06-ユイシークの思惑
「宰相閣下と宰相補殿がお見えです」
国王の執務室の外で警備に当たっていた近衛兵が来客を告げた。
それを聞いたリーナは、部屋の主に相談する事もなく勝手に扉を空ける許可を出す。
近衛兵が開けた扉を潜り入室して来たのは、この国の宰相であるガーイルド・クラークス侯爵と、彼の補佐役であるケイル・クーゼルガン伯爵であった。
カノルドス王国宰相・ガーイルド・クラークス侯爵。
『解放戦争』以前は辺境伯でしかなったが、ユイシークと共に『解放戦争』を勝ち抜き、今では御三家の一角としてこの国の中枢を担う人物である。
四十も半ばを越した中年男性だが、その上背のあるがっしりとした身体つきと厳つい容貌は、どう見ても文官ではなく武官に見える。
事実、彼はユイシークたちと一緒に戦場を駆け抜けてきた武人でもあるのだ。
だが、同時に政治家としても卓越した手腕を持ち、現在はこの国の政治を取り仕切っている。
本人曰く、文官よりも武官としてありたいのだが、他に人材がいないので仕方なく宰相をやっているとの事。
だが現在、彼の下にはケイルやリーナという優れた人材が育ちつつあり、数年もすると彼らに政治を任せて軍の方に移るのではないか、という噂もある。
そして彼らが入室した時、この部屋の主にして国王であるユイシーク・アーザミルド・カノルドスは、執務用の机の前で──────完璧にだれていた。
「……もう嫌だぁ……仕事したくないぃ……王様なんてなるんじゃなかったぁ……」
死んだ魚のような瞳でぶちぶちと文句を言いつつも、それでも手だけは動いているのは感心するべきか、呆れるべきか。
ユイシークは今、ミフィシーリアのお披露目に招く招待客への案内状に、彼の直筆のサインを入れていた。
招待状といってもその数は膨大で、王都に住む貴族のみならず、自領にいる貴族や隣国にまでその招待状は届けられる。
そしてサインが入れられた招待状は王家の紋章の透かしを入れた封筒に入れられ、リーナがその封筒を丁寧に封蝋していく。
リーナは封蝋の傍ら、宥めたりすかしたりあの手この手を駆使して、招待状のあまりの多さに完全にだれたユイシークに何とかサインを入れさせていた。
こんな芸当ができるのは王宮でもリーナのみと言われており、これができるからこそ彼女はユイシークの側役として認められ、一度は奴隷に落とされたものの、今では側妃の一人としてまで登り詰めたのだ。
「相変わらず苦労しとるな、リーナ……」
「……いつもの事です。ガーイルド様」
ユイシークの執務机の横に置かれた机で彼の仕事の補佐をしていたリーナは、ガーイルドから呆れと憐れみの混じり合った視線を向けられて、いつものように溜め息を零した。
「おぉぅ、ガーイルドのおっさんじゃないか。なあ、おっさん。王様代わってくれ。今日からはおっさんが王様でいいだろ?」
「馬鹿者。儂に王が務まるようなら、最初から貴様を担ぎ上げたりはせんわ」
「じゃあ、ケイルでいいや。おまえ、今日から王様な」
「断わる。今の仕事でも大変だというのに、それ以上に大変な国王なんてやっていられるか」
もしここでガーイルドなりケイルなりが首を縦に振ろうものなら、ユイシークは本気で王位を譲るだろう。それが判っているからこそ、二人は決して首を縦には振らない。
そんなユイシークたちの遣り取りを聞きながら、リーナは思わず苦笑する。
世の貴族の中には、何とかして権力を得ようとしている連中が数多くいるというのに、今この場では権力の最高峰ともいうべき国王の座をお互いになすりつけようとしている。
もし、そんな連中がこの遣り取りを目にしたら、一体どう思うだろうか。
一度本当にこの場を権力を欲しがる貴族連中に見せてやろうかしら、と考えながら、リーナはガーイルドたちの来訪の目的を尋ねた。
「うむ。貴様が新しい側妃を迎えたという話を聞き付けた貴族どもが、早速売り込みをかけてきおったわ」
ガーイルドがちらりと傍らのケイルを見やると、ケイルは手にしていた書類をユイシーク……ではなく、リーナに手渡した。ユイシークに直接渡すと、他の書類に紛れて紛失しかねない、という長年の付き合いから来る行為だ。
それを承知しているリーナは、何も言わずに置かれた書類を手に取り、ぱらぱらとその中に眼を通す。
「新たに側妃となる事を希望している令嬢たちの一覧……ですか」
「やれやれ……どこもかしこも馬鹿ばっかりか。一人側妃を増やしたからといって、続けて三人も四人も増やすとでも思っているのか?」
