12-四人の側妃とユイシーク
我慢ならなかった。
どうして自分があのような下賎の者にいいようにあしらわられねばならないのか。
思い出しただけで腸が煮えくり返りそうになる。あの屈辱は絶対に忘れない。
いや、倍以上にして返してやらなければ気が済まない。
だが、相手が悪い事も事実である。
このまま激情に任せて仕返ししても、結局はこちらが悪くなる。
では。
では、どうすればいいのか。
要はこちらの正体がばれなければいいのだ。
ならば人を雇おう。間に仲介人を何人も挿ませて。
もしくは誰かを焚き付けよう。自分と似たような思いでいる者は他にもいる筈なのだから。
大切なのは、絶対に黒幕が自分だと思われないようにする事だ。
そしてあいつを辱める。自分が味わった屈辱の数倍のものを与えてやる。
そうだ。
あの時一緒にいたもう一人も。
自分でさえ届かなかった場所に、辺境の田舎者のくせにぽっと出てきて居座ることになったあいつ。
あいつも同罪だ。
できれば全員に屈辱を与えたいところだが、他の三人は立場的にも自分では手を出せない。
だが、あの二人は別だ。
家格がさほど高くないあの二人なら何とでもなる筈。
他の三人の分も併せて、あの二人に味あわせてやる。
己の心を焼く黒い炎の熱量に、その人物は唇をにぃと歪ませた。
「俺が幼い頃、ミナセルの家に引き取られた事は話したよな?」
第六の間。改めてテーブルに着いたミフィシーリアとユイシーク。
メリアに入れてもらったお茶を飲みながら、ユイシークの『謝罪』は続いていた。
とはいえ、当初のような重苦しい雰囲気は既に払拭されていたが。
「そこでアーシィと出会い……ミナセル家と親しかったクラークス家とカークライト家……サリィたちとも必然的に出会う事になった」
当時ユイシークとアーシアが五歳。サリナたちは一つ年上の六歳であった。
「それから俺たちはずっと一緒だった。途中、不本意ながらジェイクとケイルも加わったがな」
ジェイクとケイルは当時、ミナセル領内の街の裏通りに暮らしていた孤児だった。
彼らは同じような孤児たちを纏め、様々な手段を用いて何とかその日を暮らしていたのだ。
時には掏摸や置き引き、掻っ払いのような犯罪行為にまで手を出し、何とか彼らは暮らしていた。
そんな彼らがある日、偶然街に出ていたユイシークとアーシアに目をつけた。
アーシアが財布代わりに使っていた小袋を、ジェイクたちの仲間の一人が引ったくったのだ。
突然の事に驚いて呆然としているアーシアを顔見知りの町民に任せ、ユイシークは引ったくりを追った。
引ったくりの少年が逃げ込んだその先で、ユイシークはジェイクとケイルに出会い、最終的には肉体言語を交えて──ユイシークとジェイクの肉体言語による意志疎通は『引き分け』だった──彼はアーシアの小袋を取り返す事に成功する。
だが、それだけでは終わらなかった。翌日からジェイクとケイルたちが溜まり場にしている裏通りに、ユイシークは毎日のように顔を出し始めたのだ。
最初は警戒したジェイクたちだが、この当時既に今のカリスマの片鱗を見せ始めたユイシークは、あっという間に彼らの中に溶け込んだ。
これにはボス格であったジェイクと、互角にやり合ったという事実が大きく影響した。
ジェイクたちから見たユイシークは、貴族のくせに街の浮浪児と気安く付き合う変な奴、という位置づけであった。
もちろん、ユイシークがジェイクたちの所に通い出したのは、面白そうだったからに他ならない。
やがて彼らの間に奇妙な連帯感が生まれ、連帯感はあっという間に信頼に変化し。
そして将来、彼らはこの国を覆す『カノルドス解放軍』の中核となる。
「それから何年かして……漠然とだが俺はアーシィやサリィたち……三人の誰かと結婚し、その家を継ぐのだと思っていた。ガーイルドのおっさんたち……三家の親たちがそう話しているのを聞いた事もあったしな」
だが、『解放戦争』が起きた。
切欠は小さな事だった。だが、その小さな切欠が最後には腐りきっていた大樹を打ち倒す。
