05-癒し姫
若い。いくら何でも若過ぎないか?
それが扉の向こうに立っていた人物を見たメリアの第一印象だった。
「宮殿医師のジークント・カーリオンと申します」
目の前に立つメリアに対し、そう自己紹介した少年はぺこりと低頭する。
「宮殿の医師様……ですか? 失礼ですが随分とお若いですね?」
私、警戒してます、という態度を隠そうともしないメリアは、単刀直入に宮殿医師と名乗った少年に尋ねる。
確かにその少年の見た目はミフィシーリアと同じくらいの年齢である。宮殿医師という重職に就くには些か若過ぎる。
そんなメリアに対し、少年は困ったような顔をしながらも切り出した。
「不審に思われるかもしれませんが、僕は確かに宮殿医師です。まあ、正確には見習いですけど。それと、本日宮殿医師がこちらに伺うという話は姉から聞いていると思いますが……」
「お姉さん……?」
「はい。宰相補兼侍従長兼第四側妃のリーナ・カーリオンは僕の姉です」
「ああ、リーナ様の弟さんですか……って、ええっ!? あの人、側妃なのに宰相補とか侍従長とかまでやってんですかぁっ!?」
リーナが側妃の一人だろうという予測はしていたが、役職に就いている事までは予想もしていなかったメリアは大いに驚く。
そして同時に、いくら驚いたとはいえ側妃の一人に対して無礼な口の利き方をしてしまった事にも気づく。それも当人の弟と名乗る少年の目の前で。
「も、もももも申し訳ありませんでしたっ!! 側妃様に対して無礼な口を──」
「いえ、お気になさらず。姉はじっとしていられない質でして。きっと根っからの貧乏性なんでしょうね。ところで、中に入ってもよろしいですか?」
メリアがミフィシーリアに入室の許可を取り、ジークントと名乗った宮殿医師の少年を部屋に招き入れた。
ジークントは黒い鞄を持ったままソファに座るミフィシーリアの前まで来ると、そこで再び低頭する。
「改めまして、ミフィシーリア・アマロー様ですね? 僕はジークント・カーリオン。宮殿医師の見習いです。本日はミフィシーリア様のお身体の様子を診察させていただくために参上致しました」
「こちらこそよろしくお願いします。ジークント様は今、ご自分が宮殿医師の見習いと仰しゃられましたが……」
「ええ。実は本日こちらへは、僕の師匠に当たる宮殿医師のシバシィ先生が来る予定だったのです。ですが、先生が急に持病のぎっくり腰を起こしてしまいまして。それで急遽、僕がこちらに伺うように仰せつかりました。先生に比べたらまだまだ未熟者ですが、何とぞよろしくお願い致します」
なるほど、どうりで若いわけだ。とメリアも納得した。
そして改めて見れば、ジークントとリーナの容貌は確かに似通った部分があった。
そうしてメリアがジークントを観察している間に、彼は鞄から様々な器具を取り出して診察の準備をしている。
「では、診察を始めさせていただきます。診察のためミフィシーリア様のお身体に触れさせていただきますが、ご了承願います。それから、少し立ち入った質問もさせていただくと思います。それも診察に必要な事ですから、正直にお答えください」
「ええ、承知しました」
「それでは、失礼致します」
そう答えるとジークントはまず、ミフィシーリアの脈を確かめるために彼女の細く白い腕を手に取った。
騎士たちが使う馬を繋いでおく厩舎。その厩舎の近くを、一人の小柄な少女がうろうろとしていた。
時に厩舎の周囲の草むらにしゃがみ込んで顔を突っ込み、ぶつぶつと呟きながら再び立ち上がると、また厩舎の周囲をうろうろと歩き回り、別の草むらをごそごそと掻き分ける。
少女の身なりは動き易さを重視した、不必要な装飾を省いた簡素なもの。しかし、その服に使われている生地は、そこらの町娘が着るようなものとは明らかに違う上質なものであった。
十五、六歳と思しき小柄な少女。明るい茶色の髪を長く伸ばし、大きな二つの黒瞳はどこか不安げに揺れていた。
