17-城下町へ
いつものように、その下級兵士は突然メリアの前に現れた。
いつものように、その手に一輪の野草の花を携えて。
いつものように、顔を真っ赤に染めて。
だが、唯一いつもと違ったのは、彼の二の腕に一筋の斬り傷らしきものがあり、そこからいまだに血が滲んでいることだった。
「け、怪我してるじゃないですかっ!? リカルドさん、一体どうされたのですかっ!?」
仕事の途中──ミフィシーリアに言われて図書室まで本の返却に行った帰り道で、突然現れたリカルド。
そのリカルドが、腕から血を流している事に気づいたメリアが焦ったような声を上げた。
だが、当のリカルドは怪我など大して気にする風もなく、自分の腕をちらりと一瞥する。
「こ、これは……だ、大丈夫だ……、い、いえ、大丈夫です。訓練中の怪我だから……俺たちにとって、怪我なんて日常茶飯事だし……」
確かに軍に身を置く以上、訓練が課されるのは当然であり、そこで怪我をする事も多々あるだろう。
その事には納得するも、だからと言って放っておいていいというものではなくて。
メリアは慌ててポケットからハンカチを取り出すと、そのハンカチを彼の怪我へと押し当てた。
「生憎とこんなものしかありませんが……これで押さえておけば、しばらくすれば血も止まるでしょう」
ハンカチを怪我へと押しつけながら、メリアは長身のリカルドを見上げてにこりと微笑む。
その微笑みを向けられたリカルドは、先程以上に顔を赤く染めて押し当てられたハンカチをじっと見詰める。
「お、俺なんかのためにこんな上等なハンカチを……も、申し訳ないです、メリア殿……」
「いえ、それほど上等なものでもありませんから、そんなに恐縮しないでください」
側妃付きの侍女頭とはいえ、アマロー家に雇われている形のメリアの給金は決して多くはない。よって、彼女がその給金から買える私物は、庶民が持つものと同等のものばかりである。
「こ、このハンカチは絶対に洗って……い、いえ、新しく買って返します……っ!」
「いえ、そのような事はなさらずとも……先程も言いましたが安物ですから、どうぞそのままお持ちください」
その後に幾つか取り止めもない会話を交わし、二人はやはりいつものように別れた。
主の元へ帰るのであろうメリアの背中を、リカルドはいつまでもじっと見詰めていた。
だが、その視線は恋い焦がれる女性へと向けるものではなく、どこか含みのある粘ついたものであり。
先程は真っ赤だったのが嘘のような、平素な顔色のリカルドの手の中で、メリアのハンカチがぐしゃりと無遠慮に握り潰された。
自分の執務室の中で、カノルドス王国の宰相であるガーイルド・クラークスは、ジェイクの報告にぴくりと眉を寄せた。
「おまえの話は理解した。その『魔獣使い』とやらが所有する奴隷の解放の手続きは、早急に行うように指示しておこう。だが──」
ガーイルドは、はあと深い溜め息を零す。
「──たかが野盗の討伐の協力に銀貨五万枚は高額過ぎる。そんな前例を作るわけにはいかん」
ぎろり、という擬音が聞こえてきそうな迫力で、ガーイルドはジェイクを睨み付ける。
「野盗の討伐への協力ならば、その報酬はどんなに高くても銀貨一万。それ以上は国として出すわけにはいかんぞ?」
ぴしゃりと言い切るガーイルド。だが、ジェイクの表情に変化は見られなかった。
「構わないって。残りは俺が個人的に出すさ。あいつにはガルダックの火災の時にも世話になっている事だしな」
「ふむ。そういう事なら儂があれこれ言う事ではないな。ガルダックの領主として、火事の鎮火に活躍した者に報賞を出すのは当然な行為でもある。となると、後はその『銀狼牙』の残党どもに関してだが……」
ガーイルドは執務机の椅子に背を預け、瞑目して腕を組む。
そうやって考え込んでいたガーイルドが、しばらくして目を開く。
「そのガクセンという男を通じて、『銀狼牙』に対して不満を持っていた者とそうでないものを分け、不満を持ちながらも、キーグルスという首領に対する恐怖心から渋々従っていた者は半年の強制労働と三年の牢での禁固。不満を持たずに首領に従っていた者は斬首、といったところか」
「問題のそのガクセンという男はどういたしますか、閣下?」
