13-彼が彼女を求めたわけ
控え目だが、屈託のない笑顔。
なぜかその笑顔から彼は目を離す事ができなかったのだ。
後日、彼は彼女に尋ねられた事がある。
「どうして私を傍らに置こうと思われたのですか?」
と。
その時、彼はこう答えた。
「おまえが色々と面白そうな奴だと思ったからさ」
だが、真相は違う。
しかし、本当の理由を素直に口にするような彼ではない。
彼は生まれつきの悪戯小僧。本心を軽々しく口にするようでは悪戯は成功しないのだから。
初めて彼女を見たのは、彼の「使」の目を通してだった。
彼と彼の「使」は感覚を共有する事ができる。
とはいえ、共有できる感覚は視覚のみであり、他の感覚は共有できない。
初めて彼が見た彼女は、彼の「使」にハンカチを差し出しているところだった。
感覚が共有でいるとはいえ、いつもいつも共有しているわけではない。
この時彼が「使」に感覚を繋いだのは、今「使」がどうしているのかちょっとばかり心配だったからだ。
彼の「使」の傍には、彼が信頼する悪友二人がついている。彼らがついている以上、誰かが「使」に危害を加えるようなことはあり得ないし、「使」自身も彼の異能の一部を使えるから、「使」に危害を加えるのはそう簡単な事ではない。
だけど、彼の「使」は人間でいえばまだまだ子供なのだ。
確かに見かけは15、16歳ほどに見える。カノルドス王国では、15歳で成人と認められるので、それだけで判断するのなら「使」は立派な大人だろう。
しかし。
「使」の心はまだ子供なのだ。
しかも、「使」はいわゆる世間知らずも甚だしい。「使」を騙すのは決して難しくない。
だからだろうか。彼がいつも「使」を心配するのは。
そのせいかどうかは判らないが、「使」は極めて人見知りが激しい。普段は、昔から彼の周囲にいる人たちにしか口さえ利かないぐらいだ。
しかし、彼が「使」と感覚を繋げた時、「使」は見知らぬ少女と相対していたのだ。
これには彼の方が驚いた。
それと同時に興味が沸いた。人見知りの激しい彼の「使」が、気後れする事なく接する彼女に。
それからは、暇を見ては「使」と感覚を繋げてみた。
その度に彼の脳裏に浮かび上がる一人の少女。彼女は裏表のない、純粋な笑顔を彼の「使」に向けていた。
身なりからすると町娘だろうか。質素な服を着ており、化粧気も見られない。一見すると地味な印象の娘だったが、その笑顔は彼の目を引いてやまなかった。
彼女に関する興味が抑えきれなくなった彼は、今度は意思を「使」と繋げてみた。
彼と「使」は意思の疎通が行える。今回、彼が「使」を悪友たちに同行させたのは、彼らといつでも連絡を取れるようにするためだった。他にも、「使」の社会勉強という側面もあったが。
意思の疎通は距離が離れていたりすると繋がらない事も多々あるが、今回は何とか繋がったようだった。
そして「使」の話によれば、彼女はこの土地を治める領主の娘だという。そして先日、「使」とは友達になったのだそうだ。
彼は再び驚いた。彼女が領主の娘だった事に。正直、彼には彼女が貴族の令嬢には見えなかった。
そして驚いた事はもう一つあった。それは「使」と彼女が友達になる際、「使」の方からそれを申し出たというのだ。
あの引っ込み思案で人見知りの激しい「使」が、だ。
この事が、彼の彼女に対する興味を更に増大させたのだった。
彼が悪友たちに命じて内偵させていた、とある貴族の悪事が明るみに出た。
その貴族が行っていた奴隷の密売の確たる証拠が出たのだ。
彼は「使」を通じて悪友たちにその貴族の身柄を押さえるように指示した。いや、しようとした、が正しい。
なぜなら貴族の悪事を知るや否や、「使」の方から一方的に意思の接続を断ってしまったのだ。
どうやら、彼女の事が心配で何も考えずに飛び出してしまったらしい。
彼も「使」を通じて知っていた。彼女が近日、その貴族の元に嫁ぐ事になっているのを。
この縁談を知った時、彼は思わず「使」に相手の貴族の悪事を彼女に伝えさせて、縁談をなかった事にさせようかと考えた。
だが、結局は彼はそれをしなかった。
今、彼の信頼する悪友たちがその貴族の悪行の証拠を抑えにかかっているのだ。遠からずその目的は達成されるだろう。
そうなれば当然、縁談だって立ち消える。
だから彼は「使」を通じ、悪友たちに別の事を伝えた。
それは。
もしも彼女が「使」の本当の事実を知り、それでも「使」を友として受け入れるほどの度量を持っているなら。
彼女を彼の元に来させるように。
そう悪友たちに伝えさせたのだ。
そして彼女は彼の元へと来ることを了承した。
もちろん、そこには身分の差による拒否できない力関係や、その他の打算が含まれている事を彼は承知している。
それでもいいと彼は思ったのだ。
彼女が自分の傍で、あの屈託のない笑顔を自分に向けてくれるのなら。
「使」の目を通して彼女を見ていて、彼にはどうしても気に入らない事が一つだけあった。
それはあの笑顔が決して自分に向けられたものではない事だ。
あの笑顔は彼女の友である「使」に向けられたものであり、決して彼に向けられたものではない。
その事が彼を面白くない気分にさせていた。
それもまた、彼が彼女を傍に置こうとした理由の一つであった事に、この時の彼はまだ気づいていなかった。
どうして彼女を傍に置こうとしたのか。
彼の周囲の者たちは何度もそう彼に尋ねて来た。
