第十一話 高校生の日常
――新宿のとあるオフィスビル屋上。
榊絵里が電話をしていた。
「ちょっと、お父さん待って!私の話を聞いて!」
そんな言葉を聞くよしもなく、電話の向こうでは、虚しく、無機質な通話終了の電子音だけが冷然と響いた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ」
絵里がスマホを落とし、力なく崩れ落ち、そのまま理性を失ったかのように発狂する。
「どうしたの?絵里さん、そんなに叫んで、何かあったの?」
黒いスーツを着た若い男が、いつの間にか絵里の前に現れる。男の左耳には二つのピアス。左の首元にはトライバル柄の刺繍が、闇に紛れながらも妖しく顔を覗かせている。
「あんたのせいで、私は全てを失ったわ」
キッと男を睨みつける絵里。その眼差しには、憤怒と絶望が入り混じった濁った光が宿っていた。
「人聞きの悪いこと言わないでよ〜。俺はただ、絵里さんの目的のお手伝いをしただけだよ?上手くできなかった絵里さんの自業自得!」
軽薄な調子のまま、男は肩を竦める。その声音には、微塵の罪悪感も含まれていない。
「ふざけるなっ!」
男に掴みかかる絵里。感情のままに距離を詰める。
「絵里さんにはがっかりだよ」
「殺してやる!」
絵里がそう言った刹那、スパッと刃物で何かが断ち切られる乾いた音が、静謐な夜気を裂いてオフィスビルの屋上に響く。
絵里の体から首が落ちると共に、大量の血が噴き出す。鮮血が夜風に散り、コンクリートを濡らしていく。
落ちた頭部を、冷めた目で見つめる男。その瞳には、何の感慨も浮かんではいない。
「まぁ、いいデータは取れたけど、失敗した奴を野放しにしておくと足がつくからね」
無造作に髪を掴み、頭部を持ち上げる。その所作は、あまりにも無感情で、淡々としていた。
「九篠警備保障か……中々に面白いね」
そう呟くと、男は頭部だけとなった絵里の口に舌を絡め、歪んだ愉悦を帯びたキスをする。そして、何の躊躇もなく柵の向こう側へと頭部を放り投げた。
――暫くすると、ビルの下から複数の女性の悲鳴や男の狼狽える声が、夜の新宿に不協和音のように響き渡った。
――男は悲鳴を聞くと、満足げに笑みを零しながら帰って行くのだった。
****
榊氷河の警護を終えた次の日、兼高班のメンバーは九篠警備保障株式会社のオフィスに集まっていた。
「二人共お疲れ様」
想が蓮華と斗黎に労いの言葉をかける。その声音は軽やかで、場の空気を和らげるようだった。
「どうだった?初めての任務は」
「気が休まる時がなかったよ……」
公園で蟲の強襲に遭ってからというもの、いつ、どこから蟲が出てくるか分からないという逼迫した感覚が、ずっと頭の片隅に張り付いていた。
「蟲との戦闘はあったんですか?」
櫻子が無邪気そうな顔で聞いてくる。その屈託のなさが、どこか現実との乖離を感じさせる。
やっぱり可愛い……
「二回、戦闘になったかな」
「最初はヒヤッとしたけど、初めてとは思えないくらい動けてたよ!」
蓮華が笑顔で言う。その明るさに、場の緊張が僅かにほどける。
『最初はヒヤッとした』は伏せておいてほしかったが、実際、蟲との戦闘で肝を冷やす場面があったのは確かだ。あの刹那の感覚は、今でも鮮明に反芻できる。
「蓮華との連携も中々だった」
兼高が悠然と言う。その評価は簡潔だが、重みがある。
「あ、ありがとうございます」
まさか、褒められると思ってなかった。僅かな安堵と同時に、どこか照れくささが込み上げる。
「凄いですね!矢車さん」
「へぇ、早く一緒に任務に出てみたいなぁ」
同年代の人間の輪の中心にいるのは、なんだか久しい感じがして、落ち着かない。どこか居心地の悪い安堵が胸の奥に滞る。
「二人共本当に良くやってくれた。負傷した別班の二人も打撲で済んだらしい」
そうか、駆け付けた時には既に倒れてたから心配していたが、打撃を受けた衝撃で気を失っていたのか……重症でないだけ良かった。
