21-メリアとアミリシア
第五側妃──現時点では正確には側妃候補──であるミフィシーリアのたった一人の専属侍女、メリア。
彼女の毎日はとても多忙だ。
毎朝、朝の弱い主を無理矢理起こす事から始まり、起こした後は主の身支度を整える。その後はその主と、最近は一緒になる事の多い国王の朝食の給仕。
主たちの朝食が終わると次に自分の朝食を手早く摂り、それから彼女たちの居室である第六の間の掃除。
部屋の隅で掃除の邪魔にならないよう静かに本を読む主の様子を時々伺いながら、いつもの手順で部屋の中を綺麗にしていく。
もちろん、第六の間を尋ねて来る者への対応も彼女の大事な仕事である。
これまでこの第六の間を尋ねて来るのは国王か他の側妃たち、もしくはそんな彼らと親しい極一部の者たちぐらいだったが、最近ではミフィシーリアが新たな側妃となる事を知った貴族や有力商人たちまでもが、ご機嫌伺いにこの部屋を訪れるようになってきた。
彼らの目的は当然、将来ひょっとしたら正妃になるかもしれないミフィシーリアに対し、自分自身を印象づけて売り込む事だ。
そんな彼らに対し、親しくない者との接触をあまり得意としないミフィシーリアは、自分がまだ正式な側妃ではない事を大義名分にお引き取りを願っている。
だが近い将来、彼女が正式な側妃となれば、その大義名分は失われる事になる。
その時は、これまで以上の者がこの部屋を訪れる事になり、ミフィシーリアのたった一人の侍女であるメリアも彼らへの対応に振り回される事になるだろう。
そういえば、この第六の間にミフィシーリアが入った時、第四側妃にして宰相補兼侍従長でもあるリーナが、侍女が一人きりで大丈夫なのかと尋ねた事があったが、それはきっとこの情況を見越していたに違いない。
だが、それらは全て先の事。
それよりも今現在、彼女の頭を悩ませている問題があった。
メリアが頭を悩ませている問題。それは近く行われるミフィシーリアの側妃としてのお披露目の事である。
可愛い妹分にして敬愛する主であるミフィシーリアが、その際に身に着ける装飾品、化粧師、髪結い師、新調するドレスの針子など、様々な手配を行うのは侍女であるメリアの仕事なのである。
だが、辺境のアマロー領から出てきて間のない彼女には、この王都でそのような手配する伝手がないのだ。
もちろん、日常の日々を送るために必要なものは後宮に出入りする商人から買い求めているが、まさか側妃のお披露の目という晴れ舞台に日常と同じ物を使用するわけにもいかない。
化粧師や髪結い師にしても、普段ならメリアが直接ミフィシーリアに化粧を施したり髪を整えたりしているのだが、やはりせっかくの晴れ舞台なのだから専門家にお願いしたかった。
メリアに伝手がないとなると、考えられるのは誰かに頼ることなのだが、この後宮の中でメリアと親しい者はかなり限られていた。
後宮に入ってから今日まで、全ての仕事を一人でこなしてきたメリアは、他の側妃の侍女たちや使用人たちとの接点があまりなかったのだ。
そうなると頼れそうなのは──と考え、真っ先にメリアが思い浮かべたのは他ならぬ四人の側妃たち。だが。
──一介の侍女でしかない自分が、他の側妃様方に質の良い布や装飾品を取り扱っている商人、腕のいい化粧師や髪結い師などを紹介して下さい、なんてお願いできるわけないじゃない。
実際に頼めばミフィシーリアを妹のように可愛がっている風のある他の側妃たちの事、気安く紹介してくれる気もしなくはないが、やはり侍女という身分でしかない自分が側妃たちにそのような厚かましいお願いができる筈もない。
となると。
メリアが頼れそうな人物は残るところあと一人だけだった。
何とか時間をやりくりしてできた仕事の合間でその頼れそうな人物を訪ねようとすると、本来彼女がいると思われる場所とは違う場所でその人物と邂逅した。
それは厨房へと向かう途中の廊下。
本来なら厨房にいる筈の彼女が、なぜか廊下を掃除していたのだ。
「……こんなところで何しているんですか、アミリシアさん?」
「あら、メリアさん。何って、もちろんお掃除ですよ?」
メリアに声をかけられたアミリシアは、モップをかける腕を休める事なく応えた。
「──えっと……だから、どうしてアミリシアさんが廊下の掃除を?」
「それは、お掃除は私の仕事だからです」
にこやかな笑みでそう言うアミリシアに、メリアは内心で首を傾げる。
──アミリシアさんって、厨房の料理長でしょ? それがなぜ廊下の掃除を……?
