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36 いなり寿司は美味なのじゃ!

 あの後、俺たちは鏡見に案内され、客間へと通された。

 彼女は鏡見父の“暴走っぷり”を平謝りしていたが、――たぶん“親バカ”が突発的に発動しただけだろう。


 しばらくは旅の疲れを癒やし、客間で一息つく。

 その間に、テングの彦左さんも挨拶に来て、藤宮を残して姿を消したことを謝罪してきた。

 藤宮は詫びの印として、羽を一枚もらって大喜びしていた。


 やがて陽が傾き、どこからか虫の音が聞こえてくる。


 もうすぐ夕食だと言われ、俺たちは広間へと向かう。

 鏡見母の取りなしもあって、どうにか誤解は解けたものの――鏡見父の表情はまだぎこちない。

 それでも、久しぶりの娘の手作り料理を前にすると、少しだけ表情が和らいだように見えた。


 夕食は、鏡見が腕をふるった自慢の“いなり寿司”と、鏡見母が作ってくれた“おばんざい”が並ぶ。

 昼間にほとんど食べられなかった俺も、今回は腹いっぱい味わうことができて大満足だ。


「……うまいな。来る途中で買った店のよりもおいしいくらいだ」


「ふふっ、でしょ? これは私の特製なんだから」

 鏡見が自慢げに胸を張る。


 藤宮とブッチも「おいしい、おいしい」と夢中になって食べている。

 ……昼に俺の分も食ってたはずなのにな。


 もちろん、“おばんざい”も――たいへん美味しゅうございました。


 食事も終わり、一服した所で俺は意を決して、“例のぶつ”を取り出した。

 早く手元から離したかったからだ。


「……あの、これなんですけど。鈴が勝手に持ってきまして……」


 そう言って、テーブルの上に、コトン――と置く。


 瞬間、鏡見家の三人が同時に息をのんだ。

 鏡見父は目を見開き、鏡見母は口元に手を当て、茜は箸を落とす。


 ほらみろ! やっぱりヤバいやつじゃねぇか!!


「神楽さん、さすがにこれはマズいですよ……」


「いやいや! だから俺じゃなくて鈴が勝手に!」


 俺の横では、当の鈴がすました顔で湯呑みに口をつけている。


「鈴殿、また勝手に持ち出して……。宮司に怒られますぞ」

 鏡見父がこめかみを押さえながら言う。


「それは元々、我が貰ったものじゃ。他人にどうこう言われる筋合いは無いわ」


 まったく悪びれた様子のない鈴。


「いや、それは……そうかもですが……はぁ……」


 鏡見父が深いため息をつく。

 うん、その気持ちは痛いほどわかる。俺も今回、散々振り回されたからな。


 ひとまず肩の荷が下りたところで、俺は今回の件について何か知っていることがないか尋ねて、話題を変えた。

 鏡見の鏡見父は恨めしそうな顔をしていたが……文句は鈴に言ってくれ。


「なぁ鈴。あのサルの正体に、心当たりがあるみたいなこと言ってたけど……実際どうなんだ?」


「ふむ、そうじゃな。――お主ら、“三猿”は知っておるか?」


「三猿って、あれだろ? “見ざる、聞かざる、言わざる”ってやつだろ?」


「うむ。本来、三猿とは“悪いものを見ない・悪いことを聞かない・悪口を言わない”という、戒めの象徴じゃ」


 鈴は一拍置き、湯呑みに口をつけてから続ける。


「――しかしじゃ。昨今ではどうじゃ? “見て見ぬふり、事なかれ主義、誹謗中傷”がはびこっておる」


 その言葉に、俺の脳裏をいくつもの光景がよぎった。


見て見ぬふり(見ざる)〉――芸能界での某プロデューサーの行為を、誰も注意しない現状。

事なかれ主義(聞かざる)〉――鏡見の部屋が襲撃された時、騒ぎを聞いても誰も助けに来なかった住人たち。

誹謗中傷(言わざる)〉――ネット上で、正義を装いながら他人を叩く無数のコメント。


 それは、生きていくための処世術のひとつかもしれない。……だけど。


「――そして、この“三猿”には、“四匹目”がいることを知っておるか?」


「えっ? 四匹目?」


「うむ。本来、“聞かざる”と“言わざる”の間に居るはずだったサル――“動かざる”。欲望、つまり性的な不徳を戒める存在。この四猿の別名が“死猿(しえん)”。そして、今回のサルどもの正体じゃ」


