第7話 数字で殴る――競合ダンジョン対決 の公開
“怖い”を売るか、“帰りたくなる”を売るか。満足度×回遊率で決着いたしますの。
朝。峠の掲示板に、同時に二つの旗が上がった。
ひとつは哭き鍾乳洞。もうひとつは峠向こう、競合の骸吼裂溝――所長はもちろんカミラ。
内容は“同時観光デー”。互いに入場・物販・安全・満足を公開、王都監察官が監査し、当日来訪の客が二施設を回る。勝敗は満足度×回遊率。
――怖がらせて終わり、の時代は終わりますの。また来たいを作れない迷宮は、数字で沈む。
「式次第、掲示完了」
ノエルが無表情のまま、石板を叩く。
『評価式:満足度(◎=1, ○=0.7, △=0.4, ×=0)×回遊率(両施設来訪=1, 片方のみ=0.6)×安全係数(事故ゼロ=1, 事故1件=0.9…)』
見える評価式は不満を減らす。勝っても負けても、納得は“式”で担保される。
「ぷる(準備ヨシ)」
ヌルが床ライトの点検を終え、ゴブ清掃班は指差呼称を唱和。
ガレスは端に立ち、短く告げる。「俺は双方を回る。数字は同一指標で取る」
◇◇◇
開園の鐘を二度、少し間を置いて鳴らす。
午前の第一波――家族連れが多い。スタンプ“雫めぐり”を配りつつ、回遊券を差し出す。
「本日、二施設を回られた方は甘茶券を差し上げますの。向こうで“怖く笑って”、こちらで“笑って怖がる”。巡る楽しさをどうぞ」
スタンプは“泣き雫”の印、回遊券には地図と歩数。歩数は達成感の単位だ。
《設計視》を開く。
青(風)と緑(湿り)は落ち着いている。赤(危険)は薄い。
だが峠の向こう――骸吼裂溝から紫のもやが立つ。恐怖演出の過飽和。人の声が上ずり、列が詰まり、転倒の赤が濃くなる兆候だ。
“怖い”は音数を荒らす。音数が荒れれば、事故が増える。
「ノエル、行列アトラク強化。豆知識を一段増やして」
「了解。“鍾乳石は一センチ百年”“静けさは音の間が作る”」
「ヌル、子どもの前に歩幅メトロノーム」
「ぷる(ぱち、ぱち)」
昼前。
第一回の満足札集計。
ノエルがさらさらと計算し、石板に貼る。
『午前:満足度◎率 68%/○ 27%/△ 5%/× 0% → 満足度指数 0.89
回遊券回収:41%(向こう→こちら 24%、こちら→向こう 17%)
安全:事故 0』
ガレスが横で同じ形式の骸吼裂溝の数字を読み上げる。
『満足度◎率 34%/○ 28%/△ 23%/× 15% → 0.58
回遊券回収:33%(こちら→向こう 18%、向こう→こちら 15%)
安全:軽転倒 2(処置済)→安全係数 0.98』
観衆がざわつく。「怖すぎる」「子ども泣いてた」――静けさの価値が、対比で浮かぶ。
◇◇◇
正午。
カミラが峠の中央に立ち、赤い唇で笑った。
「そちらは子ども相手が上手ね。うちは大人向けでいくわ」
「大人も座面が好きですの」
「じゃあ――価格で勝負しましょ」
骸吼裂溝の札がめくられた。
『午後限定:入場半額/“叫びガチャ”一回無料』
――価格の刃。短期的な刈り取りには効く。だが“また来たい”を削る刃でもある。
「ノエル、価格競争はしません。代わりに体験を増やしますの」
「了解。行列アトラク二段:影絵体験(子ども用)/静けさ耳の貸し出し(大人用)」
“静けさ耳”は耳栓ではなく、音数を数える小器。一定の間合いを保つと、ほんの少しだけ甘い鐘が鳴る。
――価格ではなく、手触りで勝つ。
午後の波が来る。
骸吼裂溝の割引に引かれて向こうへ流れた客が、回遊券に導かれてこちらへ戻ってくる。
顔色は疲れているが、甘茶で戻る。
「こっちは落ち着く」「子どもを連れてこれる」――満足札の◎が増える音がする。
その最中、細い金属音。
宝箱の陰に、また針。
ノエルが白手袋で押さえ、映写石が天井に映す。
