09-叔母と甥、弟と弟
その日、ユイシークは政務の空き時間にアミリシアの部屋を訪ねていた。
「そうですか。ミフィのご両親を王都に呼んだのは、彼らに彼女の今後を説明するつもりなんですね?」
アミリシアのその問いに、ユイシークはゆっくりと頷いた。
「あいつが正妃になるのを拒む理由の一つが、実家が政権争いに巻き込まれるってのがありますからね。その辺をまずはっきりさせれば、少しはあいつも正妃になるのに前向きになってくれるんじゃないか、と」
アミリシアが自ら淹れた極上の味のお茶を飲みつつ、そう答えたユイシークを見てアミリシアがくすくすと上品に笑う。
当然、笑われたユイシークは憮然とする。いくら敬愛する叔母とはいえ、突然笑われれば気分を害する。
もちろん、そんな事で不敬罪などと言い出すつもりは全くないが。
「もう少し素直になったらどうかしら?」
「は?」
突然の叔母の言葉に、ユイシークは首を傾げる。
「シークの想いを、もう少し素直にあの娘に伝えては、と言ったのです」
突然の事に何も言えないユイシークを余所に、アミリシアは白磁のカップに満たされた紅茶を一口含んで喉を潤すと、彼女は母が子を諭すように続けた。
「アーシィとサリィ、そしてマリィは、最初からあなたの傍にいました。リィは弟のジークの命を救うため、自ら願い出てあなたの奴隷になった。でも、あの娘は?」
物心ついたころから一緒に育ったアーシアを始め、サリナとマイリーは気づけば傍にいた。
そしてアミリシアの言葉通り、リーナは弟を救うために自ら望んで奴隷に落ちた。その後彼女が側妃にまで登り詰めたのは、彼女のその才能をユイシークが見出し、それを望んだからに他ならない。
では、ミフィシーリアは? どうして彼女を側妃にと望んだのか?
と、アミリシアは問うているのだ。
「お、俺はあいつに興味があったから……」
「ねえ、シーク。私はあなたを息子だと思っているわ。確かにあなたとは叔母と甥という血縁はあるけど、それ以上に私はあなたを実の子供と思っているの」
幼い頃より、自分を見守り続けてくれた敬愛すべき叔母。
母を幼くして失った彼にとって、彼女は確かにもう一人の母親だった。
「あまり『母親』を舐めないでくれるかしら? あなたの気持ちなんて、私はとっくにお見通しですよ?」
うふふふ、とどこか妖しく見詰められ、ユイシークは頭を掻きながら負けを認める。
いや、子供の時から、一度としてこの女性に勝てたことなどない事を、彼は改めて思い出した。
「あの娘は他の娘たちとは違いますね? なぜなら、あなたが自ら望んで傍においたのはあの娘だけなんですから。あなたはその彼女に、自分の気持ちを素直に打ち明けたことがありますか?」
いつもリカルドは、突然メリアの前に姿を見せる。
そして、真っ赤になりながら一輪の花を差し出し、二言三言メリアと言葉を交わすと、耐えられなくなったかのように全力でその場を離れる。
「あ、あの、め、メリア殿。ち、ちちち、近いうちに休みの日とかあるか……じゃない、あるでしょうか……?」
相変わらず真っ赤になりながら。相変わらずどもりながら。でも、今日のリカルドはちょっと違った。
必死に自分を誘ってくれているらしい彼に、心の中の点数を僅かに加算しながらメリアは仕事の予定を素早く考える。
彼女以外にも使用人が増え、最近では時々半日ほどの休みなら取れるようになった。
もちろん、メリアたち使用人が休みを取る事を、主であるミフィシーリアは快く許可してくれる。
だが。
「申し訳ありません。近々ミフィシーリア様が城下の街を見学に行かれる予定になっていまして、その準備に色々と忙しく……しばらく私たち使用人も多忙なんです。あ、実はこの話、あまり他言しちゃいけないって言われていたっけ。リカルド殿も、この話を同僚の方たちには内緒にしておいてくださいね?」
「も、もちろんです。決して仲間にも言わね……言いません! ですが、側妃様が城下に見学に行くとなると、たくさんの護衛が付き従うんでしょうね」
徐々に緊張もほぐれてきたのか、リカルドの言葉も滑らかになってくる。
「それがお忍びで城下に行かれるそうで、ごく僅かなお共の方しか同行しないらしいです。もちろん、私はミフィシーリア様と同行しますが」
「そ……そうですか……。い、いや、そうですよね。侍女頭のメリア殿が側妃様と同行するのは当然ですよね」
どことなく残念そうにリカルドは零す。
その後、幾つかの言葉をやり取りし、二人はそのまま自分たちの仕事へと戻る。
もちろん、リカルドはいつものように全力疾走でメリアの元を去って行った。
だから。
