第1話 所長就任は断罪の翌日――赤字ダンジョン「哭き鍾乳洞」
断罪パーティの翌朝、わたくしは王都の北、風の強い峠にいた。
貴族の娘に用意されるはずの馬車ではなく、石粉だらけの荷車で、である。
「公爵令嬢オフェリア・グランヴェル。左遷先はこちら、辺境管理物件――哭き鍾乳洞。本状をもって、あなたを所長に任じる」
読み上げた役人は、手袋の上から鼻をつまむような顔をして、冷たい羊皮紙を押しつけてきた。
条件は三つ。
一、王都からの補助はゼロ。
二、半年以内に黒字化。できなければ洞窟は封鎖、わたくしは流刑。
三、怪我人・死人を出すな。出したら即、免職。
「お優しいルールですこと」
「どこがだ」
「失敗したら人生が終わる。つまり成功するしかない――わたくしは単純なゲームが好きですの」
役人は肩をすくめて峠を下りていった。
残されたのは洞窟の口、湿った冷気、古びた看板。
――『危険につき立入禁止(暫定)』
暫定。いつまでも暫定。赤字を垂れ流して王都が吸い上げる、辺境あるあるのラベルだ。
わたくしは裾をからげ、洞窟の入口に足を踏み入れた。
掌に意識を落とし、そっと目を細める。
《設計視》――わたくしの家系に伝わる秘術。建築も軍略も、**“流れ”**で視る。
暗闇が色づく。
天井の割れ目から入る風は青、湧き水のしたたりは緑、そして足元には――赤い筋。
滑りやすい斜面、足を取る石、行き止まりの前で狭まる通路。事故が起きるとしたら、ここ。
「まずは、あなた方の職場を整えましょう」
「ぷる?」
ぬめっとした声。足元で寒天のようなものが震えた。
スライムである。大きめの水桶ほどの体積、目はつぶら、体表には砂と落ち葉。
名札が腹の中に浮いている――管理官ヌル。
……名札があるなら、従業員ね?
「本日付けで所長のオフェリアですの。ヌル、あなたに清掃責任者をお願いしたいのだけれど」
「ぷるっ(敬礼)」
「いい返事。歩ける?」
「ぷるぷる(滑走可)」
「では赤い筋から順に、砂を払い、青い矢印の石を並べますの。安全導線を作るわ」
ヌルがぷにぷにと進むたび、床が光っていく。
わたくしは荷車から**光苔**の瓶を取り出し、壁の“危ない角”に塗っていった。
目立たせる。避けさせる。事故は見えないから起きるのだ。
次に入口に木の枠を立て、看板を掛け替える。
――『哭き鍾乳洞 体験型迷宮:本日は試験開園・入場料無料/転倒事故ゼロ日:0』
下の数字は石板で差し替え可能。ゼロを一日にする、そのための導線。
荷車の最後尾に積んであった小箱を開ける。
中には、まだ未設定の宝箱(ガチャ筐体)の心臓部――擬似乱数石だ。
わたくしはノエルの字で書かれた紙を確認する。
『当たり=地元名産/限定撮影札/次回割引券。外れでも体験チケット返還。確率表は掲示』
ふふ。ガチャは夢を売る。けれど、夢は透明であるべき。
「所長」
濃紺の制服、白いエプロン、無表情。ノエルが荷車の陰から現れた。
「お嬢様、公開決算の石板はどこに」
「入口横。入場者数、売上、事故ゼロ日数、苦情件数――毎日掲示いたしますの」
「了解。数字は鎧、ですね」
「ええ、貴族の紋章よりも強固ですわ」
昼前。
伝声石の掲示板に「無料開園」の貼り紙を流すと、ぽつぽつと人が集まってきた。
子ども連れ、旅の商人、好奇心に勝てない学生。
そして――
黒い外套、視線だけが鋭い男。
王都の査察官だ。
まだ何も言わない。ただ、見ている。
「いらっしゃいませ。走らず、触って、笑って。危ないところは光りますの」
わたくしは微笑み、入口の石板を叩いた。
――転倒事故ゼロ日:0 → 1。
最初の親子が中へ。
泣き虫の少年が、暗さに怯えてわたくしにしがみつく。
「暗いの、やだ……」
わたくしは扇を閉じ、少年の手に小さな提灯石を握らせた。
「君の灯りで、道を作ってくださいませ」
手が震え、灯りがともる。
青い矢印が浮かび、壁の光苔がやさしく返す。
少年は一歩、また一歩。ヌルが前をぷるぷると案内し、笑い声が増えた。
途中の広間。
わたくしは“危険の赤”が薄い場所に、映えの仕掛けを置いていた。
透明な水鉢の上に垂れる鍾乳石、光苔の緑、背後に磨いた鏡板。
「ここは“泣き雫ステージ”と申しますの。写真(撮影石)が綺麗に撮れましてよ」
旅の商人が「ほう」と唸り、学生が歓声を上げる。
その隣にはガチャ宝箱。
『確率表:大当たり5%、当たり30%、体験券65%』
石板の前でノエルが無言で親指を立てた。正直な夢は、口を開かなくても伝わる。
午後。
査察官の男が静かに近づいてきた。
「規則の看板が多い」
「見える規則は守りやすい、ですわ」
「ふん。無料で客寄せか。収支は?」
「こちらにリアルタイムで」
石板の数字が、さらさらと書き換わる。
『入場者 128/売上(物販・ガチャ) 47,200/事故 0/苦情 0』
男の目がわずかに動く。
「……今日は試験だ。明日もゼロを続けられるか」
「続けますわ。習慣にいたしますの」
夕刻。
最後の客が帰ると、ノエルが小計を差し出した。
「試験開園、黒字」
わたくしは小さく頷いた。
始まりは上々。だが、本番は明日から。無料の魔法が切れた後、本当に価値が残るかどうか。
「所長、明日の“夜”を開けます?」
ヌルがぷるぷる震えながら、提灯石を見上げる。
わたくしは《設計視》で夜の流れをのぞいた。
……夜は子どもには少し怖い。だが、大人のための静かな回廊ならいける。
「提灯ツアーを作りましょう。定員制、音数を絞って静けさを売るのですの」
「ぷる!(拍手)」
洞窟の外、峠を下る影が二つ。
一人は査察官、もう一人は見慣れた横顔。
――かつての婚約者の従者だ。
遠くで、彼らが会話するのが見えた。
『明日、停止命令を出してやれ』
いいえ、出ませんことよ。
わたくしは石板を撫で、白墨で大きく書き足した。
――「明日:公開改善計画を掲示――ご意見募集中」
規則で来るなら、規則の言葉で返すだけ。
夜風が冷たい。
ヌルが寄り添い、ノエルがマントをかける。
泣き声ではなく、笑い声の残る洞窟で、わたくしは胸の奥で舵を握った。
「ここを遊園地にいたしますの」
断罪の代わりに、開園の鐘を鳴らすのだ。
(第1話 了)
次回:第2話「映えと安全導線――家族向け迷宮、開園しますの」
行列は敵ではありませんの。アトラクションに変えて差し上げますわ。