第一話 九篠警備保障株式会社
鉛色の空が、霜月に入ってから連日続いている。
高校一年生の矢車斗黎は、正面玄関を抜けて駐輪場へ向かった。マウンテンバイクに跨り、校舎を背にする。
高校に入学して半年程が過ぎた。
だが、クラスには気軽に言葉を交わせる相手はいない。所謂『ぼっち』だ。
他クラスに中学からの友達はいるが、特別一緒に帰ろうと誘ったりもしない。
休み時間は専ら、机に突っ伏して寝たフリをしながら音楽を聞くか、スマホを弄っているだけ。
華やかな薔薇色の高校生活に憧れがないと言えば嘘になる。ただ、友達の作り方が分からない。
同級生と話すのがいつの間にか臆病になっている。
教室で笑い声が上がるたび、輪の中に入れない自分だけが取り残されているような気がする。
俺は、今いる友達とどうやって仲良くなったのだろう。
昔は、もっと自然に笑っていた気がする。
気付けば隣に誰かがいて、特別な努力なんてしなくても、当たり前みたいに会話があった。
なのに今は違う。
何を話せばいいのか分からない。
どう踏み込めばいいのか分からない。
拒まれたらどうしよう、と考えた瞬間、怖くなる。
いつの間にか拗らせて、傷付かないようにと待ちの姿勢ばかり覚えてしまった。
自分から近づかず、誘われもしない場所で、ただ時間だけが過ぎていく。
そして気付けば、一人でいるこの現状に、慣れてしまっている自分がいた。
――そんな考えが、鉛色の空と同じ重さで胸に落ちてくる。
――俺はきっと三年間、灰色の高校生活を送るのだろう。
赤信号で足を止める。
吐いた白い息がすぐに解けて消えていく。
「寒っ」
小さく呟くと、信号が青に変わり、再びペダルを踏み込んだ。
****
――黒塗りの、軽自動車より一回り大きい外車の中から、彼を見つめる視線。
「兼高さん、彼を追ってくれますか」
「あぁ、分かってる」
悠然とした声が、車内に響く。
「やっと見つけた」
サングラスを掛けた男がハンドルを握り、小さな外車はゆっくりと動き出した。
****
自宅に着くと、マウンテンバイクから降り、玄関の鍵を開けて中へ押し入れた。家の中は静まり返っている。母も妹達も、まだ帰っていないみたいだ。
リビングのテレビを点けると、ニュースが流れていた。
『今日未明、東京・千代田区の路上で、蟲が出現。二人が捕食され死亡しました。
警察によりますと、死亡したのは、二十代の母親と三歳の娘で、現場付近にはモノリスが設置されていましたが、転倒して身動きが取れず、モノリスの有効サークルに入れなかったとみられています。
蟲は通報を受け出動したSTACKの隊員により、駆除されました。
近隣住民への二次被害はなかったとのことです』
斗黎はコップに番茶を注ぎ、テレビを消した。
自室のある二階へ上がり、制服の上着を脱いでベッドに倒れ込む。
タブレットでアニメを再生する。いつものルーティンだ。
「ピーンポーン」
インターホンの音が鳴る。
動くのが億劫になっている体を無理矢理起こし、階段を駆け下りる。
インターホンのモニターには、制服姿の少女と、スーツにサングラスの男が映っていた。
「……はい」
通話ボタンを押す。
「はじめまして、私、翠星中等教育学校の九篠蓮華って言います」
「赤陵高等学校の矢車君だよね?」
――なぜ俺の名前を知っている。
「少しお話できませんか?」
迷った末、通話を切り、玄関の扉を開けた。
少女の目線は自分とほぼ同じくらいある。自分の身長が170cmだから……同じか少し上くらいはありそうだ。
――女子にしては高めの身長だな。
少女は上質な制服に身を包み、黒髪のショートヘア。センター分けの髪から覗く顔は小さく、体の線は細いが華奢な感じはしない。
隣の男は背が高く、濃紺の高そうな生地のスーツに上品な黒系のネクタイ。ネクタイのノットは端正で、しかも立体的に結ばれてる。
スーツ越しでも鍛えられた体つきが分かる。サングラスの奥の視線が、此方を射抜いていた。
「私は兼高と言います」
視線に気付いた兼高が名乗る。
「……俺に何か?」
