07-バッタと料理長
開かれた扉の向こうには一人の少女。そして、その少女の背後には兵士らしき二人の男性が控えていた。
来訪の際に告げられた名前を信じるならば、共の者が兵士二人とは少々少ないと思わないでもないが、側妃の一人であるリーナなどは一人も共の者を連れていなかったのだから、この後宮では側妃といえどもあまり共の者を連れて歩いたりはしないのかもしれない。
後宮に入って一日も経っていないメリアは、そんな事を考えながらその少女一行を部屋に招き入れた。
部屋の主であるミフィシーリアも、様々な噂を持つ少女との急な対面に、戸惑いを覚えながらも笑みを浮かべて挨拶を交わす。
「初めてお目通り致します、アーシア様。本日この後宮に入りましたミフィシーリア・アマローです。本来なら新参者である私の方からご挨拶に伺わねばならないところ、わざわざお越し下さり申し訳ありません」
「う、ううん、こ、こちらこそ! ボク、アーシア・ミセナルです。は、初めましてっ!!」
低頭しながら口上を述べるミフィシーリアに、少女もまた慌ててぺこりと頭を下げた。
ミフィシーリアは目の前に佇む『癒し姫』アーシア・ミナセルを、無礼にならないように注意しながら見てみる。
国王であるユイシークと同い年と聞いているから、目の前の少女は自分よりも二歳年上の18歳のはず。だが、小柄で童顔な少女の外見は、良くて自分と同い年か、下手すると自分よりも幼く見える。
だが、飾り気は少ないが上質そうな衣服に包まれた肢体は、自分などよりも余程成熟した大人のそれだった。
美しい明るい茶色の髪を腰ほどまで伸ばし、大きな黒瞳は宝石のように輝いている。
白い、というよりはやや色素の濃い肌は、この少女の健康そうな魅力を一層引き立てていた。
そして桜色の可憐な唇からは、どこかたどたどしい言葉が漏れ響く。
「えっ……と、そ、その……ミフィシーリア……さん……じゃないや、ミフィシーリア様……?」
ふらふらと視線の定まらないアーシア。彼女の瞳はミフィシーリアと背後に控えた兵士が持っている小さな箱との間を行き来する。
「あ、あのね、ぼ、ボク、ミフィシーリア様に贈り物を持って来たんだ……けど……」
意を決したように告げたアーシアが背後の兵士を見る。それに合わせて箱を持った兵士が数歩前に出て、持っていた箱をメリアに手渡した。
「わざわざありがとうございますアーシア様。開けてみてもよろしいですか?」
「え……っ!? あ、あああああ、開けちゃうのっ!? い、いいい、いいよっ!! ど、どうぞ……っ!!」
そう言ったアーシアは、くるりとミフィシーリアたちに背を向けると、ぎゅっと目を瞑り両手で耳を押さえ、その場にしゃがみ込む。
アーシアの態度に思わず顔を見合わせるミフィシーリアとメリア。アーシアに付き従って来た二人の兵士も互いに顔を見合わせて苦笑している。
開ける事に嫌な予感しかしないミフィシーリアとメリア。それでも開けると言った以上、開けないわけにはいかず、メリアは一息呼吸すると意を決して箱の蓋を開けた。
途端、箱の中から緑色の何かがぴょんと飛び出し、ぴとっとメリアの顔に張り付いた。
「うきゃああああああああああっっっ!!」
堪らず悲鳴を上げ、メリアは慌てて顔を手で払う。
その調子にメリアの顔に張り付いたものは、彼女の顔を足場に更にぴょーんと飛び跳ねてぽとんと着地した。
