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辺境令嬢輿入物語  作者: ムク文鳥
争乱編
32/74

01-その夜

 窓一つない石造りの部屋の中にその男はいた。

 部屋の中には何もない。机やベッドどころか、毛布やむしろといった敷物の類さえない。

 あるとすれば部屋の角にある小さな穴のみ。その穴から漂ってくる悪臭から、そこが排泄のためのものだと知れる。

 男の両手両足は拘束され、口には猿轡。手足の拘束はもちろん逃走の防止だが、口の猿轡は自害の防止のためだった。

 彼は昨夜、後宮に忍び込もうとした一味の一人だった。

 彼と同じように捕らえられた者は他にも数人いて、それぞれ別の部屋に一人ずつ閉じ込められている。

 男は当に覚悟を決めていた。

 彼らが命じられたのは、後宮に住む側妃である一人の少女を生きたまま捕らえる事。

 それに失敗した以上、雇い主の元に戻ってもただでは済むまい。

 何よりこうして捕らえられた以上、今後は拷問なりを受けた後に処刑されるだけだろう。

 男がそんな自分の末路を考えていると、部屋と外を隔てる小さな扉が突然開いた。


「よ、邪魔するぞ?」


 あまりにも軽い調子で部屋に入って来たのは一人の若い男だった。

 いや、一人ではない。

 男の後ろから、もう一人入ってきた者がいる。

 そしてそれは女だった。

 今、自分が閉じ込められている簡素な部屋には、余りにも不似合いな二人の男女。

 男は上下とも白で統一された礼服を着ており、背にはやはり純白のマント。

 腰に細剣レイピアを佩いているものの、宝石や装飾で過剰に飾りたてられたそれは、明かに儀礼用で実用には程遠い。

 そして女の方もまた、身体にぴったりと張り付く扇情的な黄色のドレスを纏っていた。

 まるで夜会にでも出かける貴族の若夫婦のような男女。今自分が閉じ込められている部屋には余りにも不釣り合いな二人。

 他に護衛の兵士がいるような様子もなく、男は目の前の二人に表にこそ出さないものの内心首を傾げざるを得なかった。


「なあ? 悪いようにはしねえから知ってる事を教えちゃくれないか?」


 手足を拘束され、転がされた男の頭の近くに、白い男は無造作に跪き男の目を覗き込む。

 とはいえ、ここで知っている事を喋るわけにはいかない。

 もしここで知っている事をこの白い男に教えてこの場は助かったとしても、すぐに雇い主は自分を殺すための暗殺者を差し向けるだろう。

 だから男は視線を逸らせる。それが今の男にできる精一杯の抵抗だったからだ。


「ふーん……ま、いいさ。別に喋らなくたって一向に構わねえよ? だが、気が変わったらいつでも言ってくれ。決して悪いようにはしねえからさ?」


 にやりと笑う白い男。背後にいる女もまた、男同様に勝ち誇った笑みを浮かべていた。


「まずは……そうだな、おまえの名前は?」

「………」


 もちろん、そんな事に答える男ではない。だが、その直後に男の名前は告げられたのだ。

 白い男の背後にいる、黄色いドレスの女の口から。


「サンズ……サンズ・ガストロ……それがあなたのお名前ですわね?」


 驚きのあまり、目を見開いて女を見詰める男──サンズ。


「じゃあ、次だ。おまえに今回の仕事を依頼したのは誰だ?」

「……」


 男は何も言わない。そもそも猿轡が噛まされているので言いたくても何も言えない。

 だが、黄色いドレスの女は先程同様、彼が心の中で思い浮かべたものを正確に言い当てる。


「リガルという名前の二十代半ばの男……元魔獣狩り(ハンター)……それ以外はあなたもご存じないのですね?」


 サンズの身体は知らずがたがたと震え出す。

 彼は恐ろしかった。まるで自分の心を見透かすような、目の前の女が得体の知れない魔女のように思えた。

 質問された事に黙秘で答えるのは容易い。

 特に、サンズたちのような裏の仕事を請け負う輩の中には、尋問や拷問に対する耐性を身につける者もいる程だ。

 だが。

 質問された事を、考えさえもしない事は決して簡単ではない。

 例え口にしなくても、質問されれば頭の中ではその答えを思い浮かべてしまうものだからだ。

 そして頭に思い浮かべてしまえば。

 彼女はそれを読み取る事ができるのだ。

 「感応」の異能を持つサリナにとって、沈黙は決して秘密とは成り得ない。


「どうだ? 黙秘したって無駄だって判ったか?」


 立ち上がった男が冷たく見下ろしながら言い放つ。


「さっきも言ったが悪いようにはしねえ。ここは一つ、俺たちに協力しちゃくれねえか? もし協力してくれたら……そうだな、俺の部下にしてやろう」


 そう言い放つ男を、サンズは驚きを浮かべた顔で見上げる。

 普通、自分のような得体の知れない者を、誰が好き好んで部下にしたがるだろう。

 実際、これまでも金で彼を雇う者はいても、部下にしようとした者など皆無だった。


「俺は役に立つ奴ならどんな奴でも使う主義でな? ああ、別に俺に忠誠を誓えなんて言わねえよ。ただ、役に立てばそれでいい。役にさえ立てば俸給は弾むぞ?」


 と、白い男──ユイシークは悪戯小僧のような笑みを浮かべた。




 お披露目の夜会が終わり、第六の間へと帰って来たミフィシーリア。

 だが、今の彼女の頬は赤く染まり、表情もほわんとして心ここにあらずといった風であった。


「あ、あの……お嬢様? 一体どうなさったのですか?」

「えっ!? ど、どうって……私、いつも通りでしょ?」

「何言っているの? 全然いつも通りじゃないわよ」

「うん。ボクもそう思うな」


 メリアの問いに答えたミフィシーリアに遠慮なくも鋭いつっこみを入れたのは、心がどこかに行ってしまいがちなミフィシーリアを心配して第六の間まで送ってくれたアーシアとリーナの二人だった。

