06-英雄の噂
ミフィシーリアがユイシークに、改めて正妃になれと言われた夜が明けた翌朝。
もうすっかりお馴染みとなってしまったユイシークと一緒の朝食。
その朝食が終わって食後のお茶を飲みつつ、いつもならそろそろユイシークが政務へと赴こうかという頃。
だが今日に限ってユイシークは、どういうわけか席を立とうとはしなかった。
「どうかされたのですか、シーク? いつもなら、そろそろ政務へ赴く頃合いですが?」
その事を不思議に思ったミフィシーリアがそう尋ねても、ユイシークはあーとかうーとか言うばかりで、一向に政務へ赴く気配を見せない。
「本当にどうされたのですか? もしやどこか体調がよろしくないとか?」
「いや、そういうわけじゃないくてだな……その、なんだ……」
何やら言いにくそうに視線を彷徨わせていたユイシークだが、ようやく腹が決まったのか、改めてミフィシーリアに向き直るとその口を開いた。
「どうしても、正妃になるのは嫌か?」
「い、嫌というか……そもそも、私に正妃が務まるとは思えません。それに……」
ミフィシーリアが心配するのは、実家であるアマロー男爵家の事であった。
辺境の下級貴族でしかないアマロー家。もし、ミフィシーリアが正妃になろうものなら、当然アマロー家も中央の政治や権力争いに引っ張り込まれる事になるだろう。
無論、父であるグゥドン・アマローは決して無能ではないとミフィシーリアも理解している。
だがそれでも、実家の家族には中央のいざこざとは関わらず、静かに穏やかに過ごして欲しいというのがミフィシーリアは願いであった。
だからミフィシーリアは、それらの事情や思惑をユイシークに正直に語った。
「……なるほど。おまえは自分よりも、実家の安寧を優先したいわけだな」
「…………はい」
「それって、つまり────」
何か言おうとして急に止めたユイシークと、そんな彼を首を傾げながら疑問顔で眺めるミフィシーリア。
「どうかなさいましたか? 何か言いかけたようですが……」
「い、いや、そのな? つまり、おまえが正妃になるのを躊躇するのは、自分がその器だと思えない事と、実家の事が心配だから──だな?」
「は、はい」
「じゃ、じゃあ────」
再び何か言いかけて止めたユイシーク。なぜか彼の顔は若干だが朱に染まっている。
「そ、その、い、一度、おまえの家族とは直接会って話がしてみたいと思ってな」
「私の家族と──ですか?」
自分の家族と会って、一体何を話すというのだろうか?
そう思い、ミフィシーリアはユイシークへと視線を向けて────そして後悔した。
見なければ良かった。心底、ミフィシーリアはそう思った。
なぜなら。
ユイシークは浮かべていたのだ。いつもの悪戯小僧のようなあの表情を。
「ああ。前から一度やってみたいと思っていた事もあるしな」
先ほどまでのどこか照れたような態度はすっかりとなりを潜め、にやりと笑うユイシークを見てミフィシーリアはふぅと溜め息を一つ吐く。
ああ、うちの家族にあまり過激な事はしないで欲しい。うちの家族は「国王」としての彼しか知らないのだから。
半ば諦めつつも、そう願わずにはいられないミフィシーリア。
だから。
だから、結局彼女は聞かずに終わってしまった。
──おまえは、俺の隣に並び立つのが嫌なわけではないんだよな?
という、先程ユイシークが口にしようとして取り止めたこの問いかけを。
それから一週間ほどの時が流れ。
その間、特にこれといった問題もなく、平穏な日々が続いた。
敢えて何かをあげるとするなら、例の下級兵士が二度ほどメリアに花を捧げに現れたぐらいか。
その下級兵士は最初の時同様、真っ赤になりながらメリアに花を押しつけると、何も言わずに走り去ったという。
この話をメリアから聞いたミフィシーリアは、どうやらそれほど悪い男性ではなく、純朴そうな人だと推測した。
そしてこの日。ミフィシーリアが正式に側妃となり約一ヶ月という時間が経過し、季節は「火の節」から「地の節」、即ち夏から秋へと移り変わろうとしている。
北方に位置するカノルドスは、夏が短く冬が長い。その短い夏も終わりかけている最近は、真昼の太陽の光も随分と和らいできた。
その柔らかな陽光溢れる後宮のテラスの一つで、三人の側妃が優雅にお茶を楽しんでいる。
ここに集まっているのはアーシアとサリナ、そしてミフィシーリアである。
この場にマイリーとリーナの姿がないのは、いつものように二人が現在勤務中であるからだ。
三人の側妃の他には、側妃たちのお茶の給仕係として数人の侍女と、護衛の後宮騎士が数人。
側妃が三人も集まっているにしては、随分と緩い警備だとミフィシーリアには感じられたが、正式に側妃となった時にマイリーの異能を用いた警備体制の事を聞かされた。
どうりでここ側妃たちは僅かな共の者か、もしくは単独で気軽に行動しているわけだ、とその時ミフィシーリアは納得したものである。
「ねえねえ、二人ともあの噂は聞いた? 例の『ガルダックの英雄』の噂」
お茶とお菓子を一通り楽しんだところで、好奇心に顔を輝かせたアーシアがそんな事を言い出した。