「急で申し訳ないんだけど、どこか場所を変えて話せないかな?」
****
断る暇もなく、気づけば車の後部座席に押し込まれていた。
狭いシートに膝を折りたたみ、身動きも取れない。
「このあたりってファミレスかカフェってあるかな?」
助手席から彼女が振り向く。
「この先、真っ直ぐ行って左手に“マーメイド”って喫茶店ならあるけど」
反射的に口が動いていた。
「じゃあ、そこにしよう!」
存外とあっさり行き先が決まってしまった。
車を駐車場に停め、薄汚れた外観の喫茶店に入る。
店に他の客はいない。
基本、店の常連さんか、二階にある銭湯帰りの客しか来ないので、夕方のこの時間帯は客入りが少ない。
入って直ぐの席に三人は腰掛ける。
入店に気付いた女性マスターが注文を聞きに来た。
「ホットコーヒーを一つ」
「私も同じものを!」
――視線が此方に向けられる。
「アイスコーヒーを一つ」
一瞬、面倒くさいので同じ物を頼もうかと思ったが、季節問わず冷たい飲み物の方が好きなのでアイスの方を頼んだ。
「畏まりました。少々お待ちください」
注文を聞くとすぐに戻っていった。
「この店、よく来るの?」
「親父がここのマスターと中学の同級生なんだよ。子供の頃に何度かモーニングを食べに連れて行ってもらった事がある」
父親が亡くなって、ここ数年は店に来ていない。
そのせいか、さっき注文を聞きに来た時、マスターとは顔見知りのはずだが、此方には気付いていないようだった。
まぁ、最後に来店した時は小学生だったから気付かなくて当然かもしれない。
小さい頃に来た時は、マスターとお婆さん、恐らくマスターのお母さんが一緒に切盛りしていたが、辺りを見回しても姿が見えない。
もしかしたら、もう引退してしまったのかもしれない。
「改めて」
兼高は名刺入れから名刺を取り出し、斗黎へ差し出す。
【九篠警備保障株式会社】
【身辺警護課】
【兼高謙司郎】
九篠警備保障株式会社……聞いたことがある。CMや広告でよく目にする業界大手の警備会社だ。
「警備会社の方が俺に何の用ですか?それにどうして、俺の名前と学校を知ってるんですか?」
「学校は着ている制服を見て、名前は家の表札に書いてあったからかな――」
あぁ、成る程。
「それと偶然、帰宅途中の君を見かけて……申し訳ないけど、跡を付けさせてもらったの、ごめんなさい」
「お待たせしました。コーヒーのホット二つとアイス一つです」
マスターはコーヒーをテーブルに置くとすぐに戻って行った。
「単刀直入に言います。矢車君、うちの会社に入ってくれないかな?」
「えっ!?」
予想外のスカウトに思わず、小さく声が漏れる。
思考が追い付かない。
「――警備会社に……俺がですか?」
一拍置いて質問をする。
「君、自分の体からシオン粒子が漏れているのに気付いてる?」
間髪入れずに質問が質問で返って来た。
「――シオン粒子?」
初めて耳にする単語が出てきて一瞬思考が停止する。
確かに子供の頃から偶に体から薄いピンク色の煙みたいなものが出てる事があった。しかし、ずっと目の錯覚だと思っていた。
というのも、小学校低学年の頃に一度、親父に話した記憶がある。しかし、親父には見えていないようで全く相手にされなかったのを覚えている。
人に見えないものが見えるなんて、他人からしたら不気味でしかない。
話した時の親父の表情を見て、幼いながらに悟り、以降その話を自分からすることは無くなった。
「これってなんなの?目の錯覚じゃないの?」
感覚でその粒子を出してみる。すると薄いピンク色の煙みたいなものが手の平から少し出ている。
よく見ると細かい粒子状の光が舞っている。
「順を追って説明するね。それはシオン粒子。扱える人と、兼高さんが掛けてる可視化サングラスを掛けてる人にしか見えないの」
成る程、親父には見えなかった理由が今分かった。
「シオン粒子を扱える人はね、異能力が使えるの」
「――異能力!?」
びっくりして思わず、復唱してしまった。
シオン粒子にそんな中二病みたいなオプションがあるのか...