だから、メリアは気づかなかった。
全力で彼女から走り去るリカルドの、口元が歪に歪んでいた事に。
彼の背中しか見えないメリアは、全く気づいていなかったのだ。
カノルドス王宮の中を、一人の少年が途方に暮れたように歩いていた。
年齢は成年と認められる十五歳には届かず、十三か十四歳ぐらいだろうか。
体つきもやや小柄で、年齢も相まって幼さが目立つ。しかし、その優しげに整った容貌と絹糸のような艶のある黒髪は、あと五年もすれば立派な青年となることが容易に見て取れる。
だが、それは未来の話。今の彼は、その幼い容貌に不安な表情を浮かべ、あちこちをしきりに見回している。
「……やばい。完全に迷った……」
そう。彼は迷子だった。
地方領主である父が母と共に国王陛下に呼び出され、将来家督を継ぐ彼は、勉強の一環として父に王都に連れられて来た。
いや、自ら望んで連れてきてもらった、と言った方が正しい。
彼のたった一人の姉が、現在暮らしている王都。そこをどうしても自分の目で見てみたかったのだ。
そして王都に到着し、客間にて両親と共に一夜を明かした今日。
両親は国王との謁見にでかけ、当然その間に彼に何かやる事があるわけでもなく。
暇を持て余した彼は、こっそりと客間から抜け出して王城の探検に出かけた。
ちょっと客間の周囲を見物したら戻ろう。最初はそう思っていたのだ。
しかし、巨大で広い王城は、彼の好奇心を刺激して止まなかった。
時々見かける騎士たちの身につけている武具に見蕩れ、時折すれ違う侍女たちの洗練された美しさに見蕩れ。
また、城内の所々に展示してある品のある絵画や美術品などにもまた見蕩れて。
田舎である自分の領内では決して目にすることのできないものを目にしてあちこち彷徨っているうちに、彼は自分が昨夜泊まった客間の位置を完全に忘却してしまった。
通りかかった侍女や役人、または警備の兵士などに聞けばいいのだが、何となく気恥ずかしくて言い出せず、こうしていまだにふらふらと彷徨っているのだ。
そして、このままでは本格的に帰れなくなるのでは、と不安にかられた時、背後から穏やかな少年の声がした。
「こんなところでどうしたの? 何かさっきから同じところをぐるぐると歩いているようだけど?」
彼がその声に振り返れば、そこには自分と同じぐらいの年頃の少年がいた。
文官が着るような事務的な制服と覚しき衣装と、その手には何冊かのぶ厚い書物。
見たところ、文官の見習か何かだろうか。不思議そうな視線を自分に向けている。
「あ、い、いや、ちょっと……そ、その、道に迷って……」
赤くなりながらも、相手が自分と同じ年頃ということもあって、少年は正直に現在陥っている窮地を告げた。
「ああ、そうなんだ。しようがないよね、ここ、無駄に広いから。それで、君はどこに行きたいの? あ、ごめん。僕はジークント・カーリオン。この王宮の医師である、シバシィ・ガーラム先生の弟子なんだ」
ジークントと名乗った少年は、器用に片手で書物を支えると、右手を差し出してきた。
最初は戸惑ったものの、それを拒否するのも失礼かと思い、少年は差し出された右手を握りながら自分も名乗る。
「俺はジガル・アマロー。アマロー男爵家の嫡男で、今日は国王陛下に呼び出された両親と一緒にこの城に来たんだ」
握手を交わしながら、ジークントはきょとんとした顔でジガルと名乗った少年を見詰める。
「アマロー? もしかして君、ミフィ義姉さんの弟さんかい?」
ジークントの言葉に、ジガルの眉がぴくりと動く。
「……どうしておまえが姉さんの事を『義姉さん』なんて呼ぶ?」
探るような視線をジークントに向け、握っていた右手を素早く離すジガル。
敵対心むき出しのジガルに、ジークントはにっこりと微笑む。
「僕の姉さんもミフィ義姉さんと同じ側妃なんだ。だから、僕は他の側妃様たちの事も『義姉さん』と呼ばせてもらっているよ」
「え?」
自分と同じ、姉が側妃だという少年。ジガルは改めて目の前のジークントに目をやる。
どちらかというと小柄な自分より、頭半分は高い身長。ジガルは知らぬことではあるが、彼の亜麻色の髪と灰色の瞳は、姉であるリーナと同じ色合い。
「同じ立場の者として、改めてよろしく。できれば、今後も仲良くしてくれるとありがたいかな。一応、僕も伯爵家の嫡男って事になっているけど、元々は庶民生まれの養子だからね。あまり貴族社会では友人がいないんだ」
君となら同じ立場で仲良くできそうだ、とにこやかに続けるジークント。
彼が自分で告げたように、ジークントの立場はかなり微妙だった。
伯爵家の嫡男であり、実姉は国の重鎮であり側妃。
