第二話「異世界の常識」
お読みいただきありがとうございます!
前回、エドガーは目覚めてすぐに小さな盗難事件を解決しました。
グレゴリーから「この才能を活かすべきだ」と言われ、探偵としての道を意識し始めます。
今回は、この世界の「常識」——魔法、ギルド制度、裁判システムについて、
エドガーが学んでいく過程を描きます。
そして、彼が「推理」という概念の真の価値に気づく、重要な回です。
ゆっくりとした展開ですが、丁寧に世界観を紡いでいきます。
第二話「異世界の常識」、どうぞお楽しみください
グレゴリー邸の盗難事件を解決した翌日。
俺——エドガー・クロウは、早朝から書斎にいた。
昨日の出来事が、俺に一つの確信を与えた。
この世界で、探偵として生きていける——
だが、そのためには、この世界のことをもっと知る必要がある。
机の上には、何冊もの本が積まれている。
法律書、歴史書、魔法の教本——
エドガー・クロウの蔵書だ。あまり読まれた形跡はない。魔力のない彼には、魔法の本など無用の長物だったのだろう。
だが、俺には必要だ。
この世界で探偵をするなら、この世界の「常識」を理解しなければならない。
俺は一冊の本を開く。
『ヴェルディナス王国法典』
この国の法律が記されている。
*
読み進めるうちに、俺は次第に——呆れてきた。
この世界の裁判制度は、あまりにも非合理的だ。
主な裁判方法は三つ。
一つ目:神罰による裁き。
「神は正しき者を守り、罪ある者を罰する」という考え方に基づく。
具体的には、被告を川に沈める、熱した鉄を持たせる、などの「試練」を課し、生き延びれば無実、死ねば有罪。
……狂っている。
これでは、運が良ければ生き延び、運が悪ければ死ぬだけだ。真実など、何も明らかにならない。
二つ目:決闘裁判。
容疑者同士、あるいは告発者と被告が武器を持って戦う。勝者が正しいとされる。
これも馬鹿げている。剣の腕と、犯罪の有無は、何の関係もない。
三つ目:魔法裁判。
真実魔法を使い、嘘を見抜く。
これは——一見、合理的に見える。
だが、法典にはこう書かれている。
『真実魔法は王国認定の魔法使いのみが使用可能。使用には王国の許可が必要。高位犯罪にのみ適用される』
つまり、一般的な犯罪には使われない。コストが高すぎるのだ。
そして——
俺は昨日、セバスチャンから聞いた話を思い出す。
「三人とも『殺していない』と答え、魔法は『真実』と判定した。結局、犯人は分からなかった」
そうだ。真実魔法は、嘘を見抜くことはできても、真実を明らかにすることはできない。
犯人が黙秘すれば、何も引き出せない。
犯人が自分の行為を忘れていれば、「やっていない」が真実になる。
部分的な真実を語れば、核心を隠せる。
つまり——完璧ではない。
俺は溜息をつく。
この世界には、「推理」という概念がない。
証拠を集め、論理的に考察し、真実を導き出す——
そんな発想自体が、存在しないのだ。
*
昼過ぎ、俺は気分転換に外へ出た。
クロウ領の中心部——といっても、小さな村だ。
石造りの家々、石畳の道、中央には小さな広場がある。
広場には、いくつかの店が並んでいる。雑貨屋、パン屋、鍛冶屋——
そして、一つの看板が目に入る。
『冒険者ギルド クロウ支部』
ギルド——
昨日、セバスチャンから聞いた。この世界には、職能集団としてのギルドがある。
俺は興味を持ち、中に入ってみる。
*
冒険者ギルドの中は、酒場のような雰囲気だった。
木製のテーブルと椅子、壁には依頼の張り紙が貼られている。
屈強な男たち——冒険者だろう——が酒を飲みながら談笑している。
カウンターには、若い女性が座っている。受付係らしい。
「いらっしゃいませ。冒険者登録ですか?」
女性が愛想良く尋ねる。
「いえ、見学させてもらえますか? ギルドの仕組みを知りたくて」
「あら、珍しいですね。どうぞどうぞ」
女性——名札には『アンナ』と書かれている——が、丁寧に説明してくれる。
「冒険者ギルドは、依頼を仲介する組織です。モンスター討伐、護衛、荷物運搬など、様々な依頼が持ち込まれます」
「依頼を受けるには、ギルドに登録する必要があるんですね?」
「はい。登録すると、冒険者カードが発行されます。これがないと、正式な依頼は受けられません」
アンナが、サンプルのカードを見せてくれる。
名前、ランク、特技などが記されている。
「ランクは、実績によって上がります。Eランクから始まり、D、C、B、A、そして最高のSランクまで」
「なるほど……」
俺は考える。
この仕組み——探偵にも応用できないか?