針の刻印は、やはり供給網の紋。
わたくしは扇を開き、静かに言う。
「公開いたしますの。本筐体は監査中。針は証拠保全。競合施設の妨害と断じません。供給網の問題ですの」
ガレスが一歩出る。「通行記録、照会中だ。今日の勝敗には加点も減点もしない。安全だけを見る」
公平の秤が、観衆の不安を沈める。
◇◇◇
午後三時。
第二回集計。
ノエルの白墨が石板を滑る。
『午後:満足度指数 0.91/回遊率 58%/安全 1.00
一次総合指標=0.91×0.58×1.00=0.5278』
ガレスが向こうの数字を持ち帰る。
『骸吼裂溝:満足 0.61/回遊 39%/安全 0.96(軽転倒+吐気数名)
一次総合指標=0.61×0.39×0.96=0.2287』
差は倍以上。だが、油断はしない。最後の波は日暮れ前に来る。疲労の赤が濃くなる時間帯だ。
「ヌル、床ライトを半段階明るく。ゴブ班、座面を増設。コウモリ班、影の呼吸を一拍長く」
「ぷる」「ぎゃ」「ひゅい」
音数と座面で疲労を吸い取る。
――“帰りたくなる”は、最後の五分で決まるのだ。
夕刻、カミラが再び峠に立つ。
「……数字は認める。けれど、話題性はうちの勝ち」
骸吼裂溝の伝声石には“叫び顔”があふれていた。
「話題は薄い氷。習慣は厚い木ですの」
わたくしは微笑み、鐘を二度、ゆっくり鳴らす。
◇◇◇
日が落ち、最終集計。
観衆が固唾をのむ中、ノエルが白墨を止めずに走らせる。
『本日総計:
哭き鍾乳洞――入場 473/回遊券回収 61%/満足指数 0.905/安全 1.00/総合=0.905×0.61=0.552
骸吼裂溝――入場 498/回遊 42%/満足 0.59/安全 0.95/総合=0.59×0.42×0.95=0.235』
勝敗は明白だった。
歓声が広場を満たし、ヌルがぷるぷるジャンプ、ゴブ班が面を掲げて会釈。コウモリがひゅいと低く旋回する。
ガレスが高台に立ち、封蝋の紙を掲げた。
「本日の監査結果――哭き鍾乳洞の勝利。付言する。両施設とも事故死ゼロ、公開に耐える運営だった。価格ではなく、設計と手順が数字を作る。……以上」
拍手。誰も倒れない。叫び声より、座面のため息の方が多い一日だった。
◇◇◇
片付けの最中、カミラが近づく。
夕風に黒いドレスの裾が翻り、瞳は笑っていない。
「“怖い”は短距離、“静けさ”は長距離。肝に銘じるわ」
「“雇用”は橋でございますの。こちら側の客が、向こう側のあなたにも行く。回遊が街を温めますの」
「……それ、王都に言うつもり?」
「言います。観光庁にモデル事業として。安全係数を制式化し、税区分のインセンティブに絡める」
カミラは肩をすくめた。「負けたわ。けど、供給網は切れない。あそこは関所が握っている」
「では関所で会いましょう。第9話で」
「メタ禁止」
「失礼」
カミラは冗談のように笑い、しかし目は鋭く、峠の闇へ消えた。
◇◇◇
夜。
石板に、今日最後の白墨を走らせる。
『転倒事故ゼロ日:5/本日粗利:+142,800/紹介意向:72%』
ノエルがもう一枚の石板に**“今日の学び”を小さく書く。
『価格ではなく、歩幅を揃える/見栄より座面**/怖さは音数で中和』
いい言葉。習慣になる。
ガレスが苦情箱に紙を落とし、立ち去ろうとした。
「本日は“感想”だ」
「内容は?」
「“鐘の二回目、今日の間はよかった”。……明日も同じで頼む」
「習慣にいたしますの」
断罪ではなく、今日も開園の法を積み上げた。
“また来たい”の数字が、明日の鎧になる。
明日は――列を遊ばせ、街を巻き込む。伝声石ライブで、行列そのものをアトラクションに。
(第7話 了)
次回:第8話「伝声石ライブと行列整理戦術」




