第15話 エピローグ:迷宮は遊園地になりますの
座面と鐘と静けさで――また来たいの設計図を、国じゅうへ。
季節がひとつ巡った。
朝の風が変わっても、やることは同じ。わたくしは綱をとり、鐘を二度+微。
間がのび、峠の空気が一拍でそろう。
入口横の石板には、今日の最初の三行。
走らず、触って、笑って
半歩で進む
音数は三
ヌルが座面を拭き、ゴブ清掃班が指差呼称、コウモリ班が音数石を確かめ、ノエルが公開決算の欄を一段増やす。
――ここは、相変わらず哭き鍾乳洞。けれど、もう“山の一施設”ではない。国の見本である。
◇◇◇
この半年で、いくつかの習慣が国の形になった。
一つ目。座面規格 v1.1。
“背凭れ+一指(王都高身長対応)”“三十歩圏退避の目安”“返金は恥ではないの掲示義務”。
監査印の欄に「オープン条項」の刻印が増え、出典に『哭き鍾乳洞』の名が並んだ。
二つ目。静けさ指数と停止条件(公開・自動)が自治体の掲示板に貼られるようになった。
止めるは鞭ではなく手順へ。
秤(監察)は“客席”に座り、鐘の間に合わせて見る。
三つ目。再訪意向=税の試験運用。
“また来たい”を上げた街ほど、観光税率が軽くなる。
“座面の数”を増やした市場は、例外なく回遊が増えた。
◇◇◇
景色はいくつも思い出せる。
三番関所は看板を掛け替え、いまは座面監査館。
壁には偽ライブの見分け方、印影の読み方、返金書式が並ぶ。
かつての係官マーレンは、いま講師だ。落ち着きの悪い両手で座面の埃を払ってから、受講者に言う。
「怒ったら座れ。それから印影を見る」
良い声だ。
骸吼裂溝は影絵小劇場に改装された。
カミラは狐面を額に上げ、一呼吸置いて「びゃっ」。
怖さは音数で中和され、笑いは息で広がる。
物販の棚には、共同購入の蜂蜜と“小道化帽”。返金の箱は入口の座面の横にある。
王城の閲覧室には、背凭れ高めの座面が並ぶ。
王太子は時折“並んで”座り、雫印を押して去る。要望箱の紙には短く――“間よし”。
――礼儀は、座面の上にある。
広域へ異動したガレスは、定期便の巡回監察で峠に顔を出す。
わたくし達の**“座面会議”は季節ごと。
議題は仕事七割、たとえば座面稼働率**/返金の再予約率/従業員の提案採用率。
残り三割は――ゆる婚約の公開合意書 v0.1の更新。
「優先順位:仕事>婚礼準備、滞りなし」
「返金は?」
「“恥ではない”。――次の季節も、この間で」
秤の声は、少しだけ甘味が増えた気がする。蜂蜜のせいだろう。
◇◇◇
巡回座面は今日も走る。
旱魃の村へ、洪水の後の町へ。
見える順番、栄養粥、蜂蜜水、手洗い桶、そして座面。
数字は続く。満腹指数、行列満足、静けさ。
育った子どもたちは、やがて座面守になって戻る。
座った名が、印影の下で石に残り続ける。
◇◇◇
哭き鍾乳洞の今日の公開決算は、いつも通りの手書きだ。
『入場 508/物販 68,900/ガチャ 39,600/VIP 12名×12銀
人件費 33,400/原価 26,800/福利 7,600/税・雑 10,900
粗利 +94,500
満足 0.92/静けさ 0.95/再訪意向 0.80
事故 0/返金 1(半額→再予約)
転倒事故ゼロ日: 100』
三桁のゼロに、ノエルが珍しく目尻を柔らかくした。
「ゼロ日は目的じゃなく習慣」
「はい。鐘と座面と約束事の結果ですの」
苦情箱から、紙が一枚。差出人は――あなた。
『“また来たいから誰かを連れていきたい――どこに座らせよう?”』
わたくしは扇を傾け、石板の余白に小さな地図を描く。
入口の日陰、泣き雫ステージ横、退避ポケットの手前。
「座らせたい人ほど、鐘の音がよく聞こえる場所を。二度+微――間が笑顔をそろえますの」
◇◇◇
夕刻。
“鐘の日”の合図で、街じゅうの座面が一斉に磨かれる。
市場で、学校で、城の閲覧室で、関所の監査館で、骸吼裂溝の小劇場で――
鐘が二度+微。
間が、国の呼吸を一拍だけ揃える。
誰も走らない。多くが触れて、ほとんどが笑う。
泣きのための洞窟だった場所は、いま遊園地だ。
断罪の代わりに、わたくしたちは開園の法を積み上げてきた。
この先も、座面を置き、返金を掲げ、印影で約束を結び、公開で習慣にする。
**“また来たい”**が、国を温め続ける。
では――本日の営業を終えますの。
鐘を二度+微。
間が美しく伸び、静けさが夜の戸口へ吸い込まれていく。
明日、またお会いしましょう。座面を磨いて、お待ちしておりますの。
(完)