〈性的な不徳〉――世の中で乱れる貞操観念。

 愛の形の多様化、あるいは軽視ともいえる風潮。


「今代において、それは“個人の選択”や“多様な価値観”として受け入れられておる。

 ――じゃが、古きものたちの中には、それを“許せぬ”と考える者もおるのじゃ」


『“堕落(だらく)”だ、と――そう断じる者がな』


 鈴の言葉に、背筋がじんわりと冷たくなる。

 いつもの事ながら、嫌な予感しかしないんだが……。


 他にも色々聞きたいことはあったが、鈴が今日は疲れたというので、続きは明日することになった。

 もしかしたら、鈴なりに俺たちを気遣ってくれたのかもしれない。



 ◇◆◇



 鏡見の実家には温泉があり、なんと源泉かけ流しだという。

 藤宮は肌がつるつるになると聞き、大喜びだった。


 温泉でゆっくり旅の疲れを癒やし、客間に戻るとブッチがネットで何かを見ていた。


「何見てるんだ?」


「お前たちが収録を見に行った番組のプロデューサー“欲沼”を調べてたクワッ!」


「なんでまた、あんなやつを?」


「おいらの知り合いのインフルエンサーが、こいつに番組出演を誘われたって喜んでたクワッ! それで気になって調べてみたクワッ!」


 ……ブッチの人脈、侮れないな。


「で、なにか分かったのか?」


「業界じゃ悪い噂だらけクワッ。ただこいつの担当した番組が毎回ヒットするから誰も逆らえないみたいクワッ」


 なるほど、だから今まで黙認されているってことか。


「それに、“番組レギュラーを餌に女性タレントを口説く”とか、誘いを断ったタレントを“番組で使わないように圧力をかけてる”って噂もあるクワッ!」


「聞いてた通り……最低なやつだな」


 鏡見を打ち上げに誘ったのも、それが目的かもしれないと思うと怒りが込み上げてくる。

 とは言え、証拠があるわけでもないし、何も出来ないのがもどかしい。


「それで、藤宮と鈴は鏡見の部屋か?」


「女子会の続きだとか言ってたクワッ」


「そっか、元気なこった」



 ◇◆◇



「ねえねえ、茜ちゃんって私のひとつ下なんだよね?」


「うん高三。芸能活動も認められてる学校に通ってるわ」


「やっぱり、有名人とかもいるの?」


「そうねぇ、〇〇ちゃんとか、〇〇くんとか同じ学年にいるかな」


「うわぁ〜! うらやましいなぁ! やっぱり恋愛話とかもあるの?」


「うーん、噂はたまに聞くけど……そこは秘密」


 うぅ、気になるけどここは我慢ね……!


「真琴ちゃんはどうなの? 好きな人とかいないの?」


「う、うーん。今は仕事と研究会が楽しいから、いないかなぁ」


「そうなの? てっきり神楽さんのことが好きなのかと思ってたけど?」


「えっ!? せ、先輩!? い、いやいや、ないない! ゲームオタクだし!」


 も、もう! なんてこと言うのよ茜ちゃん!


「そうなの? ふぅん……そっかぁ。――なるほどねぇ」


「も、もしかして茜ちゃん? そんなことないよね?」


「ふふっ、どうかなぁ?」


 ちょ、ちょ、ちょっと待って!?

 な、何で私、動揺してるの!?

 あぁ……なんか、もやもやする!


「なんて、冗談です」


「じょ、冗談なの!? もう、びっくりしちゃったじゃない!」


 私、なんで今……ちょっとホッとしてるのよ。

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