 彼女たちは今、メリアに淹れて貰ったお茶を飲みながら、どことなく冷めた視線でミフィシーリアを眺めている。

 夜会から戻ったミフィシーリアの今の様子を見たメリアは、慣れない酒を飲み過ぎたのかと考えた。

 しかし、ミフィシーリアの吐く息から酒の匂いは感じられない。という事は酒精に酔っているわけではないのだろう。

 となれば、一体彼女の身に何が起きたのか。

 ミフィシーリアがこうなった原因を知っていそうな人たちに、メリアは物問いたげな視線を向ける。


「大丈夫よ。ミフィはちょっと舞い上がっているだけだから」


 どこか投げやりな口調で、それでいてまるで姉が妹をからかうような悪戯っぽい笑みを浮かべてリーナは告げた。

 そのリーナの言葉に、彼女の対面に腰を下ろしているアーシアもうんうんと頷く。


「わ、私、別に舞い上がってなどは……」

「じゃあ聞くけど、あなた、あの後に行われたダンスで誰と踊ったか覚えている?」

「え? だ、ダンス……ですか? え、えっと、その、シークと踊った……のでは……?」

「ほらみなさい。全然覚えていないじゃない」


 第五側妃としてミフィシーリアが正式に紹介された後、執り行われたのはダンスだった。

 もちろん、ミフィシーリアの最初のパートナーを務めたのはユイシークである。

 だが、その後は幾人かの男性からミフィシーリアはダンスを誘われ、その内の何人かとのダンスに応じたのだ。

 しかし、ミフィシーリア本人の記憶から、その事実は綺麗さっぱりと抜け落ちていた。

 彼女がこうなった原因は、ユイシークに突然唇を奪われた事である。

 公衆の面前でのあまりの突然なでき事に、羞恥と混乱と少しばかりの嬉しさがごちゃごちゃになり、ミフィシーリアの記憶はあやふやなものになってしまったのだ。


「ともかく、一晩寝れば元に戻るでしょ。心配いらないわ」

「うーん……リィはそう言うけど、ボクは心配だな」


 口元に指を当て、宙を見詰めるようにして呟くアーシア。

 そんなアーシアに、リーナは何が心配なのかを尋ねた。


「だって、ね? 今晩、きっとここに来るよ?」

「え?」

「だからシィくんが。ボク、今晩きっとこの部屋にシィくんが来ると思うんだ」

「確かにね……あの鬼畜が手が出せるようになったミフィを放っておくわけがないわね」


 言われてみればその通りだろうとリーナも思う。

 今更ながら考えてみれば、最近ユイシークが自分たちを抱くときに妙に激しかったのは、ミフィシーリアに手が出せない反動だったのではないかと思われる。

 しかし、と同時にリーナは考える。

 彼女は知っている。今、そのユイシークがサリナを連れて何をしているのかを。

 アーシアやミフィシーリアには話していないが、昨夜不審者がこの後宮に忍び込もうとして、その殆どが生きたまま捕らえられたという報告をリーナは受けていた。

 今頃、その不審者たちの尋問をユイシークとサリナは執り行っている筈なのだ。

 その尋問が手間取れば、今晩ユイシークはここに現れる事はないだろう。だが、そんな事はないとリーナは確信している。

 なんといっても、こちらにはサリナがいる。

 彼女の「感応」の異能の前では、どんなに沈黙を守ったとしても意味がないのだから。

 となれば、やはりユイシークは今晩ここを訪れる事になるだろう。


「メリア」

「はい、なんでございましょうか、リーナ様?」

「シークがいつこの部屋を訪れてもいいように、ミフィの身支度と部屋の準備をしておいて。もし一人で大変だったら、誰か人を寄越すから遠慮なく言いなさいね」

「は……は、はい! 承知致しました!」


 そう答えたメリアは、そのままばたばたと寝室に駆け込んだ。

 そして残されたアーシアとリーナは、一度だけ顔を見合わせると、残されたお茶を一気に飲み干す。


「そろそろ私たちはお暇しましょうか」

「そうだね。ボクも楽な服に着替えたいしね」


 彼女たちはいまだに、夜会の時のドレス姿のままだった。

 椅子から立ち上がり、リーナはミフィシーリアの様子をもう一度だけ見やる。

 ミフィシーリアは先程ユイシークに唇を奪われた事を思い出してでもいるのか、右手の指先をそっと自分の唇に当てながら、ぼーっと頬上気させて心ここにあらずといった感じだった。


「でも、本当に大丈夫かな? ミフィちゃん」

「さすがにシークにベッドに押し倒されれば嫌でも正気に戻るでしょ」

「もう……リィったら。表現が露骨過ぎだよ」


 だが、リーナの言葉は正鵠を射ていた。

 ミフィシーリアの心が再び帰って来た時、なぜか自分はベッドに仰向けに寝ていて、目の前にユイシークの顔があったのだから。



 『辺境令嬢』更新しました。


 随分と遅くなってしまって申し訳ありません。

 本当は先週の末に一度は完成していたのですが、更新する直前に急に書き直したくなって更新を取り止めてしまいました。結果、週を超してからの更新とあいなりました。


 さて、今回より新展開の「争乱編」に突入です。どれくらいの長さになかは不明ですが、物語全体としては既に折り返しを過ぎております。


 今後は完結に向けて頑張りますので、よろしくお願いします。

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