第2話 兼高班
今日は一日で色々なことがあり過ぎた。
眠いのを堪えて玄関の扉を開ける。
「ただいま〜」
力の抜けた声が、家の中へと転がっていく。
「おかえり〜!」
妹の菜子が玄関まで出迎えに来てくれた。
「もう、誕生日なのに、どこ行ってたの!?」
――そうだ。
すっかり忘れていたが、十一月十六日は俺の誕生日だ。
普段なら、家に着いてから夕飯までの時間は仮眠を取って、風呂に入って、それから夜更かしをする。
けれど今日は、あの二人のお陰で色々すっ飛ばして、とにかくもう寝たい。
「別に、どこでもいいだろ」
そう言って、誤魔化すようにリビングへ足を向ける。
「おかえり、あんた、どこ行ってたの!?」
「友達のところ」
母の問いかけに呼吸をするみたいに自然に嘘を付く。
「お母さ〜ん、お腹すいた〜」
そう言いながらソファでゲームをしているのは、妹の緋菜だ。おかえりの一言もなく、俺にはまるで興味がないらしい。
ふたりは一卵性の双子で、姉が緋菜、妹が菜子だ。俺とは六つ離れてる小学四年生だ。
「ご飯の準備もうできてるから、こっちに来なさい」
食卓には手巻き寿司とホールケーキが用意されていた。矢車家の誕生日は毎回これだ。
「わ〜、美味しそ〜♡」
妹達が偶にしか食べられない御馳走に目を輝かせる。……俺の誕生日なんだけどな。
四人で食卓を囲み、箸を伸ばす。
心穏やかな時間が、ゆっくりと流れていった。
****
風呂から上がり、自室で寛ぐ斗黎。
コンコン、控えめに扉をノックする音が響く。
「は〜い」
気の抜けた返事をすると、ドアがゆっくりと開き、菜子がそっと顔を覗かせた。
「お兄ちゃん……」
遠慮がちに名前を呼ぶその声音に、自然と視線が向く。
「どうした?」
「これ! 誕生日プレゼント」
菜子は、赤いリボンの付いた小さな袋を差し出した。
「おっ、ありがとう!」
思わず声が弾む。
「お兄ちゃん、誕生日おめでとう!じゃあね」
言いたいことだけ言うと、菜子はくるりと踵を返し、部屋から出ていった。……やっぱり、緋菜からは無いよな。
菜子は何故か、俺に懐いている。
兄として可愛がってはいるものの、特別容姿が格好いいわけでもなければ、頼れる兄貴というほど立派な存在でもない。それでも菜子には、どこか兄に執着する――少しブラコン気質なところがあった。
理由は分からないが、兄としては正直、悪い気はしない。むしろ、嬉しいと思ってしまう自分がいる。
一方で緋菜は、菜子とは対照的だ。
俺との会話は殆どなく、偶に話しかけても「うん」とか「ふーん」とか、気のない返事ばかり返ってくる。 特別、何かあったわけじゃない。
それでも気付けば、年中反抗期みたいな奴になっていた。
そのうち「死ね」とか、「うざい」とか言われる日が来るのかな……。
そんな、どうでもいい未来予想図を思い浮かべていると、ピコンッ、とLINEの通知音が鳴る。
スマホを手に取り、ロック画面を見る。
……九篠からだ。
『今日はありがとう!』
『突然なんだけど、明日の放課後、うちの本社に来てくれないかな?』
『後でマップのURL送っておきます』
『それじゃあ、また明日ね!』
初めて女の子から届いたメッセージ。
内容は、驚くほど一方的で、そして業務的だった。
「了解!」
キャラクタースタンプを送信し、 画面が閉じるのを待つこともなく、スマホをベッドの上へ放り投げた。
改めて、菜子からの誕生日プレゼントを手に取る。
包装を外し、中身を確かめると、そこには柔らかな肌触りのネックウォーマーが収まっていた。
丁度、安くて良さそうなものを探していたところだった。
通学の時に使わせてもらおう、と自然にそんな考えが浮かぶ。
