第11話 領民に還元――収益で飢饉を救う
保存食、雇用、そして巡回座面。笑って座れる場所が、腹も心も満たしますの。
新月明けの朝。
鐘を二度+微、間を伸ばして鳴らした。
入口横の公開石板が、一段と賑やかになる。
『巡回座面・本日計画
行き先:オルド谷(旱魃)
内容:蜂蜜水/栄養粥/乾パン“泣き雫”/座面・日陰・洗い桶/見える順番
雇用:臨時「座面守」6名/水汲み2名/衛生係2名(地元採用)
会計:本日の支出上限 60,000(公開)/基金残 412,300(寄付+粗利より)
指標:満腹率(◎=腹八分)/行列満足/静けさ/再訪意向』
「救済ではなく運営にいたしますの」
わたくしは扇で“雇用”の欄を叩く。「働けるは守られているの印。座面守は地元で雇いますわ」
「了解。出退勤石(携帯版)、配布準備」
ノエルは木箱から掌大の刻印石を取り出し、印影を揃える。
「ぷる(座面、積載完了)」
ヌルは台車に座面を二十脚、日陰テント、洗い桶、蜂蜜水樽、“泣き雫”の焼き印入り乾パンを山と積み上げた。
ゴブ清掃班は指差呼称、「手すりよし! 桶の水位よし! 呼出板よし!」
コウモリ班は音数石を三つ持ち上げ、影の練習。
出発前、伝声石のライブをオンにする。
『本日は巡回座面。オルド谷へ座面と食を運びますの。平均待ちは“見える順番”で短く、返金は恥ではない――食も、座る場所も、約束で分けるのです』
《寄付したい》《座面守やりたい》《乾パン“泣き雫”のレシピ出ます?》
『レシピは公開済:“粉・塩・水・蜂蜜少々”。座面は現地採用、雇用で続きますの』
◇◇◇
オルド谷は、風が土の匂いを運ぶ場所だった。
日照り続きで畑は灰の色、井戸も浅くなり、人影の動きは細い赤(疲労)を引いている。
《設計視》を開くと、風の青は弱く、湿りの緑が薄い。
けれど、人の集まる交差に白(座れる導線)の芽が見える。そこへ座面を置けば、列は回廊になる。
「ここを広間に。日陰テント、こちら。洗いは入口手前に。香導線は薄荷を少し」
「了解。順番板“呼出:1〜15”にセット」
ノエルが整理雫札を配り、子どもにも分かる絵札(湯気の碗/水滴/座面の図)を合わせる。
「ぷる(蜂蜜水・桶ヨシ)」
ヌルが樽に薄い蜂蜜水を満たし、杓を掛ける。
ゴブ清掃班は足洗い盆と手拭き布を並べる。
コウモリ班は天幕上に音数石を吊るして、ざわめきが三を越えないように見張る。
「座面守の皆さま、こちらへ」
集まったのは、若い男二人、子持ちの母、祖母、そして小柄な少年――年齢は問わない。
「勤務は二刻交代、休憩十五分。指差呼称の練習を。『呼出板よし! 座面よし! 水位よし!』」
「よし!」「よし!」「よし!」
声に出すだけで、人の目と手が整う。
ノエルが携帯出退勤石を渡し、餌ポイントの説明を短く。
「賃金は銀貨と乾パンで一部支給、蜂蜜水は勤務中は無料。提案箱は天幕の柱に」
少年が手を挙げる。「ぼく、座面の足ががたがたしてたら?」
「提案して、直して、印影を押すの。あなたが直したことが、ここに残りますわ」
◇◇◇
呼出が始まる。
最初の老人が座面に腰を下ろし、両手を碗に添える。栄養粥は米麦に塩と少量の油、刻んだ根菜。仕上げに蜂蜜一滴。
口に運ぶ間、音数石は灯らない。匙が合う音、息が揃う音――音数は三のまま。
老婦人が碗を置き、ふっと笑った。「座れるだけで、味が違うねえ」
「座面は器ですの。味を受け止める器」
わたくしは答え、次の呼出を促す。見える順番は、焦りを小さくする。
子どもが泣いた。空腹の泣きではない、並ぶことに疲れた泣きだ。
ヌルがそっと近づき、歩幅メトロノームを灯す。ぱち、ぱちと床の光が半歩を刻む。
子どもの足が、光に合わせてとん、とん。泣き声は息に変わる。
「泣いたら半額、走ったら全額返金+再教育」とノエルが親へ短く囁き、微笑む。
親は安堵の息を吐いた。返金は恥ではない――ここでも、約束が人を救う。
◇◇◇
昼過ぎ、小さな妨害が来た。
村役所の代官代理が、書状を掲げて言う。「配給税を納めよ。外部の施しは徴税対象」
わたくしは扇を傾け、会計石板(出張版)を示した。
『本日支出:食材/薪/水汲み/座面設営/雇用/雑
収入:なし(寄付基金より)/物販(道化帽少量)
税区分:体験型観光(丙)公益拠出運用――課税対象外(王都監察室通達・印影あり)』
ガレスではない別の監察官――灰色の外套の巡回吏が、わたくしたちの背から前へ出て、紙の印影を照合した。
「印影一致。本件、課税外。代官代理殿、退席を」
