15-ある日の午後-2
それはその日の朝の事。
「お昼の休憩に……ですか?」
対面に座るユイシークの言葉に、パンを小さくちぎりながら食べていたミフィシーリアの手が止まった。
「ああ。政務の息抜きに、この前みたいに中庭を散歩でもどうかと思ってな。そうだな、コトリも一緒に誘おう」
「いいですね。私もあの中庭とても気に入っています」
ほがらかに笑うミフィシーリア。その笑顔についついユイシークの頬が緩みそうになる。
意識してそれが表に出ないようにしながら、ユイシークも食事を続ける。
最近、なぜかユイシークはミフィシーリアの部屋、すなわち第六の間で朝食を食べる事が多い。
今日も朝食の時間に第六の間を訪れたユイシークは、そのままミフィシーリアと一緒に朝食を食べていた。
リーナなどは、この状況を歓迎しているようだ。
「私が起こしに行かなくても、自分で起きてくれるからとっても助かるわ」
と、しみじみと零していた程である。
どうやらユイシークも朝が強い方ではないようだ。その彼が早起きしてまで自分のところに来てくれるのは、ミフィシーリアとしても嬉しかった。
例えその前日の夜に、他の側妃の部屋を訪れていたとしても。
現時点ではまだ正式な側妃ではないミフィシーリアの元に、ユイシークが夜に訪れる事はない。
そもそもユイシークは王だ。王が次代の王を成すため、側妃の元へ訪れるのは義務と言ってもいい。
それぐらいの事はミフィシーリアにも理解できる。
もちろん、ユイシークが他の女性と一夜を共にするという事に対して、何とも思わないわけではない。
だが、それでも朝には自分の元へ訪れてくれる事が単純に嬉しい。
ユイシークとしてもその辺りは気を使っていて、必ず朝湯に浸かり、服も着替えて夜の名残を残さないようにしているようだった。
それに、なぜかミフィシーリアは他の側妃たちに、どうしても嫉妬めいた感情が沸いてこないのである。
まだ見ぬ第三側妃を除いて、他の側妃たちには色々と世話になっているし、ミフィシーリアは彼女たちに対してどうしても悪い感情を抱く事ができない。
最近では、あの方たちの元へ訪れるのなら仕方ないか、とさえ思えてしまうぐらいだった。
とはいえ、まったく問題がないわけでもない。
ミフィシーリアはユイシークよりもずっと朝が弱い。だからといって、ユイシークが尋ねてくる時間に寝ているわけにもいかず。
毎朝早くに起床するのは、ミフィシーリアにとっては結構大変な事なのであった。
やがて食事を終えたユイシークが立ち上がり、ミフィシーリアも彼に合わせて立ち上がる。
「よし。じゃあ、行って来る。昼になったら中庭でな」
「はい。いってらっしゃいませ」
まるで新婚夫婦のようなやり取りを交わし、第六の間の入り口のところで別れる二人。
そんな二人をメリアは背後から微笑ましそうに見詰めていた。
「そういえば、お聞きになりました? 新しい側妃様のお話」
ユイシークとの今朝のやり取りを思い出していたミフィシーリア。彼女の耳に令嬢の一人のそんな言葉が届き、ぴくりと小さく身を震わせる。
「ええ。なんでも取り立てて見るところのない、とても地味な方だとか」
「わたくしもそのように聞きましたわ」
「わたくしは、とある貧乏貴族が結納金目当てに娘を差し出したと……」
まさか本人が目の前にいるとは思ってもいない令嬢たちは、口々に勝手な事を言い合ってくすくすと笑い合う。
「そんな方が側妃として選ばれるのなら、わたくしにもその可能性があるのではなくて?」
「そうですとも。ですが、それはわたくしも同様でしてよ?」
「ですが、陛下はなぜ、そのような者を側妃として選ばれたのでしょう?」
「あら、きっと気まぐれではございませんこと?」
と、更に笑い募る令嬢たち。さすがにミフィシーリアもこれ以上聞いているのは気分が良くないので、一言告げてこの場を去ろうとした時。
「おや、ミフィシーリア様ではありませんか」
「お? ホントだ。嬢ちゃんじゃねぇか」
と、背後より聞き覚えのある声が彼女の名を呼んだ。
ミフィシーリアが声の方を振り返れば、そこには想像した通の二人連れの姿。
と同時に、それまでさざめいていた令嬢たちの笑い声がぴたりと止んだ。
「ケイル様。ジェイク様」
連れだって中庭にやって来たケイルとジェイクに、ミフィシーリアは頭を下げて挨拶する。
「ミフィシーリア様。我らに頭を下げる必要はありません。既にあなたの方が我らより──」