そんな少女を、厩舎に馬の様子を見に来た二人の下級兵士が偶然見とがめた。
明らかに行動不審な少女に、誰何の声をかけたのは兵士としては当然の行為だろう。
「おい、そこのおまえ! こんなところで何をしている!?」
「うきゃああぁっ!!」
突然背後から声をかけられ、驚いた少女は素っ頓狂な声を上げて文字通り飛び上がる。
ぴょーんと飛び上がった少女は、着地すると同時に振り返る事もなく脱兎の如く走り出す。
「こら待て! いきなり逃げるとは怪しい奴め!」
当然、彼女を見とがめた兵士たちも、ひょっとすると不審者かも知れないと思い、その少女の後を追って走り出した。
だがそこは小柄な少女と鍛えられた兵士。兵士たちは先行する少女にあっという間に追いつき、その肩を捕まえて立ち止まらせる。
「ご、ごごごごごごごめんなさいっ!! ぼ、ぼぼぼぼボク、別に怪しい者じゃありませんっ!!」
少女は立ち止まり、兵士たちに振り返ると、そのまま何度もぺこぺこと頭を下げる。
そんな少女に、兵士たちは更に不信感を募らせた。
「何を言う。怪しい者じゃないなら、どうして逃げ出したんだ?」
「そうだ。取り敢えず、兵士の詰め所まで来て貰おうか」
「えええぇぇぇっ!? ぼ、ボク、連行されちゃうのっ!?」
少女は下げていた頭を上げ、涙を浮かべたうるうるとした大きな瞳で兵士たちを見上げる。
そんな少女を見て、嗜虐心を刺激された兵士の一人が、下卑た笑いを浮かべる。
「そうとも。詰め所へ連行して詳しく話を聞かせて貰おうか。万が一、下手に隠しだてするようなら……へへへ」
兵士の視線が少女の身体を舐めるように見回す。この少女が小柄で幼い容姿ながらも実にめりはりの効いたボディラインをしているのが、兵士たちは着衣の上からでも容易に想像できた。
少女の肢体を想像しながら下品な笑みを隠そうともしない兵士たちは、相変わらず涙ぐんだ少女の腕を引っ張りながら詰め所へと足を向ける。
だが厩舎まで戻ってきた時、厩舎に繋がれた馬を出そうとした一人の騎士と出くわした。当然騎士は兵士に連れられた少女に興味を示す。
「おい、おまえたち。その少女は何者だ?」
「あ、はい、この女は先程この辺りでうろうろしていた不審者です。これから詰め所まで連れて行って、詳しい話を聞こうかと思いまして」
自分たちよりも身分が高い騎士に質問され、兵士たちは姿勢を正して答えた。
「ふむ、不審者だと……?」
騎士の視線が少女へと向けられる。そして次の瞬間、騎士の顔から表情というものが抜け落ちた。
騎士の態度に兵士たちは不思議そうに互いに顔を見合わせる。だが彼らもまた、騎士が呟いた言葉を聞いた途端、この騎士と同じような態度となる。
「あ……アーシア様……」
兵士たちもその名前には聞き覚えがあった。いや、この王宮に勤める者で、その名前を知らない者はいないと言っていいだろう。兵士たちの顔色が見る見る青ざめる。
アーシア・ミナセル。
国王の従兄妹にして第一側妃。そして最も正妃に近いと言われる女性。
『癒し姫』とも呼ばれる彼女を、聖女の如く扱う者はこの王宮には数多い。目の前の騎士もまた、そんな者の一人であった。
騎士は兵士たちがいまだにアーシアの手を掴んだままなのに気づくと、無言で彼らの頬に拳を叩き込んだ。
「うきゃっ!!」
突然の騎士の行為に悲鳴を上げるアーシア。
地面で頬を押さえてのたうつ兵士たちを一切無視して、騎士はその場に跪いて低頭した。
「申し訳ありません、アーシア様! この者たちが大変失礼な真似を致しました!」
「あう……うぅ……?」
足元で悶える兵士たちと平身低頭する騎士に、アーシアはきょろきょろするばかり。そんなアーシアを置いてきぼりに、騎士は更に言葉を続けた。
「この者たちは厳罰に処します。覚悟はいいな、おまえたち!」
騎士は厳しい視線でいまだに立ち上がれない兵士たちを睨みつける。