あの後、兼高さんから聞いた話では、氷河君の祖父の榊総一郎と娘の絵里は絶縁になったらしい。弁護士の一ノ瀬さんという人に頼んで、公正文書も残したとか。うちの警護費用も祖父の榊総一郎が一括で支払ったらしい。
蟲にされて亡くなった絵里の秘書の神楽坂さんのご家族には、蟲になり倒された事を報告したそうだ。今後は榊総一郎が、責任を持って神楽坂さんのご家族を支援していくとのことだ。
「兼高!急いでこっちに来てくれて!」
軽く賑わっていたオフィスに、喧騒めいた声が響く。
大柄の男が呼んでいる。その男、成瀬は先の任務で一緒になった第二班の班長だ。第二班は元SPや海上自衛官出身等のメンバーで構成されている。ゴリゴリの体育会系の班らしい。平均年齢は三十代半ばと四班ある中では一番年齢の水準が高い。
兼高と斗黎達は呼ばれるがままに向かう。そこには壁付けのテレビがあり、ニュースが報道されていた。
『昨夜未明、東京新宿区の路上で、女性の頭部と見られるものがビルの屋上から落ちてきたと警察に通報があり、現場は一時騒然となりました。
頭部の身元は新宿区で自営業を営む榊絵里さん。三十二歳だと判明しました。
榊さんが経営する会社のオフィスビルの屋上に胴体が遺棄されていたとのことです。
警察は蟲事件と殺人事件両方を視野に入れて、捜査しているとのことです』
それは氷河君の叔母の榊絵里が死亡したというニュースだった。
「これって……この人って氷河君の叔母さんですよね?」
傍にいた櫻子と想が驚いた顔をする。その反応は当然だった。
「殺されたのか?」
「榊絵里はバーで知り合った男から人間を蟲に変える薬を貰った。今回の警護で榊絵里の計画は失敗に終わった。もしかしたら、口封じに殺されたのかも知れないな」
兼高が悠然と言う。その声音には、感情の起伏がほとんどない。
「でも、この女、動物二匹と秘書の人を薬で蟲にしたんだろ?自業自得じゃね?」
「なんか……すっきりしないな……」
「そもそも、警護は無事終わったけど、死人は出ているんだ。飲み込むしか無いだろ?」
「なんか、後味が悪い結果になっちゃったね……」
蓮華が残念そうに口にする。その言葉が、場の空気をわずかに沈ませる。
――暫くの沈黙が流れる。
「この後、上がりですよね!皆でどこか行きません か?」
櫻子が笑顔を作りながら、沈黙を切り裂くように案を出す。その明るさは、どこか無理をしているようにも見えた。
「いいねぇ、賛成!お前も行くだろ?」
想も賛同し、斗黎に賛同を促す。
「あ、あぁ」
「そうだね、行こっか!」
蓮華も笑顔を作り賛同する。その表情には、先程の空気を払拭しようとする意図が見え隠れしていた。
「兼高さんもどうですか?」
えっ!?兼高さんも行くの?というか来てくれるのだろうか。内心、僅かな期待が芽生える。
「俺は遠慮しておく」
やっぱり……その返答に、どこか予感していた通りだと自嘲する。
「まだ、やることがある。同年代で親交を深めるといい」
という訳で仕事終わり、四人で遊びに行くことになった。この会社に来て四人で遊ぶなんて初めてだ。どこか不思議な高揚と落ち着かなさが同居している。
「どこ行く?」
想が三人に聞く。
「どこでもいいよ」
「三人で遊ぶ時はどんなとこに行くの?」
「三人の時かぁ、飯くらいしか行ったことなくね?」
想が参考にならない発言をする。
「そういえば、矢車さんの歓迎会がまだですよ!」
櫻子が嬉しそうに言う。
「本当だね。すっかり忘れてたよ」
本当にこの子はサラッと酷いこと言うよね。悪気がない分、余計に刺さる。
「歓迎会なんてしてるの?」
「想の時も歓迎会したもんね」
「斗黎はどこか行きたいところはないのかよ?」
「特に……無いかな」
凪音や柊介みたいに親しい仲なら、誰かしらの家に集まって皆でテレビゲームをしたりするのだが、こういったまだ、上辺だけの人間関係しかできていない仲間と遊ぶとなると経験がない。いや、本来なら深く考えなくてもいいのかも知れないが……いや、そもそも仲間と呼ぶのだろうか……そんな逡巡が頭を過る。
「じゃあ、とりま、ゲーセンで遊んで、その後、ファミレスで斗黎の歓迎会するってのは?」