依頼を仲介し、実績を積み、信頼を得る。
ギルドという形で、推理士を組織化できれば——
いや、まだ早い。
今の俺は、たった一件の事件を解決しただけだ。
まずは、実績を積まなければ。
「ありがとうございました」
俺はアンナに礼を言い、ギルドを後にした。
*
帰り道、俺は広場で人だかりを見つけた。
何かが起きている。
近づいてみると——
二人の男が、剣を構えて対峙していた。
「決闘裁判だ」
近くの村人が囁く。
「パン屋のトマスと、肉屋のハンス。ハンスがトマスを『盗みをした』と告発したんだ」
「証拠は?」
「ない。だが、ハンスは決闘裁判を申請した。トマスも応じた」
俺は二人を見る。
トマスは痩せた中年男性。剣の扱いに慣れていない様子だ。
ハンスはがっしりとした体格。明らかに戦闘経験がある。
これでは——勝負は見えている。
「始め!」
村の衛兵が合図する。
ハンスが素早く動く。トマスの剣を弾き飛ばし、首元に剣を突きつける。
「勝負あり! ハンスの勝ち!」
歓声が上がる。
ハンスが高々と剣を掲げる。
「これで証明された! トマスは盗人だ!」
トマスは地面に膝をつき、震えている。
「違う……俺はやっていない……」
だが、誰も聞いていない。
決闘裁判で負けた——それが、この世界では「有罪の証明」なのだ。
俺は——拳を握りしめる。
なんという理不尽。
剣が強いだけで、無実の者を有罪にできる。
これが、この世界の「常識」——
だが、俺には受け入れられない。
*
その夜、俺は村の酒場にいた。
情報収集のためだ。探偵にとって、情報は命だ。
カウンターで麦酒を注文し、周囲の会話に耳を傾ける。
「トマスの件、可哀想だったな」
「ああ。あいつ、本当にやってないと思うんだが」
「だが、決闘裁判で負けた。神の裁きだろ」
「神なんて、いるのかね」
俺は隣の男に声をかける。
「すみません。トマスさんの件、詳しく聞かせてもらえますか?」
男——村の鍛冶屋らしい——が答える。
「ああ、あんたクロウ家の次男坊だろ? 噂は聞いてるぜ。グレゴリーの盗難事件を解決したって」
「ええ、まあ」
「トマスの件は、単純だ。ハンスが『俺の金貨十枚が盗まれた。犯人はトマスだ』と言い出した」
「証拠は?」
「ない。ハンスは『トマスが怪しい動きをしていた』としか言ってない」
「それで決闘裁判に?」
「ああ。トマスは拒否できなかった。拒否すれば、自動的に有罪になる」
俺は舌打ちする。
証拠もなく、疑われただけで裁判。拒否すれば有罪。
これでは、強い者が弱い者を一方的に陥れられる。
「トマスさんは、本当に盗んでいないんですか?」
「俺はそう思う。トマスは真面目な男だ。盗みなんてするタイプじゃない」
「では、なぜハンスは彼を疑ったんでしょう?」
「さあな。二人は以前から仲が悪かった。土地の境界で揉めていてな」
土地の境界——
つまり、これは私怨の可能性が高い。
ハンスは、決闘裁判を利用してトマスを陥れたのかもしれない。
俺は立ち上がる。
「ありがとうございました」
「おう。まあ、もう終わったことだがな」
いや——終わっていない。
もし、トマスが本当に無実なら、俺は何かできるはずだ。
*
翌朝、俺はトマスの家を訪ねた。
小さな家。パン屋を兼ねている。
扉をノックすると、疲れ果てた顔のトマスが出てきた。
「あなたは……クロウ家の?」
「エドガー・クロウです。少し、お話を聞かせてもらえますか?」
「話、ですか……もう、何もかも終わりました」
「いえ、まだ終わっていません」
俺は真剣に言う。
「あなたが無実なら、それを証明できるかもしれません」
トマスの目に、微かな光が宿る。
「本当、ですか……?」
「約束はできません。ですが、試させてください」
*
トマスから話を聞く。
事件が起きたのは三日前。ハンスが「金貨十枚が盗まれた」と騒ぎ出した。
そして、「トマスが怪しい動きをしていた」と告発。
トマスに身に覚えはない。だが、証明する方法もない。
決闘裁判に応じるしかなかった——
「トマスさん、あなたは三日前、何をしていましたか?」
「いつも通り、パンを焼いていました。朝から晩まで、ずっと店に」
「誰か証人は?」
「妻がいます。それと、何人かのお客さんが来ました」
「では、アリバイはある」
「ですが……衛兵は信じてくれませんでした。『妻は証人にならない』と」
なるほど。身内の証言は信用されないのか。
「ハンスさんの家は?」
「隣です」
俺は窓から外を見る。
確かに、ハンスの肉屋が隣にある。
「少し、調べさせてください」
*
俺はハンスの店に向かった。
肉屋——店先には、肉が吊るされている。
ハンスは店の中で、肉を捌いていた。
「おう、クロウ家の坊ちゃんか。何の用だ」
「少し、お話を聞かせてください」
「決闘裁判のことか? もう終わったことだ」
「ええ。ですが、詳しく聞きたいんです」
ハンスは面倒くさそうに答える。
「三日前の夜、金貨十枚が盗まれた。金庫に入れていたのに、消えた」
「金庫は?」
「ここだ」
ハンスが店の奥を指す。
小さな金庫がある。鍵はかかっていない。
「鍵は?」
「俺が持っている」
「では、誰かが鍵を盗んで金庫を開けた?」
「そうだろうな」
「なぜ、トマスさんを疑ったんですか?」
「あいつ、その日の夜、俺の店の前をウロウロしていた。怪しいだろ」
俺は——違和感を覚える。
トマスは一日中店にいた。夜にハンスの店の前にいるはずがない。
では、ハンスの証言は——嘘?