「そうそう。俺たちとあんたの仲だろ? もっと気楽にな?」
自分の台詞を遮ったジェイクに、ケイルは露骨に嫌な視線を向けるが当のジェイクは涼しい顔で受け流す。
「そうは仰られますが、そういうわけにも参りません。それにいくら親しくても、最低限の礼儀というものがあります」
「うむ。ミフィシーリア様の仰られる通りだ。おまえは自由すぎる。少しは反省しろ」
「ちぇ」
二人から窘められ、ジェイクは露骨に顔を顰めた。
そしてそのまま歩みを進めてミフィシーリアに近づくと、顔を近づけて耳元でそっと囁いた。
「あれからあいつに泣かされていないか? もし、また泣かされるような事があれば俺に言えよ? またあいつをぶん殴ってやンからさ」
「い、いえ、そのような事は……」
すぐ近くにあるジェイクの顔。ユイシーク以外にこれほど異性と近づいた経験のないミフィシーリアは、思わず顔を朱に染めて数歩後ろへ下がった。
そんなミフィシーリアの様子に、ジェイクは破顔すると再び囁く。
ただし、今度は先程よりも少しばかり大きな声で。
「やっぱ、いいな、あんた。どうだ? あんないい加減な奴はとっとと見限って、いっそのこと俺の嫁にならないか?」
「は……はぁ…………っえ、ええぇっ!?」
思いもかけない事を言われて狼狽するミフィシーリア。背後の令嬢たちが俄にざわざわとざわめき出すが、それに気づく余裕もない。
狼狽えたミフィシーリアとざわめく令嬢たちに、ケイルが顔を顰めながらも助け船を出す。
「戯れるのもそこまでにしろ。見ろ、ミフィシーリア様もおまえの冗談にどう対応していいか困っておられるではないか」
「えー? 俺は別に冗談じゃ……ああ、そうか」
ジェイクはミフィシーリアの背後の令嬢たちにちらりと目をやり、ケイルが何を言いたいのかを察した。
「まあ、いいや。とにかく、何か困った事があったら俺に言いなよ? 力になンぜ?」
「では、失礼します」
ジェイクは楽しげに手を振って。ケイルは礼儀正しく頭を下げて。
ここに現れた時同様、二人は連れ立って中庭を後にした。
立ち去る二人の背中に頭を下げて見送ったミフィシーリアは、自分もこのまま立ち去ろうと思い、背後の令嬢たちに一言告げようと振り返る。
途端、令嬢たちかあら浴びせられる鋭い視線と、質問の数々に思わずたじろいだ。
「ミフィシーリア様と仰いましたわね? あなた、ジェイク様やケイル様とはどのようなご関係でして?」
「本当。お二人ととっても親しそうに。しかも……」
「先程のジェイク様のあれ……あれって、もしかしなくても求婚ですわよ……ね?」
咎めるように。羨むように。探るように。
様々な意思の篭もった視線と質問に、ミフィシーリアは戸惑いつつも何とか言葉を絞り出す。
「あ、あの、ジェイク様とケイル様には、以前とてもお世話になって……それ以来、親しくさせていただいているのですが……」
「まさか、先程のジェイク様の求婚……お受けになるなんて言いませんよね?」
「あれはケイル様も仰っていたように、ジェイク様の冗談です。私に本気で求婚するわけがありません」
ジェイクはミフィシーリアが側妃である事を知っている。そのジェイクがミフィシーリアに求婚するはずがない、という意味でのミフィシーリアの言葉だったが、令嬢たちはそうは取らなかったようだ。
「そうですわよね。今まで浮いた噂の一つもないジェイク様が、あなたのような……あら、失礼?」
「本当ですわ。ジェイク様やケイル様と言えば、今この国で最も勢いのあるお方たち。あのお方たちの妻となれば……」
ユイシークの目に止まり、あわよくば側妃に──という考えでこの場に集った令嬢たちだが、その可能性が極めて低い事は彼女たちも承知していた。
だが、ジェイクとケイルは違う。
身分こそ新興の伯爵とそれほど高いものではないが、先程令嬢の一人が言ったように、彼らの将来は既に約束されているようなものであり、今のカノルドス王国で御三家を除けば彼らこそが最も勢力のある貴族なのだ。
当然、当人たちの意思に関わらず、その挙動は様々な意味で注目されている。
特に年頃の令嬢たちからすれば、いまだに独身で浮いた噂のない彼らはこれ以上ない「売り物件」でもある。
国王であるユイシークは事実上の雲の上の存在。だが、彼らは自分の手が届くところにいるのだ。
