11-告白 ──他の誰よりもちょっとだけ──
「それで、シークは一体何がしたかったのですかっ!?」
ミフィシーリアは、床に膝を着いたままのユイシークの襟首を掴み、そのまま引き上げるようにして彼を立たせる。
もちろん、ミフィシーリアの細腕で成人男性のユイシークを持ち上げられるはずもなく。実際はユイシークが自ら立ち上がったのだが。
そうしてユイシークを立ち上がらせ、今度は襟元を掴んで首を締め上げるようにして迫るミフィシーリア。
「い、いや、な? 前から一度やってみたかったんだよ、この『お嬢さんを僕にください』って奴。だから、今日はそれのいい機会だからやってみようかと……ガーイルドのおっさんやラバルドのおっさん相手に今更やりたくてもできないし……ってか、絶対あの二人にはやりたくない」
「だからって何もわざわざ私の両親でそのような事をしなくても……見てくださいっ!! 私の両親をっ!!」
びしっと自分の両親を指差すミフィシーリア。
それに釣られてユイシークがそちらを見れば、ようやく意識を回復したグゥドンとその夫人が、驚きのあまり茫然自失といった風でユイシークたちを見詰めていた。
「国王たるシークが突然あんな奇行に走るから、とても驚いているではありませんかっ!! 私の両親は国王としてのシークしか知らないんですよっ!? その国王が突然自分たちに土下座なんかしたら驚くに決まっているでしょうっ!! それぐらいの事も判らないのですかっ!?」
「い、いやあ、親父殿たちが驚いているのは俺じゃなくて、その国王に凄い剣幕で文句を言い立てている自分の娘に対してじゃないかなー、と……」
「お黙りなさいっ!!」
「は、はいっ!!」
ミフィシーリアの怒気に押され、思わず姿勢を正すユイシーク。
それでいて怒りに顔を朱に染め、ちょっぴり涙ぐみながらきっと自分を見据えるミフィシーリアの姿が、何とも可愛いやら凛々しいやらで内心ではにやにやとしていたのだが。
「私に対する少しぐらいの悪戯なら大目に見ますが、今回はいくらなんでもやり過ぎでしょうっ!? そもそもシークが私を正妃としたいのは、あくまでも政治的判断からではないのですかっ!?」
ミフィシーリアのその言葉を聞き、そしていよいよ決壊しそうな彼女の目端の雫を見て、ユイシークの表情が引き締められた。
「……え? シーク……?」
彼の唐突な変化に気づき、ミフィシーリアは戸惑いを見せる。
そしてそのシークも真面目な表情でじっとミフィシーリアを見つつ、その胸の内ではここに来る前に訪れた、アミリシアの言葉が繰り返されていた。
(確かにアミィさんの言う通りだな。俺は肝心な一言をこいつに言っていなかった。だからこいつは今も……)
つい先程アミリシアに言われた言葉。その言葉がユイシークの胸中で何度も反芻する。
肝心な一言を伝えていなかったため、ミフィシーリアは今も思い違いをしたままなのだ。
ユイシークは改めて決心すると、その思い違いを正すためにミフィシーリアへと踏み出した。
「ミフィ。おまえは思い違いをしている」
「え?」
「確かに以前、俺はおまえに言ったな。様々な理由から、おまえしか正妃にするのがいないと」
「は、はい。確かに以前そうお聞きしました。それが……」
「────おまえがいいんだ」
────おまえがいいんだ。
確かにそう言われて、ミフィシーリアの身体がぴたりと動きを止めた。
「俺がおまえを望むのは、決して政治的な判断からだけじゃない」
真っ正面から互いに見つめ合うユイシークとミフィシーリア。
二人の間の距離は腕一本分ほど。だからミフィシーリアが息を飲むのをユイシークにははっきりと判った。
「俺はおまえに言わなければならない事がある。絶対に聞き逃すなよ?」
にやりとした笑みを浮かべるユイシーク。
だがそれは、いつもの悪戯小僧のような含みのある笑みではなく、何かを決心した者が浮かべる覚悟を決めた笑み。
「俺はおまえを──────ミフィシーリア・アマローを愛している」
ユイシークがその言葉を解き放った途端、ミフィシーリアの顔が先程の怒りとは別の朱に染まる。
「で、ですが……そ、それではアーシィたちは……」
「もちろん、俺はア-シィもサリィもマリィもリィも皆等しく愛している」
「はあっ!?」
皆等しく愛している。ユイシークがそう告げた時、疑問の声を上げたのはユイシークの背後に控えていたジガルである。
そのジガルがユイシークを見詰める視線には、「何調子のいいこと言ってんだ」という意味が十二分に含まれていた。