いや、待て。
真実魔法があるこの世界で、嘘をつくのはリスクが高い。
もし魔法裁判になれば、すぐにバレる。
では——
「ハンスさん、トマスさんを見たのは、何時頃ですか?」
「夜の十時頃だ」
「確かに、トマスさんだと?」
「ああ、間違いない」
ハンスは自信を持って答える。
だが——
俺は気づく。
暗闇の中、本当に人物を特定できるのか?
「その時、月は出ていましたか?」
「月? ああ、出ていたな」
「どちらの月ですか?」
この世界には、二つの月がある。
大きな月——ルナ。小さな月——ステラ。
ハンスは少し考える。
「……ルナだったかな」
「その夜、ルナは新月でした」
俺は静かに言う。
「つまり、ルナは出ていなかった。夜空はかなり暗かったはずです」
ハンスの顔が強ばる。
「それでも、トマスだと分かったんです。シルエットで」
「シルエット——では、顔ははっきり見えなかった?」
「……まあ」
「では、トマスさんではなく、別人の可能性もある」
「いや、でも——」
「ハンスさん、本当に金貨は盗まれたんですか?」
俺は核心を突く。
ハンスは——動揺する。
「な、何を言っている! 盗まれたんだ!」
「では、金庫を見せてください」
「何?」
「金庫の中を。本当に金貨がないのか、確認させてください」
ハンスは——明らかに動揺している。
「それは……」
「見せられない理由があるんですか?」
俺は一歩近づく。
ハンスは——観念したように、溜息をつく。
「……分かったよ」
彼は金庫を開ける。
中には——金貨が、たくさん入っている。
「これは……」
「金貨は、盗まれていない」
俺は静かに言う。
「あなたは、嘘をついた」
「違う! これは、後で戻ってきたんだ!」
「戻ってきた? 誰が?」
「それは……」
ハンスは言葉に詰まる。
俺は確信する。
最初から、盗難など起きていなかった。
ハンスは、トマスを陥れるために、嘘をついたのだ。
「ハンスさん、なぜこんなことを?」
「……土地だよ」
ハンスは小さく言う。
「トマスの土地が欲しかった。決闘裁判で勝てば、あいつは村を追われる。そうすれば、土地を安く買える」
俺は——呆れる。
土地欲しさに、無実の人間を陥れる。
そして、この世界の制度は、それを許している。
「分かりました。衛兵隊に報告します」
「待ってくれ!」
ハンスが懇願する。
だが、俺は振り返らずに店を出た。
*
衛兵詰所で、俺は事情を説明した。
最初、衛兵たちは信じなかった。
だが、ハンスの金庫を確認し、証言の矛盾を指摘すると、ハンスは自白した。
トマスの無実が証明された。
決闘裁判の結果は、覆された。
*
その夜、トマスが俺の家を訪ねてきた。
「エドガー様、本当にありがとうございました!」
トマスは涙を流しながら、何度も頭を下げる。
「いえ、当然のことをしただけです」
「いいえ! 決闘裁判で負けたら、もう終わりだと思っていました。でも、あなたが——」
「トマスさん、一つ覚えておいてください」
俺は真剣に言う。
「決闘裁判は、真実を明らかにしません。剣の強さと、罪の有無は、無関係です」
「はい……」
「本当の真実は、証拠と論理で明らかになります。それを、忘れないでください」
トマスは深く頷いた。
*
トマスが帰った後、俺は書斎で考えていた。
今日の出来事——
決闘裁判の理不尽さ。
真実魔法の限界。
そして、推理の可能性。
俺は、確信した。
この世界の制度には、大きな欠陥がある。
力の強い者が正義になる決闘裁判。
嘘は見抜けても真実は明かせない魔法裁判。
迷信に過ぎない神罰。
だが——それらを批判するだけでは、何も変わらない。
俺にできることは、推理で真実を示し続けることだ。
一つ一つの事件を解決し、実績を積む。
そうすれば、いつか——
この世界の人々も、推理の価値を認めてくれるかもしれない。
そして、もしかしたら——
この国の制度そのものを、変えられるかもしれない。
俺は机の上の法律書を見る。
長い道のりになるだろう。
だが、諦めない。
一歩ずつ、確実に、進んでいく。
それが、この世界で生きる俺の——探偵としての戦い方だ。
お読みいただき、ありがとうございました!
第二話では、この世界の裁判制度——特に決闘裁判の理不尽さを描きました。
そして、エドガーが推理でその理不尽を正す姿を。
少しずつ、エドガーの「推理」の価値が、この世界で認められ始めています。
次回、第三話「探偵の決意」では、エドガーの日常と、新たな小さな事件を描きます。
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次回もお楽しみに!