宰相補として同室していたケイルが尋ねる。その問いにガーイルドは再び考え込んでから答えた。
「『銀狼牙』壊滅に対する功績を鑑みて、強制労働半年とする」
本来ならこのような刑罰の決定を下すのは、司法の頂点でもある国王の仕事だろう。
しかし、その国王たるユイシークは、その辺りの事は全てガーイルドに丸投げしていた。これもまた、ユイシークのガーイルドに対する信頼から来る行為ではあるのだが。
とはいえ、全てを任されているガーイルドだが、王の許可もなく刑の執行を執り行う権利はなく、ガーイルドはそれらの刑罰の執行に関する書類を作成し、傍にいたケイルに国王の裁可を得るためにユイシークへその書類を回すように指示する。
そして、それらのやり取りを黙って見ていたジェイクは、下された判決にほぅと安堵の息を吐いた。
「とりあえず、これであいつへ顔向けできるってもんだな」
これであの『魔獣使い』とジェイクが交わした約束は果たした事になる。もしもここでガーイルドが「全員斬首」などと言い出したらどうしようかと、内心ではなかり不安だったのだ。
連中はそう言われても言い逃れできないような罪を犯してきたのだから。
一連の作業を終えたガーイルドは、改めて執務室に残っているジェイクへと向き直る。
「それで、小僧たちがその『魔獣使い』に会いに行く日取りは決まったのか?」
「二日後の午後に、城下の「轟く雷鳴」亭へ行く予定だ」
その予定は既に『魔獣使い』の方へも通達されており、その日は「轟く雷鳴」亭で待機しているように取り決めてある。
「警備の全ては貴様に任せる。判っていると思うが……」
「おう。国王であるユイシークを始め、側妃であるアーシアたちは何があっても絶対に守り抜いて見せンぜ」
自信の込められたジェイクの言葉に、ガーイルドは深く頷いた。
それから二日後。何事もなく時間は過ぎて。
とはいえ、内密に城下に出かける面々はそれなりに多忙だった。
政務を前倒しで片付けてあったユイシークはともかく、ジェイクは当日の警備体勢や影から護衛する面々の選抜などそれなりの仕事をこなした。
そんな彼よりも更に忙しかったのが女性陣であった。
只でさえ女性の準備には色々と手間がかかるのが常識である。特に当日同行するアーシアやコトリ、ミフィシーリアなどは、当日着る目立たない服装を選ぶところから大騒ぎだった。
これは何もミフィシーリアたちが当日の服に文句を言ったからではなく、様々な注文をつけたのはなぜか同行しない筈のサリナとマイリーだった。
アーシアやコトリ、ミフィーリアたちを着せ替え人形よろしく、この服は派手過ぎて金銭目的の盗人の目を引いて危険だ、こっちは逆に地味過ぎて良からぬ男たちに集られて別の意味で危ないなど、ああでもない、こうでもないと色々な服をとっかえひっかえ着せさせては吟味を繰り返していた。
──あれは絶対私たちのためではなく、自分たちが楽しむためにやっている。
着せ替え人形にされたミフィシーリアたちは、内心でそんな事を考えてしまった程に。
そして何とか彼女たちの服装が決まったのは、城下に出かける当日の午前中だった。
「じゃあ、表向きのあなたたちの身分を説明するわね」
城下に赴く面々が集まり、彼らを前にしてリーナが手にした書類を見ながら解説する。
リーナの言う表向きの身分とは、まさか城下街で王と側妃ですと正直に言うわけにもいかないので、仮の身分を立てて何かあった時に全員の口裏を合わせるためである。
「まず、ミフィ。あなたは田舎の領地から初めて王都に来た、下級貴族の令嬢って役どころね」
「役どころ、と言うより、私の身分そのままですけどね」
冗談めいて茶化したミフィシーリアの言葉に、その場の全員が笑う。
「そして、アーシィとメリアは、そのミフィ付きの使用人……って、これもアーシィはともかく、メリアにとってはそのままよね。誰よ、こんな下手な設定を考えたのは?」
「あ、それは俺だ。俺が夕べ遅くまで考えた設定だぞ」
偉そうに胸を張って言うユイシークに、リーナは頭痛を堪えるように自分のこめかみを指で押さえた。
「あのねぇ、これじゃあ仮の身分になってないじゃない」