「思っておるのだろうな。連中も何とか貴様に取り入ろうと必死なのだろうよ」
「確かに馬鹿ばかりだな」
男性陣三人がそんな遣り取りをしている間、一覧に目を通していたリーナはある事に気づいた。
「……何か見覚えのある名前が幾つか一覧に載っていますけど……これって本気なのでしょうか?」
目録から目を上げたリーナが、不審そうな顔でガーイルドを見上げた。
「無論、本気なのであろうよ」
「信じられないわね……」
二人の会話に興味を引かれたユイシークは、リーナから一覧を受け取り目を通す。
「何だこりゃ? 以前に後宮から追い出された奴の名前が幾つもあるぞ?」
「ね? 正気を疑うでしょう?」
目録には十数人の貴族令嬢の名前が連ねてあったが、その中にかつて側妃として後宮に上がり、国王の寵愛を一度も受けることなく追い出された者の名前が幾つか載っていた。
「貴様が無名の辺境貴族の娘を後宮入りさせた事で、連中は貴様が今の側妃殿たちに飽きでもしたと考えたのだろうよ」
「だからって、一度追い出された奴を、また後宮入りさせようとするか?」
「先程貴様も言っただろう。連中は間違いなく馬鹿なのだろうさ」
「こんな権力を得ることしか頭にないような奴の娘を後宮入りさせる必要はない。これは国王としての命令だ」
国王の命令。ユイシークがそう認めた途端、それまではとても一国の王に対する態度とは思えなかったガーイルドたちが、一斉に背筋を伸ばして低頭し「御意」と返答する。
私人から公人へ。彼らの意識は一瞬で切り替わる。この切り替えができないようでは、ユイシークの側近は務まらない。
「して、陛下。一つお聞きしてもよろしいか?」
公人として、国王を補佐する宰相としての立場で、ガーイルドはユイシークに質問する。
「何故陛下は今回、アマロー男爵の娘を後宮入りさせる決意をなされたか?」
ガーイルドのこの問いに、ユイシークは執務机の椅子に座り直し、腕を組みながら眼を閉じた。
そして、しばらくの間そうしていたユイシークが再び眼を開いた時、この国の将来を左右しかねない発言が飛び出した。
「俺はアマロー男爵の娘を……ミフィシーリア・アマローを正妃に迎えようと考えている」
ジークントの診察が終わり、彼が退室したところでミフィシーリアはふうと疲れを吐き出すように大きく息をした。
診察を受けながら、ミフィシーリアは改めてジークントを観察した。
確かに彼はリーナとは姉弟のようで、面影やちょっとした仕草などが良く似ていた。
特に髪の色はリーナそっくりの亜麻色。年齢はリーナより三つ下でミフィシーリアよりは一つ年下の15歳だとか。
幼さが残るものの、その面差しは姉同様整っており、後数年もすればきっと周りの女性から注目されるようになるだろう。
彼自身見習いと言っていたように、まだまだ診察にも慣れていないようで、真っ赤になりながらミフィシーリアの身体に触れていた。
特に女性の月のものの周期について聞いた時など、見ているのが気の毒になるほど赤くなっていた。
ミフィシーリアとて子を成すのに月のものが密接に関連してくるのは知っていたので、彼女もまた真っ赤になりながら正直に答えた。
端から見ていたメリアなど、二人のどこか初々しい姿に思わず笑みを浮かべた程だ。
そしてジークントが診察を終えたのは、既に空が茜に染まり始める頃合いだった。
「お嬢様、夕飯はどうしますか? そろそろ取りに行って来ましょうか?」
リーナにこの第六の間まで案内された時、彼女に夕飯はどうするか尋ねられた。
彼女が言うには、この部屋で食べてもいいし、食堂へ出向いてもいいらしい。
さすがに初日という事もあり、ミフィシーリアはこの部屋で食事をする方を選んだ。
これからどれだけこの部屋で暮らす事になるのかは不明だが、当分はこの部屋で暮らすのは間違いない。早くこの部屋に馴染むためにも、初日である今日はこの部屋で食事がしたかったのだ。
ミフィシーリアがリーナにそう告げると、彼女は微笑んでそれを了承してくれた。但し、食事そのものはメリアが厨房からここまで運ばなければならないと付け加えて。
それゆえのメリアの問いに、ミフィシーリアは少しだけ考えを巡らせる。
「そうね……食事はもう少し後でもいいわ。取り敢えずお茶が飲みたい気分ね」
これに応じたメリアがお茶の準備をしようとした時、誰かが部屋の扉を叩き来客がある事を知らせた。
「本気か、シーク?」
驚いた顔のケイルがそう尋ねるまで、どれだけの時間がかかっただろうか。
それ程、先程ユイシークが口にした言葉は衝撃的だった。