代官代理は口を尖らせ、「それでは見返りは?」と小声で言った。
「座面と雇用ですわ」
彼は理解できないという顔で肩をすくめ、去った。
去る影を見て、ノエルが呟く。「見返りが笑いに変わるまで、時間が要る」
「習慣にいたしますの」
◇◇◇
午後、提案箱から紙が三つ。
『座面、背凭れもう少し高く』『呼出の板、影で見えづらい』『粥に塩を少し増やして』
ノエルが改善早見表に落とす。「背凭れ→木工ギルドに発注/板→角度変更/塩→医療協会の指示範囲内で+0.2%」
座面守の少年が駆け寄って、小さな手で出退勤石をぺた。
「直した!」
「印影、ここに」
少年の目が輝いた。座った名が、石に残る。
その時、伝声石の画面に青い封蝋の通知が走った。
ノエルが開封。
『王都行政府・観光庁設置準備室より青紙――“モデル事業の権利譲渡に関する打診”』
――来ましたわね。
文面は、柔らかい言葉で硬い刃を包んでいた。
“運営権を王都の公共民間連合に譲渡し、一定の分配金を受け取るべし”
“座面や静けさ指標を一般化し、王都規格に組み込む代わりに……管理は王都へ”
わたくしは扇をひらき、声をやわらげた。
「公開いたしますの。来客の前で。印影は青ですが、座面はここにありますわ」
ライブのコメントが揺れる。
《乗っ取り?》《分配金いくら》《一般化は良いのでは?》
ノエルが石板に二つの式を書く。
『譲渡:分配金+規格化-現地雇用-透明性-座面の裁量
自営:粗利+雇用+透明性+座面-助成』
ガレスから短文。
『判断はお前たちが。俺は監察として、公開の有無だけを見る』
――秤は、いつもまっすぐだ。
「本日中に結論は出しませんの。公開決算を携えて、第12話でお返事いたしますわ」
「メタ」
「失礼」
◇◇◇
夕刻。巡回座面は二周目に入る。
満腹率の集計。ノエルが丸い札を数え、石板へ。
『満腹◎ 71%/○ 24%/△ 5%/× 0% → 0.91』
行列満足は0.88、静けさ指数は0.93。
“返金”は一件、泣いてしまった幼子に半額。再訪予約の印が、雫札に小さく押された。
座面守の欠勤は0、提案採用は3。
数字は、習慣の匂いがする。
配膳の合間、老司祭が天幕に入ってきた。
「祈りの代わりに何かできるか」
「座面守をひと枠、祈りではなく指差呼称で」
老司祭は目を細め、指を伸ばした。
「呼出板よし、座面よし、足洗いよし」
祈りの節回しが、安全の節回しに変わる。
良い音だ。
◇◇◇
日が傾く。
最後の呼出を終え、わたくしたちは公共広場に小さな舞台を組んだ。
コウモリ班の影絵、“雫冠の狐”。
暗い布に、淡い光と柔らかな影。
子どもが笑い、老人が肩を寄せる。
音数石は灯らず、静けさは余韻のように広がる。
舞台の脇でカミラが現れ、蜂蜜の壺を掲げた。
「共同購入、持ってきたわ。甘味は座面と相性がいい」
「歓迎いたしますの」
彼女は客に蜂蜜を垂らし、わたくしは配膳を手伝いながら、彼女の横顔を横目に見る。
敵は、同業者になりつつある。
「所長」
ノエルが公開決算(巡回版)を掲げた。
『本日“巡回座面”まとめ:
提供:栄養粥 612椀/蜂蜜水 840杯/乾パン 700個
雇用:座面守 6(地元)/水汲み 2/衛生 2 → 賃金支払 18,600(+乾パン)
満腹指数 0.91/行列満足 0.88/静けさ 0.93
返金 1(半額)→再訪予約 済
事故 0/苦情 0(要望“座面、背凭れ高く”→発注)
支出 58,900/基金残 353,400
転倒事故ゼロ日:9』
拍手が広場を満たし、ヌルがぷるぷるジャンプ。
座面守の少年が印影を見上げ、「ぼくの名前、残った」と言って笑った。
◇◇◇
片付けの時、青紙がもう一度、伝声石の隅をかすめた。
“譲渡交渉の場を王都で。黒衣の代理出席あり”
――黒衣。かつて王都で“契約”を私物化した連中の匂いがする。
わたくしは扇を閉じ、鐘の綱に手をかけた。
二度+微。
間は、今日も美しい。
「ノエル、公開決算の大版を用意。入場だけでなく、巡回座面の価値も数字で」
「了解。“再訪意向=税”の新指標、追加可能」
「ガレスには客として来ていただく。秤が座面の横にあるだけで、言葉が要らなくなる」
「カミラは?」
「蜂蜜を。同業者として、壇上に」
わたくしは笑って、見取り図を畳む。
断罪の代わりに、座面で街を埋める。
次は――王都で、公開決算を叩きつける。
(第11話 了)
次回:第12話「王都の乗っ取り計画、公開決算で粉砕」
青紙、黒衣、譲渡交渉。――舞台は王都。数字と印影と座面で、笑って終わらせますの。