18-襲撃
王城の正門ではなく、裏手の使用人用の出入り口から出た一行は、ぐるりと王城の城壁と堀の外側を巡ってから城下町へとやって来た。
今、ミフィシーリアの周囲にいるのは彼女以外に五人。ミフィシーリアの侍女に扮したアーシアと本来の侍女であるメリア、そして護衛役のユイシーク、ジェイク、コトリである。
もちろん、彼ら以外にも周囲には十人以上の近衛たちが、城下の住人に紛れて陰から警護を固めている。
そしてミフィシーリアは、初めて間近でみた城下町の活気に大きく目を見開いた。
「…………すごい…………」
街の通りを行き交う人や馬車。人々の顔には笑顔が溢れ、多種多様の品物が商店の店先を賑やかしている。
路地の奥から漂ってくるいい匂いは、どこかの食事処の料理のものだろう。
数多く──どころか膨大と言ってもいい程の人と物に、故郷の小さな村しか知らないミフィシーリアは大きな衝撃を受けていた。
それは彼女と並んで同じような表情をしているメリアもまた同様で。
仲の良い姉妹のように呆然と立ち尽くしている彼女たちを、ユイシークたちは実に微笑ましく見詰めていた。
「如何ですかな、お嬢様? 直に王都を見た感想は?」
ミフィシーリアの護衛という役に収まっているユイシークは、いつもの悪戯小僧のような笑みを浮かべながら、胸に手を当てて一礼したまま尋ねる。
「……すごい……です。人も物もこんなにたくさん……」
ミフィシーリアが故郷であるアマロー男爵領から、初めてこの王都に足を踏み入れた時は馬車の中であり、尚且つ日暮れ間近だった事もあって、このようなたくさんの人波を目にすることはなかった。
今日改めて肌に触れた本当の王都の空気。その穏やかながらも活気のある空気に、ミフィシーリアは圧倒されるばかり。
そうやってミフィシーリアが周囲を見回している間にも、様々な人たちが並べられた商品を吟味し、値段交渉しては笑顔で──時には渋い顔で──買い物をしていく。
そんな街の人々の姿に、ミフィシーリアはユイシークたちの努力を感じ取っていた。
「これらは全て、シー……国王陛下のお力あってのことなのですね」
ミフィシーリアは、背後に一礼したまま控えているユイシークに振り返る。
「国王陛下がしっかりと国を治めて下さるから、人々は安心して暮らしていられる。この王都に物が溢れているのだって、街道や他の街の治安に気を配っているから。これらは全て国王陛下が国をしっかりと支えていて下さっているからなせるものなのですね?」
微笑みながら告げられた賛辞に、ユイシークは照れくさそうに視線を逸らしながら頭を掻く。
「まあ、王様一人の手柄ってわけじゃありませんがね。周りのみんなが力を貸してくれるからこそできるんですよ。でもまあ、この国の王様も、お嬢様がそう言っている事を聞いたらきっと喜ぶでしょうね」
相変わらずミフィシーリアを見ないまま呟くユイシーク。そんな彼を見るミフィシーリアの微笑みは更に大きなものになっていた。
王都の目抜き通りから何本も奥へ入った、入り組んだ小さな路地で。
それまでずっと目を閉じて座っていた小柄な男が、ぴくりとその目蓋を震わせた。
ざんばらに伸ばされた黒い髪。身につけているものもぼろぎれ同然の、それでいて顔以外はすべて隠すような漆黒の衣服。
「────来た」
小さく呟かれた男の声。その声を、その場にいたもう一人の男は確かに耳にする。
こちらは小柄な男と違い、薄汚れてはいるものの王都に暮らす人々と大差ないものを着込み、身体つきも中肉中背で特出したもののない平凡なものだ。
「間違いないか?」
