10-胸を切り刻む言葉と来訪者
それはいきなり第六の間の扉を開くと、そのままの勢いで室内に飛び込んで来た。
部屋の掃除をしていたメリアは、いきなり飛び込んで来たそれを見て驚きに目を見開く。
「ミフィーっ!! 遊びに来たわよぉっ!!」
「こ、コトリ様っ!?」
いきなり室内に飛び込んできたもの──コトリは、きょろきょろと室内を見回し、求めていた姿がない事にようやく気づいた。
「あれ? ミフィは? いないの?」
室内を彷徨っていたコトリの視線が、掃除用のモップを持ったまま硬直しているメリアの所で停止した。
「あ、あの、お嬢様なら陛下からの使いの方がみえて、一緒に行かれましたが?」
「え? パパの使いが?」
何だろうと首を傾げるコトリ。そいてメリアは、たった今コトリの口から飛び出した爆弾発言に再び目を丸くする。
へ、陛下をパパって呼ぶって事は、コトリ様って一体何者っ!?
コトリとユイシークの関係を詳しく知らないメリアは、首を傾げたコトリを前にしばらく動く事もできなかった。
「わ、私がシーク様の政務の補佐をですかっ!?」
ユイシークの使いの者に連れられて彼の執務室まで連れてこられたミフィシーリア。
そこにはユイシークだけではなくジェイクとケイルまで待っていて、ケイルよりここに呼ばれた理由を聞かされた。
それがユイシークの執務の補佐だったのだ。
「何も難しく考えなくても大丈夫ですミフィシーリア様。例えば……」
ケイルはユイシークの執務机に載っていた書類の束から、適当なものを一枚抜き出して、その書類を確認してからミフィシーリアに提示した。
「……奴隷解放の嘆願書……?」
「その通りです」
ミフィシーリアがざっとその書類に目を通したところ、王都に住むある人物が自分の所有する二人の奴隷を解放したい旨を記した嘆願書だった。
「このような書類は危急性が低いものです。奴隷の解放など少々遅れても誰も困りません。困るとすれば解放される奴隷本人ぐらいですから」
「んー、だけどよ? 解放が遅れた事によって、その奴隷が虐待されたりしないか?」
途中から口を挟んだジェイクを、ケイルがじろりと睨みつける。
一方ミフィシーリアはそんな彼らを無視して、しばらく考えた後にその考えを口にした。
「その心配はないのではないでしょうか?」
「ほう。なぜそう思う?」
そう尋ねたのは執務机の椅子に座り、おもしろそうにミフィシーリアたちを眺めていたユイシークだ。
「もし、奴隷を虐待するような者であれば、そもそも解放しようと嘆願書を出すとは思えません。わざわざ財産である奴隷を手放すという意思を表している以上、この者は奴隷を酷く扱うような者ではないと考えます」
彼女の考えを聞いたユイシークは面白そうに口角を釣り上げ、ジェイクとケイルは感心したような光を眼に浮かべた。
「ミフィシーリア様のご慧眼通りです。そのため、このような書類は後回しにしてもさほど問題にはなりません。逆に──」
ケイルは今度は書類を二枚選び取りミフィシーリアに手渡す。
「こちらの書類は王都の東の街道に出没する盗賊の討伐依頼。もう一つはゼンガーの町の南に出没する魔獣の討伐依頼です」
手渡された書類に目を通し、ケイルの言っている事に間違いがない事をミフィシーリアは確認した。
「これらの書類は危急性の高いものと判断されます。ただちに王であるシークの裁可を得て、騎士なり兵なりを派遣しなければなりません」
「つまり、個人の視点ではなく国としての視点で判断しろ、という事ですか?」
「左様です」
冷静に返事をしながら、ケイルはミフィシーリアの頭の回転の良さに内心で驚いていた。