「ええ。その話なら侍女たちから聞いていますわ。何でも、南方のガルダックの町で起きた大きな火災の原因となった魔獣──巨大な飛竜をたった一人で打ち倒した年若い男性だそうですわね」
「あれぇ? ボクの聞いた話だと、英雄は女の人で、癒しの力を秘めた唄を唄って火災の怪我人を癒して回ったって噂だったけど?」
「……随分、お二人の聞いた噂に差がありますね」
アーシアとサリナの話は随分とかけ離れている。
それでも「ガルダックという町で起きた火災」という共通点がある以上、全然別の噂というわけでもなさそうだ。
大体にして、噂というものは広がるにつれて大げさになっていくものだ。きっとこの噂も大本は同じだが、広がっていく過程で二人が聞いたような差が生じたのだろう。
ミフィシーリアがそう考えていると、アーシアがその彼女に尋ねてきた。
「ミフィは何か聞いていない?」
「残念ながら私は何も……ところで、そのガルダックという町は、もしかしてジェイク様の領地にある町の事でしょうか?」
「うん、そうだよ。ガルダックはジェイクくんの領地の中の中心的な町なんだ。よく知っていたね?」
「いえ、少し前にシークから、ジェイク様の領地で大きな火災があったと聞かされていたので。それでジェイク様が王都を留守にしているとシークが言っていました」
「そのジェイクならついさっき帰って来たわよ」
三人の会話に突如入り込む第四の声。
ミフィシーリアたちが一斉に声の方へと振り向けば、そこには彼女たちが良く見知った女性の姿があった。
「あ、リィ! もう仕事は終わったの?」
「残念ながら、まだ終わっていないわ。今はちょっとした休憩ってところ。あ、悪いけど私にもお茶もらえる?」
その要請に控えていた侍女たちが動き出し、あっという間にお茶が準備されて空いている席に腰を下ろしたリーナの前に差し出される。
そのお茶を一口含み、ゆっくりとその味と香りを楽しむと、リーナはそのお茶を嚥下して話を続ける。
「ジェイクは帰って来るなり、凄くわくわくとした顔つきでシークの執務室に駆け込んで行ったわ。あれはきっと何か楽しそうな事を見つけたのね」
と、リーナは溜め息交じりにそう告げた。
ジェイクが何か楽しそうなものを見つければ、当然それにユイシークが便乗して暴走する。
その暴走したユイシークを時に殴りつけながらも諌めるのはリーナなのだ。彼女が溜め息を吐きたくなるのも無理はない。
「うーん。おそらく、ジェイクくんは噂の『ガルダックの英雄』に関して詳しい情報を手に入れたんじゃないかな? で、それをシィくんに報告しに行った」
「おそらく、そんなところでしょうね」
「ですが、どのような人物なのでしょう? その『ガルダックの英雄』とは」
飛竜を打ち倒したのか、多くの怪我人を癒したのか。
それどころか、男なのか女なのかさえ定かではないその人物。
「あら、その『ガルダックの英雄』なら、近々わたくしたちの前に姿を見せるのではなくて?」
「え? なぜそう思うのですか、サリィ?」
そう尋ねたミフィシーリアに、サリナはどこか得意そうな顔で答える。
その時の彼女の顔が、どことなくユイシークが悪戯を思いついた時の顔に似ているような気がして、ミフィシーリアはこんなところにも彼の影響は及んでいるのね、となんとも場違いな感想を抱いた。
「その英雄さんがどのような方かは存じませんが、ジェイクさんが興味を示すような方ですもの。きっとシークさんはその方を仲間にしようとするに決まっていますわ」
「そうだね。シィくんは有能な人とか、珍しい能力を持った人を仲間に引き入れたがるもんね」
「あいつの人材収集はもう異常の領域よね。それでいて『使える奴はどんな奴でも使う』とか偉そうに言うし」
アーシアたちの話を聞いていたミフィシーリアは、ユイシークには確かにそんなところがあると改めて思い至る。
彼の周りには確かに有能な人材が数多い。それは王宮におけるユイシークの周りだけではなく、こうして後宮に集まっている側妃にも当てはまった。
アーシアとサリナ、マイリーは異能という才能を有しているし、リーナの事務処理能力は傑出している。
後宮を纏める立場にいるアミリシアにしても、その影響力は後宮だけに留まらない。
そんなユイシークが仲間に引き入れたくなるような『ガルダックの英雄』とは、一体どのような人物なのであろうか。
あまり他人に興味を示さないミフィシーリアも、ちょっとだけその英雄とやらに関心が沸く。
だが、この時ミフィシーリアは知らなかった。
その噂の英雄の一人が、他ならぬ自分と血縁のある者だという事を。
幼い頃に数度だけ顔を合わせたことがある、父親方の再従姉妹にあたる女性が、『ガルダックの英雄』と呼ばれている者の一人である事を。
そしてその事を、そう遠くない将来に直接彼女らと顔を合わせた時、ミフィシーリアは初めて知るのだった。
『辺境令嬢』更新しました。
今回はちょっとした中休み的なお話。そのためちょっぴり短め。
そして当『辺境令嬢』は、支援してくださる皆様のおかげをもちまして、累計PVが50万を超え、累計ユニークも8万に届かんとしています。
これらは全て当作を読んでくださる皆様のおかげと心得ております。本当にありがとうございます。
今後も『辺境令嬢』をよろしくお願いします。




