SS「鐘の二度+微(び)」
小雨の午后、峠の湿りは緑が濃い。わたくしは入口の綱をほどき、鐘の芯を布で拭った。
「所長さま」
声の主は、先日“巡回座面”で座面守をしてくれた小さな少年。手には家の小さな鈴――欠けたまま、紐がほどけかけている。
「家でも鐘を二度鳴らしたい。微のところが、うまくできない」
よろしい。間は、誰の家にも置ける魔法。
「まずは座って」
わたくしは入り口脇の座面を指し、ヌルに合図。歩幅メトロノームが小さくぱち、ぱち。
「音数は三。一、鈴の音。二、床の息。三、笑う準備の静けさ――その間が“微”ですの」
ノエルが静けさ耳を少年に渡す。一定の間合いでちいと鳴る小さな鐘だ。
「蜂蜜を一滴落とす長さ、覚えて。ちょうど微」
蜂蜜壺から、ほんの一滴。糸のように落ちて、受け皿にぽと。
少年が鈴を握る。
ちん……(蜂蜜一滴ぶん)……ちん。
静けさ耳がかすかに鳴り、音数石は灯らない。
「できた!」
「返金は恥ではない――もし近所に怒られたら、鐘は一度に戻して。座面に座ってお願いするのですの」
少年は首を振る。「ぼく、まず座る。それから鳴らす」
欠けた鈴の紐を結び直す。結び目はひとつ、約束は二つ。
わたくしは小さな札を渡した。
『家用・間カード
鳴→二度+微/
合図→半歩×二/
標語→走らず、触って、笑って』
裏にはノエルの走り書き。『近所へお裾分け用蜂蜜は受付で半額』
「半額?」
「恥ではない、の反対ですの。仲直りの甘味」
帰り際、少年が入口で振り返った。
ちん……微……ちん。
峠の霧がわずかにほどけ、並んだ客の肩が一拍そろう。
座面に座っていた老婦人が微笑した。「うちの夕餉も、その“微”にしましょ」
鐘は二度。微は街の呼吸。
今日の最初の三行が、石板で少しだけ明るく見えた。
走らず、触って、笑って
半歩で進む
音数は三