ユイシークから彼女は使い物になるとは聞かされたが、正直ケイルは半信半疑だった。リーナほどに様々な局面で有能な人物は貴族の間を探してもそうはいないのだから。
だが、彼女なら少なくともユイシークの政務の補佐なら問題ないだろうとケイルは判断した。彼女ならリーナの代役を十分に務められるだろう。
「つまり、この書類の中からケイル様の仰る危急性の高いものを選び出し、順次シーク様に回せばよろしいのですね?」
「その通です。お願いできますか?」
「判りました。やってみます」
肯いたミフィシーリアは普段リーナが使っている机の椅子に腰を下ろすと、山と積まれた書類を崩しにかかった。
「無理だな。両方は手が回らねぇ」
「やっぱ、そうだよなぁ」
「街道沿いの盗賊は虎の子の精鋭を派遣すれば何とかなるが、魔獣──岩魚竜は軍じゃ討伐は難しいぜ? 数頼みで攻めても無駄に消耗するだけだ」
「となると、城下の魔獣狩りに依頼を回すか……あ、それより俺が直接出向くってのはどうだ?」
「アホ抜かせ。おまえがわざわざ出向かなくても、『轟く雷鳴』亭のリントーの親父に頼んだらどうよ? あの親父なら悪くは扱わねぇだろ? 特におまえが指名すればよ?」
「ちぇ、仕様がねえな。まあ、あの親父には昔世話になったし、報酬もちょっと色付けてやるか」
先程ケイルが提示した二枚の書類を眺めながら、ユイシークとジェイクが意見を交わすのをミフィシーリアは手元の書類に目を通しながら何気なく聞いていた。
ケイルは自身の仕事のため、ミフィシーリアに仕事の手順を説明した後、早々にこの執務室を後にしている。
ジェイクが残っているのは、派遣できそうな軍についてユイシークから意見を求められたからだ。
ぼんやりと二人のやり取りを聞きながらも、ミフィシーリアは必死に書類に目を通す。
言われた通りに書類を急を要するものとそうでないものに振り分ける。そして振り分けられた書類の内、急を要するものをある程度溜めると、それを今度はユイシークの執務机へと運ぶ。
そして自分が使用している机に戻り、その上の書類の山を見たミフィシーリアは少しうんざりした。
いくら書類を仕分けても、全然量が減ったようには見えないのだ。
聞けばこの仕事をリーナは毎日行っているという。それだけで彼女の凄さが実感できるミフィシーリアだった。
そしてこの時になって、彼女はようやく一つの疑問を感じた。
「そういえばリーナ様はどうされたのですか? 本日は急に政務のお手伝いができなくなったと聞かされましたが……」
ミフィシーリアが聞かされたのは、いつもユイシークの補佐をしているリーナがとある理由でそれができなくなり、その代役をお願いできないかというだけであった。当のリーナがどうしたのかまでは聞いていなかったのだ。
「ああ、リィなら──」
「げ! この馬鹿!」
ユイシークの言葉を遮ろうとジェイクが慌てて割り込むがその努力も虚しく。ユイシークは平然と今朝の事をミフィシーリアに語って聞かせた。語ってしまった。
「あの後、着替えのために自室に戻ったんだが、そこにリィがいてな」
「リーナ様がシーク様の自室に? リーナ様は無断でシーク様の部屋に立ち入ったのですか?」
「ん? ああ、あいつは毎朝政務の前に俺を自室まで呼びに来るからな。いつもの事だし、部屋には自由に立ち入っていいとも言ってある」
「……そ、そうなのですか……」
どこか暗そうなミフィシーリアの声を不審に思いつつも、ユイシークは続ける。
「あいつに限らず、側妃は全員俺の部屋に自由に入る許可を与えてある。あ、もちろんおまえも構わないからな?」
「あ、ありがとうございます……」