そして彼はその度にこう答えるのだ。
「あいつは面白そうな奴だからな。興味が沸いたんだ」
と。
だけど彼の本心は違う。
しかし、その事を素直に告げるような彼ではない。
なぜなら彼は「永遠の悪戯小僧」なのだから。
全てを素直に言ってしまったら悪戯は成功しない。
だから彼は本心を語らない。
いつか、彼の親しい者たちには気づかれるかも知れない。いや、きっと気づかれるだろう。
それでも。
それでも、彼はその時が来るまで絶対に本心を口にしないと決めた。
それに。
恥ずかしくて絶対に口になどできる筈がないではないか。
あの笑顔を自分に向けて欲しかった、などと。
ぎぃ、と軋んだ音が薄暗い中に響き渡った。
その音に、暗闇の中でわだかまっていたものがもそりと動いた。
もぞもぞと異臭のする毛布のようなものから顔を出したのは、くたびれた衣服を身に纏った太った短身の男。
そのくたびれた衣服も元はといえば上物なのだろうが、男がここに入れられてからずっと着続けているために、今まで彼が潜り込んでいた毛布同様、すっかり薄汚れ嫌な匂いを放つようになっていた。
そして男は起き上がり、先程軋んだ音が響いた方へと首を回した。
男はそこに長身の人影を認めた。
「あんたがアグール・アルマンか?」
人影が口を開く。低く感情の篭もらない無機質な声。
全身を黒装束で包み込み、顔にも黒い布を巻き付け目だけが薄ぼんやりとした灯りの中に見て取れる。
「あんたがアグール・アルマンなんだろ?」
再び響いた無機質な声に、太った男はかくかくと首肯した。
「そ……そうだ……儂がアグール・アルマン子爵だ……」
「ふん……元子爵だろ?」
先程まで無機質だった人影の声に、侮蔑の色が宿る。
「あんたが貴族だろうが、元貴族だろうが俺には関係ない。俺は依頼された事をするだけだからな」
人影──体格と声から男に間違いない──は、一歩下がるとその場所を空けた。
今、アルマンが入れられている、牢獄のただ一つの出入り口を。
先程聞こえた軋んだ音は、この牢獄の扉が開けられた音だったのだ。
「出ろ。俺の依頼主が待ってる」
「儂をここから出して……どうするつもりだ……?」
「さあな。さっきも言っただろう? 俺は依頼された事をするだけだと。だが──」
唯一露になっている目が、冷たくに細められる。
「あんたは恨んでいる……違うか? あんたは例の小娘を恨んでいるだろう?」
男のその言葉に、アルマンの脳裏に一人の少女の姿が浮かび上がる。
同時に、それまで死んだ魚のように濁ったアルマンの瞳に、狂気に歪められた炎が燃え上がった。
「そう……そうだ! 儂をこんなめに合わせたあの小娘! あ奴だけは許さん! 絶対に許さんっ!! あ奴には儂の味わった屈辱の数倍のものを与えてやるっ!! 犯して、犯して、犯し抜いてやろうではないか。儂だけではない。町の路地裏にたむろする薄汚い浮浪者たちを片っ端からかき集め、そいつらにも犯させてやろう。犬と交わらせるのも面白いかもしれん。あの小娘が泣き叫びながら凌辱され、許しを乞う姿はきっと最高に儂を楽しませるに違いないっ!!」
狂気の炎に焼かれるアルマンを、男は正反対の氷のような眼でじっと見詰めていた。
「あんたのその目的のためにも、俺の依頼主に会ってくれないか? あんたにとって損な事にはならないと思うがな?」
「……おまえの依頼主とは誰だ?」
アルマンの眼が、胡散臭そうに細められて男を捉える。
「そいつはここでは言えんな。だが、会えば判ると依頼主は言っていたな」
「会えば判るだと……? なるほど、おまえの依頼主とやらはあの若造に爵位を取り上げられた元貴族の一人といったところか?」
アルマンの質問に、男はさてな、と呟きながら肩を竦めた。
「それよりも、早くここからずらからんか。どうにもここは臭くてかなわん」
「そ、そうだな。ここは儂のような本来高貴な者のいるような場所ではないからな。いいだろう。おまえの依頼人とやらの所に案内せい」
アルマンの尊大な態度に腹を立てる事もなく、男はくるりと背中を向けると足早にその場を離れる。
すたすたと歩く男の後に続いて、アルマンもよたよたと薄暗い通路を歩いて行く。
途中、不意に男が立ち止まると、振り返ってアルマンに告げた。
「そういや忘れてた。俺の名前はリガル。ちょっと前までは魔獣狩りなんぞしていたが、そっちじゃ食っていけなくなって廃業した。おかげで最近じゃ何でも屋に鞍替えってわけだ。あんたも俺にやって欲しい事があれば遠慮なく言ってくれ。ただし、それ相応の代金はいただくぞ?」
「魔獣狩りを廃業しただと……? 何をやらかした?」
「何、ちょっとした小遣い稼ぎだ。だが、その事であっという間に悪評が広がってな。それ以上魔獣狩りは続けられなくなった」
「ほう……どうやら貴様は、なかなかの悪党のようだな」
「なに、あんた程じゃない。あんたも奴隷の密売をしていたと聞いたぞ」
男──リガルはくぐもった笑いを零すと、再び薄暗い通路をものも言わずに歩き出した。
『辺境令嬢』更新。
いつもより若干短いですが、今回はきりがいいのでここまで。
そしてなんとリガルがこっちに登場。『魔獣使い』から爪弾きにされたようです(笑)。
リガルが何をしたのかは『魔獣使い』の方を参照していただければ、と(←さりげなく(?)宣伝)。
それでは、今後もよろしくお願いします。