「間違いない。このハンカチに付いた臭いと同じ臭い…………段々こちらへ近づいて来る……今は目抜き通りを南に向かって歩いているな」
目を閉じたまま、周囲を確かめるように頭を回す男の手には一枚のハンカチ。それは先日、訓練中に怪我をしたリカルドにメリアが渡したものに違いなかった。
「このハンカチに僅かに残っているもう一つの臭い……確かに、ハンカチの持ち主の近くにいるな。そして──」
男は頭を回しながらすんすんと鼻を鳴らす。
「更には標的の周囲に三つ、一定の距離を保ちながらも離れる事のない十以上の臭いがある。おそらく護衛だろうな」
この男は生まれつき目が見えなかった。だが、見えない目に代わり、一つの異能を持って生まれた。
それは「嗅覚視野」。犬以上に鋭い嗅覚で臭いを嗅ぎ分けることで、周囲の状況を立体的に精密に脳裏に浮かび上がらせるという異能だ。ソナーの嗅覚版のようなものと言えば理解できるだろうか。
「ふん、周囲に何人いようが関係ないだろ? 俺とおまえ……『穴熊猟犬』にはな」
身なりのましな男が、にやりとした笑みを浮かべる。
「さあ、狩りの時間だ。今回の獲物は大きいぜ?」
相棒の言葉に、目を閉じたままの小柄な男は大きく頷いた。
一行はとある宿屋兼酒場を目指して、王都の目抜き通りを周囲を見物しながらゆっくりと南下していた。
「『轟く雷鳴』亭……ですか?」
「ああ。そこの親父は以前から俺たちとは馴染みでな。リョウト──例の『魔獣使い』はそこを王都での常宿にしているんだ」
ジェイクの説明に、ミフィシーリアは相槌を討つ。
他にもユイシークやコトリ、アーシアといった面々が、口々に王都のあちこちを指差しながら一つひとつ説明をするものだから、表面上はにこやかに微笑みつつも実は既に彼女の記憶領域は破裂寸前であった。
それでもこれから向かう目的地だけは、しっかりと記憶に刻み込むミフィシーリア。
なぜなら、万が一どこかで逸れたら、目的地である「轟く雷鳴」亭で落ち合うというのが事前に取り決められていたからだ。
迷子になっても困らないよう、心の中で何度も「轟く雷鳴」亭の名前を繰り返すミフィシーリアを含めた一行が、とある辻を折れて目抜き通りから一本外側へと外れた時。
一行の周囲に不意に濃い霧が沸き上がって視界を覆ったのだ。
「な、なんだっ!? どうして突然霧が──っ!?」
突然発生した霧に警戒して剣を抜いて身構えるジェイク。ユイシークも抜剣こそしないものの、厳しい目つきで周囲を見回している。
そして、陰から警護していた近衛兵たちもまた、突然霧が湧き出したことで警護対象であるユイシークたちを見失う形となった。
あまりに突然の事に、ほんの一瞬呆然としてしまった近衛兵たち。
ほんの僅かな警備の空白。その隙を縫って、小柄な人影が霧の中に飛び込んだ。
小柄な影──『穴熊猟犬』の片割れの男は、目指す臭いの元へと風のように駆ける。
霧に包まれて視力を奪われ、今までこのような事に遭遇した事のないミフィシーリアはおろおろとするしかなかった。
「お、お嬢様っ!! 絶対に私から離れないでくださいっ!!」
「め、メリアっ!? メリアなのっ!?」
「はい、私ですっ!! 私はここにいますからご安心をっ!!」
メリアは声を頼りにミフィシーリアを見つけると、そのまま庇うように抱き寄せる。どう考えてもこの霧は異常だ。となれば、この霧は誰かが故意的に発生させたものと考えるのが普通だろう。
そして、この霧を発生させた者がいるとしたら、その狙いは──。
その考えに至り、ミフィシーリアを抱き締めるメリアの腕に知らず力が篭もる。そんなメリアの目の前に、霧を切り裂いて黒い影がぬぅと現れてその黒い手を自分たちへと伸ばしてきた。
