14-遠望
豪華な調度品が並ぶその部屋で、その人物は調度品に見劣りしない細工を施された椅子に腰を降ろし、目の前に立つ男に笑みを向けた。
「……ようやく七割、といったところか」
「ふん、まだそんなものか。先は長そうだな」
立ったまま肩を竦める男の態度を咎めることなく、椅子に座った人物の笑みは更に深まる。
「あれでどうやら手広く商売をしていたようでね。あの豚が持っていた『網』を私のものとして新たに取り込むのは時間がかかるのだよ」
「へえ。あの豚野郎、そんなに裏では顔が広かったのか?」
「ああ。私の予想以上だったね」
くくくと声を漏らして笑う人物を、男は冷めた目で見下ろす。
「必要な人数も物資も資金も揃いつつある。あの小僧に不満を抱いている者は、私だけではないということだ」
「じゃあ、そろそろ……?」
「そうだな。もうあの豚はいらないだろう。適当に処分しておけ。豚の問題はそれでいいとして、あれはどうしている?」
「ああ。あちらさんは王様や側妃たちが、お忍びで外出する際に襲撃をしかける気だな。やる気満々で色々と画策してるよ」
「まあ、確かに噂通りに第五側妃が正妃になるらしいからね。第四側妃だけではなく、第五側妃も標的にしているあれにとっては、それが最後の機会だろう」
机に肘を着き、組んだ手の甲に顎を乗せてその人物は言う。
「もうしばらくあれの手綱を握っていてくれ。そして……」
「側妃の内の誰でもいいから、生かしたまま連れてこい、だろ?」
男の言葉に、その人物の口元が邪悪に歪む。
「そうだとも。あの小僧にとって、五人の側妃はすべからく弱点だ。側妃の一人でも押さえてしまえば、あいつの力を封じたも同じだからね」
「見せたいものがある……ですか?」
いつものように朝食の時間に第六の間を訪れたユイシークは、朝食を摂りながらそんな事をミフィシーリアに告げた。
「ああ。一度はおまえに見せておこうと思ってな」
いつもの悪戯小僧のような笑みを浮かべるユイシークに、ミフィシーリアはこれまでの経験から思わず警戒心を抱く。
「もしかして、また何か企んでいるのですか?」
疑惑を込めた視線を向けるミフィシーリアの言葉を、ユイシークは手をひらひらと振りながら否定を現す。
「別に何も企んじゃないさ。今回は純粋におまえに見せたいものがあるんだ。時間は……そうだな、夕暮れの少し前ぐらいが丁度いいか。それぐらいになったら迎えを寄越すから、俺の執務室まで来てくれ」
「はあ……よく判りませんが、シークがそう望むのなら」
首を傾げつつも、彼の申し出を受けるミフィシーリア。その後、二人は食事を済ませ、ユイシークは政務へと向かうために席を立つ。
扉の所まで見送るため、同じように立ち上がったミフィシーリアから視線を泳がせつつ、若干頬を赤くするユイシーク。
「そ、その、なんだ……済まないな」
「は? 何がでございますか?」
「い、いやその……あ、あれから夜にこの部屋を訪れていないから……気を悪くしているんじゃないか、と……」
ユイシークの言っている事を理解した途端、ミフィシーリアの顔はユイシークよりも更に赤く染まった。
「い、いえ、そ、その……わ、私は別に気を悪くなどは……」
ミフィシーリアもまたユイシークから慌てて視線を逸らす。
そして互いにちらりと相手の方へと視線を向け、なぜかばっちりと視線が絡んでしまい慌てて再び逸らし合う二人。
当の本人たち以外が見たら胸焼けでも起こしそうなその場の雰囲気に、いたたまれなくなったユイシークは逃げるように第六の間を飛び出した。
そんなユイシークの背中に微笑みを浮かべ、ミフィシーリアは部屋の中へと振り返って──
「──────えぅ」
──再び赤面した。
彼女が振り返った先。そこにはすっかり忘れられた存在となった四人の使用人たちが、じっと彼女を見詰めていたのだ。
メリアはやってらんねえや、といった感じの生暖かい視線を。
コラルはいつもの様に無表情に。ただし、若干頬を赤くして。
タロゥとポーロは何とも嬉しそうに尻尾を振りながら。
そんな使用人たちの視線の十字砲火から逃れるため、ミフィシーリアは脱兎のごとく寝室へと駆け込むのだった。
結局、気恥ずかしくてメリアたちと顔を合わせられなかったミフィシーリアは、約束の時間にユイシークの使いが来るまで寝室から一歩も出なかった。
それこそ、コトリが遊びに来ても出てこなかった程だ。
そしてユイシークとの約束の時間になり、ようやく寝室から出てきたミフィシーリアは、やっぱり顔を赤くしたままメリアたちに身繕いを整えてもらい、後宮の入り口で控えていた迎えの近衛兵の後に従ってユイシークの執務室を目指す。
だが、当のユイシークは執務室へと向かう途中の廊下で彼女を待っていた。
「ご苦労。おまえはもう下がっていいぞ」
使いの近衛兵を労い、下がらせたユイシークは、ミフィシーリアの手を引いてとある階段を登って行く。
(この方角には何があったかしら──?)
ユイシークに手を引かれながら、いまだに完全に王城内の構造を理解しきれていないミフィシーリアはこの先に何があったのかを必死に思い出す。
(確か、この上は見張り塔じゃなかったかしら?)
