はじめに一言
ある日羊は気が付いた、みんな調教された家畜だと、その時初めて世界が見えた。
そして羊は気が付いた、自分も調教された家畜だと、その時初めて心を持った。
そんな羊が世界を嘆き、気づいたことを呟くエッセイもどきな語り
僕らを取り巻く「力は正義」の洗脳。
子供の頃どんなアニメや特撮を見ましたか?
仮面ライダーや戦隊もの、ガンダムシリーズやプリキュア、セーラームーン。
どれもこれも主人公や主人公サイドは力をもって解決しようとするストーリーだと思いませんか?
日本の誇るサブカルチャーでは、主流中の主流、子供たちはそんな番組に影響されながら育っていく、ちょっと怖いことだと思いません?
理想では、話し合いで相手の言い分を聞き、自分の主張をして、お互いの妥協点をすり合わせていく。もっとも建設的な解決方法ですが、現実的にそれが出来る関係も余裕もないことが多い。
その背景には幼少期から聞かされた「力は正義」という洗脳と環境が無意識に流れている。
発言力の大きい人に黙ってついていった方が、面倒な揉め事に巻き込まれることなく、失敗しても自分の責任じゃないからと気楽についていく、または傍観するような癖がついてしまう。
では、なぜこのような「力は正義」を植え付けられるのか、物心ついた頃から延々と繰り返し洗脳され続けるのか、そこに蔓延る裏の世界を考察していきましょう。
まず、現在の国際社会において戦争って必要なの?
いま国連加盟国でも非加盟国でも、意思の疎通が不可能な国ってあるのでしょうか?まぁ例外はあってもほとんどの国で先に挙げた理想の解決方法、お互いの相互理解と妥協点の模索、将来的な共存共栄関係の構築が出来ないって国は皆無だよね。
実際にはやらないって国が大半ではあるけど、でも戦争の非効率さや損耗の大きさ、そしてなにより世界的な損失に比べたら、とっくにやめるべき人類の悪癖でしかない。
何よりも巨大な戦力の維持っていうのが、ものすごい金食い虫で、本来発展すべき国の根幹をものすごい勢いで切り崩してる。
「力は正義」をまず疑おう、社会を疲弊させ豊かさを消耗して将来的な不幸を引き寄せる、悪魔のささやきであることを、僕は確信しているよ。