『穴熊猟犬』は二人組の暗殺者、それも二人が二人とも異能を持つ暗殺者だった。
一人──普通の外見の男──が、異能「霧隠れ」で霧を発生させて標的の視界を奪い、その霧の中で視覚に頼らずに動ける「嗅覚視野」を持つもう一人が標的を仕留める。
それが彼らの手口だ。
暗殺者が暗躍するのは夜が相場だが、彼らには昼も夜もない。それでいて姿を決して晒すことなく、これまで仕事をこなして来た。
だが、今回受けた仕事は少々特殊だった。
なぜなら、今回の依頼人は標的は殺すことなく捕獲しろと指示してきたのだ。
その事に首を傾げながらも、提示された依頼金が破格だった事もあり、二人はこの仕事を請け負った。
依頼人から請け負った今回の標的は二人。
その内の一人は、依頼人が持ってきたハンカチの持ち主であり、ハンカチにたっぷりと臭いが染みついているので間違えようがない。もう一人の方もハンカチに僅かに臭いが残っており、尚且つその臭いの人物は今、ハンカチの持ち主の近くにいるようだ。
標的が二人固まっている今こそ最大の好機。
濃厚な霧の中、右往左往する護衛たちを尻目に、男は真っ直ぐに標的へと近づいて捕らえようと手を伸ばす。
だが、『穴熊猟犬』には思わぬ誤算があった。それも二つも。
「落ち着けっ!! こいつは『穴熊猟犬』という二人組の暗殺者の手口だっ!! 霧を出した奴が近くにいるはずだっ!!」
霧の外側。集まった護衛らしき人物の一人がそう叫ぶ。どうやら連中の中に自分たちの事を知る者がいたらしい。
その事実に『穴熊猟犬』の一人、「霧隠れ」の異能を持つ男は舌打ちする。
彼は今、薄暗い路地に腰を降ろして、昼間から酔っ払った飲んだくれのふりをして、連中の様子を窺いながら異能を行使していた。
だが、何とも間の悪い事に、今自分たちの事を叫んでいた男と偶然にも目が合ってしまったのだ。
ほんの数瞬、絡み合う視線と視線。
だが、どうやらその男は異様に勘が鋭いようで、それだけで自分の正体に気づいたらしい。
「あいつだっ!! あいつが『穴熊猟犬』の片割れに間違いねえっ!!」
自分を指差し、男が叫ぶ。
こうなったら後は相棒に全てを託して、ここは姿をくらますしかあるまい。
再び舌打ちをすると、男は更に広範囲に霧を撒き散らせつつ、路地の奥へと転がり込むように逃げ出した。
「落ち着けっ!! こいつは『穴熊猟犬』という二人組の暗殺者の手口だっ!! 霧を出した奴が近くにいるはずだっ!!」
霧の外からジェイナスの声がユイシークの耳に届いた。
どうやら元暗殺者であった彼は、以前に同業者の手口を耳にした事でもあったのだろう。
そして、これが暗殺者の仕業だとすれば、狙いは自分かもしくは側妃であるアーシアかミフィシーリアという事になる。
自分の事は何とでもなると考えたユイシークは、こういう状況でも的確に動けるであろう人物に指示を出す。
あいつなら、例え視界が塞がれていても自分たちよりは自由に動けるだろう。
そう思いながら、彼は自分に対する襲撃に備えて視覚以外の感覚を研ぎ澄ませた。
標的へと己の手が届くという瞬間、彼の手は横合いから急に弾かれた。
「逃げて、ミフィっ!! こいつの狙いはミフィよぉっ!!」
黒い人影とミフィシーリアたちの間に飛び込んだコトリは、全身の感覚を鋭敏にしながら襲撃者に対峙する。
「こ、コトリっ!? 大丈夫なのですかっ!?」
「コトリは平気っ!! こう見えてもコトリ、人間よりも遥かに鼻も耳もいいんだからっ!! 少しぐらい目が見えなくても大丈夫っ!! でも、ミフィたちが近くにいると間違って怪我させちゃうかもしれないからここから離れてっ!!」