「へ?」
「あ!」
「え?」
──アーシアの頭の上に。
「にゃ、にゃみゃあああああああああぁぁぁぁぁぁっ!!」
アーシアの頭の上に降り立ったそれ──緑色の15センチ以上はある巨大なバッタ──は、足元から急に発せられた奇声に驚き、更に跳躍する。
「みゃあああああああっ!! ぼ、ボク、虫大っ嫌いなんだよおおおおおおおっ!! だ、誰か早く捕まえてええええええぇぇぇぇっ!!」
結局、その大騒ぎを納めたのはミフィシーリアだった。
メリアに加えて二人の兵士も右往左往しながらバッタを捕まえようとするも、巨大バッタは持ち前の跳躍力を活かして第六の間の中を逃げ回った。
やがてバッタも疲れたのか、窓のカーテンにしがみついたところをミフィシーリアが捕獲し、そのままバッタを窓の外に逃がしてやった。
バッタがいなくなってようやく落ち着いた一行。そんな中、アーシアがミフィシーリアを見る目が明かに変わっていた。
まるで偉大な人物を見るかのような、尊敬の念が篭もった眼差しに。
「す……凄いね、ミフィシーリアさん! あんな大きなバッタを手で捕まえて、そのままぱっと外に捨てちゃうなんて!」
「ええ、私、弟がいるものですから。小さな時はよく、弟と一緒に原っぱで虫取りをしてましたもので」
アーシアがミフィシーリアを見る眼に、更にきらきらとした輝きが宿る。
「ところで、アーシア様。一つ伺ってもよろしいでしょうか?」
「あ、ボクの事はアーシィって呼んでよ! 仲のいい人たちはみんなそう呼ぶんだ。だからミフィシーリアさんにもそう呼んで欲しいな」
「い、いいえ、とんでもない! 私ごときがアーシア様をそのように呼ぶなど……」
「えー、ボクは全然気にしないのに……」
不満そうに口を尖らせるアーシアと、そんなアーシアの態度に苦笑するしかないミフィシーリア。
メリアと二人の兵士が散らかった第六の間を何とか片づけ、アーシアとミフィシーリアは改めてソファに腰を下ろす。
「それで、ボクに聞きたい事ってなに?」
「その……ですね? どうして虫が苦手なのに、わざわざ捕まえてまで私のところに?」
その質問をされた瞬間、それまで笑顔だったアーシアの顔色がさっと青ざめた。
先ほどのバッタを思い出したのか、それともミフィシーリアに対する罪悪感がそうさせるのか。
あーとか、うーとか唸り、きょろきょろと周囲に視線を泳がせつつも、覚悟を決めたのかぽつりぽつりとアーシアは語る。
「あ、あのね……実は……シィくんに言われたんだよ……」
「シィくん……?」
「あ、シィくんっていうのはユイシークくんの事でね……」
「……つまり、これは国王陛下がらみの悪戯だったわけですね……」
疲れたように呟くミフィシーリアをよそに、アーシアの『懺悔』は続く。
「……シィくんがボクに言ったんだよ。後宮に後から入ってくる人に、先輩は意地悪しなきゃいけないって……それが後宮の決まり事だからって……。それでね、ボク、どんな意地悪したらいいのか判らなくって、シィくんに聞いてみたんだ。そしたら、シィくんが『自分がやられたら嫌な事をしてみろ』って……だから……」
「……それでご自分が嫌いな虫を私のところに持って来たというわけですか……」
「うん……ご、ごめんね、ミフィシーリアさん……」