想がまとめにかかる。
「いいね!」
「歓迎会、いいですね!」
「斗黎はそれでいいか?」
「うん」
流されるままに返事をしてしまう。だが、それでいいのかもしれないと、どこかで思っている自分もいた。
「よし、じゃあ決まり!」
四人は駅前のレジャー施設へ向かうのだった。
****
「いやぁ、久しぶりに来たなぁ」
「本当ね」
こういった場所は久しぶりに来る。斗黎心もも心做しか踊っていた。どこか浮ついた感覚が、胸の奥で微かに弾む。
「ねぇ、プリ撮りませんか?」
櫻子が目を輝かせて言う。
「おっいいんじゃね」
逡巡する間もなく、全員機械の中へ入って行く。斗黎も櫻子に手を引っ張られる。その手の温もりに、一瞬だけ意識が引き寄せられる。
機械の中に入ると蓮華と櫻子が淡々と設定を決めていく。慣れた手つきだ。プリなんて、初めて撮るのでソワソワしている。どこか場違いな感覚すら覚える。
蓮華と櫻子が設定を終えると機械の音声案内で撮影が始まる。みんな思い思いのポーズを何パターンかの中で決めていくが、斗黎だけ、全部ピースで撮ってしまった。
ラクガキをしている最中、案の定、蓮華が『矢車君、全部ピースだね笑』と笑っていた。
いや、だって初めてだし、ポーズとるのも恥ずかしいし、そういうキャラじゃないしと思いながら、ふと、自分ってつまらないのかなと自嘲するのだった。どこかで、輪に溶けきれない自分を俯瞰している。
他にも色々なゲームをみんなでした後、斗黎はベンチで休憩していた。
ふと、目線を斜めに向けると、櫻子がクレーンゲームの前にいた。気になって立ち上がり、近くまで行く。
櫻子は必死に狸のようなキャラクターのぬいぐるみを取ろうとしていた。何度もアームを動かしては、僅かにズレて落ちるのを繰り返している。
「あぁ、また駄目だぁ」
櫻子ががっかりする。その肩が小さく落ちる。
その姿を見て斗黎が横から百円玉を入れる。櫻子がびっくりした様子で見ている。
淡々とボタンを押していき、無駄のない操作で狙いを定める。そして一発で取ってしまう。
「ふぁ、凄い」
櫻子が目を輝かせながら見ている。その反応は素直で、どこか無邪気だ。
「はい」
ぬいぐるみを櫻子に手渡す。
「えっ、いいんですか?」
「うん、いいよ」
斗黎は微笑んで渡す。その表情には、わずかな安堵が滲んでいた。
「ありがとうございます!このキャラ大好きで、今月クレーンゲームに登場したってSNSで見て、欲しかったんです!」
嬉しそうでなによりだ。それよりも一発で取れてよかった。内心、小さな僥倖に安堵する。
「おまたせ〜」
そうこうしているうちに蓮華と想が戻って来た。
「そろそろ行くか!おっぬいぐるみ取ったのか?」
「はい!、矢車さんが取ってくれたんです!」
嬉しそうに、大事そうに抱えている。
「櫻子、そのキャラクター好きだよね」
「うん!」
櫻子の豊満な胸にぬいぐるみが潰されてるのを見て、ぬいぐるみになりたいと不埒な想像をするのだった。
ほんの刹那、そんな自分に内心で苦笑する。
****
場所は変わり、斗黎達はファミレスに来ていた。ここから本当の斗黎の歓迎会が始まる。
「それじゃあ、改めまして、斗黎、九篠警備保障株式会社、身辺警護課、兼高班へようこそ!」
想が歓迎の一言を言う。その声音は軽いが、言葉自体はやけに長い。
――長い。
全員でソフトドリンクで乾杯をする。グラスが触れ合う軽い音が、場の空気を柔らかくした。
テーブルいっぱいに、全員でつまめるような料理が並んでいる。
「歓迎会、遅くなってごめんね」
蓮華が申し訳なさそうに謝る。その表情には、どこか本気の気遣いが滲んでいた。
「いや、開いてもらえるだけで、ありがたいよ」
「みんな好きなもの食べてね。兼高さんからご厚志預かってます!」
「兼高さんありがとございまーす!」
みんなと楽しくテーブルの料理を食べる。賑やかな声と皿の音が、自然と重なり合っていく。
――ふと、窓の外に目をやるとこの季節に見慣れたクリスマスの装飾が目に入る。街の灯りが、どこか浮ついた空気を運んでくる。