「で、夕べもちらっと言っただろ? あいつにはおまえに色々と吹き込んだ罰を与えると。で、ちょっとお仕置きをしたんだが……やりすぎちまってな。起き上がれなくなっちまったんだよ」
「──────え?」
ミフィシーリアの顔が驚愕に引き攣る。それをちらりと見たジェイクがあちゃーと手で顔を覆いながら天井を仰ぐ。
だが、当のユイシークは二人の様子に気づく事もなかった。
「これも夕べ言ったが、やっぱりおまえは頭が切れる。だからリィの代役に呼んだんだ。実際、今日のおまえを見てケイルの奴も認めたようだしな……って、どうした、ミフィ?」
ユイシークは黙って俯いてしまっているミフィシーリアに、この時になってようやく気づいた。
ミフィシーリアの様子がおかしいと感じたユイシークが彼女へと歩み寄る。だが、ミフィシーリアはそれを拒絶するかのように数歩後ずさると無言のまま執務室を飛び出した。
後に残されたのは呆然としたユイシークと、忌々しそうに顔を歪めるジェイク。そしてジェイクは歪めた顔のままユイシークの背後からぽんと肩に手を置く。
振り返ったユイシークの頬を、ジェイクの拳が打ち貫いた。
「ぐぅ──っ!!」
倒れたユイシークは殴られた頬を押さえながら、冷たく自分を見下ろす親友ともいうべき男を見上げる。
「何しやがるっ!?」
「前からおまえは馬鹿だ、馬鹿だと思っていたが……今日ほどおまえを馬鹿だと思った事はねぇぜ?」
ジェイクはユイシークの胸ぐらを掴むと、そのまま強引に彼を立ち上がらせる。
「あの嬢ちゃんに言わねぇでもいい事を平気でべらべらと喋くりやがって。本当、馬鹿だよおまえは!」
「言わなくてもいい事だと? 一体何の事だよっ!?」
「まだ気づかねぇのか? だからおまえは馬鹿だっつぅんだ! 夕べ、おまえはあの嬢ちゃんの部屋に泊まっただろう?」
「あ、ああ……。どうして判った?」
「判らいでか。伊達にガキの頃からの付き合いじゃねぇよ。もっとも、さっきのおまえたちの会話を聞いてりゃ誰だった判るだろうがな」
間近で真っ直ぐに自分を射抜くジェイクの瞳。その瞳に浮かぶ怒りと苛立ちが、ユイシークに反論を躊躇わせた。
「で? おまえは今朝、嬢ちゃんの部屋から自室に戻り、そこでリーナに何をした?」
「──あ……」
ここに至り、ようやくユイシークはジェイクの言いたいことを理解した。
「おまえがおまえの女たちに何しようが勝手だ。それに俺同様付き合いの長いアーシアやサリナたちはいいさ。子供の頃からの付き合いだ、おまえの事は色々と理解しているし、互いに割り切ってもいる。だが、あの嬢ちゃんはまだそこに至ってねぇ。それなのにおまえは! 嬢ちゃんと別れた後、すぐに他の女を抱いただと? さっきも言ったがリーナはおまえの女だ。どう扱おうが好きにしやがれ。だが、それをわざわざ自慢げにあの嬢ちゃんに言う必要があるのか?」
自分と別れた直後に他の女性を抱く。それを知ったその女性がどんな感情にとらわれるか。
少し考えれば容易に理解できる。もちろんそれはユイシークにも。
ユイシークはいまだに自分の胸ぐらを捕まえているジェイクの手を強引に振り払うと、服の乱れを直す事さえせずにそのまま執務室を飛び出した。
遠ざかって行く足音を聞きながら、ジェイクは主人のいなくなった執務机の椅子に無遠慮に腰を下ろして一人ごちる。
「ったく世話のやける親友だぜ。こんな事ならあの嬢ちゃんはやっぱり俺の嫁にしておけば良かったかねぇ……」
溜め息と共に誰に聞かせる事もなく吐き出された呟きは、高い天井に吸い込まれるように消えていく。
そしてジェイクは今自分が口にした内容に、今度は別の意味で深々と溜め息を吐く。
「…………やべぇ……ひょっとしてまじに惚れたか? あの嬢ちゃんに?」