大きな瞳にうっすらと涙を浮かべ、下から見上げるように謝るアーシアに、ミフィシーリアは顔を上げるように告げる。
「気にしないでください、アーシア様。幸い……というと語弊がありますが、この手の悪戯には私、実は慣れっこなんですよ?」
「え?」
「先程、弟がいると申しましたでしょう? その弟からこういう悪戯はよくされましたから」
朝、目覚めると枕元に大量の団子虫が蠢いていたり、服の中に黄金虫を入れられたり。やんちゃな弟は、よく自分にそんな悪戯をしでかしたものだった。
その時は悲鳴を上げて泣きながら走り回ったりしたが、今となっては懐かしい思い出に昇華されていた。
「ですから気にしないでくださいね?」
「うん! ありがとう!」
「それにリーナ様も仰ってましたよ? 陛下の言う事はいちいち真面目に聞く必要はない。適当に聞き流せと」
「うん、ボクもよくリィに言われるよ。でも、シィくんが言うことだと、ついつい信じちゃうんだ」
アーシアは、真っ赤に染まった顔を伏せながら告げた。
そう告げた時のアーシアの顔は、ミフィシーリアから見てもとても幸せそうなもので、アーシアがユイシークに対してどういう気持ちを抱えているのかがとてもよく伝わってきた。
リーナにアーシア。それにまだ見ぬ二人の側妃たちも、きっと心の底からユイシークに想いを寄せているのだろう。
そして、彼女たちにそんな想いを抱かせるユイシーク。彼とはまだ真面な会話も交わしていないが、それでもユイシークに対する興味が、ミフィシーリアの中でどんどんと大きくなっている事に彼女は気づいていた。
その後、しばらくとりとめのない会話を交わして、アーシアは二人の兵士を従えて第六の間を後にした。
その際、次はボクの第二の間に遊びに来てね、と言い置いて。
そして現在、メリアは後宮の慣れない廊下を歩いているところだった。
アーシアが去った時、外はすっかり暗くなっていた。そこでメリアは慌ててミフィシーリアの夕食を厨房まで取りに行くために第六の間を飛び出したのだ。
メリアは慣れない後宮の廊下を、途中何度も道に迷いながら歩く。
後宮初日のメリアが無事にここまで来れたのは、ひとえに親切な侍女や使用人たちのおかげであった。
中には自分が今日後宮入りしたミフィシーリアの侍女であると知ると、あからさまに顔を顰める侍女たちもいたが、殆どの者がメリアに親切に接してくれた。
新参者はもっと冷たく扱われると思っていたメリアは、アーシアやリーナといった人当りの良い側妃たちといい、親切な使用人たちといい、ちょっと拍子抜けした思いだった
「──それでも、まだ第一仮想敵の側妃様に出会ってないものね。油断大敵、気を抜いちゃだめよ!」
メリアが目下第一の仮想敵として秘かに認定しているのは、第二側妃であるサリナ・クラークス。
かつてこの後宮にいた多くの側妃を追い出したというサリナ。実際にはどんな人物かは不明だが、その逸話から考えるにミフィシーリアに親しく接してくるとはちょっと考えづらい。
だからメリアは自分に言い聞かせる。弱みを見せて相手につけ込む隙を与えないように、と。
そうやって内心で気合いを入れている間に、メリアは厨房に辿り着く。
扉をノックして来訪の目的を告げると、中から若い女性の声で入室の許可が与えられた。
(今の声……ずいぶん若い女の人の声みたいだったけど……厨房で働く料理人かしら?)
