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Re:d Box  作者: Amie


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第5話 戦闘訓練

 雨音が、一定のリズムで教室の窓を叩いている。

 遠くで響くそれは、まるで時間の進みを刻む音のようだった。


 ――昼休み。


 斗黎は母の作ってくれた弁当を机の上に広げ、片手で箸を持ちながら、もう片方の手でスマホを弄っていた。

 晴れていれば、弁当を持ってどこか別の場所へ移動することもできた。

 校舎の裏や、中庭の隅――人目を避けられる場所はいくつか思いつく。

 だが、今日のような雨の日はそうもいかない。

 行き場を失ったまま、自分の席に腰を下ろすしかなかった。

 周囲に誰もいない机に一人で座っていると、自分だけが取り残されているような感覚が、否応なく強調される。

 弁当の中身の味も、どこかぼんやりしていた。

 さっさと食べ終えると、斗黎は空になった弁当箱を片付け、席を立つ。

 向かった先は、いつもの図書室だった。

 図書室の奥、窓際の席。そこに、凪音なおと柊介しゅうすけの姿を見つける。

 中学から一緒に進学した友人で、昼休みになると大体ここに集まっている。

 特別な約束があるわけでもないが、自然と足が向く場所だった。


 ――尤も、この学校において、図書室は決して静寂の象徴ではない。


 偏差値の低い私立高校らしく、本を読みに来る生徒はほとんどいない。

 むしろ、雨を避けて集まった生徒たちの溜まり場になっている。

 向こうの方では野球部が固まって騒ぎ、

 その度に司書のおばちゃんが、慣れた調子で声を荒げていた。

 「今日、一緒に帰らないか?」

 凪音が、俺と柊介を交互に見て言った。

 「おぉ、いいぞ」

 柊介が即答する。

 「悪い、俺、今日は寄るとこあるわ」

 斗黎は少しだけ間を置いて答えた。

 連日続いていた座学が終わり、今日からようやく戦闘訓練が始まる。

 そのことを、まだ誰にも詳しく話していない。

 「そっか。じゃあ、仕方ないな」

 凪音は深く追及することもなく、軽く肩をすくめた。

 そのまま三人で、他愛のない与太話を続けていると、やがて昼休み終了を告げるチャイムが鳴り響く。

 「じゃ、戻るか!」

 凪音の一声を合図に、三人は立ち上がった。

 それぞれ、自分の教室へ。

 交わることのない流れに身を任せるように、斗黎も歩き出すのだった。


****


 ――放課後。


 斗黎は会社一階にある訓練場の中央に立っていた。

 隣の部屋では、ランニングマシンやエアロバイクの低い駆動音。ベンチプレスやバタフライマシンなどの鉄の重なる乾いた音が途切れなく響いている。

 トレーニング器材で社員たちが汗を流すその空間とは対照的に、こちらは静まり返っていた。

 「今日から戦闘訓練だ」

 兼高の声は低く、余計な感情が混じっていない。

 「矢車、格闘技の経験は?」

 「いえ、全く無いです」

 即答すると、兼高は一瞬だけ斗黎の全身を見た。

 「それにしちゃ、いい体してるな。部活は?」

 「陸上を中学三年間」

 「種目は?」

 「四百と八百です」

 「……中距離か」

 短く頷き、納得したように息を吐く。

 そして――

 「ところで、今日はどうして櫻子もいるんですか?」

 視線を向けると、櫻子が少し照れたように笑った。

 「私、実は戦闘があまり得意じゃなくて……」

 そういえば、座学の際に兼高がそんなことを言っていた。

 「初心者の矢車さんと一緒なら、基礎からできるかなって思って!」

 「まぁ……いいか」

 「よろしくお願いします!」

 ぱっと咲いたような笑顔が眩しい。

 思わず目を逸らしそうになる。――天使か。

 「よし、まずは護身術だ」

 「はい!」

 兼高はそう言って、ゆっくりと斗黎の正面に立った。

 距離は、腕一本分。

 逃げるには近すぎる。

 殴るには、わずかに遠い。