「そして俺は王になった。本当の事を言えば、王になんかなりたくなかったんだが……俺は『カノルドス解放軍』の旗印だったし──正確には、俺に流れる王家の血と異能が旗印だったわけだがな。まあ、戦争には大義名分が必要なのは判っているし、今更後には引けないのも理解していた」
そして彼は王位に着く。
実際、彼は王としてとても優れていた。
口ではぐだぐだ言いつつも成すべきことはきちんと成し、下の者の諌言にも素直に耳を貸し、それが正しいと思われれば遠慮なく取り入れる。
治安の強化に力を注ぎ、犯罪は厳格に法に照らし合わせて裁いた。身分による罪の軽減は一切行わずに。
旧体制よりも徐々にだが税を軽減した。いや、正確には旧体制時代の課税が高すぎたのを正常に戻したというのが正しい。
これは旧貴族たちから没収した莫大な財があったからこそだ。でなければ、王国の立て直しという出費の嵩む時期に税の軽減は無理だっただろう。
当然、民衆の支持は高く、配下には有能な者が揃っている。
有能な者は身分に拘らずに取り立て、功績に応じて恩賞を与える。彼自身、贅沢な暮らしに興味ないので褒美の出し惜しみをする事もない。
そして彼に備わったどこか人を引きつける魅力。
かつては敵対していた者でさえ、今では彼に絶対の忠誠を誓う者が数多くいる。
当然、そうなると彼の回りには美しい女性が数多く集まる事にもなる。
「だけど俺は、アーシィたち三人以外は誰も抱かなかった。より正確に言えば抱くどころか、傍に置いておく気にもなれなかった。あいつら以外に大切だと思えるような女は当時の後宮にはいなかったからな」
そんな彼の気持ちを察したサリナは、自ら進んで憎まれ役を買って出た。
彼女は様々な難癖を突きつけ、当時後宮にいた数多くの令嬢たちを追い出したのだ。中には余りにも些細な失敗を理由に追い出された令嬢もいた。
もちろん、サリナには様々なところから苦情が舞い込んだ。彼女に面と向かって非情な言葉を投げつけた者もいる。
だが彼女はそれを覚悟の上で令嬢たちを後宮から追い出したのだ。
全てはユイシークのために。彼の王としての立場を守るために。
「その後、リィが後宮に加わった。だが、あいつを後宮に入れたのは、あいつの能力が欲しかったからだ。もちろん、今ではあいつもアーシィたち同様の存在になっているのは間違いない」
当時、リーナは彼の奴隷だった。だが、奴隷としてユイシークに尽くしていた彼女に、彼はその能力の片鱗を見出していた。
やがて彼女の能力は開花し、誰もが彼女を認めるようになる。
そしてミナセル公爵夫人の尽力により、ミナセル家の遠縁に当たるカーリオン伯爵家の養女となり後宮に入る事になった。
「アーシィたち三人の俺に対する気持ちは昔から気づいていた。だから俺も『解放戦争』以前は三人の誰かと結婚するのだと思っていたわけだし、事実、当時あいつらは俺の心が決まるまでいつまでも待つと言ってくれた」
彼女たち三人の気持ちは今も変わっていない。互いに互いを認め合い、助け合いながらずっと待っているのだ。ユイシークが誰かを選ぶまで。
「リィは奴隷だったという過去から、他の三人よりは一歩控えたところがある。だからあいつも何も言わずに待ってくれているんだろうな。俺が誰かを選ぶのを」
今では他の側妃たちとすっかり打ち解けているリーナだが、後宮入りした当時は奴隷だったという気後れから、与えられた第五の間から全く出てこなかった程だ。
奴隷という過去を気にしてか、今でも彼女が使用人として使っているのは奴隷当時の同僚とも言える犬人族ばかりで、彼女の傍には人間の使用人は一人もいない。
そんなリーナが打ち解けたきっかけはアーシアだった。
誰とでも気軽に接し、その笑顔はいつの間にか頑なな心を解き解してしまう。この辺りもまた彼女が『癒し姫』と呼ばれる由縁の一つなのだろう。
アーシアと接するうちに徐々に親しくなっていったリーナ。そしてそれをきっかけに他の二人とも次第に打ち解けていったのだ。
今ではアーシアとリーナは親友と呼べるほど親しくなっている。
「アーシィたち三人は自然と傍にいた。リィを傍に置く理由は彼女の能力が欲しかったから」
ユイシークは立ち上がると、テーブルを回り込んでミフィシーリアの方へと近寄る。