「だって、ミフィとメリアはこういう仮の身分とか慣れてないと思ってな。変なところでボロが出るより、いつものままの方がいいじゃないか、と思ったんだ」
「…………まあ、いいわ。確かにいつも通りの方がやりやすいかもね」
リーナのこの言葉に、ミフィシーリアとメリアの主従は揃って頷く。
現在、ミフィシーリアは故郷で来ていた服よりちょっとだけ上質なものを着ている。
アーシアとメリアも、そんなミフィシーリアに使える侍女のお仕着せ──後宮で採用されているお仕着せよりも幾らか低質なもの──を着ていた。
「今日はよろしくお願いしますね、ミフィお嬢様」
ミフィシーリアに仕える侍女、という役どころが気に入ったのか、アーシアはやたらと「ミフィお嬢様」を連発している。
そんなアーシアに、当のミフィシーリアは困ったような笑みを浮かべるばかり。
「────で、シークとジェイク、コトリは荷物持ち兼護衛の魔獣狩りと傭兵……ね」
リーナは書類に記されている役どころと、ユイシークたちの格好を交互に見比べる。
ジェイクとコトリは、いつかのアマロー領を訪れた際の魔獣狩りの格好をしていた。
魔獣の素材を使った防具──いわゆる魔獣鎧を装備し、コトリは鋼製の小振りの剣。
だが、ジェイクはいつもの大剣ではなく、片手用の長剣を腰に佩いていた。
「あれ? ジェイクくん、いつもの剣はどうしたの?」
ミフィシーリア同様、その事に気づいたアーシアが尋ねる。
「ああ、あれは今、研ぎ師に預けてある。この前の野盗賊討伐の時に、あの剣は魔獣の腐食液を浴びちまってなぁ。ちょっと手入れをしてもらっているんだ。まあ、街中であの大剣は振り回すのに向いてねぇから、こっちの方が都合がいいがな」
腰の剣をぽんと叩きながら、ジェイクはアーシアの質問に答えた。
そんなジェイクから視線をずらし、ミフィシーリアは見慣れぬ武装をしたユイシークを見る。
ジェイクたち同様の魔獣鎧。とはいえ、ジェイクよりは軽装な鎧を身に纏い、腰には最近手に入れてすっかり気に入っているらしい紫水竜の剣を佩いている。
じっと自分を見詰めるミフィシーリアの視線に気づいたのか、ユイシークがにかりとした笑みを浮かべてフィシーリアへと振り向いた。
「どうした、ミフィ? 俺の武装した凛々しい姿に惚れ直したか?」
「そ、そんなことはありませんっ!!」
つん、とそっぽを向くミフィシーリア。だが、その顔は朱に染まっており、いくら取り繕っても何か台なしな気がしなくもない。
ミフィシーリアのその様子に、その場に居合わせた者は微笑ましいものを感じて笑みを浮かべる。
唯一、ジェイクだけがどこか複雑そうな顔をしていたが。
「それで、他の護衛たちはシークたちから一定の距離を取って影ながら警備する……ね」
リーナは手中の書類を見ながら、近衛から選抜された護衛たちへと視線を向ける。
近衛から選抜された護衛は全部で十名。彼らは庶民の服装で鎧などは一切身につけず、小剣だけを腰に装備している。
その中にはジェイナスたち例の元暗殺者五人の姿もある。
「さて、それじゃあ出発するぞ!」
ユイシークの宣言に、全員が一斉に頷いた。
それを確認したユイシークが、ミフィシーリアに歩み寄るとその耳元にそっと口を寄せる。
「さて、ここから俺は王ではなくおまえの護衛だ。おまえのことは「ミフィシーリアお嬢様」と呼ぶからな?」
「は、はい……よ、よろしくお願いします……」
突然耳元でそう囁かれ、ミフィシーリアは再び顔を朱に染めながら、なんとかそれだけを答えたのであった。
『辺境令嬢』更新しました。
今回、またもや『魔獣使い』のちょっとした裏話をこちらで展開。もしも近衛隊長と宰相のやりとりが意味不明の方がおられましたら、お手数ですが『魔獣使い』を参照いただけると理解できると思われます。
加えて、そろそろこっちに『魔獣使い』の主要メンバーが登場しそうです。具体的には、こちらの主要メンバーの血縁者が。
はい、もう誰が出るか判明しましたね(笑)?
後、あっちからこっちに出張する予定の者は、最近失恋した槍使いくんあたりかな?
※新たに設定した当面目標「総合評価点5000点超」まで、あと618点。おかげさまで前回から比べると200点以上目標に近づきました。これからも更に頑張りたいと思いますので、よろしくお願いします。