しかし、それはジガルに限った事ではないだろう。誰もが「皆等しく愛している」なんて言葉を聞けば、ジガルと同じ感想を抱くに違いない。
その言葉を言ったのがユイシークでなければ。その言葉を聞いたのが彼の側妃たちでなければ。
彼が自分以外の四人の側妃を愛していることなど、既に承知しているミフィシーリアにしてみれば、何を今更といった心境であり、それよりも彼女にとっては、当然のことながらユイシークに愛していると言われた事の方が余程衝撃だった。
確かに以前から正妃になれとは言われていた。傍にいて欲しいと言われたこともある。
だがそれは、あくまでもユイシークが政治的判断からそう言っているのだとミフィシーリアはずっと思っていたのだ。
もちろん、初めて出会ってから今日まで、かなり親しくなり打ち解けてきたとは思う。
しかし、それもまた彼にとって必要だからそうしているのだと思っていた。
愛情からではなく、友愛もしくは家族愛。ずっとそう思っていたのだ。
それなのに。
それなのに今、ユイシークはミフィシーリアを愛していると言った。いや、言ってくれた。
他の側妃たちと同列でもいい。彼が愛していると言ってくれた事が、ミフィシーリアは嬉しかった。
そして同時に一つの事実に気づいた。気づかされた。
それは愛していると言われて嬉しく思っている自分自身。
間違いなく、それはミフィシーリア自身が彼に愛して欲しいと思っていた証左。
惹かれてはいた。敬愛している事も自覚していた。
しかし、愛していると言われて胸の奥から沸き立つこの想いは。
それは単に惹かれているだけではなく、敬愛しているだけでもない。
愛を欲するという事は、自分もまた愛しているからだと、この時初めてミフィシーリアは気づいたのだ。
どこに惹かれたかと聞かれれば、きっと彼女は首を傾げるだろう。
なぜ心が傾いたのかと問われれば、おそらく彼女は悩むだろう。
普段の何気ない仕草が。一緒に朝食を食べる時の会話が。ベッドで自分を抱き締める時の優しさが。そして自分に悪戯をしかける時のあの悪戯小僧のような笑みさえもが。
様々な要因が幾重にも重なって、ユイシークはミフィシーリアにとって大切な存在となっていったのだ。
徐々に。徐々に。
樹木が長い時間をかけて高く高く伸びていくように、毎日のちょっとした事の積み重ねが、彼女の心の天秤を徐々に傾けていたのだ。
二人が出会ってまだ数ヶ月。それは他の側妃たちに比べたら極めて短い時間かもしれない。
それでもその時間は、ミフィシーリアにとって掛け替えのない時間となっていた。
万感の想いが、彼女の両の瞳から雫となってこぼれ落ちる。だが、それは決して冷たいものではない。
その零れた雫を、更にもう一歩近づいたユイシークの指が優しく拭う。
「なぜ、泣く?」
ユイシークの問いに、ミフィシーリアは言葉が詰まって何も言えない。
ただ両眼から涙を溢れさせ、ふるふると弱々しく首を振るばかり。
「俺がおまえを愛していると言っても信じられないか? まあ、それも無理はないかと自分でも思う」
だがな、と続けてユイシークは。
「おまえを愛しているのは紛れもない事実だ。俺はおまえの事を他の誰よりもちょっとだけ多めに愛している」
その言葉は、人によっては呆れるかもしれない。馬鹿にしているのかと憤慨するかもしれない。
──他の誰よりもちょっとだけ。
しかし、ミフィシーリアにとってはそれで十分であり。
彼女の胸の中でその言葉は、あっという間に大きく広がっていった。
「改めて聞くぞ、ミフィシーリア・アマロー。俺の正妃になってくれないか?」
その問いかけにミフィシーリアはやはり首を縦に振らず、その代わりに彼女は無言でユイシークの胸の中に飛び込んで行った。
「やれやれ。ようやくシィくんが想いを告げたねぇ」
不意に聞こえてきた声に振り向けば、部屋の入り口の所にアーシアの姿があった。
いや、アーシアだけではない。
サリナが、マイリーが、リーナが、コトリが。
そして更にはガーイルドにラバルド、ケイルまでがそこにいた。
「お、おまえら、いつから……」
「シークさんとミフィが喧嘩していると聞かされて、わたくしたちびっくりして飛んで来ましたのよ? それなのに、いざ来てみればまあ──」
手にした扇で口元を隠して言葉を途切れさせるサリナ。しかし、その楽しそうなものを見る目が彼女の心境を全て物語っていた。
どうやら先程ミフィシーリアがユイシークに声を荒げた時、扉の外で警備していた衛視が二人が喧嘩をしていると誤解し、その仲裁を求めて宰相であるガーイルドに知らせたのだ。
