14-ある日の午後-1
「アルマンが消えただと?」
国王の執務室。
そこに集った者たちから、ユイシークはそれを聞かされた。
今この場にいるのは国王であるユイシークの他に、宰相のガーイルド・クラークス、その補佐官のケイル・クーゼルガンと、同じく宰相補佐兼国王の侍従長にして第四側妃のリーナ・カーリオン、近衛隊隊長のジェイク・キルガス。後宮騎士隊の隊長マイリー・カークライト。そしてもう一人、壮年の男性の姿があった。
彼の名はラバルド・カークライト。マイリーの実父であり、カノルドス王国の軍部を統括する将軍である。
御三家の一角であり、ガーイルド同様、『解放戦争』の初期からユイシークと共に戦った生え抜きの軍人にして侯爵。
大柄な身長にがっしりとした身体付き。髪も豊かな髭も本来は黒なのだが、50歳という年齢から白い物が混じり始めている。
また、極めて無口な事でも有名であり、誰の前であろうと首を縦に振るか横に振るかだけしか対応しない。
さすがに公式の場では発言するが、それも最小限のみ。
また、その槍の腕は国内最強とも言われており、ジェイクといえどもいまだにラバルドからは三本に一本しか取れないという。
今、この場に集まっているのは実質上、この国のトップと言える面々であった。
「どうやら、昨夜の内に誰かがあやつを外に連れ出したらしい」
渋い顔で告げるガーイルドに、ユイシークの顔もまた歪められる。
「地下牢の見張りはどうした?」
「差し入れられた食事に薬が盛られていたみたい。朝までぐっすりだったようよ。……一人を除いて」
リーナが付け足した最後の一言に、ユイシークの眉がぴくりと揺れた。
「内通者の犯行って事か。で? その一人はどうした?」
「城壁から少し離れた林の中……あまり目立たない場所で近衛の一人が発見したぜ。冷たくなってな。死因は後ろから心臓を一突き。得物はおそらく小剣ってトコだな。いい腕してンぜ? ただ者じゃねぇな」
「おそらく、そいつが誰かを外部から地下牢に招き入れてアルマンを脱獄させた。その後は侵入者とアルマン共々一緒に逃亡するはずだったが口を封じられた、といったところだろうな」
ユイシークの質問にジェイクとケイルが順に答えた。
「発見された牢番の身元は確かだ。もっとも、身元のはっきりしない者など雇うわけがないがな」
ガーイルドの言葉を、ユイシークは腕を組んでぎしりと椅子の背もたれに体重をかけながら聞く。
「で? その身元は?」
「今は平民だけど、『解放戦争』前は伯爵の爵位を持っていた人物の息子よ。『解放戦争』では旧貴族派に与したため、戦後は平民に落とされているわ。もっとも、旧貴族派とはいっても、その元伯爵は人柄も立派で領地の統括は善政を敷いていたようよ。そのため、戦後に爵位は取り上げられれても財産までは没収されず、それを元手に今では商売を営んでいるわね。領民からも慕われていたから上手くやっているみたい」
「そんな人物がどうして旧貴族派に?」
「本人の意思とは別に、親戚筋から旧貴族派に与するよう強制されていたみたいだな」
「とは言え、息子の方は典型的な貴族主義者だったみたい。普段から「どうして貴族の俺が兵士なんて下賎な事を」と零してばかりいたという証言が、同僚の兵士たちから得られているわ。きっとその辺りの自尊心を擽られて利用されたのでしょうね」
「何でも、その選民主義を叩き直すために、父親に強引に軍に入れられたみたいだな。いくら自尊心の乞え太った我が儘坊やも父親には逆らえず、しぶしぶ軍に入ったとの事だ」
ユイシークはケイルとリーナの両宰相補佐から説明を聞き、なるほどとばかりに頷いている。
「だが、判らんな。何が目的でアルマンを脱獄させた? あいつにはもう何もないぞ? 地位も権力も金もな」
奴隷の密売が公になり、アグール・アルマンは貴族の地位を奪われた。当然領地も失い、それまで貯め込んだ財産も全て国が没収している。
現在、かつてのアルマン子爵領は、隣の領地の領主であるアマロー男爵が代理統治している。
もっとも、遠くない将来、正式にアルマン元子爵領はアマロー男爵領となる事が決定しているのだが。
今のアグール・アルマンには何の利用価値もないと見ていい。それなのに、敢えて危険な橋を渡ってまで彼を脱獄させた。
裏でこの件を手引きした者には、それを行うだけの何かしらの理由がある筈なのだ。
それがユイシークには判らない。
「マリィ」
「はい。何ですか、シーク?」
ユイシークの言葉に、マイリーは相変わらず爽やかな笑顔と共に応える。
「あいつの周囲の警護を固めろ。ただし、できる限りあいつには気取られないようにしてな」
「あいつ? ああ、ミフィシーリア嬢ですね?」
