第5話 魔物、雇用契約で守りますの
使役は終わり。これからは雇用ですの――休憩、餌、賃金、そして安全基準。
朝一番、入口横の石板をふたつに増設した。
一枚はお馴染みの公開決算。もう一枚は――就業規則である。
ノエルが淡々と読み上げる。
「哭き鍾乳洞・就業規則(初版)。第一条、勤務区分。第二条、休憩時間。第三条、賃金および餌支給。第四条、安全基準。第五条、指差呼称。第六条、苦情・提案の投書口……」
下でぷるぷるしているのは従業員たち――スライム班のヌルとちびスライム三体、ゴブリン清掃班(腕章つき)、洞内案内のコウモリ二羽である。
「まずは、ご挨拶から」
扇を畳んで前に出る。
「本日付で、あなた方は“使役”ではなく雇用されますの。勤務は四刻ごとの交代制、間に十五分の休憩。危険箇所は指差呼称――“赤筋よし、座面よし、客列よし”。餌(賄い)は体重比で支給、特にスライムへは水分+糖液。賃金は銀貨と餌ポイントの併用。事故ゼロは全員のボーナスで評価いたしますわ」
ヌルが大きく膨らみ、ぷる(敬礼)。
ゴブ班のひとりが腕章を直し、コウモリが低く一鳴き。
小さなざわめきの中で、ガレスが現れた。濃紺の外套はいつも通りだが、目は公開石板を真っ直ぐに見ている。
「魔物を雇用扱いに――前例は少ない」
「前例は作るものですの。分類は“体験型観光(丙)・補助労働”。檻ではなく休憩室、命令ではなく手順書で守りますの」
ノエルが別紙を差し出す。「治癒協会の応急協定も締結済。軽傷は協会負担、重傷は労働保険から支給。印影はこちら」
ガレスが印影を確かめ、短く頷いた。「規則は結果で測る。……見よう」
◇◇◇
まずは打刻から。
入口横の柱に、出退勤石を取り付けた。従業員が触れると小さな印が刻まれ、時間が表示される。
「ヌル、出勤」
「ぷるん(ぺた)」
石に丸い跡――10:02 出。
ゴブ班が爪の先で器用に触れ、10:03 出。コウモリは天井の紐をくぐりながら羽打刻。
子どもたちが「かわいい」と笑い、保護者が写真を撮り、タグ**#泣き雫で笑おう**がまた増える。
続いて安全具の配布。
ヘルメットはゴブ班へ、耳栓はコウモリへ、スライムには冷却布(乾燥防止)。
ノエルが掲示板に安全基準を貼り出す。
『転倒防止マット点検(開始前/各休憩明け)/手すり触診/提灯石の光量確認/退避ポケット補給/指差呼称を声に出す』
声に出すのは、客にも聞こえるように。安全は見えるほど、守られる。
「では、指差呼称の朝練を」
わたくしが示すと、従業員が一斉に指を伸ばす。
ゴブ班:「赤筋よし!」
ヌル:「ぷるよし!」
コウモリ:「上空よし――回廊、音数四!」
観客席から自然に拍手が起こり、子どもが真似をする。
笑いながら覚えるルールは、習慣になりやすい。
◇◇◇
午前の山場、小さなヒヤリが来た。
物販の補充でゴブ班の若い個体が、重い箱を見栄で持ち上げようとして――「ぐっ」。腰を押さえる。
《設計視》に薄い橙(痛み)が滲む。
「退避ポケットへ」
ノエルが素早く支え、ヌルが床を冷やす。コウモリが上空を回って道を空ける。
わたくしは観客に向き直り、静かに告げた。
「安全の見本でございますの。無理は禁物――座面で守るのが哭き鍾乳洞の流儀です」
老婦人が頷き、子どもが「がんばって」と手を振る。
ゴブは照れくさそうにヘルメットを押さえ、休憩へ。
ノエルが公開石板に**“軽傷 1→処置済/復帰予定 午後”**と追記。
隠さない。公開は、不安を信頼に変える。