「ちょ、ちょっと待ってっ!!」
厳罰という言葉に、アーシアは慌てて倒れている兵士たちに駆け寄った。
「びっくりして思わず逃げちゃったボクが悪いんだ。この人たちは悪くないんだよ。許してあげてくれないかな?」
「はぁ……アーシア様がそう仰しゃるのなら……」
騎士の許しを得てアーシアは安堵の溜め息を吐くと、倒れたまま自分を見上げている兵士たちの傍らにしゃがみ込んだ。
「ごめんね。ボクのせいで痛い思いをさせて……すぐに癒すからね」
アーシアは兵士の赤く腫れ上がった頬に片手を翳す。その手に金色の淡い輝きが宿り、輝きは兵士の腫れた頬に染み込むように消えていく。
「い、痛みが……」
嘘のように消えた痛みに、呆然と呟く兵士にアーシアは優しく微笑みかけ、もう一人の兵士にも同じように『癒し』を施した。
そして『癒し』を施された二人の兵士は、慌てて立ち上がると直立不動でアーシアに敬礼を捧げた。
「あ、ありがとうございましたっ!! このご恩は一生忘れませんっ!!」
「我が命は今日この時より、アーシア様に捧げますっ!!」
アーシアに癒された二人の兵士の目には、先程のような下卑たものは微塵も見られない。
二人の彼女に対する先程の行為は、下手をすると斬首にも相当しかねない重罪だ。
それを他ならぬアーシア本人によって救われた二人の瞳には、アーシアに対する信奉のようなものが明らかに現われている。どうやらまたここに彼女の信者が誕生したようだった。
「ところでアーシア様。このようなところで、共の者も連れずに何をなさっておいでなのですか?」
騎士の質問に、アーシアはあからさまに眼を泳がせた。
「あ、うん、その、えっと……ね? ちょっと探し物をしていたんだけど……」
「探し物……でございますか? 一体何をお探しに? 我らでよろしければお手伝いいたしますが?」
騎士の言葉に、背後に立つ二人の兵士もしきりに頷く。
「あのね……ボ、ボクが探しているのは……」
アーシアが告げた『探し物』に、騎士と兵士たちはぽかんとした顔になった。
「あ、あの、アーシア様? 失礼ですが、それを探して一体どうなさるので?」
「う、うん、その……あ、あのね、シ……じゃない、へ、陛下に探すように言われたんだよ」
「国王陛下に……でございますか?」
あからさまに不思議そうな顔の騎士。二人の兵士も顔にこそ出さないものの、きっと騎士と同じ気持ちだろうとアーシアは思う。
自分だって『あれ』を探していると聞かされれば、きっと彼らと同じような顔をするだろうから。
それでも騎士は、彼女の手伝いを承知してくれた。尤も、実際には背後に控えていた兵士たちに探すように命じただけだったが。
そしてしばらくすると、二人の兵士はアーシアの『探し物』を見つけ出してきた。
彼らはそれをアーシアが持参した箱に入れる。その間、アーシアは顔を背けて『探し物』を極力見ないようにしていた。
兵士に『探し物』の入った箱を指し出されるアーシア。だが彼女は顔を顰めておっかなびっくり手を出してはひっ込めを繰り返す。
「あ、あのー、よろしければ、このまま我々でお運び致しますが……」
「ほ、本当っ!? あ、ありがとうっ!!」
いい加減焦れた兵士が告げた言葉に、アーシアは花のような笑顔で応えた。
その笑顔に思わず見蕩れた兵士たち。だがすぐに我に返ると、アーシアに『探し物』をどこまで運べばいいのかを尋ねた。
「うん、悪いけど後宮第六の間……第五側妃のミフィシーリアさんのところまで運んで欲しいんだ」
『辺境令嬢』更新。
今回は以前からちょくちょく名前の出ていた『癒し姫』が本格登場。
しばらくは主要人物の登場と紹介を含めた話が続くので、ヒロインの影が薄くて仕様がない。主要人物が本格的に出揃うまで、もうしばらくこんな調子になるかと。
今後も気長にお付き合いいただきますよう、お願いいたいます。