只でさえ視界を塞がれた現状で、自分たちは足手まとい以外の何者でもない。その事を悟ったミフィシーリアは、とりあえずコトリが言うようにここから離れようとメリアを促して手探りで移動を開始する。
途中で誰かが自分の名前を呼んだような気がしたが、今はこの場から離れる事に専念するミフィシーリアは、それを気にしつつもひたすらに足を動かした。
気がつけば聞こえていた喧騒もいつの間にか聞こえなくなっており、霧も徐々に薄れ始めてくる。
おぼろげに周囲の風景が見えてきた事に安堵しつつ、二人は更に歩を進めてようやく霧から脱出する事に成功した。
だが。
「ね、ねえ、メリア?」
「は、はい、お嬢様……?」
二人は互いに顔を見合わせ、次いで周囲を見回す。
「────ここ、一体どこかしら?」
「も、申し訳ありません……私もここがどこかは全く……」
辺りを見回せば、それまでの王都の町並みとは随分と様子が違っていた。
整然と石造りの建物が並び、人々が活気良く行き交っていた先ほどまでとは大きく異なり、今二人がいる周囲は薄汚れた木造の掘っ建て小屋のような家々が並んでいる。
辺りに人気はなく、耳に痛い程の沈黙が彼女たちを押し包んでおり、それが二人の不安を更に増加させる。
その時、彼女たちの耳にじゃりっという小石を踏み締めるような音が響く。
弾かれるようにそちらへと振り向く二人の眼に、薄汚れた数人の男たちの姿があった。
「へへへ……よう、姉ちゃんたち。こんな辺鄙な所へ何の用だい?」
二人の身体に粘つくような視線を絡ませ、男の一人が口を開いた。
「あ、あの、私たち……道に迷ってしまって……」
「も、申し訳ありませんが、『轟く雷鳴』亭というお店をご存じではありませんか? 私たち、そこへ行く途中だったのですが……」
二人の言葉に男たちは顔を見合わせると、にんまりとした嫌らしい笑みを浮かべた。
「おう、知っているぜ。『轟く雷鳴』亭だろ? 俺たちゃそこの常連さ」
「俺っちたちが案内してやるからよ。付いて来なよ」
「へへへ……大丈夫だから心配しなさんなって。見かけはこんなだが、俺たちは決して怪しい者じゃないからよ?」
「おいおい、そんな事言っても説得力ってモンがないぞ?」
「違いねえ! がははははははははっ!!」
勝手に盛り上がる男たち。そんな男たちを見ながら、ミフィシーリアとメリアは心底困ったように顔を見合わせた。
『辺境令嬢』更新。
今回はミフィシーリア一行襲撃されるの回でした。とはいえ、襲撃自体は前々から臭わせていた事ですが。
そして、予想以上に長くなってしまったので変なところで切ってしまいました。本当なら『魔獣使い』から出張する連中が登場するまで書く予定だったのですが……。この続きは来週早々に書く予定でおります。
さて、今回登場した『穴熊猟犬』という暗殺者二人組ですが、実はこの連中結構気に入っています。
折角「異能」というものがある設定なのだから、それを色々なシチュエーションで活かしたいと思い、今回異能を活用する暗殺者を登場させて見ました。
山田風太郎大先生の忍者モノのような、もっと妖しくも魅力的な異能を考えられたらいいなあ、と思う今日この頃です。
※当面目標「総合評価点5000点突破」まで483。前回から比べると130以上縮まっております。この調子でがんばれば、あと一ヶ月ぐらいで目標達成かな?
一日でも早く目標を達成できるようにがんばる所存ですので、今後もよろしくお願いします。ではっ!!