これだけ聞けば、その立場は国でも上位に食い込みそうなものだが、実際はそうではない。
彼ら姉弟を養子にしたカーリオン伯爵家は、ミナセル公爵家の遠縁であるものの、実際は辺境に領地を持つ小貴族でしかない。
更に、現在リーナが第四側妃となり、かつ、将来的に国の運営に大きく関わるようになるとはいえ、元奴隷であった事実は決して消えない。
辺境の小貴族の跡取りであり、国王陛下を身体を使って誑かした元奴隷の側妃の弟。そう言って彼を侮辱する者は後を断たないのだ。
しかし、彼が国王であるユイシークと親しく、兄弟のように接しているのも事実であり、彼と友誼を結ぼうとする者は決して少なくはない。
そんなジークントに、気楽に付き合える対等な友人などいるはずがなく。
現在、そのような立場のジークントにとって、同じ側妃の姉を持ち、カーリオン家と同様に辺境の小貴族の出身であるジガルとは、きっと対等に付き合える初めての存在になると思われた。
そして、それはジガルも同様。
ジガルもやはり、貴族の友人などいないも同然であったのだ。
その理由は王国貴族の中でも底辺に位置するアマロー家の人間であり、また、これまであまり中央の貴族社会に顔を出していなかったことが上げられる。
そんなジガルにとって、目の前のジークントという自分とよく似た立場の少年は、とても親しみを覚える相手であった。
「今回初めて王都に出てきたような田舎者だけどな。そんな俺で良かったら、こちらこそよろしく」
改めて互いに右手を握り合い、互いの存在を認め合った時。
そこに嵐がやって来た。
「そうかそうか。おまえはあいつの弟か。では、俺の事は今後『シークの兄貴』と呼べ」
突然かけられた声に、ジークントとジガルが振り向いた先。
そこには実に身なりのいい、明るい茶髪に黒い瞳の青年がいた。
なぜかその青年が、悪戯小僧のようなにやにやとした笑みを浮かべているのが、ジガルにはとても気になったが。
「あれ? 義兄さん? 今は執務中じゃなかった? どうしてこんな所に?」
「いいや、まだ休憩中だぞ。その休憩中に、ちょっとアミィさんのところに用事があってな。今はその帰りってわけだ。それにほら、よく言うだろ? 『休憩は、自分が終わったと思うまでが休憩です』と」
「言わないよ、そんな事……」
呆れたように天を仰ぎながら溜め息を吐くジークント。
そんなジークントに顔を寄せ、ジガルはこっそりと彼に尋ねる。
「な、なあ、ジークント。こいつ誰? 君は『にいさん』って呼んでたけど、君の兄上か? でも、だったらどうして俺に『兄貴と呼べ』なんて言うんだ?」
真顔でそんな事を聞いてくるジガルに、ジークントは苦笑しながら、目の前の青年について説明する。
「この人はその……君や僕の姉さんの夫というべき立場の人だよ」
側妃である自分やジークントの姉の夫。それが意味するものを、ジガルは瞬時に理解した。
「ま、ま……さか……こくおう……へい、か……?」
「そう。ユイシーク・アーザミルド・カノルドス国王陛下。君や僕にとって『義兄』に当たる人さ」
目の前の人物の正体を聞き、慌ててその場に跪こうとしたジガルを、当のユイシークが煩わしそうに止めた。
「よせよせ。言っただろ? 今は休憩中だって。つまり、今の俺は『国王』じゃない。ただのおまえの『義兄』さ」
その言葉にぽかんとした表情を晒すジガル。
だが、彼の傍にいたジークントは確かに見た。
最初こそぽかんとしたジガルの表情だったが、やがてそこに別のものが浮かび上がるのを。
空白の表情の代わりに浮かぶもの。それは明かに憧憬だった。
どうやらジガルは、国王という立場に捕らわれないユイシークにただならぬ何かを感じたらしい。
その証拠に、今彼がユイシークを見る眼には、きらきらとしたものがはっきりと浮かんでいた。
それを見たジークントは、はあと溜め息を零しながらぼそっと呟く。
「……勝手にジガルにそんな事を吹き込んで……後でミフィ義姉さんに怒られてもしらないからね?」
と。
『辺境令嬢』更新しました。
今回は次回への布石といったところ。次回、ユイシークとアマロー家の面々が顔を合わせます。
とはいえ、今回一人は対面してしまったわけですが。
あと、そろそろ水面下で暗躍する連中の動きも演出していかないといけないかな、と。今回、ちらっとその一環を含んでみましたが。
そろそろ、完結へと向かうルートへ差しかかろうかとしています。まだまだいつ完結するのかは未定ですが、今後もよろしくお願いします。
※39話のサブタイトル変更しました。変わったのはサブタイトルだけで、内容は変わっておりません。