俄には信じ難いと思ったところで彼女は人差し指を斗黎の目の前を出すと淡い黄色いシオン粒子が湧いてきてばちっと、乾いた音を立てながら電気が弾けた。
「!?」
「実際に見ながらの方が話が飲み込めるでしょ?」
確かに話を飲み込むには内容がファンタジー過ぎる。
「私の異能力は“電撃”。今のは指先に少し電気を放電したの」
九篠は畳み掛けるように説明を続ける。
「――それじゃあ、俺も異能力が使えるのか?」
「そうだよ、私達はこの異能力の事を“RED BOX”って呼んでるの」
「RED……BOX……」
「異能力に関する詳しい事は、うちの会社に入ったら話そう」
ずっと傍観していた兼高が割って入ってくる。
「あの……一ついいですか?」
「何だ?」
「会社に入ったら、俺は身辺警護をやるんですか?」
テーブルに置かれたままになっている名刺の身辺警護課という文字が気になった。
「そうだ。警備業法第二条第一項第四号。人の身体に対する危害の発生を、その身辺において警戒し、防止する業務。四号警備――いわゆるボディガードだ」
一拍置いて、兼高は続けた。
「仕事をする以上、異能力の使い方はマスターしてもらう。戦闘訓練も受けてもらう。危険が伴うし、高校生がやるような仕事じゃない。だが――それ相応の給料は出る」
「お金の問題だけじゃないけど、私たちはRED BOXの素養がある人材を是が非でも仲間に確保したいの。それだけ、素養のある人は極めて稀有な存在なの」
「すぐにとは言わない、また日を改めて……」
「いいですよ」
兼高の言葉を遮り、言葉を返す。
「ボディガード……やります」
「本当!?ありがとう!」
九篠が嬉しそうに立ち上がる。
兼高の表情は分からないが、サングラス越しでも、斗黎に視線を向けていることは分かる。
「まだ話したい事はあるんだけど、今日はもう遅いし、追って連絡するね」
彼女は座り直して場を締め始める。
「矢車君、LINE交換しようか」
「うん……」
高校に入学してから誰とも連絡先を交換していないので、うろ覚えで慣れない操作に戸惑いながらも何とか連絡先を交換することができた。
「あっ、俺、もう少しここにいます」
「それじゃあ、俺達はまだ仕事が残ってるから先に失礼するよ」
「ここは払っておくから、ゆっくりしていってね!」
兼高が会計を済ませ、二人は店を後にする。
若干、放心状態になりながら、結局一口も口を付けられなかったアイスコーヒーをようやく飲み始める。
スマホのロック画面を見る。十八時二十四分か。
「十九時前には家に着くかな」
アイスコーヒーを飲み終えると斗黎も店を後にする。
****
すっかり日も落ち、十一月のこの時間帯、辺りは既に闇に沈んでいた。
街灯の白い光が、アスファルトに途切れ途切れの影を落としている。
斗黎は、一人で帰路についていた。
足音だけが、やけに大きく響く。
勢い余って、二言返事で入ると言ってしまった。
後から振り返れば、冷静とは程遠い判断だったのかもしれない。
灰色の高校生活でもいい。
――そう思い込んでいただけなのかもしれない。
このまま時間が過ぎていくことに、耐えられなくなってきていたのだと思う。
――俺は今の自分に辟易していたんだ。
ふと、斗黎は足を止める。
左手を見ると、淡い光を帯びたシオン粒子が、静かに溢れ出している。
夜の闇の中で、その光だけがやけに目立って視えた。
――やるぞ。
呟きにもならない想いを胸に押し込み、
斗黎は、再び前を向いて歩き出した。