「アルマンが捕まった一件にはあいつも加わっている。アルマンが逆恨みで、あいつに良からぬ事を企てないとは限らないからな」
「了解しました。それでこの事は彼女には伝えますか?」
「いや、伝えない方がいいだろう。徒に不安がらせる事もあるまい。それから……ラバルドのおっさん!」
ユイシークの呼びかけに、ラバルドは器用にも片方の眉だけをくいっと動かせて応える。
「アマロー男爵領に少し兵を……そうだな、三十人ばかり派遣しろ。アルマンがあっちにちょっかいをかける可能性も捨てきれない。ああ、アマロー男爵にだけは兵を派遣した理由を知らせた方がいいな。その方が兵も動きやすくなるだろう」
ラバルドはそれに応えてゆっくりと頷く。
「アルマンの行方を追え。この件は単に奴の脱獄という表面的な事だけでは片づかないだろう」
王の一言に、居合わせた者は姿勢を正し、御意と一言応える。
そんな一堂を前に、ユイシークは普段からは想像できないほど真剣な表情で更に言葉を続けた。
「この一件には必ず裏がある。それもかなり大きな裏がな」
王宮の中庭。
この中庭には、王宮を訪れた者が誰でも立ち入る事を許されている。
王に謁見を求める貴族たちとその連れの者。珍しいものを入手してそれを王へと献上する商人。隣国からの使者など。
時に様々な者たちがここに足を踏み入れる。
もちろん、この王宮に住まう者にとっても、ここは気持ちの良い憩いの場である。
そのような場所なので、所々に警備の兵士の姿も見受けられるが、それでも開放感を求めてここにやって来る者は多い。
本日、ミフィシーリアもまた、侍女であるメリアを連れてここを訪れていた。
ミフィシーリアが後宮に入って一週間以上。ようやくここの暮らしにも馴染んで来た。
最近では彼女の暮らす第六の間に、様々な人が訪れるようになった。
ユイシークやコトリを始め、後宮騎士隊の隊長のマイリーや、アーシアやリーナ、それにサリナといった先輩の側妃たち。時々ではあるがジェイクも顔を見せる。
もっともジェイクは二言三言言葉を交わすと、すぐに立ち去ってしまう。これは流石に近衛隊の隊長であり王の旧友で信頼厚くとも、国王以外の男性が側妃の部屋に気安く出入りするわけにはいかないからだろう。
最近ではミフィシーリアも、彼ら彼女らともかなり打ち解けて来ていた。
だが、一つだけ気にかかる事もあった。
第三側妃であり、御三家の一角、カークライト家の令嬢とだけは未だに顔を合わせていないのだ。
まさかアーシアやサリナたちにどうして第三側妃だけは姿を見せないのか、などと聞けるわけもなく。
気になるのならば自分から尋ねればいいのだが、なんとなく躊躇われて今日に至ってしまっている。
とはいえ、まだ後宮入りしてから一月も経っていない。今後顔を合わせる機会もあるだろうとミフィシーリアは思っていた。
(まさか、顔も見たくない程嫌われているなんて事は……ないと思うけど……)
そう思いたいミフィシーリアであった。
今日の中庭も様々な人が訪れていた。
そのせいだろうか。何となくいつもより配置されている警備の兵の数が多いような気がするのは。
「ねえ、メリア? 何となくだけど、今日は警備している兵の数が多いような気がしない?」
「お嬢様もそう思います? 私も何となくですけどそう思っていました」
さりげなく周囲を見回すミフィシーリアとメリア。
そのミフィシーリアの視界に東屋が入った。
その東屋には現在、数人の美しく着飾った貴族の令嬢らしき者たちが、噂話とお茶に興じているようだ。
だが、ミフィシーリアの脳裏を掠めたのは、かつてここで遭遇した一人の女性。
彼女がこの王宮に来た初日、偶然この中庭の東屋にいたその女性は、ミフィシーリアが側妃としてこの城に来た事を知ると、それまで穏やかだった表情を突如怒りに染めてミフィシーリアに組み付かん勢いで迫って来た。
その時は幸いにも、一緒にいたリーナの機転と駆けつけたマイリーによって事なきを得たが、ミフィシーリアにとっては短い間であったとはいえ、とても恐ろしい体験だった。
おかげでミフィシーリアは、この中庭に来る度に、あの時の令嬢はいないかと注意深く周囲を見渡すようになった程だ。
幸い、今日も例の令嬢の姿はなく、ほっと胸をなで下ろしたミフィシーリア。
そんな彼女を、東屋で噂話とお茶に興じていた令嬢の一人が目ざとく見つけた。
「あら? あまりお見かけ致しません方ですが、どちらの家の方かしら?」
彼女のその一言に、周囲にいた令嬢たちも一斉にミフィシーリアへと視線を向けた。
こうなってはミフィシーリアも、このまま無視するわけにもいかない。彼女は静かに東屋に歩み寄ると、礼儀正しく挨拶をする。
「アマロー男爵家の長女でミフィシーリアと申します。皆様方にお目にかかれてとても嬉しく思います」
