第4話 ようやく俺の番か
ルディを見送って、俺はようやく自分も終わりに近いのだと運命を受け入れた。
マリィが亡くなって独り身になった俺を、ケイトはよく心配してくれていた。たまに届く便りは、馴染みの訃報ばかりになった。哀しみが重なるように、俺の身体はどんどん言うことを聞かなくなっていった。
家に閉じこもりがちになった俺はケイトだけでなくいろんな人に心配された。俺は孫に連れられて、よく牧場へ連れて行ってもらった。「おじいちゃんは牛を見ると元気になるんだから」って言われた。うん、俺は牛が好きだ。
俺は牧場に来ると、どうしてもルディを探してしまう。そして長毛種の牛舎に行くと、モルーカを思い出してしまう。家に帰れば、今でもマリィが待っている気がしている。俺はミネルバが俺と父さんを間違っていたことを思い出す。
年を取るっていうのは、こういうことなんだな。ルディの息子が、俺にはルディに見えて仕方ない。間違って「ルディ」と声をかけてしまって、ばつが悪い思いをしたこともあった。
俺が衰えていく一方で、村はますます発展していく。村長になったケイトの夫のマイルが村のことで泣き言を言ってきたときは「昔はもっと大変だったんだぞ」って追い返した。そうしてケイトに「全く、最近気難しくなったんだから」と愚痴をこぼされた。
ふふ、老いぼれなんてこのくらいでいいんだ。お前ら、登山用の馬でガタガタ道を走れないだろう? ああ、ランドさんやルディとよくあの酷い道を行ったり来たりしたなあ。あの頃が懐かしいよ。
俺の身体は日を重ねるごとにどんどん動かなくなっていった。目はしょぼしょぼするし、耳も前より遠くなった気がする。でも、その代わり俺はいつでも暖かい何かに包まれている気がしていた。それで不思議と、寂しい思いはしなかった。
***
ある寒い日の早朝、俺は無性に牛を見たくなった。まだ誰も起きてこなかったので、俺はなかなか気難しくなった足腰を無理矢理動かして杖を頼りに、長毛種の牛舎へ向かった。
長毛種の牛舎にはたくさんのバッファローがいた。俺が右手から出すバッファローよりも、毛がとってもふさふさしている。こいつらは俺の右手からは出てきていないけれど、確かに俺たちが作り上げた大事な大事なバッファローだ。
長毛種の牛舎に行くと、どうしても俺はモルーカを探してしまう。彼女が死んでから随分経つというのに、俺の心にはずっとモルーカがいる。そういえばモルーカが生まれたのも、こんな朝早くだったな。開拓団のみんなで、彼女が生まれるのを応援したんだ。
ぶもおう! ぶもおう!
バッファローたちが一斉に鳴いた。
それは俺を呼んでいるようだった。
「そうかお前ら、俺のことを待っていてくれたのか」
なんとなくそんな気がした。
そもそも、俺の右手からやってくるバッファローってどこから来ていたんだろう。
その答えが、俺はわかったような気がした。
この牛たちは、俺の前世の無念じゃないのか。
ああしたかった、こうしたかった、そんな気持ちが牛になって、俺の前に現れているのかもしれない。
もっと誰かに甘えたかった。
もっと友達と遊びたかった。
もっとおいしいものを、みんなで分かち合いながら食べたかった。
もっと家族に囲まれて、もっと痛くない死に方をしたかった。
もっともっと、生きていたかった。
でもこうして俺は、自分の無念を二度目の人生で美しいものに変えることができた。
バッファローの鳴き声に応えようと思って、俺は右手を突き出した。
そして呪文を唱えようとして、やめた。
もう、無念を形にする必要はなくなった。
俺はたくさんの思い出に囲まれて、幸せになった。
ああ、俺はなんて幸せ者なんだろう。
***
気がつくと、俺はベッドの上にいた。俺の周りには、大勢の人がいると思う。目が霞んで、あまりものが見えない。風の音がよく聞こえてくる。
「お父さん、聞こえる?」
ああ、よく聞こえるよ。俺の娘、ケイト・ヴァインバード。その隣には夫がいるんだろう? まさか婿を取ってくれるなんて思わなかったよ。
ケイトは俺の手を握っている。でも、俺はケイトの手を握り返せない。俺の手はケイトの手のぬくもりだけを俺に伝えてくる。
ケイトの話から、俺があの後牛舎で倒れていたところを見つけられたことがわかった。今はきっと夜だろうか。激しい風の音が家の間を通り抜けていく音がする。
ああ、いよいよなんだと俺は少し緊張する。
そういえば、今度は流石にカイトは間に合わないだろうな。
最期にひと目会いたい、という気持ちもなくはないけれどマリィの葬式のときに顔は見ていた。家族を守る立派な男の顔になっていた。その顔を思い浮かべるだけで、俺は満足だ。
「お父さん、育ててくれて、ありがとう」
ケイト、何言ってるんだ。親が子を育てるのは当たり前だろう?
お礼ならマリィに言ってくれよ。
マリィに会ったら、ケイトが礼を言っていたと伝えておくよ。
そうして、俺の意識は風の音と一緒に、すうっと暗いところに引っ張られていった。
何だかこの感覚は覚えている。
そうだ、これが死だ。
ああ、でもあんまり怖くないな。一度経験したっていうのもあるけれど、俺は少し死ぬことが楽しみになっている。
マリィ、ルディ。今からそっちに行くよ。
こうして、エリク・ヴァインバードの人生は終わった。
最期まで俺の耳元ではケイトの「ありがとう」の声が聞こえていた。
うん、なかなか悪くない死に方だったな。