妹なりに、ちゃんと考えて選んでくれたのだと思うと、胸の奥が少しだけ温かくなった。
そのままベッドに体を預けると身体の力が抜け、視界がゆっくりと暗くなっていく。
――意識は静かに沈み、やがて深い眠りへと落ちていった。
****
次の日の放課後、斗黎は学校を終えると、九篠から送られてきたマップのURLを頼りに九篠警備保障株式会社の本社を訪れていた。
警備会社の本社らしく、入るのに少し勇気がいるほど大きな自社ビルだ。
エントランスに足を踏み入れると、兼高が待っていた。今日はサングラスを掛けていない。素顔を見るのは、これが初めてだ。
——意外と若い。三十代半ばといったところか。
「兼高さん、どうしてエントランスに?」
「上からお前が見えたからな。中々入って来ないから様子を見に来たんだ。」
入るのに尻込みしているところを見られていたと気付き、斗黎は羞恥心を覚えた。
「ほら、行くぞ!」
エレベーターへ案内される。今日の兼高はサングラスをしていないせいか、表情が柔らかい。
「身辺警護課は六階だ。蓮華が待ってる」
エレベーターを降りてすぐ前の部屋に『身辺警護課』と書かれたプレートが貼ってある。
「矢車君、九篠警備保障株式会社、身辺警護課へようこそ!」
部屋に入ると蓮華が笑顔で出迎えてくれた。
さすが大手企業。オフィスが物凄く綺麗だ。
「今日は入社に当たっての書類関係を渡したかったのと――君が配属になる身辺警護課“兼高班”のメンバーを紹介しようと思って」
「兼高班?」
「そう、これから矢車君が配属される班。うちの身辺警護課は全部で四班編成なの。そして、私や矢車君、異能力者だけで編成されているのが第四班の兼高班ね」
……兼高さんはお守り役なのか。
「私の他にもメンバーが二人いるの」
「異能力者の?」
「そう。一人は私達と同じ高一で、もう一人は中二」
中学生までいるのか……
「あの……九篠さ――」
「あ、蓮華でいいよ!」
呼びかけた瞬間、即座に訂正された。
「あ、うん……」
女の子を名前呼びなんて、妹以外した事がない。
「矢車君、下の名前は?」
「斗黎」
「じゃあ、斗黎君で。あと二人は明日から任務だから、今日のうちに顔合わせしておきたかったんだ。斗黎君も、次の出社から研修があるしね」
そうこう話しているとドアが開くのと同時にダルそうな挨拶が聞こえてきた。
「おはよ〜ございま〜す」
「想、今日から兼高班の仲間になった赤陵高等学校一年の矢車斗黎君」
「おぉ、やっと男のメンバーが入ったのかぁ、女の比率が高くて肩身が狭かったんだよ〜」
会って早々に馴れ馴れしく肩を組んでくる。
「俺は、常盤高校一年の霧島想だ。よろしくな!」
黒髪の短髪に、細身ながら無駄のない筋肉がついた体つき。
その軽薄そうな態度とは裏腹に、顔立ちは眉目秀麗で、妙に目を引く美少年だ。
「よ、よろしく……」
まぁ、人見知りな性格の俺には、これくらいが丁度良いかも知れない。
「お早うございます」
続けて女の子が入ってくる。すぐに斗黎に気付いたのか此方を見ている。
「あっ櫻子、彼は今日入社した……」
「矢車斗黎さんですよね。部屋の外まで聞こえてたよ。お姉ちゃん」
蓮華の声を遮るように答える。
「お姉ちゃん?」
「妹の九篠櫻子。私と同じ翠星中等教育学校で中等部の二年生」
「よろしくお願いします!」
か、可愛い……
童顔なのに、目鼻立ちは驚くほど整っている。グレージュのミディアムヘアが肩に掛かる度に、視線をどこに置けばいいのか分からなくなった。
小柄で華奢なはずなのに、どこかアンバランスな程女性らしい体つきをしている。
本当に身辺警護なんて、できるのだろうか?