 「いいか。護身術は“勝つ”ための技じゃない」

 視線が鋭くなる。

 「目的は三つだ。距離を取る。相手の動きを止める。――そして逃げる。これだけ覚えろ」

 言い終わるより早く、兼高の手が伸びた。

 反射的に身構えた、その瞬間。

 手首を掴まれる。

 半歩、身体が前に引き出された。


 ――だが、次の瞬間。


 力が、抜けた。

 関節を極められた感覚はない。

 痛みもない。

 ただ、親指の付け根を、的確に押さえられていた。

 「力で振りほどくな」

 兼高の声は落ち着いている。

 「こういう時は――向かう」

 言うと同時に、自分の体ごと前に踏み込み、

 掴まれた斗黎の腕を、相手の懐へ押し返した。

 視界が揺れ、体勢が崩れる。

 気付いた時には、指が自然と相手から離れていた。

 「逃げ道を作る。それが護身だ」

 「……はい」

 理解が追いつく前に、身体が覚えてしまった感覚だけが残る。


 「次は逮捕術だ。こっちは真逆になる」

 空気が、明確に変わった。

 「逃がさない。だが、壊さない」

 気配を感じた次の瞬間、背後を取られる。

 肩に置かれた手は軽い。

 だが、逃げ道が完全に塞がれていた。

 「急所は狙うな。使うのは、関節と重心だけだ」

 肩を押され、同時に膝裏に、ほんのわずか触れられる。


 その瞬間――


 視界が傾いた。

 倒れたわけじゃない。

 足が、身体を支える位置から外されただけだ。

 腕を背中に回され、肘が“自然に折れる角度”で固定される。

 「これで抵抗すれば、自分で痛める。だから――暴れなくなる」

 力は、ほとんど入っていない。

 それでも斗黎は、指一本動かせなかった。

 櫻子が、感心したように息を呑む。


 「じゃあ次だ。矢車、やってみろ」

 斗黎は、一歩踏み出した。

 経験はない。

 だが、今見た動きが、鮮明に頭に残っている。

 距離を詰められた、その瞬間。

 考えるより先に、体が動いた。

 半歩、前へ。

 手首に触れ、肩を入れ、重心を流す。

 視界が開ける。

 気付けば、相手との距離が離れていた。


 ――一番驚いていたのは、斗黎自身だった。


 「上出来だ」

 兼高は淡々と頷く。

 だが、それは確かな肯定だった。


****


 「矢車、武器は何を考えてる?」

 櫻子と並んでベンチに腰を下ろし、短い休憩を取っていたところで、兼高が声を掛けてきた。

 汗で湿った訓練着のまま、腕を組んでこちらを見下ろしている。

 「まだ、全然……。正直、何も決まってなくて。銃とかナイフは……ちょっと抵抗があるかなって」

 自分でも歯切れの悪い答えだと思った。

 だが、本音だった。

 引き金を引く感覚や、刃物を突き立てる想像が、どうしても現実味を帯びすぎる。

 兼高はふむ、と小さく喉を鳴らすと、少しだけ考えるように視線を逸らした。

 「それなら、特殊警棒はどうだ?」

 「特殊警棒……ですか?」

 聞き返すと、兼高は頷きながら続ける。

 「まだ戦闘訓練は初日だがな。お前は、接近戦の方が向いている」

 その言葉に、胸の奥がわずかにざわついた。

 「異能力の“空間湾曲移動ワープ”と組み合わせれば、間合いを一瞬で詰められる。機動力も活かせるだろう」

 理屈としては、納得できる。

 何より、特殊警棒なら伸縮式で携行しやすい。

 刃もなく、引き金もない。

 “武器”でありながら、まだ一線を越えずに済む気がした。

 ヴェノームを相手にするなら殺傷能力は低いのかも知れないが、兼高さんがそう言うなら、悪くない。


 ――いや、むしろ今の自分には、これしかないのかもしれない。


 「……特殊警棒にします!」

 少しだけ強く言い切ると、兼高は満足そうに口角を上げた。

 「分かった。武器の手配は、俺がしておこう」

 「ありがとうございます」

 「それじゃあ、今日はもう上がりだ」

 そう言い残し、兼高は踵を返す。

 訓練を終えたばかりの体からは、まだ熱気が立ち上っていて、その背中がやけに大きく見えた。


****


 ガラス張りの店内に、コーヒーの香りと甘いシロップの匂いが混じって漂っている。