今度の呟きも、誰に聞かれる事もなく消え失せていった。
自室である第六の間に一人戻ったミフィシーリア。
彼女は突然戻って驚いているメリアをも無視して、寝室に駆け込むと扉を閉じて鍵をかけた。
一人ベッドに倒れ込むミフィシーリア。自分でも気づかないうちに、彼女を頬を涙が濡らしていた。
どれくらいそうしていたのか。気づけば寝室の扉を誰か──おそらくメリアだろう──が、遠慮がちにノックしていた。
「──どうしたの?」
涙を拭い、何とか震えない声で問いただす。
その問いに応えたのはやはりメリアだった。
「あ、あのお嬢様……お客様がおみえなのですが……」
「お客様……?」
もしかしてユイシークだろうか。だとしたら今は、今だけは会いたくない。
だが、扉の向こうから聞こえてきた名前は、ミフィシーリアが予想もしていない人物のものだった。
「そ、それが……第二側妃のサリナ・クラークス様がおみえなのです……」
「サリナ様が……?」
第二側妃にしてこの国の宰相であるガーイルド・クラークスの一人娘。
いくら今、自分の気持ちが落ち込んでいようとも、無下に帰って貰っていい相手ではないとミフィシーリアは判断した。
「会います。ですが、しばらく準備の時間をいただいて貰えるかしら?」
寝室を出たミフィシーリアは何度も顔を洗い、メリアに手伝ってもらって軽く化粧を施す。
そして準備が整ったところで、改めてサリナを迎え入れる。
「お初にお目通り致します、ミフィシーリア・アマロー様。わたくし、サリナ・クラークスと申します。以後、よしなに」
扉を開けた向こうで、彼女は数人の侍女を引き連れて優雅に頭を垂れた。
「こ、こちらこそ、サリナ・クラークス様。ミフィシーリア・アマローです。本来なら私の方からご挨拶に向かわねばならないのに……」
「お気になさらずに。わたくしの方こそいきなりのご訪問、申し訳ありませんわ」
悠然と微笑むサリナ。それに会わせて彼女の豪奢な金髪がさらりと揺れた。
ミフィシーリアはサリナを部屋に招き入れ、互いに椅子へと腰を下ろす。
サリナの身長はミフィシーリアよりも僅かに高い。
長く豊かな黄金の髪。蒼玉の如き双眸は優しげに揺れ。ほっそりとした頬のラインはシャープな顎に繋がり、薔薇色の唇は花弁の如き。
身につけているものも黄色を基調にした手の込んだ豪華なドレス。その大きく開いたドレスの胸元からは豊かな谷間が覗いている。
細い腰に豊かな胸廻り。その白魚のような手には一振りの高価そうな扇が握られている。
そして背後に無言で控える数名の侍女たち。
まるで絵に描いたような貴族の令嬢。それがサリナ・カークライトだった。
メリアはサリナの姿を見た時、彼女がいつか想像した通りに金髪の縦ロールだった事に内心でやっぱりと唸った程だった。
「それで本日はどのようなご用件で?」
にこにこと微笑みを絶やさないサリナに、ミフィシーリアは来訪の理由を問う。
「失礼ですが、単刀直入にいきますわね?」
にこにこ。にこにこ。微笑んだままサリナは手にした扇を一度だけぱちりと打ち鳴らした。
「ミフィシーリア・アマロー様。あなたは陛下を愛していますか?」
『辺境令嬢』更新。
前回に引き続き、最低野郎のユイシーク。それに対して何か無駄に格好良いジェイク。
このままジェイクにミフィシーリアをかっさらわれなほどの勢い。もっとユイシークの見せ場もつくらないといけないなと思う今日この頃。
近づいたようで実は全然近づいていないミフィシーリアとユイシークですが、これからなんとか……うん、なんとか……なるかなぁ……。
なんとかなるようにがんばります。今後ともよろしくお願いします。