若干混乱しているメリアと相変わらず微笑んでいるアミリシアに、そっと近づいてくる人物があった。
「アミリシア様。西側の廊下の掃除と窓拭きが完了しました。後はいかが致しましょう?」
その人物は二人に──より正確にはアミリシアに──一礼すると、きっちりとした口調でそう報告した。
驚いたメリアが改めてその人物に目を向けると、その人物は後宮で働く下働きが着るお仕着せを着ていた。
下働きはメリアたちのような側妃たちの世話をする侍女とは違い、後宮の中で掃除や洗濯といった雑用をする者たちの事であり、後宮内の身分的にも下働きは侍女よりも下という位置づけとなる。
「ご苦労様です、コラル。では、引き続きこちらの廊下もお願いします」
「畏まりました」
コラルと呼ばれた20歳前後の下働きの女性は、再びきっちりとした仕草で二人に頭を下げると他の下働きたちと共に、それまでアミリシアが手がけていた廊下の掃除を引き継ぐ。
もくもくとアミリシアに代わって掃除するコラルを始めとした下働きを目にして、メリアは不思議そうな顔をアミリシアへと向ける。
「いいんですか、アミリシアさん? ここの掃除を彼女たちにやらせてしまって」
「ええ、構いませんよ。コラルはきちんと仕事をする娘ですからね。それより、良ければお茶でもご一緒しませんか?」
「あ、はい、構いませんよ。それに私もアミリシアさんに相談したい事がありますし」
先程アミリシアは掃除が自分の仕事だと言った筈だ。
なのに、その仕事を他人に押し付けてしまってもいいのだろうか、とメリアは疑問だった。
それにそもそも、料理長である彼女がなぜ掃除をしていたのかという疑問だって残っている。
納得のいかない事は多々あるメリアだったが、それでも目下の問題についてアミリシアに相談してみる事にした。
「────と、いうわけなんですよ」
「あら、まあ、それは困りましたね」
厨房横の小食堂。ここはメリアたちのような侍女や下働きたちが食事をしたり、小休止したりする時に利用される場所であり、今も休憩中の侍女や下働きたちが思い思いにお茶を飲みながら身体を休めている。
そんな小食堂で、メリアはアミリシアに彼女が抱えている問題について相談していた。
「アミリシアさんって、王都での暮らしは長いんですか?」
「いえ、それ程でもありませんよ。私が王都で暮らすようになったのは、王国が新体制になってからですから二年ちょっとといったところですか」
「二年かぁ……長いような短いようなですねぇ。でもそれだと、お嬢様のお披露目に必要な物の手配に関して、伝手なんかありませんよねぇ……」
ぐったりとテーブルに突っ伏して、全身で失望を表すメリアと、そんな彼女の様子を面白そうに眺めるアミリシア。
アミリシアはくすくすと上品に笑うと、失望中のメリアに助け船を出す。
「あら、私にだって幾つかの伝手ぐらいありますよ。私の知っている商人や針子たちでよければ紹介しましょうか?」
「え? 本当ですか?」
メリアは表情を輝かせながら、がばりと身体を起こした。
「ええ。私の知っている者たちなら信用もできますし、腕も確かです」
「ありがとうございます! 是非、お願いします!」
「では至急手配して、一度ミフィシーリアさんのところへ行くように言っておきますから、ミフィシーリアさんへはメリアさんからそう伝えておいてくださいね」
「はい! 判りました!」
元気よく返事をするメリア。何とか問題解決への糸口を掴む事ができそうな彼女の表情はとても明るかった。
だが、この時メリアは気づいていなかった。
アミリシアがミフィシーリアを、「ミフィシーリア様」ではなく「ミフィシーリアさん」と親しげに読んだ事に。
アミリシアは早速手配をしてくれたようで、翌日には髪結い師や針子を連れて一度第六の間を訪れるという連絡がメリアの元に届けられた。
そしてその日の午後も半ばに差しかかった辺りで、メリアは主であるミフィシーリアと共にアミリシアと彼女が連れてくる者たちを待っていた。
部屋の主であるミフィシーリアは、これから訪れる初対面の人物たちに対して緊張が隠せないでいるようだし、侍女のメリアも自分が発端となっている事だけに、どのような者たちがやって来るのか不安な面持ちでいる。
「どんな人たちが来るんだろうね?」
「判りませんわ。ですが、少なくとも側妃となる方のところへ来るのですから、それ相応の方たちなのでは?」
緊張している部屋の主たちを余所に、テーブルでは偶然居合わせたアーシアとサリナが、これから来る者たちへの興味を隠す事もなく楽しそうな会話を交わしていた。
ちなみに、この場にリーナとマイリーの姿がないのは、単に現在仕事中であるからだ。
「それよりも、メリアちゃんって凄いよね。まだ王都に来てから日が浅いのに、よく髪結い師とか針子とか手配できたよね」
「本当ですわ。その辺りの手配はわたくしたちの方で助力しようとマリィやリィさんとも話していたのですが。ミフィさんは優秀な侍女をお持ちですわね」