 訓練後、カフェの窓際のカウンター席で、斗黎と櫻子は向かい合って座っていた。

 斗黎の前には、いつも通りのカフェモカ。

 一方、櫻子の手元には、呪文のように長い名前のストロベリーフレーバーの新作ドリンクが置かれている。


 ――女子と、二人でこういう店に来るのは初めてだ。


 それだけで背筋が妙に伸びてしまい、カップを持つ指先にまで余計な力が入る。

 「この新作、ずっと飲んでみたいなぁって思ってたんです」

 ストローをくるりと回しながら、櫻子は楽しそうに言った。

 その横顔を直視できず、斗黎はカフェモカの表面に浮いた泡へと視線を落とす。

 「そうなんだ」

 我ながら、素っ気ない返事だと思う。

 「斗黎さんは、同じのにしなくて良かったんですか?」

 不思議そうに首を傾げる櫻子に、斗黎は少し考えてから答えた。

 「俺は……あんまり興味ないかな」

 好きな味なら自然と手が伸びるが、そうでなければ基本的に同じものを選ぶ。

 変える理由がなければ、変えない――そんな自分の性分を、今さら思い出す。

 「そうなんですね」

 櫻子は残念そうでもなく、ただ素直に頷いた。

 少し間を置いてから、斗黎は話題を変える。

 「櫻子は、いつからこの仕事やってるの?」

 「半年くらいですかね! でも、お姉ちゃんは二年前からやってますよ」


 ――蓮華は、中学二年の頃からか。


 改めて考えると、随分早い。

 「この仕事、怖くないの?」

 ストローから口を離した櫻子は、一瞬だけ視線を落とした。

 「怖くないって言ったら、嘘になります」

 柔らかな声だったが、言葉ははっきりしていた。

 「RED BOXが使えるってことには、何か意味があるんじゃないかなって思うんです。でも……」

 少し言い淀み、指先でカップを撫でる。

 「私、お姉ちゃんや霧島さんみたいに近接戦が強くないから。射撃で後方支援はできるけど……実際は、足を引っ張ってばかりで……」

 笑ってはいる。

 けれど、その表情の奥に、拭いきれない不安が滲んでいるのが分かった。

 「異能力も戦闘向きじゃないし……いつか、死んじゃうんじゃないかって思うこともあります」

 軽く言うように装っているが、きっと何度も一人で考えてきたのだろう。

 「矢車さんは……なんでこの仕事、始められたんですか?」

 問い返され、斗黎は一瞬言葉に詰まる。

 「俺は……」

 過去を思い出すのは、正直あまり好きじゃない。

 それでも、誤魔化さずに答えた。

 「強くなりたかった。今までの自分を、変えたかったから……かな」

 「そうなんですね」

 櫻子は静かに頷いた。


 ――こういう時、どんな言葉をかけるのが正解なんだろう。


 悩んでいる人に向ける言葉の選び方に、斗黎はまるで自信がない。

 少し間を置いてから、意を決して口を開く。

 「俺も……始めたばっかりだから。その……」

 一度、息を吸って。

 「一緒に、強くなりませんか!?」

 言った直後、自分でも何を言っているのか分からなくなる。

 「くすっ……なんなんですか、それ」

 櫻子は口元を押さえ、小さく笑った。

 その笑顔を見て、胸の奥が少しだけ軽くなる。

 「そろそろ、帰りましょうか」

 笑ってくれたのは嬉しい。

 けれど、彼女の不安を本当に拭えたかどうかは分からないままだ。


****


 店を出ると、外はすっかり夜の空気に包まれていた。

 「矢車さん、今日はありがとうございます!」

 そう言った瞬間、櫻子が自然な仕草で斗黎の左腕にしがみついてくる。

 「!?」

 甘い香りがふわりと鼻をくすぐる。

 柔らかな感触が腕に触れ、思考が一瞬止まった。

 驚きで言葉を返すタイミングを完全に失い、

 「あ、あぁ……」

 と、間の抜けた返事しかできなかった。


 ――小さな幸せを胸に抱えながら、斗黎の帰り道は、どこかぎこちなく、それでいて少しだけ軽やかだった。

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