その報告に驚いたガーイルドは、最悪の場合に男の自分だけでは女性のミフィシーリアに十分なフォローができないと考え、娘のサリナにもそれを知らせた。
サリナもまた二人が喧嘩していると聞いて大変驚き、丁度一緒にいたアーシアもびっくりしてそれをリーナに知らせ、たまたまリーナと一緒に仕事をしていたケイルまでそれを知り……と、二人が喧嘩をしているという話はあっと言う間に関係者全員に伝わったのだ。
そんな彼らが慌ててユイシークたちがいる部屋に駆けつけ、その扉を開けてみれば。
喧嘩をしていると聞いた問題の二人が、なぜか互いに見つめ合っており、更にはユイシークがミフィシーリアに告白をし始めたではないか。
あまりの事に声もかけられず、呆然とする一行を余所に二人は互いに想いを通じ合わせ会う。
そして頃合いを見計らい、ようやくアーシアが声をかけたのだった。
その際、誰が二人に声をかけるかで──誰もが今の二人に声をかけるのを躊躇った──、アーシアたちの間で一悶着あったのだがそれをユイシークとミフィシーリアはもちろん知らない。
ミフィシーリアはもう生きた心地がしなかった。
ユイシークに愛していると言われたことは純粋に嬉しい。他の誰よりもちょっとだけと言われて天にも昇りそうだ。
しかし。
しかし、それを他の誰かに見られていたと知った時、彼女の気持ちは天から一気に地上へと落下した。
しかもよくよく考えてみれば、ここには自分の家族だっているのだ。
親しい友人たちの前で、家族のいる面前で。
異性に愛を囁かれ、それに浮かれて更にその胸にまで飛び込むところを見られていたとは。
ミフィシーリアは恥ずかしくてユイシークの胸に思わず顔を埋めたまま、家族や友人たちを見ることができない。
「さて、ユイシーク。少々聞きたいことがあるのだが、いいか?」
そんなミフィシーリアの耳に、宰相であるガーイルドの低い声が響く。
「別にミフィシーリア殿が正妃になるのに反対するわけではないが、以前、貴様はこう言ったはずだな?」
──ミフィシーリアやアマロー家は権力向上の願望が低い。それが彼女を正妃に迎える最大の理由だ。
王権の強化を理由に上げ、それがミフィシーリアを正妃に迎える理由だと、ユイシークは以前にガーイルドたちに説明した。
「ミフィシーリア殿を好いていて正妃に迎えたいのだと、どうして最初からそう言わん? 下級貴族の娘だからと、儂らが反対するとでも思ったか?」
「い、いや、そうじゃなくてだな、こ、これはその……」
視線を泳がせ、しどろもどろなユイシーク。
そんな彼の本心は、別のところからあっさりと明かにされた。
「それはねぇ、パパは照れくさかったのよぉ。ミフィの事はアーシィたちに負けないぐらい好きだけど、それを誰かに言うのが恥ずかしかったの。ね、そうだよね、パパ?」
そう告げたのはもちろんコトリだ。
ユイシークと彼の「使」であるコトリの間には、精神的な繋がりがある。
その繋がりを通じて、コトリはユイシークの心境を誰よりも理解していた。
そしてそんなユイシークの本心を聞かされた一行は。
あまりなその理由に、誰もが口を聞けないぐらい唖然とした。
「──────子供か、貴様は」
ようやくそう口を聞いたのは、なんとラバルドであった。
普段、滅多に口を聞かないラバルドの言葉。そしてそれはまた、この場に集っている者全員の共通した感想でもあった。
最初は唖然とするしかなかった一行。しかし、ラバルドの言葉が徐々に浸透していき、誰からともなく笑い声が上がる。
小さな笑い声はやがて大きな笑い声になり、部屋にいた誰もが大きな声で笑い出し、その笑い声がいまだに抱き合ったままの二人を祝福するのだった。
『辺境令嬢』更新しました。
は、ははははは。よ、ようやくここまで来たぜっ!!
ようやく二人の想いを描くことができたあああああああっ!!
ぜーはー、本当、ここまで来るのが長かったやら、しんどかったやら……。
散々心配かけましたが、ようやく二人もここまで来ました。
中には「ミフィが可哀想すぎる」との意見もいただきましたが、全てはこの一瞬のための伏線! この一瞬が描きたくてここまでやって来たと言っても過言ではないっ!!
もちろん、これで終わるわけではありません。まだまだ問題はたくさんありますとも。うひひ。
さて、今後は『魔獣使い』とのストーリー的な関連もあり、書く方も難しくなっていきます。
それでも必ず完結まで書き続けますので、今後ともよろしくお願いします。
しかし、「他の誰よりもちょっとだけ多めに愛している」なんて告白の台詞、きっと後にも先にもユイシークだけだろうなぁ。
やったぜ、ユイシーク! 世界初だっ!!