二人の側妃から面と向かって誉められて、メリアはぱたぱたと手を振りながら恐縮する。
「い、いえ、私は別に、そんな特別な事は……私はただ、知り合いに相談しただけなんです」
「あら、主のために様々な人脈を築くことは侍女として誉められるべき点ですわよ?」
「そうだよ。でも、誰に相談したの? ボクが見たところ、メリアちゃんっていつも一人で仕事していて、あまり友達とかいなさそうだったけど……あ、ご、ごめん! ボク、決してメリアちゃんを貶したわけじゃ……」
聞きようによっては「友達のいない奴」とも取れなくはないと気づいたアーシアは慌てて謝罪した。
「あ、いえ、そんな、お気になさらないでくださいアーシア様。交友関係の狭さは今回の件で改めて実感した事ですし」
「そうですわね。交友が広ければ良いというものでもありませんが、やはり親交のある方は多いに越したことはありませんわ。それで? 一体どなたに相談したのかしら?」
「それはですね、厨房で料理長をなさっているアミリシアさんにご相談したんです。そうしたらアミリシアさんが色々と骨を折ってくださって……」
「──────え?」
「──────は?」
突然、アーシアとサリナがぽかんとした表情になる。
あれ? 私、何かおかしな事言ったかな? とメリアが首を傾げた時。
予期せぬ静寂が訪れた第六の間に、ゆっくりと扉をノックする音が静かに響いた。
開かれた扉の向こう。そこにはメリアの予測通りアミリシアの姿があった。
アミリシアの姿だけが。
「あれ? アミリシアさんだけ……ですか?」
失意の表情を若干滲ませながらメリアが問う。
ひょっとして、針子などの手配ができなかったのだろうか。
そう思いつつメリアがアミリシアの表情を窺うと、そこには済まなさそうなものはまるでなく、いつもの微笑みがあるばかり。
「新調するドレスのための布と装飾品を扱う商人は少し遅れるそうです。なんでもミフィシーリアさんにお見せする布や装飾品の見本を選ぶのに時間がかかっているようで。針子に関しては、布とドレスの意匠が決まってから手配しても遅くはないでしょう?」
「そ、そうですか。あれ? でも、ドレスの意匠って針子が決めるのでは? それに化粧師や髪結い師は?」
「ミフィシーリアさんさえ良ければ、それらは私に一切任せてくれませんか?」
「え? アミリシアさんに?」
驚いてアミリシアを見詰めるメリア。そしてそのアミリシアは、ふとメリアから視線をずらして部屋の中を見ると、そこにいたある人物の姿を見つけて軽く驚いたようだった。
「あら、アーシィ。あなたもここに来ていたのね?」
「──やっぱりお母さんだったんだ……」
呆れたように呟いたアーシアの言葉に、思わずミフィシーリアとメリアの時間が止まる。特にメリアの受けた衝撃はとてつもなく大きかった。
──今、アーシア様はアミリシアさんの事を何と呼んだ?
思わずアーシアとアミリシアの二人を交互に何度も見比べるメリア。
こうして見比べてみると、確かに二人はよく似ていた。まるで姉妹のように。
以前からアミリシアに会う度に感じていた感覚。ずっと誰かに似ているなと思っていたメリアだったが、ようやくその謎が解けた。
しかし、どうして今まで思い至らなかったのだろうか。アーシアとアミリシアにはもう何度も顔を合わせていたのに。
二人の姉妹はこんなにもよく似ているというのに────あれ?
思い返せば、アーシアはアミリシアを「姉」とは呼ばなかったのではなかったか。
一見すると二十代半ば程にしか見えないアミリシア。
そして、確か現在十八歳だった筈のアーシア。
だが、メリアの聞き違いでなければアーシアはアミリシアを「お母さん」と──
──ええええええっ!? 姉妹ではなくて親子ぉっ!? うそっ、とてもそうは見えないってっ!! どう見たって親子じゃなくて姉妹だってばっ!!
そこでメリアはもう一つの事実に思い至る。アーシアの母といえば、それが誰を指し示すのかを。
ミナセル公爵家の令嬢であるアーシアの母といえば、それはミナセル公爵夫人その人に他ならない。
国王であるユイシークの血の繋がった叔母にして、カノルドス王国の序列においても国王に次ぐ第二位の大貴族。
メリアは今回の件に関して、側妃たちに相談するのは厚かましいと思っていた。
だというのに。
どうやら自分は、側妃たちよりももっと身分の高い人物に、その厚かましい相談をしてしまったのだ、と。
ようやくこの時、メリアはそれに思い至ったのであった。
「辺境令嬢」ようやく更新できました。
今回明かになったのはアミリシアの正体。そして、これで主要人物全ての名前と正体が出揃いました。
なんか随分と多くなったもんだなぁ。最初の予定ではこんなに名前のあるキャラクターはいなかった筈なのに。おかしいなぁ。
前回、11月中は更新の頻度が下がると報告しましたが、11月30日現在、相変わらず仕事は忙しいままです。申し訳ありませんが、仕事のペースが落ち付くまでもう少しの間更新の速度が下がると思われます。
よろしくお願いします。