「斗黎のRED BOXは、なんなんだ?」
「え……知らない……」
「まだ、RED BOXの使い方は教えてないの」
「あぁ、そうだったのか。俺は――」
霧島は言葉を切り、テーブルの上に置かれていたミネラルウォーターのペットボトルを手に取った。
次の瞬間、水色のシオン粒子が霧島の掌から溢れ出す。粒子がボトルを包み込むと、表面に白い霜が走り、内部の水が音を立てて凍り付いていった。
「俺のRED BOXは“凍結”だ。凄いだろ?」
ペットボトルは完全にカチンコチンに凍ってしまっていた。
「凄いな……」
――冷蔵庫みたいな奴だな。キンキンに冷えた飲み物が欲しい時は、こいつに頼めばいいな。斗黎は、そんな場違いなことを考えていた。
「櫻子。お前も見せたらどうだ?」
霧島に促され、九篠妹は蓮華の隣へと歩み寄る。
白いシオン粒子が、九篠妹の身体を繭のように包み込んだ。
輪郭が揺らぎ、光が解ける。
次の瞬間、そこに立っていたのは――蓮華だった。
「……っ」
見た目は完全に蓮華。
だが、発せられた声は九篠妹のものだ。
「私のRED BOXは“幻影”です」
九篠妹――いや、蓮華の姿をした彼女は、淡々と続ける。
「これは幻影を纏って姿を変える技。“繭”と呼んでいます」
「見たことのある人なら、誰にでも姿を変えられますよ」
――驚きで言葉が出てこない。
「体の再現度も、かなり高いんですよ?」
そう言って、彼女は自分の胸元に視線を落とした。
「この慎ましやかなおっぱいだって完コピですよ!」
そう言うと、笑顔で二つの小さな果実を揉みしごいてる。
「やめなさい!」
顔を赤くした蓮華が、九篠妹に鉄拳制裁を食らわせる。
ごつっ、という鈍い音と共に変身は解けた。
「痛いよ〜お姉ちゃん」
「下品な妹でごめんね」
清楚で可憐な見た目とは裏腹に、意外と下品な一面もあるらしい。
「まぁ、俺たちのRED BOXは、大体こんな感じだ」
斗黎は、意識を集中させるように手の平を握り込み、シオン粒子を滲ませてみせた。
「おっ。シオン粒子が出せるなら、研修の前に少しやってみてもいいんじゃないか?」
「霧島、矢車に教えてやれ」
兼高も、興味深そうに腕を組む。
「じゃあ、まずはシオン粒子のコントロールからだな」
霧島は斗黎の背後に立ち、淡々と説明を始めた。
「シオン粒子は血液と似た性質を持っていて、脊髄から生成される」
「そうなのか?」
「生成された粒子は血液と一緒に体内を循環する。それを、意識的に放出するんだ。まずはそこまでやってみよう」
「……どうやって?」
「イメージだ。異能力の具現化も、それに伴うシオン粒子の制御も、すべてはイメージが大事なんだ」
そう言って、霧島は斗黎の背中に手を当て、軽く擦った。
「脊髄から、シオン粒子が生まれるイメージ」
斗黎は、静かに目を閉じる。
「それが、体内を循環する」
――背骨の奥から、何かが流れ出す感覚。
「そして……放出する!」
次の瞬間、斗黎の全身から淡いピンク色のシオン粒子が、一気に溢れ出した。
「……結構な量だな」
霧島が、感心したように息を漏らす。
「ていうか、初動でここまで出来るなら、飲み込みが早い」
「じゃあ――」
霧島は、にやりと笑う。
「次は、異能力そのものを使ってみる」
「……うん」
斗黎は、短く頷いた。
「異能力の具現化を俺達は“事象変換”と呼んでる。異能力の使用者は演算処理をすることで、シオン粒子を異能力へと事象変換する事ができる」
「演算処理って何?」
言葉だけ聞いてると、なんか難しそうだ。
「そんなに難しくはないさ、演算処理≒イメージだ。自分の能力を理解し、イメージすることによって規模や威力を調整する。」
軽薄そうな印象に反して、説明は的確で分かりやすい。常盤高校は公立とはいえ進学校だ。地頭は良いんだろう。
「肝心の、自分の異能力が何なのか分からないんだけど……」
「シオン粒子を体内で循環させて、放出する瞬間に直感でイメージするんだ。異能力は自分の潜在能力だからな」
「……潜在《《異》》能力」
話を聞いているうちに、なんだか出来そうな気がしてきた。
さっきと同じ手順でやってみる。
――直感で、イメージ……。
斗黎は手を前に翳し、シオン粒子を放出した。すると、五メートル程離れた壁の前に、黒く揺らめくモヤのような“穴”が浮かび上がった。
「これ……何?」
九篠妹が、不思議そうに一歩近づく。
「櫻子、無闇に近づくな!」
兼高が、咄嗟に制止の声を上げた。
その間にも、斗黎は穴に向かって、ゆっくりと歩き出していた。
誰も声を掛けられず、全員がただ斗黎を見つめる。
――次の瞬間。
斗黎の身体は、黒い穴の中へと吸い込まれた。
「っ!?」
「斗黎!?」
「矢車君!?」
「矢車さん!?」
――
暫くの沈黙が流れる。
全員の不安を他所に、斗黎は壁の直ぐ横にあるドアから、何事もなかったかのように入ってきた。
「え……なんで……」
驚きで、蓮華の声が震える。
「“瞬間移動”だ!」
九篠妹が、嬉しそうに声を弾ませた。
「手前の穴と、壁の向こう側に、もう一つ穴を創ったんだよ」
「なるほど……もう一つ、繋がる出口を作っていたわけか」
兼高は顎に手を当て、考え込む。
「いや……違うな」
間を置いて、兼高が首を振った。
「これはに“瞬間移動”じゃない――“空間湾曲移動”だ」
――「“空間湾曲移動”……」
そう、矢車斗黎の潜在異能力――RED BOXは、“空間湾曲移動”だった。




