん。おまえは儂の妻になるのだからな。安心せい。我が領地に帰ったら、すぐに針子どもを手配してドレスを数着作らせてやろう」
そう言うと子爵はにやりと笑った。
きっと本人は懐が大きい事を示したつもりなのだろうが、聞いている方からすればあまり気持ちのいいものではない。
そんな気持ちをぐっと抑えつつ、アマロー男爵はアルマン子爵に尋ねる。
「それで約束した食糧の買い込みの件ですが……」
「それなら安心せい。相場の八割で譲ってやるわ」
「し、子爵!それでは話が違うではありませんか! 最初の約束では相場の半額という話だった筈! 八割では冬を越すだけの食糧を買い込めない! 半額で食糧を買い込んでも冬を越せるかどうかぎりぎりなのですぞ!」
当初の約束とは違う事を言い出すアルマン子爵に、思わず立ち上がったアマロー男爵が詰め寄る。
だがそんな男爵の様子を面白そうに眺めつつ、子爵は更に続けた。
「そんな事は儂の知った事ではないし、それが嫌ならこの話はなかった事にするだけだしな。まあ……」
子爵は再び好色そうな視線を男爵の隣に座るミフィシーリアへと向けた。
「儂も鬼ではない。条件によっては半額で売ってやる」
「ほ、本当ですかっ!? そ、それでその条件とは……」
子爵のただでさえ細い眼が、さらにいやらしく、そして禍々しく細く歪められてミフィシーリアを見つめる。
「ミフィシーリア。おまえがこの場で裸になって平伏し、儂の奴隷となる事を誓うならば、食糧を半額で売ってやろう」
「────っ!!」
「そ、そんな事────っ!!」
ミフィシーリアは声にならない悲鳴を上げる。隣の男爵夫妻も二の句が継げない。
今この場にいるのはミフィシーリアと彼女の両親、そしてアルマン子爵だけではない。子爵の使用人や護衛の兵たちが数人、ソファに座る子爵の背後に控えているのだ。
そんな者たちがいる前で裸になるなど、たとえ貴族の令嬢でなくとも若い娘には耐えがたい屈辱である。
それに加えて、本来なら正妻として迎える筈が、奴隷として子爵のものになれという。
当然アマロー家側に飲める条件ではない。
だが。
だが、ミフィシーリアは決意する。
この場で自分が恥辱にまみれようとも、そうすれば家族を始め領民たちを救う事ができるのなら。
「それは本当でございますね? アルマン子爵様」
「おう。おまえが儂の奴隷となると誓えば、食糧は相場の半額で譲ってやる」
ミフィシーリアは静かにその場で立ち上がった。
子爵の出した条件を飲むため。領民を守る領主の娘としての義務を果たすため。
その決意は両親にも、そして、いまだににやにやと笑いを浮かべる子爵にも届いた。
「さあ、早く裸になれ。もちろん、身につけているものは全部脱ぐんだぞ? そして跪いて頭を床に擦り付け、儂の奴隷になると誓え」
アルマン子爵どころか、背後に控える使用人たちまでが無遠慮ににやにやとした好色な笑みを浮かべる中、ミフィシーリアは身に纏っている服のボタンに震えながらも手をかける。
今彼女が身につけているのは、飾り気の少ない前開きのワンピース。
そのワンピースを留めるボタンを解放さえすれば、それは重力に引かれて床に落ち、下着に包まれた彼女の肢体を容易く晒してしまうだろう。
振るえる手先で一つ、また一つとボタンを外すミフィシーリア。
そんな彼女の両横で、父は無言で俯き、母は涙を隠すことなくむせび泣く。
そして全てのボタンが外され、ミフィシーリアがワンピースを床に落とそうとした時だった。
それがミフィシーリアたちがいる、アマロー家の居間に飛び込んで来たのは。
なんとか今日も更新できました。
とりあえず、序章ともいうべき「アマロー男爵領編」もあと数話で区切りとなる予定。その後は本編ともいえる「王都編」へと移行します。
ところで、そろそろ更新速度が遅くなりそうです……。