10 いらっしゃりますか?
――誰もが知る伝説の存在、“オニ”。
半透明の巨体が夕日に照らされ、不気味さを増す。
幸いにも“見えている”のは、俺たちだけのようだ。
それでも空気の異様さにあてられたのか、観光客の何人かは下を向き、具合が悪そうだ。
「先輩どうするんです、これ!」
「いやいや、俺が聞きたいわ!」
とりあえず、ROOTSに指示を仰ごうとスマホを取り出そうとした、その時。
――鬼頭さんからの着信!?
「おい! お前たち無事か!」
「鬼頭さん、まずいです!」
「状況はどうなってる? お前たちのいる付近で、ヤバい数値が観測されたんだが」
ROOTSから支給されたスマホは、常に位置情報や周囲の状態を観測して本部に送っている事を思い出す。
「オニが出ました!」
「ちっ、オニか……まずいな」
鬼頭さんには珍しく、かなり焦っている雰囲気が伝わってくる。
「わかった。すぐに部隊を編成して、そっちに向かうが時間がかかる。お前たちは、そこから出来るだけ離れろ」
「でも、観光客はどうしますか?」
「大丈夫だ。“認識”できていなければ、直接的(物理的)な被害はない。今、一番危険な状態なのは、認識しているお前たちだ」
「おい、そろそろオニが目覚めるクワッ。気づかれる前に離れたほうがいいんじゃないか?」
ブッチが忠告してくる。
俺は、通話を切ると藤宮にここを離れることを伝えた。
藤宮の額からは汗が伝い、相当キツそうだ。
「いけるか?」
「大丈夫です……」
藤宮は小さく答えたが、顔色はあまり良くない。
「結界の中のほうが安全だ」というブッチの意見を採用し、神社への山道を戻る。
はぁ、なんで毎回事件に巻き込まれるんだよ……勘弁してくれ。
心の中で愚痴を吐きながら、山道を進む。
「はあ、はあ、くっ」
振り向くと藤宮が膝をついていた。相当苦しそうだ。
「ったく、運動不足だぞ」
藤宮に近づくと“念動”も使い、ひょいっと抱きかかえる。
「キャッ」と藤宮が小さな声を出す。
「あの先輩……」
「急ぐから口を閉じてろ。舌噛むぞ」
俺がそう言うと、藤宮は下を向き小さく頷く。
当然ブッチは自分で歩かせる。
何か言ってくるかと思ったが素直に従っている。
もしかして、ブッチなりに気を使ってるのか?
藤宮を抱えしばらく進むと、やがて神社の鳥居が見えてきた。
鳥居をくぐると前回と同じく、身体を撫でられるような感覚を覚える。
「だいぶオニの気配が薄れたクワッ」
ブッチが言うように、体に纏わりつくような不快な感じが薄れている。
藤宮の表情も少し和らいだように見えた。
「これはまた、“珍しい御方”をお連れになっておられますな」
そう声を掛けてきたのは、先程話しを聞いた神主だった。
“珍しい御方”?
そう思って神主の方を見ると、それまで穏やかだった表情を一瞬にして改め、畏敬の念のこもった眼差しでこちらを見ていた。
見ているのは藤宮か?
……いや、それよりも今後の対策が優先だ。
「すみません、少し休ませてもらえませんか?」
お願いすると神主は優しく頷く。
「ささ、そのお嬢さんをこちらに連れてきなされ」
そう言って俺たちを社務所に案内してくれる。
藤宮を社務所に寝かせると、改めて神主に礼を言う。
そして、気になっていたことを尋ねる。
「あの、変なこと聞きますけど、神主さんって見える人だったりします?」
俺の質問に神主はブッチに視線を向ける。
「そこのカッパのことかの?」
「やっぱり、見えるんですね。じゃあ、当然あのオニのことも?」
「ああ、心得ておる。あれは“ダイダラの成れの果て”じゃ」
「あれがダイダラ?」
「おそらく、火球の衝突によって礫島の封印が緩んだのじゃろう」
……やっぱり火球が関係していたのか。
「ダイダラはオニだったんですか?」
「いや、あれは地霊の仕業じゃ。ダイダラが長年溜め込んだ――無念に引き寄せられたのじゃろう」
地霊か――確か土地に宿る精霊みたいなものだったかな?
