05-力を持たない自分
メリアはいつものようにお茶とお菓子を載せたカートを押しながら、厨房から第六の間へ帰る途中だった。
国王や側妃、そして公爵夫人らが集ういつもの昼食の時、ミフィシーリアが公爵夫人であるアミリシアから、午前中からお菓子を作っており、昼食後しばらくしたらそれが焼き上がるので厨房まで取りに来るように言われたそうなのだ。
アミリシアの焼くお菓子の美味しさはメリアもよく知っている。もちろん、ミフィシーリアも彼女の焼くお菓子が大好きで、こうしてメリアが厨房まで取りに行くことになったのである。
メリアたち使用人にも親しく振る舞うミフィシーリアは、きっといつものように自分たちにもそのお菓子を分けてくれるだろう。そう考えると自然とメリアの心も浮き立つというもの。
心が浮き立てば当然足取りも浮き立つ。弾むような足取りで洋々とカートを押していくメリア。
そしてそれは、彼女が後宮と王城を繋ぐ回廊に差しかかった時の事であった。
カノルドスの王城には、後宮の住人の食事を賄う第一厨房と、王城に務める役人や兵士たちのための第二厨房がある。
アミリシアが主として君臨しているのは第一厨房で、当然いつもなら彼女がお菓子を焼く時は第一厨房を使う。
だが、今日は少々勝手が違った。
最初こそアミリシアも第一厨房でお菓子を作っていたのだが、急に国王であるユイシークと侍従長であるリーナの連名で貯蔵してある食料を確かめろという通達が下り、厨房内も色々と慌ただしくなってしまった。
そこでアミリシアはその作業の邪魔にならないよう、第二厨房へとお菓子作りの舞台を途中で移したのだ。
当然そうなると、メリアも今日は後宮内にある第一厨房ではなく、王城内にある第二厨房まで出向く事になる。
第二厨房は第一厨房に比べると確かに遠い。だが、アミリシアの焼いたお菓子が目の前にぶら下がっているメリアにとって、その程度の距離は全く苦にはならない。
事実、うきうきとした表情を隠そうともしないメリア。
そんな彼女の前に、何かが不意に現れた。
「きゃ……っ!!」
メリアは小さな悲鳴と共にびくりと身体を強張らせる。
その時、無意識のうちに彼女の手はスカートの奥に忍ばせてある「粉砕くん」に伸びていたが、果たしてそれは侍女として如何なものかという疑問はこの際置いておいて。
思わず閉じた目を開けば、目の前には一人の男性の姿があった。
巨躯という程大きくはないが、それでも十分大柄でがっしりした身体。厳めしいと表現するしかない恐ろしげな顔つきに短く刈り込んだ髪。
身につけているのはこの国の軍に所属する、下級兵士の革製の軽鎧。
そして体つき同様ごつく大きな手には、なぜか不釣り合いな小さく白い一輪の花が。
男はその花をずいっとメリアへと差し出すと、顔を真っ赤に染めてどもりながらも口を開く。
「お、俺……じゃ、じゃない、じ、自分はこの国のぐ、軍に所属する、り、りりりり、リカルドってぇモンだ……じゃない、者、です」
子供が見たら思わず泣き出しそうな強面を真っ赤にし、手の白い花を差し出したままリガルドと名乗った男は視線をあちこちに彷徨わせながらも更に続けた。
「ず、すっと前から……は、ははは、初めてあなたを見かけた時から、あ、あなたの事が……そ、その……」
だが、男の頑張りもどうやらそこまで。男の中で何かが一杯いっぱいになり、手にした花を強引にメリアに押しつけると、そのまま背中を見せて逃げるように走り去ってしまった。
その場に残されたメリアはしばし呆然としていたが、どうやら自分があの男に告白されたようだと悟ると、男同様猛然とした勢いでカートを押し、これまた先程の男同様に顔を真っ赤にさせて第六の間を目指して駆け出したのだった。
「まあ、そんな事があったの?」
メリアから事の次第を聞き出したミフィシーリアは、とても嬉しそうに破顔した。
「ど、どうしましょう、お嬢様っ!? こ、これってやっぱり、あ、あれ……ですよね?」
「うん! あれよ! 間違いないわ! だってコトリ、こーゆーの本で読んだ事あるもの!」
なぜか誰よりもテンションの上がっているコトリが、ぴょんぴょんと飛び跳ねながらはしゃぐ。