名乗ったミフィシーリアに対し、令嬢たちは顔を付き合わせてこそこそと囁き合う。
囁き合う、と言ってもその声は決して小さいとは言えず、ミフィシーリアの耳にも十分届く程だったが。
「まあ、アマロー男爵ですって。どなたかお聞きになった事がありまして?」
「いいえ。わたくしは聞いた事がありません」
「確か辺境の小貴族と聞いたような……ですが、詳しい事までは存じませんわ」
「辺境の小貴族……つまりは田舎者……ということ? ……ふふ、確かに、いかにもですわね」
令嬢たちの嘲りを帯びた視線がミフィシーリアに注がれる。
今日、ミフィシーリアが着ている物は相変わらず派手さに欠ける地味なものだった。
だが、これは見た目こそ地味だが、上等な布地を惜しみなく使用し、目立たない刺繍や細工を各所に施した高級品である。物の本質を見る事ができる者なら、その真価を見抜いて驚愕するだろう程の。
もちろんこれは、派手な装いを嫌う彼女のため、ユイシークが特別に誂えさせたものである。
実はミフィシーリアの部屋の衣装入れには、最近数多くの上質の服やらドレスが蓄えられている。
中にはユイシークから贈られたものもあるが、その殆どが第二側妃のサリナから贈られたものだった。
サリナはまるで姉妹のようにミフィシーリアに接してくる。そして何かにつけて世話を焼きたがるのだ。
彼女から贈られた服たちもその一つ。
ひょっとして、あの方は私を着せ替え人形か何かと勘違いしているのでは、とミフィシーリアはありがたく思いつつも若干辟易している程だった。
だが、派手さを厭うミフィシーリアは、ユイシークやサリナから贈られた豪華なドレスにどうしても気後れしてしまい、貰った中でもできるだけ地味な物を選んで着ていた。
最近ではユイシークやサリナもミフィシーリアの好みを理解し、上質だが華美ではない物を贈るようにしている。
今ミフィシーリアが着ているものもそんな最上質な服の一つだが、集った令嬢たちには上辺だけを目にしてその本質は理解していない。
単純にミフィシーリアが身に纏っているものを質素なものと判断し、彼女の事も辺境出身の田舎娘と解釈したようだった。
「それで、ミフィシーリア様は本日はどうして遠くからわざわざお城に?」
「あら、そのような事、聞いては失礼でしてよ?」
「きっとあの噂に引かれていらしたに違いありませんわ。ね? そうでしょう、ミフィシーリア様?」
意地の悪い笑みを浮かべた令嬢たちに、ミフィシーリアの細い眉が僅かに寄せられる。
ミフィシーリアはこれ以上ここにいたくはなかったが、だからといってあからさまにこの場を去るわけにもいかない。
正式な発表はまだでも、彼女はすでに第五側妃なのだ。
ここで下手な対応をして変な噂でも立てられれば、それは自分だけではなくユイシークにまで迷惑をかける事になる。
だからミフィシーリアも立ち去りたいのを我慢して、ここに留まっているのだ。
「あの……失礼ですが、噂とはどのような噂の事でしょうか?」
「あら、とぼけなくても結構ですわ。あなたの目的もわたくしたちと同じなのでしょう?」
「国王陛下が近々正式にもう一人側妃をお迎えになるという話は当然聞き及んでいらっしゃるのでしょう? だから、わたくしたちも……」
「まあ、あまりはっきりと仰っては少々はしたないのではなくて?」
ころころと笑う令嬢たち。その立ち居振る舞いはあくまでも上品であった。
見た目だけだが。
彼女たちの姿を見て、ユイシークがこのような令嬢たちに嫌気がさして遠ざけたのが判らなくもない、と、ミフィシーリアは心の中だけで溜め息を吐いた。
ここに集っている令嬢たちの目的。それは何とかしてユイシークの目に留まり、ミフィシーリアに続いて側妃となる事だろう。
だからこうして着飾って城の中庭に集まっているのだ。
この中庭は城で働く者たちにとって、格好の憩いの場である。それはユイシークにとっても例外ではない。
先日も彼は執務の休み時間を領して、コトリとミフィシーリアを伴ってこの庭を散策している。
無論その事は城に勤める者なら誰でも知っているので、こうして令嬢たちが国王陛下との「偶然」の邂逅を求めているのも不思議な事ではないのだ。
そしてその意味では、彼女たちが今日この場を訪れたのは幸運と言えるだろう。
なぜなら。
今日これからこの場に、国王であるユイシークが現れるのだから。
『辺境令嬢』更新。
本当なら国王陛下が登場するところまで書きたかった。
だけど前半が思いの外長くなって、仕方なくここで切る事に。
この続きはできる限り今週中に書きたいと思います。『辺境令嬢』と『魔獣使い』は書きやすいので、おそらく今週中の更新は可能ではないかと。
それに反して『怪獣咆哮』の書きづらさときたら……
今後ともよろしくお願いします。




