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39 穢れ多き世界です

「こやつは“(ゆい)”と言ってな。昔は“大社”で共に暮らしておったのじゃ。

 ――じゃがある日、急に“人の世をもっと見てみたい”などと言い出してな。勝手に飛び出して行きおった」


「仕方なかろう。絵巻物を見ていたら、どうにも人の暮らしが気になってのう。そんなことより、“すーちゃん”はまだ大社に……」


 鈴がギロリと結を睨む。

 その威圧に、結は慌てて口をつぐんだ。


「す、鈴じゃったな……」


「ふん。今はな、“お主が護るはずじゃった宝珠”の守り手を、代わりに護っておるわ!」


「す、すまぬ……」

 そう言って結は申し訳なさそうに肩を落とす。


「なあ、話の途中で悪いんだけどさ……」


 俺は二人の間に割って入る。

 二人の昔話も気になるけど、今は死猿の調査が優先だ。

 近寄ってきた藤宮が、眼をキラキラさせて今にも飛びつきそうだしな……。


「ふむ、そうじゃったな。それで――お主、ここで何をしておるのじゃ?」


「うむ……じつはのう」


 結は少し目を伏せ、静かに語りはじめた。


「大社を飛び出したあと、儂はこの地で“落人”や“戦で親を失った子ら”を守りながら暮らしておったのじゃ。やがて人の世が落ち着くにつれ、村人たちは次々と里へ下り、最後の一人が去ったあと――儂もこの地を離れ、各地を放浪しておった」


 そこまで語ると、結は遠い記憶を見つめるように目を細めた。


「そして、久方ぶりにこの地を訪れてみれば……“サルども”が居座っておっての。

 やつらは言うのじゃ――“今の人の世は乱れておる。なんとかして正したい”とな」


「まさか……それで力を貸したのか?」


「うむ。長く旅をして見てきた世もまた、欲と欺瞞(ぎまん)に満ちておったゆえ……やつらの話を聞いておるうちに、力を貸してやろうと思うたのじゃ」


 まぁ、今の世の中を旅した結が何を見てきたのか、想像に難くはないな……。


「じゃが、それが過ちじゃった。やつらは力を手に入れると、正すどころか“自ら人を裁こう”としたのじゃ。当然、儂も止めねばと思い忠告した。すると、やつらは“自分たちが間違っていた”と反省し、この祠を儂のために建てると言うたのじゃ」


 そこで結は苦い笑みを浮かべ、肩を落とした。


「――そして、分かってくれたと安心したころ、やつらは儂をこの祠に封印しおったのじゃ!」


 その後、俺たちは結から詳しい話を聞いた。

 どうやら、サル(死猿)は今では滅多に姿を見せないらしい。

 現れるとしても、せいぜい数匹――。

 それも、決まって“隣の山”の方角からやって来るという。


「つまり、やつらのねぐらはその山の中ってことか?」


「うむ。昔、村人から“そこに小さな祠がある”と聞いたことがある。おそらく、そこじゃろう」


 結の言葉に、鈴が小さく頷く。


「……なるほどのう。であれば、そこに“猿神”もいるのじゃろう」


 ――“猿神”が祀られていた祠。


 どうやら、次の目的地は決まったみたいだな。



 ◇◆◇



 結から話を聞いた後、俺たちは駐車場まで戻ってきていた。

 その際、死猿たちに怒り心頭の結が「自分も行く!」と“猿神退治”への同行を申し出てきた。


 車に乗り込み、鏡見家へ向けて山道を下る。


「なあ、このまま祠に向かったほうが早いんじゃないか?」


「あせるでない。今から向かっては、着くころには日が傾く。夜はやつらの“領域”じゃ。それに今回は――茜も連れて行く必要があるのじゃ」


「鏡見が?」


「うむ。自称とはいえ、猿神は“亜神”なのじゃ。我らだけでは倒せん」


 その言葉に、車内の空気が一気に重くなる。

 ――その時。

 重い沈黙が、スマホを見ていたブッチの叫びによって破られた。


「おい! ニュースを見てみろ! 京都の町がヤバいクワッ!!」


 俺は慌てて車を止め、スマホのニュース配信を開いた。

 画面に映ったのは――そこら中から黒煙を上げる京都の町だった。

 道路はひび割れ、ビルのガラスが砕け散り、あちこちで火の手が上がっている。

 住民たちが道路や公園に避難している映像が流れ、混乱した様子が伝わってくる。


「な、なんだこれ……!? 一体どうなってんだ!?」


「これは……もしかしたら“猿神”が完全に目覚めたのやもしれん」


「“猿神”が完全に目覚めた? それには“宝珠”が必要なんじゃないのか?」


「おそらく“人の欲望”が想像以上に膨大だったのじゃ、そして……結が力を貸したのが影響しておるのじゃろう」


「でも映像を見た感じだと、“死猿”や“猿神”が暴れてるようには見えないぞ?」


「おそらくは――“猿神”が目覚めたことで、京都中の結界が反応し“共振”を起こしたのじゃろう」


「共振って……たしか音叉とか、地震でビルが大きく揺れる、あの現象か?」


「そうじゃ、何百もの結界が一斉に作動したことで、局地的な地震のようなものが発生したんじゃ」


 山を下る途中、車窓から見える景色に息を呑む。

 眼下には、まるで大地震が起こった後のように、破壊された京都の町が広がっていた。


「しかしまずいな。……これ以上“穢れ(けがれ)”が溜まると、京都の“大結界”が発動しかねんぞ!」

 鈴が焦ったように叫ぶ。


「大結界? 何がまずいんだ?」


「“大結界”が発動すれば、京都に住む妖怪どもはもちろん、人にもどれだけ影響が出るかわからん!」


「え!? 結界ってのは、邪を退けるものなんじゃないのか?」


「普通の結界ならばそうじゃ。しかし、大結界はあらゆる“穢れ”も同時に消し去るのじゃ」


「それが何か問題あるのか?」


「わかりやすく言えば――“病”“怪我”“ストレス”“鬱”“負の感情”“倫理観の欠如”。今を生きる者のほとんどが、何かしらの“穢れ”を抱えておる。

 そして大結界は、それらと結びついた肉体や心まで、まとめて消し去ってしまうやもしれぬ」


 鈴は一拍置き、静かに言葉を続けた。


「大結界とは、“人”ではなく、“京という都”を護るための結界なのじゃ」



 ◇◆◇



 急ぎ鏡見家に戻った俺たちは、準備を整え“猿神の祠”へ向かうことになった。

 今回は、“猿神退治”には鏡見の力が必要とのことで、鏡見と護衛の彦左さんも同行する。


「目的地に着くころには夜になるであろうが、仕方あるまい。このまま朝を待てば、“大結界”が発動しかねんからのう」


「お待たせしました!」


 その声に振り向くと、そこには長い髪を後ろで束ね、巫女装束(みこしょうぞく)に身を包んだ鏡見が立っていた。

 白と朱の衣が、傾きかけた太陽の光に淡く照らされている。


「どうです? 似合ってますか?」


「あ、ああ……本物みたいだ」


「もう、“本物のかんなぎ”なんですけど」


 そう言って頬をふくらませる姿に、一瞬だけ緊張が和らぐ。


「ほれ、急ぐのじゃ。時間がないぞ!」


 鈴の声に促され、俺たちは車へ乗り込んだ。

 窓の外では、茜色に染まる空を背に、京都の町がゆっくりと沈みはじめていた。

 全員の表情は真剣で――これから始まるであろう壮絶な戦いを予感させた。

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