そんなコトリを微笑ましく眺めながら、ミフィシーリアが考えていたのは、メリアに花を差し出したという男性の事だった。
花そのものは決して特別なものではない。その辺の道端で咲いているのをよく見かける野草の類だ。
その辺りから、メリアに花を渡したという男性は、おそらくそんなに身分の高い者ではなく、軍に身を置く庶民だろうと推測される。
その男性が下級兵士用の鎧を身に着けていたとメリアも言っていので、その推測はまず間違いないだろう。
無論ミフィシーリアも、その相手が庶民だからメリアと釣り合わないなどと言うつもりはなく、今彼女が問題視しているのは、相手が下級兵士ではその男性がどのような人物なのか容易に判明しないと思われる事であった。
これがもし、相手が近衛兵辺りであれば、ユイシークやジェイクに尋ねれば、その男性がどのような人物のなのか容易に判っただろう。
だが、相手が下級兵士ではそうはいくまい。例え軍全体を統括するカークライト侯爵でも、下級兵士一人ひとりの氏素性を詳しく覚えているとは到底思えない。
酒癖が悪いとか、変な遊び癖があるような人物ではなく、真面目でメリアだけを愛するような男性なら言うことないのだけれど。
いまだにはしゃぎ続けるコトリを眺めながら、やはり無理を承知でユイシークにお願いしてみようと考えるミフィシーリアであった。
その日の夜。
今日も第六の間を訪れたユイシーク。
一通りの情事を済ませ、今ミフィシーリアは意外と逞しいユイシークの腕を枕にして、昼間のメリアの一件を彼に聞かせていた。
「下級兵士で大柄の強面、それで名前がリカルドねぇ。それだけじゃあなぁ」
「心当たりはありませんか?」
「……これが近衛の連中なら、『解放戦争』の時に一緒に戦った奴も多いから見知ってる奴の方が多いが、下級兵士となるとな。一口に下級兵士というが、何人いると思っているんだ?」
ユイシークはミフィシーリアが枕にしている方の腕の肘を曲げ、掌で彼女の髪の感触を楽しみながらそう告げた。
「やはり無理ですか……あ、でもジェイク様ならどうでしょう? もしかすると心当たりがあるかも」
「いや、あいつも俺と似たようなものだろ。それに今、あいつはこの街にいないから聞くに聞けないぞ」
「は? ジェイク様は王都にいないのですか? 一体どこへ? もしかして、以前にアマロー領に来た時のように何かの密命を……?」
「そうじゃない。あいつの領地で大がかりな火災があったようでな」
「えっ!?」
「さすがにそんな状況で、領主として領地を放っておくわけにはいかないだろ? だからあいつは領地に戻ったんだ」
大がかりな火災と聞き、驚いたミフィシーリアが半身を起こしてユイシークを見る。
その際、それなりにめりはりのある彼女の身体のラインがぼんやりと寝室の僅かな灯りに浮かび、ユイシークの目を楽しませる。だが、彼は一瞬だけはにやけた表情を浮かべるも、なぜかすぐに憮然とした顔をした。
そしてそれに気づかないミフィシーリアは、そのままの姿勢で沈痛な面持ちでじっと何かを考え込む。
「何を考えている?」
「い、いえ、大規模な火災となると、きっと怪我人や焼け出された人が……」
「ああ、たくさん出ただろうな」
「そ、そんな! それが判っていながらシークはどうして何も──っ!?」
「俺に現地に行けとでも言いたいのか?」
ユイシークも身体をベッドの上に起こし、厳しい視線と口調でミフィシーリアと向き合う。
「確かに俺が現地に行き、「治癒」の異能を使えば多くの怪我人が救えるだろう。では、その間の政務はどうする? 誰が国王の政務を代行する?」
確かに彼の言い分は「王」として正しい。それが判らぬようなミフィシーリアではなかった。
「あいつだけを特別扱いはできない。俺は王だからな。仮に俺があいつの領地まで出かけて行って、領民を救ったとしよう。だが、それをやってしまったら終りだ。おかしな前例を作るわけにはいかないんだ」
「それは……?」
「言っただろ? あいつだけを特別扱いできないと。もし、俺があいつの領民を救ったら、次にどこかで災害が出た時、俺は同じように現地へ行って領民を救わなくてはならなくなる。特別扱いしておかしな前例は作れないとはそういう意味だ」