まだまだ続く階段の先を眺めながら、ミフィシーリアはようやくその答えに辿り着く。
時折振り返り、自分の様子を窺うユイシークに微笑ましいものを感じながら、ミフィシーリアはその階段を登っていく。
そして階段の終わりが見え、そこから赤い光が差し込んでいる事に気づいたミフィシーリア。
彼女はそのままユイシークに手を引かれ、その赤い光の中へと足を踏み入れる。
途端、ミフィシーリアの目の前に広がったのは赤い世界だった。
王城を中心に広がる城下町である王都ユイシーク。
その王都を囲む城壁の外側には豊かな田園が広がり、その田園の更に外側には緑の木々が生い茂る森が存在している。
そしてよくよく目を凝らせば、そこで生活している人々の姿が豆粒のような大きさだが確かに見る事ができた。
それらの世界全部が、夕陽に照らされて美しい赤に染まっている。
「──────凄い」
「どうだ、綺麗だろう? 天気の良い昼間に見下ろすのもいいが、こうして赤く染まったこの光景が俺は好きなんだ」
呆然と世界を眺めるミフィシーリアの横に立ち、そっと彼女の肩に手を回しながらユイシークは続ける。
「この景色の事はジェイクに教えてもらったんだが、一目見てすっかり気に入ってな。時々こうやって眺めに来るんだ」
自分と同じようにこの情景を眺めるユイシーク。だが、ミフィシーリアは今の一言が気になった。
「そういえば、最近またジェイク様の姿をお見かけしませんね」
「ああ。あいつなら東の街道に出るという野盗退治を頼んである」
「野盗退治? 近衛隊の隊長であるジェイク様にですか?」
ミフィシーリアの疑問はもっともだろう。
近衛の仕事とは王とその一族の身を守る事である。その隊長であるジェイクが国王の傍を離れ、わざわざ野盗退治に向かった事が、ミフィシーリアには疑問だった。
本来なら、野盗退治は騎士団や軍の仕事であり、近衛隊の仕事ではないのだ。
ミフィシーリアのこの疑問に、ユイシークは渋い顔をしながらも答えてくれた。
「まあ、結局人材不足なんだよな。騎士団も軍も人数だけはそれなりに揃っちゃいるが、どうも人材的になぁ……」
もちろん、騎士団にも軍にも優秀な人材はいる。だがその数は極めて少なく騎士団や軍の中で要職に就いているため、野盗退治に行かせるわけにはいかなかったのだ。
そこで腕も立ち、自身が最も信頼しているジェイクにこの仕事を回すしかなかった。
また、近衛隊は軍や騎士団とは違い国王であるユイシークの直属なので、融通がしやすいという側面もある。
「そうでしたか……ジェイク様はまた密命を受けておられたのですね」
赤く染まった世界の中で、ミフィシーリアは今頃ジェイクがいるであろう東へと視線を向ける。
すると、不意にミフィシーリアの柔らかな頬がむにっと引っ張られた。
もちろん、そんな事をするのは一人しかいない。
「な、何をするのですかっ!?」
引っ張られた頬を手で押さえながら振り向けば、憮然とした表情のユイシークがいた。
「何をするじゃねえよ。以前も言ったよな? 俺といる時に他の男の事を考えるなと」
「知り合いの身の安全を心配するのは当然ではないですか? 私はそんなに情のない人間ではないつもりです。それに、私はジェイク様にはとても感謝しているのですよ?」
「感謝だと?」
「はい。あの日……ジェイク様やケイル様たちがシークの密命を帯びてアマロー領に来なければ……私はこうしてシークと出会う事もなかったのですから」
それまで、単なる地方の下級貴族の令嬢──令嬢というのもおこがましい程──の自分が、今では近い将来にこの国の王妃になろうとしている。
ミフィシーリアはそんな人の縁の不思議さに、今では感謝してもし足りないと感じていた。
「いわば、ジェイク様やケイル様、そしてコトリは私にとっては恩人なのです。そんな恩人の心配をするのはいけないことですか?」
「ちっ、そういう事なら仕方ないか」
おもしろくなさそうに吐き捨て、眼下の光景へと再び目を向けたユイシークの肩に、ミフィシーリアはこてんと自分の頭を預けた。
「でも……これがシークが支えているものなのですね」
ミフィシーリアも彼と同じように、真っ赤に染まる世界へと再び目を向ける。
「ああ。だが、所詮俺は支えているだけに過ぎない。感違いするなよ? 国って奴は民のものだ。俺たち王や貴族が広げた傘の下に、民が集まって初めて国はできるんだ。それを忘れちゃいけない」
「はい。肝に銘じておきます」
夕陽に照らされて長く伸びた二人の影。
その影の一部がそっと重なり、その重なりは陽が沈んで辺りがすっかり暗くなるまで離れる事はなかった。
その日の夜。
ユイシークは久しぶりにミフィシーリアの部屋を訪れた。
『辺境令嬢』更新しました。
今週は二回更新できたっ!! できれば今後もこのペースで更新していきたいものですが、他の連載の関係もあってなかなか思うようにはいきません。
さて今回は、ちょっとした糖分補給の回(笑)。
元々糖分控え目なこの『辺境令嬢』なので、時にはこのような話も必要かと思いまして。
うん。こういう話はなぜかさくさく進むなぁ。とはいえ、自分にはこのぐらいの糖分が精一杯です(笑)。
また執筆の一助のため、この『辺境令嬢』の当面の目標を設定しておこうかと。
今回の当面の目標は「総合評価点4000点突破」にしたいと思います。
現在の総合評価点は3730点。いつ達成できるやらですが。
では、次回の更新は『怪獣咆哮』か『魔獣使い』を考えています。
今後もよろしくお願いします。