ガレスが低く言う。「……演出ではない“対応”が見えた」
「事故ゼロだけが目的ではございませんの。怪我を広げない、恥ずかしがらせない、戻れる――これが雇用の作法ですわ」
◇◇◇
午后、獣使いギルドの腕章をつけた使いが押し掛けた。
「魔物は使役の対象! 雇用など制度外だ!」
わたくしは扇を傾け、石板の就業規則を示す。
「制度外なら、制度にいたしましょう。王都広報にパブリックコメントを提出済。治癒協会も協定済。監督官の実見も入る。檻は不要、手順は必須。――あなたがたの“使役”で事故が減りました?」
使いの男は言葉に詰まる。
横でガレスが咳払いひとつ。
「本件、“体験型観光(丙)・補助労働”の仮運用を認める。問題があれば俺が止める」
硬い声だが、その硬さは公平の硬さだ。
男は肩をすくめ、退いた。
観衆の中から、子どもの声。「ぷるたち、がんばれー!」
ヌルが誇らしげに膨らんだ。
◇◇◇
休憩室をつくる。
赤い布を掛けた低いベンチ、保湿壺、ゴブ用の温湿布、コウモリ用の暗幕。
壁には提案箱――“従業員専用”。
ノエルが目を細めた。「“ぷるぷる休”の導入案、三件」
「即採用。半刻ごとに三分の保湿。甘味は午後のみ」
「了解。餌ポイントで管理」
餌ポイントは公開決算に新設した**“福利”**枠で集計する。見える餌は、誤解を生まない。
夕刻前、初ボーナスの時間。
石板の事故ゼロカウンターが4になった瞬間、わたくしは小箱を開けた。
「安全ボーナス。ヌル、あなたは保湿ゼリー。ゴブ班は腰帯。コウモリは羽ほぐし油」
従業員が一斉にざわつき、子どもたちまで拍手する。
ノエルが小声で「原価は?」
「広告費ですの。安全の噂ほど強い広告はございませんわ」
◇◇◇
夕暮れ、競合所長カミラの影が峠に差した。
黒いドレス、冷たい笑み。
「雇用ごっこで数字が守れるの?」
「守れますの。数字は日々の習慣で積み上がる。あなたは檻で守る。わたくしは座面で守る。座面の方が、買い物を増やしますの」
ノエルが掲げる公開決算には、今日の数字が並ぶ。
『入場者 261/売上 126,400/人件費 27,600/原価 24,200/福利(餌・ボーナス) 6,800/税・雑 9,400/粗利 58,400/事故 0/従業員事故 0(軽傷→復帰)/苦情 0(要望:夜の“お化け役”が見たい)』
カミラは鼻で笑い、マントを翻して去っていった。
最後に残った言葉だけが耳に刺さる。
「夜が勝負よ、オフェリア」
「夜は怖くするんじゃなく、笑って怖がるに設計いたしますの」
わたくしは第6話の準備――VIP回廊とお化け役の夜――の見取り図を広げる。
コウモリには影絵、ヌルには床ライト、ゴブ班には道化の面。
音数は少なめ、匂いは甘く。怖さの基準は泣かない、走らない。
背後で、鐘が三度鳴った。
ガレスが立ち止まり、石板に目をやる。
「“従業員満足度”の欄が増えている」
「提案採用率と欠勤率で推計いたしますの」
彼は短く笑った。「……面白い。夜の回、監督として“客”で見る」
「歓迎いたしますの。囁き声の練習をお忘れなく」
洞内は静かだ。
檻の音はしない。座面の音だけがする――座った背中がほっと息をつく、やわらかな音。
断罪の代わりに、雇用契約を積み重ねる。
泣くための洞窟ではない。笑うための迷宮に、変えていく。
(第5話 了)
次回:第6話「VIP回廊とお化け役の夜」
夜は“静けさ”を売りますの――影絵、提灯、道化、そして音数。怖がらせずに、もう一度来たいを作って差し上げますわ。