そしてミフィシーリアの傍らまで来ると、その場に片膝を着いた。
「だから……おまえが初めてなんだ。純粋に傍にいて欲しいと思ったのは」
ユイシークはそっとミフィシーリアの手を取る。
「側妃たち四人は俺にとって間違いなく大切な存在だ。どうあっても切り捨てる事はできない。王としても、俺個人としても」
ミフィシーリアは、真っ直ぐ自分へと向けられるユイシークの視線に囚われる。
「確かに俺はおまえを傷つけてしまった。俺を理解してくれた上で、互いに理解し合っているアーシィたちとは違うという簡単な事にも気づかずに」
それはいつもの悪戯小僧のような瞳ではなく、とても真摯な光を湛えていた。
「身勝手なのは重々承知している。それでも尚──俺はおまえに傍にいて欲しいと思っている。アーシィたちの事を踏まえた上で答えてくれ。おまえは……ミフィシーリア・アマローはこの俺、ユイシーク・アーザミルド・カノルドスの傍にいてくれるか?」
ユイシークの真摯な視線を受け止め、ミフィシーリアはゆっくりとその瞳を閉じた。
その際、彼女の頬を一筋の銀の雫が伝い落ちた。
ミフィシーリアは瞳を開くと、ユイシークの手からするりと自分の手を抜き取って立ち上がり、一歩下がる。
一方のユイシークは、自分の手の中から彼女の手が逃げ出した事に、一瞬だけ驚愕を浮かべると悔しそうに俯てしまった。
そしてミフィシーリアは、そんなユイシークにスカートの裾をつと持ち上げ丁寧に頭を下げた。
「──私、ミフィシーリア・アマローは、ユイシーク・アーザミルド・カノルドスの……傍にいる事を────」
そして頭を上げたミフィシーリアは、にっこりと花のように微笑む。
「──────望みます」
先程流れ落ちた雫は、サリナの訪問前に流していたような冷たいものではなく、もっと暖かいそれ。
弾かれるように頭を上げるユイシークの顔に、ゆっくりと喜びが広がっていく。
「…………ありがとう。ミフィ」
ユイシークは改めて彼女の手を取ると、その甲にそっと唇を落とした。
丁度その時。第六の間の扉がいきなり開かれた。
その光景を目にしたメリアは、そういえば今朝もこんな事があったなーと、まるで人事のようにそれを見ていた。
そして今朝同様飛び込んできたもの──コトリは、部屋の中のユイシークとミフィシーリアを見て目を丸くする。
同時に、彼女はミフィシーリアの目元に輝く雫をちゃっかりと見て取った。
「パパのばかあああああああああぁぁぁぁぁぁっ!!」
絶叫と同時に踏み込まれるコトリの左足。そのブーツの底と毛足の長い絨毯が熱い抱擁を交わし、きゅきゅっと歓喜の声を上げる。
それと同時に彼女のその細い腰が目一杯捩じり込まれ、その捻転を利用した実に切れのいい回し蹴りが、いまだにミフィシーリアの手を取ったままの鳩尾へと叩き込まれた。
「ぐばあああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
叫び声と同時に吹き飛ばされるユイシーク。
ミフィシーリアはといえば、いきなりの状況について行くことができずにただ呆然とするばかり。
そんな彼女を、コトリは守るように抱き締める。
「サリィから聞いたんだからねっ!! いくらパパとはいえ、ミフィを泣かせたらコトリが許さないんだからぁっ!!」
床の上でぴくぴくと悶えるユイシークを睨み付けて、コトリはまるでミフィシーリアを守る騎士のように高らかに宣言した。
『辺境令嬢』更新です。
えー、申し訳ありません。
前回の後書きでつまらない愚痴を零してしまいました。
その際、何人かの方から励ましていただきました。
本当に嬉しかったです。ありがとうございます。感謝してもしきれません。
先生、僕、もっと強くなるよ! いつか絶対に先生より強くなってみせるから!
いやあ、ほんと世の中まだまだ捨てた物じゃないと実感しました。
今回、色々あってようやく再びスタートラインに立ったミフィシーリアとユイシーク。
ええ、まだ二人はスタートラインに立った所です。まだまだこれから。
そんなこんなで今後は改めてがんばる所存です。これからもよろしくお願いします。
…………………ところで、先生ってだれ?