前に進む
俺は再び目を覚ました。今度は幻ではない――『現実』だ。
目の前に広がっていたのは、見慣れない天井だった。
けれど、漂っている空気には覚えがある。ここは『魂の試練』を受けた小屋。
その一室であることを、俺はすぐに察した。
「……んん……」
重たい瞼をゆっくりと開く。
ぼやけていた視界が、少しずつ鮮明になっていく。
「ソック!! やっと、目覚めたよぉ!!」
目の前にいたのは、フィリアだった。
その隣にはレイナ。そして、腕を組んでこちらを見下ろしているグリムベルの姿もある。
3人とも――無事なようだ。
「私、もう目覚めないんじゃないかと思ってた!!」
「私もっすねぇ」
レイナが安堵したように息を吐く。
「ほんと安心したよ。君がいないと、リュクトラン攻略は絶望的になる」
「グリムベル……」
俺は身体を起こそうとする。
すると、身体のあちこちに鈍い痛みが走った。
「……っ」
「無理しないで!」
フィリアが慌てて俺の肩を支える。
「大丈夫だ」
俺はそう答えながら、ゆっくりと上体を起こした。
頭が重い。身体も、まるで何日も眠り続けていたかのように重かった。
「僕は――どれくらい寝ていた?」
「丸3日は昏睡していたぞ」
グリムベルが答える。
「3日……」
「ああ。だが、うなされているようでもあったし、無理やりにでも覚醒させるわけにはいかなかった」
グリムベルは一度、俺から視線を逸らした。
「それに、もとはといえば、僕たちが不覚をとって眠らされたせいでもある」
「……」
「そのせいで、君とアリア様は動きを封じられることになったのだから」
その言葉を聞いて、俺はすぐに尋ねた。
「アリアはどこに?」
「ブライド領に向かったっす」
レイナが答える。
「時の大精霊クロノス様の命令だそうっすよ。めちゃくちゃになったブライド領の様子を見に行っているっす。あと、みーちゃんもアリア様と同行することになったっす。嫌がってたけど、『水の精霊の仕事よ』ってアリア様に言われて強制連行されたっす」
「……そうか」
俺は俯いた。
脳裏に、アンナから受け取った記憶が蘇る。
崩壊したブライド領に黄金の光。そして、あまりにも強大な力。
「母さんとリズ――そして、領民たちのことが気がかりだが……アンナがうまくやってくれているのは、わかっている」
アンナの記憶を読み解く限り、特製ゴーレムと巨大な土壁を生成し、母さんや領民たちを避難させていた。
権能の力を――その限界まで使って。
逆に、ラウナホール側の軍勢とミランダは、土に押し潰されているだろう。もはや肉塊になっている可能性すらある。
それほどまでに、アンナは力を出し尽くした。たしかに、あれは『逸脱した力』と言わざるを得ない。
そして、ルカとしても目的の半分以上は達成している。
これだけの被害が出ている以上、今すぐに追撃をしてくるとは考えにくい。
だからこそ、進むべきだ。
リュクトラン。そこにエレーナを救うためのものがある。
俺が考え込んでいると、グリムベルが改めて俺へ向き直った。先ほどまでの柔らかな表情は消えている。
いつもの――冷静で鋭い眼差しだった。
「ソック・ブライド卿」
「……なんだ?」
「君は今、大変な状況だ」
グリムベルは俺の目を真っ直ぐに見つめる。
「アリア様から事情を聞いているから、わかっている」
「――だから、今一度問おう」
その声は重かった。
「リュクトランを攻略しに行く、『覚悟』はできているか?」
「……」
「一気に色々なことが起こって、受け入れがたい状況だと思う」
グリムベルは一切、目を逸らさない。
「それでも、行くか? はっきり言うと、中途半端な『気持ち』で来られると僕が困る」
「足手まといになるなら不要だ。さっさと引き返したまえ」
「……」
俺は、ゆっくりと拳を握った。アンナの言葉が蘇る。
『立ち止まっている暇もないのです』
悲しみを忘れる必要なんてない。無理に受け入れる必要もない。
ただ――前へ進む。
「僕......俺は、アンナと一緒に背負った」
俺は顔を上げる。
「アンナから託された『想い』も含めて――俺は、引き返しなどしない」
そして、はっきりと言った。
「前に進むのみだ」
「……」
グリムベルは黙っていた。
だが、その口元には――かすかな笑みが浮かんでいた。
「それに――」
俺は続ける。
「ミレアは『近いうち』に会いましょうと言っていた」
あの女が、そんな言葉を残して去った意味。
「おそらくだけど、リュクトランにミレアはいると思う。何か、仕掛けてくるだろう」
「だから、そこでミレアを倒す――!!」
「私も、あの女には少しばかりムカついてるっす」
レイナが腕をぶんぶんと振りながら言った。
「この私が気付かなかったなんて!! シノビの恥さらしっす――!」
そんな俺たちを見て、フィリアも一歩前へ出た。
「ソック、私もついていくよ」
「フィリア……」
「私――『仲間』だから」
フィリアは少し照れくさそうに笑った。
「頼りないかもしれないけど、できるだけ頼ってね? 愚痴も……聞いてあげるからさ」
「……ああ」
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
「みんな、ありがとう」
俺は3人を見回す。
「そして――もう、これ以上悠長にしてられない。エレーナの命は、刻一刻と蝕まれているんだ」
「その通りだ」
グリムベルが答えた。
「荷物はまとめてあるぞ。身体に問題がないなら、すぐにここを発つ」
グリムベルはそう言いながら、部屋の隅に置かれていた荷物を指差した。
いつものように無駄のない身のこなし。装備もすでに整えられている。
まるで、俺が目を覚ますことを最初から確信していたかのようだった。
「……準備、早いな」
「君が目覚めたら、すぐに出発するつもりだったからな」
グリムベルは肩をすくめる。
「それに、時間を無駄にする理由もない」
「そうだな」
俺はベッドから立ち上がった。まだ身体には多少の重さが残っている。
だが――歩ける。
「アリアは不在だが、勝手に出ていいよな?」
「ああ」
グリムベルは懐から、1枚の紙を取り出した。
「アリア様からは『通行証』をもらってある」
「通行証?」
「いつでもここを発てるようにな」
グリムベルは、その証を俺へ見せる。
「『魂の試練』を乗り越えた僕らなら、問題なく通れるようになっているそうだ」
「……なるほど」
「そして――『見えるようになった』リュクトランへのルートも、地図として入手した。その場所は理事長が持っていた、『古代結界探検記』に示されたリュクトランの座標とも一致してるのがわかった。信憑性は高いだろう」
「なら、行こう」
俺たちは荷物を手に取った。フィリアが背負い袋を肩へ掛け、レイナも素早く装備を確認する。
グリムベルは最後に部屋を見回し、忘れ物がないことを確認した。
そして――小屋の扉を開く。
ギィ……。
外から、冷たい風が吹き込んできた。俺は一度だけ振り返った。
ここで『魂の試練』を受けた。そして――アンナと別れた。
もう、戻ってくることはないかもしれない。
それでも。俺は前を向いて、小屋の外へ出る。
そして、グリムベルが『通行証』を掲げた。
その瞬間――何もなかった空間が、ゆっくりと揺らいだ。
空間そのものが歪み、その奥から巨大な銀色の門が姿を現す。
見覚えのある門だった。門の表面には、繊細な蔦模様が一面に刻まれている。
――ここへ来るときに通った、あの門。
「行こう」
フィリア、レイナ、グリムベルも続く。俺たちは、銀色の門を潜り抜けた。
その先に待つ『リュクトラン』へ向かって突き進む。