今度の話もまた、王としては正しい態度だとミフィシーリアは理解する。
何かしらの災害や事件がある度、国王が出張ってしまっては当然政務が滞る。それは王として決してしてはならない事なのだ。
局地的なものの見方をせず、国全体を常に見る。それが王というものだから。
ユイシークは厳しい表情を緩めると、沈痛な顔のままのミフィシーリアを元気づけるかのように、彼女の頭にぽんと掌を乗せた。
「まあ、安心しろ。ジェイクには薬や食料を多めに持たせた。ジークも一緒に行ったからそれなりの怪我人は救えるだろう」
もっとも、それでも全ての怪我人を救うことはできないだろうがな、とユイシークは心の中だけで付け加えた。
「そ、そうですか……ジークさんも一緒に……」
ユイシークが薬や食料を用意していたと知り、少しばかり表情の緩むミフィシーリア。更に見習いとはいえ医者には違いないジークントも同行していると聞き、彼女は更に安堵した。
「私にも何かできることはありますでしょうか?」
「おまえにか?」
「はい」
ユイシークは一度だけ彼女を見詰め直し、それからすっぱりと断言した。
「ない」
「えっ!?」
「所詮は側妃に過ぎないおまえにできる事など何もない。もしもおまえの実家が裕福であれば、そちらから援助する事ができるだろうが、そんな事は無理だろう?」
「は、はい……」
「おまえが自由に動かせる人間なんて、メリアを始めとした四人の使用人だけだ。そんなおまえが何をすると言うんだ? それこそ、使用人の一人に想いを寄せる兵士一人探し出せないおまえが、だ」
鋭いユイシークの言葉、そして自分に何の力もないという現実がミフィシーリアの胸に深々と刺さる。
ここでもやはり、ユイシークの言葉は正しかった。
王城にいるであろうメリアに花を捧げた兵士一人を探す事もできない自分が、どうやって遠く離れたジェイクの領地にいる彼の領民たちを救うというのか。
思い悩むミフィシーリアを、ユイシークは再び厳しい視線で見詰める。
そしてそのまま、半身を起こしていた彼女をふわりと抱き寄せて耳元で囁く。
「正妃に……王妃になれ、ミフィ」
「……え?」
「正妃になれば、それなりの権力を得る事ができる。なにも権力を得るのは悪い事ばかりじゃない。権力を得れば、救えない者を救う事だってできるようになる。要は手にした力をどう使うかだ。おまえならきっと間違った使い方をしないだろう。そうやって他者の領民の苦しみに心を痛める事ができるおまえなら、な」
「シーク……」
そしてユイシークは、抱き寄せたミフィシーリアの身体を少しだけ離すと、厳しい表情を再び緩めて笑みを浮かべる。
────いつもの、悪戯小僧のようなにやりとした笑みを。
「ところで、な」
「は、はあ……」
もうミフィシーリアは悪い予感しかしない。彼がこの笑みを浮かべた時、それは何らかの悪さをする時と決まっているからだ。
「こうして二人でいる時に、他の男の名前を出すんじゃねえ」
「は、はあっ!?」
「女だってこういう時に男が他の女の名前を口にしたらおもしろくないだろ? 男だって同じなんだぜ?」
どうやら彼は、先程ミフィシーリアがジェイクの名前を出したのが気に入らなかったらしい。
「というわけで、おまえ、お仕置きな?」
「ちょ、ちょっと、シー……むぅんっ!?」
ミフィシーリアの抗議の言葉は途中で遮られた。それもユイシーク自身の口で彼女の口を塞ぐことによって。
そしてユイシークは、そのままミフィシーリアを再びベッドへちょっとだけ乱暴に押し倒したのだった。
なんとか『辺境令嬢』更新。
これで昨日の『魔獣使い』に続いて四日連続。すげえぜ、自分!
……これを書いている現在、ちょっと熱っぽくてテンションがおかしいです、自分。
最近、風邪引いて熱がでるとすぐに体温が38℃超えます。
前なんてとうとう39℃に達し、こりゃインフルエンザか? と病院へ行ったら結局ただの風邪だったという。
そういえば自分、生まれてきてこの方、インフルエンザに罹患した記憶がありません(自分で気づいてないだけでインフルエンザだった可能性はありますが)。
では、次回もよろしくお願いします。