令嬢たちからしてみれば、そんなジェイクとケイルと親しげに振る舞う見慣れぬ、しかも辺境男爵という貴族の中では底辺に位置する家の小娘が彼らと親しくするのが我慢できる筈がなかった。
「ねえ、ミフィシーリア様? 言わなくてもお判りと思いますが、いくらお二人に親しくしていただいているからと言って、思い上がったりはしていませんわよね?」
「そうですわ。あのお二人に釣り合うには、我が家くらいの家格でなければ」
「辺境の男爵家程度では……あら、思わず本音が。ごめんなさいね?」
嫉妬心から嫌味と蔑みを満載した言葉をミフィシーリアに投げつける令嬢たち。
このあまりの仕打ちに、ミフィシーリアの背後に控えたメリアの怒りの臨界点を突破しようとした時。
再び聞き慣れた声がミフィシーリアの名を呼んだ。
「あ、ミフィだっ!! ミフィがいたよっ!! ねえ、パパぁっ!! こっちこっちっ!!」
明るく無邪気な声に再び一堂の視線が一か所に集中する。
ツインテールの銀髪をふわふわと踊らせながら、勢いよく駆け寄って来る一人の少女に。
「コトリ?」
「うんっ!! こんにちわ、ミフィっ!!」
コトリは駆け寄った勢いのままミフィシーリアの胸に飛び込む。
ミフィシーリアも飛び込んで来たコトリをしっかりと抱き留める。
「あら? コトリの今日の格好は……」
「えへへー。似合う? ねえ、似合う?」
コトリは普段、以前アマロー男爵領の村で出会った時のように、少年のような活動的な服装を好む。しかし、今日の彼女はしっかりとした淑女の装いだった。
コトリの銀髪に映える黒を基調とした細身のドレス。所々に彼女の髪と同じ銀糸で刺繍を施したそれは、とても彼女に似合っていた。
よく見れば、耳元と首元にも銀細工の落ち着いた感じのアクセサリーも身に着けている。
「ええ。とってもよく似合っていますよ」
「本当? えへへ、実は今日、お昼にミフィと会うって聞いたから、ママとサリィにお願いしておめかしして貰ったんだぁ」
嬉しそうに笑い合うコトリとミフィシーリア。
その様子を思わず唖然とした表情で見詰める令嬢たち。
彼女たちもコトリの事は知っている。
正確に言えば、コトリの正体までは知らないが、国王であるユイシークを普段からパパと呼び、甘えるように彼と接するコトリは、国王の実子ではないにしても、それなりの血縁関係を持つ少女だと認識していた。
そしてそのコトリが、実に親しげに接するのはまたもやミフィシーリア。
先程のジェイクやケイルといい、今度のコトリといい。
令嬢たちは、ミフィシーリアがどのような存在なのか判断しかねるようになってしまった。
辺境男爵家の出身。これは間違いないだろう。他ならぬ本人がそう言ったのだから。
だがジェイクやケイル、そしてコトリといったこの国でも中心部に近い者たちと実に親しげに会話するのミフィシーリアを、単なる辺境貴族の田舎令嬢だとは思えなくなっていたのだ。
令嬢たちが唖然としたままミフィシーリアとコトリを眺めていると、不意に周囲がざわめき始めた。
何事かと令嬢たちだけでなく、付近で警備にあたっていた兵士たちまでもが慌てて周囲を見回す。
そして彼らは見る。
中庭に居合わせた者たちが慌てて跪き頭を垂れる中を、悠然とこちらに歩いてくる一人の男性を。
取り立てて着飾っているわけではない。人目を引くようなものを携えているわけでもない。
それでもなぜか目を向けてしまう、抗い難い何かを振りまきながらその男性はゆっくりと歩く。
厳しく引き締められた顔と悠然と歩く姿に、絶対者の威厳と風格を纏わせながら。
「……へ、陛下……」
令嬢の一人が思わず零した言葉に、居合わせた他の令嬢たちも慌ててその場に跪く。
周囲の兵士たちも武器を掲げ、己が主に向けて敬意と忠誠を表す。
そう。
この国の国王であるユイシーク・アーザミルド・カノルドスが中庭に姿を現したのだ。
『辺境令嬢』更新しました。
今週二回目の更新です。いやー、やればできるもんだね?
でも、きっと来週はまた執筆速度が落ちると予想されます。気長にお付き合いしていただけると嬉しいです。
現在『怪獣咆哮』、『魔獣使い』の順に執筆する予定なので、次の『辺境令嬢』の更新は週末くらいかなぁ。
話の方も変なところで切れているので、自分としても早く続きが書きたいです。
ひょっとすると、執筆順番を変更して『辺境令嬢』を先に書くかもです。
だって、コレが一番書きやすいし。
では、今後もよろしくお願いします。