その時、目をつむっていた藤宮が目を開けた。
『すまぬな。“ダイダラ”がかくも変じていようとは、予期せなんだ』
なんだ? 声質がまるで違う、それに目の色も。
「藤宮? いや、誰だ!」
すると、藤宮は身体を起こし“金色の瞳”をこちらに向ける。
『わらわは、市杵嶋姫じゃ』
「市杵嶋姫命、お久しゅうございます」
神主が姿勢を正し頭を下げる。
『久しいな“土地神”よ』
はぁ? 市杵嶋姫命? 土地神?
え? かみさま? 頭が混乱する。
ブッチを見るとミニブッチになって、俺の後ろに隠れている。
このやろう、逃げやがったな!
「あ、あの。もしかして神様でいらっしゃりますか?」
やばい。変な言葉遣いになった!
『無理に畏まるには及ばぬ。神などと呼ぶのは、そなたらが勝手に申しておるだけよ』
「えっと、神じゃない……のか?」
意味が分からず、つい言葉に出てしまう。
『お主ら人類が進化を重ね、種として成熟すれば、自ずと知る時が来る』
正直もっと聞きたいとは思ったが、この話はここまでという強い意思が伝わってくる。
なので、質問を変える。
「あの、どうして藤宮の体に?」
『ダイダラの坊に纏わりついておった地霊を散らそうとしたのじゃが、これまで依り代としておった娘が限界だったゆえな。すまぬが、この娘の身を借り受けさせてもらうぞ』
あの、動画の女性が前の依り代だったって事か。
『聞きたいこともあろうが、まずは坊を何とかせねばならぬ。放っておけば、このあたり一帯に災いが及ぶであろう』
市杵嶋姫命は俺を見る……全てを見透かされているような、金色に光る眼。
『ふむ……お主にも、ひと肌脱いでもらおうかの』
「え? お、俺ですか?」
嫌な予感しかしないが、“神様の願い”を断れるわけが無いだろ!
「じゃあ、えっと……市杵嶋姫命」
『ヒメでよいぞ。呼びにくかろう?』
なんか、意外とフランクだな。
「じゃあ、ヒメ様。俺は何をすれば?」
作戦を説明するとこうだ。
その一 ヒメが神パワーでダイダラの動きを封じる。
その二 俺が、ダイダラと融合した地霊を念動で引き剥がす。
その三 最後に土地神の神主がダイダラを再封印する。
ざっくりこんな感じだった。……いやいや、ざっくりしすぎだろ!
「あの、念動で引き剥がすって……どうやるんでしょうか?」
いや、ほんとこっちはただの人間ですからね!
『うむ、心配いらぬ。――近う寄るがよい』
言われた通りヒメに近づく。
柔らかな気配がすぐ目の前に迫り、次の瞬間。
額に、そっと唇の柔らかい感触が伝わる。
「……っ!」
――心臓が飛び跳ねた。
熱が額から全身へ駆け抜け、頭の奥に膨大な情報が流れ込んでくる。
同時に、あの時の“全能感”が一気に蘇った。
『どうじゃ?』
「……わかりました」震える声で、俺はそう返事をした。
◇◆◇
ヒメを抱えて結界の外へ出る。
辺りは既に暗くなり、稜線の彼方がピンクと紫のグラデーションに染まっている。
見上げれば――オニと化したダイダラが、なおも星の輝く宇宙を仰いでいた。
俺はヒメを腕に抱えたまま、念動でゆっくりと宙へ浮かび上がる。
その瞬間、空を見上げていた巨体の目が、ギロリとこちらを向いた。
その、圧倒的な存在感に押しつぶされそうになる。
だがヒメが手をかざすと、ふっと体が軽くなる。
オニは、ヒメの存在を感じたのか、天を仰いで咆哮した。
それは怒りか、それとも喜びか、判別のつかない叫び――大地を揺らし大気を震わせる咆哮。
「……さて」
自分に言い聞かせるように叫ぶ。
『オニ退治といきますか!』
そして、俺はオニへと飛び出した。