「──あの娘のどこにそんなに惹かれたの?」
震える声でリーナが尋ねる。
彼女も側妃の一人である以上、それは仕方のない事だろう。
彼女とてユイシークの隣に立つ事を夢見ぬわけではない。もちろん、それは正妃として権力を得たいとかではなく、一人の女として愛する男の隣に立ちたいという願望からだ。
だが、その一方で自分が正妃になるのは極めて難しい事も理解していた。
只でさえ平民出身の彼女である。更には奴隷にまで落ちた経験もある。例えそれがユイシーク本人に落とされたとしても、隣国に対する対外的な面などを考えてまず有り得ないだろう。
それでもやはり、ユイシーク本人から他の者を正妃に迎えると言われた衝撃は隠しきれなかった。
そしてそれを理解しているユイシークは、普段からは考えられないような優しげな笑みを浮かべてリーナを見た。
「別にあいつに惹かれたわけでも、惚れたわけでもないさ。確かに興味はあるがな」
「ならば、なぜあの娘なのだ? こう言ってはなんだが、アマロー家は貴様の後ろ楯とするには明らかに役不足だぞ?」
正妃に求められるもの。その一つに王権の磐石化が上げられる。
力のある家柄の娘を正妃に迎えれば、その家が後ろ楯となり自身の王としての立場を固める事ができる。
それ故、正妃には家柄が求められるのだ。
だがアマロー家は下級貴族であり、とてもではないが後ろ楯とは成り得ない。
だからユイシークがミフィシーリアを選ぶ以上、家柄ではなくミフィシーリア個人を気に入ったからとガーイルドたちは考えたのだ。
しかし、ユイシークはミフィシーリア個人を気に入ったわけではないと言う。ガーイルドが疑問に思うのも当然と言えるだろう。
「あいつ……ミフィシーリアやアマロー家は権力向上の願望が低い。それがミフィシーリアを正妃に迎える最大の理由だ。おまえたちだって、どうして以前のカノルドス王国が腐り果てたか忘れたわけじゃあるまい?」
この言葉で、ガーイルドはユイシークの考えている事を正確に理解した。
『解放戦争』以前のこの国があそこまで腐り果てたのは、王権の弱まりと貴族の権力の増大だとガーイルドは考えていた。
国の中心たる王の力が弱まったことで、周囲の貴族たちは歯止めが効かなくなった。
本来絶対者であるべき王の言葉を聞こうともせず、自分たちの都合のいい事ばかりを行った。それは自領だけではなく、この王都においてもだ。
そのため貴族たちの横行は増大し、国の屋台骨までをも弱らせてしまった。
その二の舞を踏まないため、ユイシークは敢えて力の弱い家柄から正妃を迎えようとしているのだ。
力のある家柄から正妃を迎えるという事は、王家の力を強めると同時に、正妃を送り出した家の力を強めるという事でもあるのだから。
今のカノルドス王国で最も力の強い家柄は言わずと知れた御三家である。そしてその三家からは、一人ずつ令嬢が側妃として後宮に入っている。
「まあ、そういうわけだから、おっさんトコやカークライト家、それにアミィさんトコから正妃を迎えるつもりはないんだ」
「ならば、リーナを正妃に迎えればいいだろう? 何もアマローの令嬢を正妃に迎える必要もあるまい」
ケイルの言葉にユイシークは苦笑を浮かべる。
確かにリーナを養女として迎え入れたカーリオン伯爵家は、ミナセル公爵家の外戚に当たるものの、さほど権力の強い家柄ではない。
というより、その程度の家柄だったからこそ、一度は奴隷に落とされたリーナを快く養女として迎え入れてくれたのだが。
「おまえだってそれが難しい事は承知しているだろうに。俺個人としてならリィを正妃として迎えても一向に構わないんだが──」
ちらり、とユイシークはリーナを流し見る。途端、リーナの普段は白い美貌が真っ赤に染まる。
「ちぇ、こんな事ならリィを奴隷になんか落とすんじゃなかったぜ」
そうしたらこんなに悩まなくても済んだのに、とユイシークはリーナを見やり、リーナはあまりの気恥ずかしさに更に真っ赤に染まって顔を背けた。
「ならば、アマローの娘を正妃として迎える方向で今後は動くか?」
「できればそうしたいところだが……問題はあの人がどう動くか……だな」
ガーイルドの言葉にそう答えたユイシーク。同時にこの場にいる者たちの脳裏に一人の人物が浮び上がる。
彼らが『後宮管理人』と呼んでいる、後宮の実質的な支配者であるその人物を。
『辺境令嬢』更新しました。
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