「もう、クリスマスかぁ。一年ってあっという間だな」
「社畜社会人みたいな事いうなよ」
「今度、うちでクリスマスパーティーしましょうよ!」
櫻子が唐突に提案する。その声は弾んでいて、場の空気を一段明るくする。
「あっ俺、クリスマスはセフと過ごすんだわ。ごめん!」
高校生に似つかわしくない台詞が、あまりにも自然に飛んでくる。
「え〜心宵も呼んで、みんなでパーティーしましょうよ〜」
これを普通にスルーするのか。この三人にとっては、これが日常なのかと、軽い齟齬を覚える。
「心宵?」
「俺の妹だよ」
「私と同じクラスで友達なんです」
笑顔で言う。可愛い……その無垢な笑みに、思考が一瞬だけ逸れる。
「その後の休みの日にしましょうよ」
食い下がる櫻子。その押しは、どこか無邪気で、しかし強い。
「まぁ、それなら……」
想も櫻子の押しに負ける。
「決まりですね!心宵には私から連絡しときます!」
「俺が来るって知ったら来ないと思うけどなぁ」
「どうして?」
「いや、俺こんなんだからさ、彼女とかセフの家に泊まって家にあまり帰ってないんだよ。だから、たまに帰っても心宵のやつ、態度が辛辣というか……当たりがきついんだよな」
そんな生活してるからでは……と内心で反駁する。生活を改めようという気はないのか。そもそも高校生で女の家を渡り歩くなんてしないだろ。
「家に帰りたくないのか?」
「まぁな。色々理由があんだよ」
作り笑いをしながら誤魔化す想。その笑みの奥に、何かを隠している気配があった。
「てか、彼女いるのにセフレいるのか?」
「ん?そうだけど?」
「二人も普通にスルーしてたけど……」
九篠姉妹はキョトンとしている。その反応に、価値観の乖離を改めて感じる。
「まぁ、想がクズなのは今に始まったことじゃないしね」
「色欲にだらしないのは元からです」
九篠姉妹から辛辣な評価が下される。成る程、クズなのは共通認識なんだなと半ば納得する。
「ふ、二人共酷いなぁ」
想が苦笑いしながら呟く。
「そういえば、お姉ちゃん、免許のお金は貯まったの?」
櫻子が話を変える。
「貯まったよ、もう教習所も申し込んじゃった」
「原付きの免許でも取るのか?」
「バイクだよ!」
「お前、誕生日2月だったよな?」
「卒業検定の時に16歳になってたら大丈夫だから」
「給料貯めてたの?」
「うん、もう新車で買えるくらいはあるよ!」
社長令嬢なら親に買って貰えてもおかしくないのに、自分で貯めたのか……中二からこの仕事をやっていたみたいだし、俺も十一月分の給料を貰ったが、研修しかしていなかったのに半月でそこそこの額が振り込まれていた。更に、蟲一体の駆除につき三万円が基本給に上乗せされる。危険が伴うだけあって、給料は良い。
「何乗ろっかなぁ」
蓮華が楽しそうに想像を膨らませる。その様子に、どこか羨望を覚える。俺も、お金を貯めて免許取ってみようかなと、漠然と思う。
「おっ、そろそろお開きにするか」
気付いたら皿の料理はなくなっていた。久しく、楽しい、居心地の良い時間を過ごせた気がする。胸の奥に、静かな余韻が残る。
「これからもよろしくね!斗黎君!」
蓮華、想、櫻子の三人が笑顔で斗黎を見ている。その視線に、僅かな居場所のようなものを感じる。
「みんな、今日はありがとう」
――店を出て解散した。冷たい夜風が顔を刺す。けど、心は何だか弾んでいる。あの時……勇気を出して決断してよかったなと、改めて思うのだった。
****
――九篠警備保障株式会社、身辺警護課のオフィス。
暗い部屋で自分が座っている所だけ、スポットライトのように灯りが点いている。
アドレスフリーの机にはノートパソコンと飲みかけのコーヒー。書類と写真がある。
「彼女が仲間になれば、うちの戦力もSEALDsに追い付く。矢車の加入といい風はこっちに吹いているな」
そう兼高が呟くと飲みかけのコーヒーを、また一口、口にする。その仕草は淡々としているが、どこか確信めいていた。
「合同訓練が楽しみだな」
静かなオフィスにコーヒーを飲む小さな音が、やけに大きく響くのだった。




