第10話 査察回避迷路(ラビリンス・オブ・ルール)
規則は迷路。ならば見取り図に――点検表=遊び方、条文=標識、退避=座面。公開で歩けば、止まりませんの。
新月の朝。
鐘を二度、半拍置いて鳴らす。
入口横の公開石板に、今日だけの大きな見取り図が現れた。題して――
《査察回避迷路・見える点検ルート》
①動線 ②告知 ③退避 ④会計 ⑤従業員保護
「点検表は遊び方に翻訳いたしましたの」
わたくしは扇で順路を示す。青い線(風)、緑の斑(湿り)、赤い細筋(危険予知)、そして白い細長(退避導線)。
ノエルが淡々と付け加える。「チェックはスタンプで。◎=適合、○=要改善軽、△=要改善中、×=不適。監査印は右上、偽ライブ対策済」
「ぷる(座面増設ヨシ)」
ヌルは台車で座面を運び、ゴブ清掃班は指差呼称、コウモリ班は音数石を天井に揃える。
峠から二台の馬車。
濃紺の外套――ガレス。そして白銀の外套――王都監察室・監察官長イレーネ。灰色の瞳は冷たく、視線はまっすぐ石板へ。
「本日、区分“体験型観光(丙)”の本適用可否を審査する。公開で進める。……案内を」
「喜んで。遊歩の始まりですの」
◇◇◇
■①動線――歩くための見取り図
入口で全員に**“監査スタンプ台紙”**を配る。角に印影、中央に大きく三行。
走らず、触って、笑って
半歩で進む
音数は三
「“音数三”とは?」とイレーネ。
「提灯が合う音/靴底が撫でる音/揃った息――それ以外は“余計”ですの」
静けさ耳を渡す。間合いが守られると、ちいさな鐘が鳴る。
《設計視》で見る青と緑は整流、赤は薄い。床にはヌルの歩幅メトロノーム。
角の“赤筋”手前で、二択の小札――『直進=一般/左折=退避』。
「退避の選択肢を常時可視化。……迷わない」イレーネが低く言う。
「迷わないほど、事故は減りますの」
第一チェック。点検員がスタンプを**◎**に落とす。
ガレスが脇で囁いた。「呼出の間は鐘と同じだな」
「習慣ですの」
◇◇◇
■②告知――条文は標識に
広間の壁に**“条文を短くした標識”が並ぶ。
『座面で守る』『迷子は紐で守る』『返金は恥ではない』
さらに多言語石板**――絵文字と二語文で“走らない・触る・笑う”を示す。
ノエルが告知ログを差し出す。「告知点数:掲示14/声掛け7/行列説明4/偽ライブ警告2」
イレーネが鼻先で笑う。「数字が恣意でないなら良い」
「恣意を消すための、公開ですの」
スタンプは**◎。
観覧ロープの向こうで老婦人が囁く。「ここは、読める」
“読める”は、最強の安全**だ。
◇◇◇
■③退避――座面は避難の“器具”
“退避ポケット”へ。提灯、救護箱、蜂蜜水、小さな本。
イレーネが指を鳴らす。「模擬。誰か、立会を」
ゴブ班の若手が前に出て、重箱を“持ちすぎそう”になる――わたくしが合図、座面に誘導。ヌルが床冷却、ノエルが脈を check、コウモリが上空退避で道を空ける。
二分のうちに、沈静。
「“座れた安心”は数字になる?」
ノエルが石板へ記入。『退避時間 1分48秒/周囲音数逸脱 0/再帰率(復帰できた従業員) 100%』
イレーネのスタンプは◎**。
「……座面を“器具”として規定書に入れるべきかもしれない」
「条文は、座面ひとつで変わりますの」
◇◇◇
■④会計――お金は“見える”が勝つ
公開決算の大石板。入場/物販/ガチャ/人件費/原価/福利/税・雑/粗利と並び、事故ゼロカウンター、静けさ指数、行列満足指数が並ぶ。
横には封蝋付き金庫と二重印の支払箱。
ノエルが会計ログをめくる。「入出金74件/印影不一致0/偽札検出2(保全)/宝箱監査:試行100回→誤差範囲内」
イレーネは擬似乱数石の封蝋を確かめ、うなずく。
「透明は、不正より面倒くさい」
「ですから不正は来ませんの」
スタンプは**◎**。
◇◇◇
■⑤従業員保護――“使役”から“雇用”へ
就業規則、出退勤石、休憩室、餌ポイント、提案箱。
イレーネが低く問う。「魔物を雇用扱いに――制度外だ」
わたくしは治癒協会の協定書と、王都広報のパブリックコメント控えを差し出す。
「外なら、内にいたしましょう。公開して、印影で」
ヌルが出退勤石をぺた。ゴブ班は指差呼称、コウモリは羽打刻。
ノエルが欠勤率→0.0%/提案採用率→42%を示す。
「働けるは守れているの指標。――◎」
◇◇◇
迷宮の最奥、“泣き雫ステージ”に戻る。
イレーネの台紙には、すべて◎が並んでいた。が、最後の欄――“改善要望”にペンが走る。
「鐘。二度ではなく、二度+微の遅延を。呼出と退避の**間**がさらに揃う」
わたくしは微笑む。「採用。間は安全の調味料ですの」
イレーネが封蝋を割り、新しい紙を読み上げた。
「王都監察室 通知――区分“体験型観光(丙)”、本適用。付帯条件:公開決算の継続、事故ゼロカウンターの掲示、座面基準の維持、雇用規定の定期報告」
広間に拍手。ヌルがぷるぷるジャンプ、ゴブ班が会釈、コウモリが低く旋回。
イレーネは扇のような手帳を閉じ、わずかに口元を和らげた。
「……“返金は恥ではない”、いい標語だ」
「“また来たい”が恥を消しますの」
◇◇◇
外に出ると、峠の端にカミラが立っていた。
今日の彼女は静かだ。
「認める。座面に、負けた」
「座面は誰のものでもありませんの。共有いたしましょう」
「……うちの裏門、閉じたわ。代わりに小劇場にする。影絵、教えて」
「喜んで。**“怖がって笑う”**はあなたが得意ですわ」
視線がほどける。敵と味方、ではなく同業者の距離感。
明日からは、街に還す番だ。
◇◇◇
夕刻。本適用の日の公開決算。
『入場 492/物販 64,800/ガチャ 38,400/VIP 144銀/屋台 22,600
人件費 31,800/原価 24,900/福利 7,200/税・雑 10,600
粗利 +95,300
行列満足 0.91/静けさ指数 0.94/事故 0
転倒事故ゼロ日:8』
ノエルがもう一つの欄を増やす。
『座面稼働率(座る→戻る) 78%/返金件数 1(半額)→再予約 済』
「返金が再訪を作るの、数字で出ましたわね」
「恥の消し方は、座面と半額」
「格言めいてますの」
ガレスが苦情箱に紙を落としていく。
「“要望。座面を街にも――飢饉の市場に蜂蜜水と一緒に”」
彼の眼は秤のまま、しかし少しだけ熱が宿っていた。
「明日から巡回座面ですの。保存食と雇用を一緒に」
「監察は同行しない。客として行く」
「歓迎いたしますの」
新月の夜空に、鐘を二度+微。
間が、今日よりも美しく伸びた。
断罪の代わりに、開園の法を積み上げる。
次は――領民へ還元。飢饉に座面を持ってゆく。
(第10話 了)
次回:第11話「領民に還元――収益で飢饉を救う」
保存食、雇用、そして巡回座面。笑って座れる場所が、腹も心も満たしますの。