そう考えながら改めてドアを開けると、目の前に若い女性が待っていた。
長く艶やかな明るい茶色の髪を、背中で大きく三つ編みにしたその女性。身につけているものは厨房で働く他の者と一緒の仕事着だ。そして涼しげな暗青の瞳がにこやかな笑みに揺れていた。
「え、えっと、ミフィシーリア様付きの侍女でメリアといいます。ミフィシーリア様のお夕食を取りに伺いました」
「ええ、お話は聞いていますよ。準備してありますから、どうぞお持ちください」
その女性が背後に目配せすると、厨房で働く料理人の一人が料理を載せたワゴンを押してきた。
ワゴンに積まれているものを確認した女性は、改めてメリアに向き直りぺこりと頭を下げる。
「申し後れました。私はここの管理をしておりますアミリシアと申します。これからもよろしくお願いしますね」
「あ、管理ってことは料理長さんって事ですか? ずいぶんお若いのに料理長を勤めるなんて、アミリシアさんは優秀な料理人なんですね」
「いえ、優秀だなんてとんでもない。私はただ好きでやっているだけですよ」
にっこりと微笑む女性。その女性の年齢は二十代後半程に見える。どう多めに見ても、三十の半ばを越えることはないとメリアには思えた。
あの若さで後宮の料理長なんて、きっとものすごい料理人なんだろうなあ、と思いつつメリアは食事を載せたワゴンを押して厨房を後にする。
そして、第六の間へと帰る途中、ふと彼女はある事に思い至った。
「……さっきの料理長さん……どこかで会ったような気がするなぁ……。どこだっけ?」
メリアが厨房から持ってきた夕食を食べたミフィシーリアは、その料理のあまりの美味さにとても驚いた。
それはメリアも同様で、アミリシアがあの若さで料理長を勤めているのが納得できる美味さだった。
「こんな美味しい料理、食べたことないわ……」
「本当……美味しいですねえ。これだけでも、はるばる王都まで来たかいがあったってものですね」
「もう、メリアったら」
実家では自らも時々料理をしていたミフィシーリアは、とてもではないが自分ではこれだけ美味い料理を作る自信がない。
メリアもあまりの美味しさにひたすら料理を食べている。
本来、側妃と侍女が同じテーブルで食事をする事はない。だが、これまで姉妹同様に育ってきたミフィシーリアは、メリアと一緒のテーブルで食事することに何の抵抗もなかった。
そして、まるでそれを見越したかのように、食事の積まれたワゴンにはミフィシーリアの分だけではなく、メリアの分まで用意されていたのだ。
そして食事が済むと、メリアは使った食器などをワゴンに載せ、再び厨房へ向かう。
残念な事にアミリシアは不在だったが、厨房のいた料理人にとても美味しい夕食だったと彼女への伝言を頼み、先程食事を載せたワゴンに今度は湯の入った桶を幾つも載せて、メリアは来た道を再び戻る。
もちろん、湯は入浴の際に使用するものだ。
第六の間には浴室があったが、それは石張りの部屋にバスタブが置かれただけのもので、昨夜客室で見たようなきちんとした湯船のあるものではなかった。
昼にリーナが側妃専用の大浴場があると言っていたので、きちんとした浴室はそちらなのだろう。
だが、今日は後宮入り初日ということもあって、ミフィシーリアは自室での入浴を望んだ。
そのために、厨房で沸かしてもらった湯をこうしてメリアが運んでいるといるのだった。
メリアが持ち帰った湯をバスタブに張り、さっそくミフィシーリアは入浴する。
本来、貴族の令嬢なら入浴中も侍女に様々な世話をやいてもらうのだろうが、実家では一人で入浴していたミフィシーリアである。メリアの手を借りることなく入浴を慣れた様子で済ませる。
ミフィシーリアが入浴している間に、メリアも使用人用の浴場へ出向いて入浴を済ませた。
そして、長かった後宮初日が終わる。いや、ミフィシーリアは終わったと思い込んでいた。
だが、彼女の後宮初日はまだ終わらなかったのである。
ベッドに入った途端、ミフィシーリアは眠りに誘われた。
やはり後宮初日とあって、色々と疲れがあったのだろう。そして、後宮初日という事で油断もしていた。
夜中、何やらずしりと身体に重みがかかった事で、ミフィシーリアはぼんやりと目覚めた。
しかし、ぼんやりとした意識はすぐにはっきりと覚醒する。
なぜなら、寝ている自分の上に黒ずくめの人物がのしかかり、首筋に氷の様に冷たい短剣の刃を突きつけていたのだから。
『辺境令嬢』更新。
最近、なんとなく不調だけど、なんとかがんばってみた。
ジャンルが「恋愛」としてあるのに、恋愛の「れ」の字も出ていない気がしなくもないけど、気長にお付き合いねがえれば、いずれは恋愛的な要素も出てくると思います。ええ、きっと。
そんなわけで、これからもよろしくお願いします。