第1話 若い娘が来たんだよ
俺がタウルス高原にやってきて、二十年が経った。ケイトとカイトも立派に成長して、俺とマリィも子育てに関して少し肩の力が抜けたような気がする。少し年をとったけれど、相変わらずマリィは美しい。俺はマリィと結婚して本当によかった。
バッファローの牧場も大きくなり、今では牧場の経営はほとんどルディに任されている。また、高原への立派な道路が完成したのと植樹した防風林が成長してきたことでタウルス村もかなり発展した。住居や施設もたくさん増えて、麓のブルームホロウに負けない村ができあがった。
ちなみにブルームホロウは、タウルス高原への中継地としてもっと発展している。開拓の最初の頃はブルームホロウも小さな村だったのに、いつの間にか宿場や商業施設がたくさん並ぶようになった。俺たちが散々行き来した結果なんだけどね。
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その知らせが来たのは、いつも通り牛が草を食んでいるのんびりした日のことだった。アレックス兄さんから珍しく私信が来たので開封すると、こんなことが書いてあった。
『どうしてもハンナがタウルス高原に移住したいと言って聞かない。よろしく頼む』
ハンナって、あの「おうしを連れて帰る!」のハンナちゃんだよなあ? アレックス兄さんの長女で、俺の結婚式のときにタウルス高原に来てえらく牛を気に入ってしまったハンナちゃんか。母さんの葬式のときに会ったときは随分大きくなったなあと思っていたけど、そんなに牛が好きになっていたのか……。
いや、よろしく頼むって言われても俺は何をすればいいんだ? 今ハンナちゃんは、えーと……十九歳か。いい年のお嬢さんじゃないか。そんな若いお嬢さんがひとりで移住してくるなんて、今のところあまり聞かない話だ。移住してくるのは第二の人生を過ごそうとしている中年以上の人たちが多く、比較的若い人は大抵夫婦でやってくる。
いやいや、ハンナだっていい年なんだからとっくに結婚の話が出ていてもおかしくないじゃないか。アレックス兄さんだってこんな辺境にわざわざ可愛い娘を寄越すわけがない。もしかして、牛の相手をしたいんじゃなくてハンナは嫌な結婚から逃げ出してきたのか?
俺は三男だから考えたこともなかったけど、ヴァインバード家の跡取り息子の長女とくれば、変な縁談があっても仕方ない。そこから逃げてタウルス高原までやってきた、とか……いやいや、それなら兄さんから手紙が来るわけがないし、一体どうしていいところのお嬢さんが牛の世話なんかしに来るんだろう……?
待てよ?
そうなると俺がハンナちゃんの幸せな結婚の世話をしないといけないのか? 村にいい若者は……いないか。大会館の管理、そして今では俺の補佐みたいな仕事をめちゃくちゃにこなしているカーラもこの前ようやくブルームホロウに住んでるお嬢さんを村に呼べたって言うのに、また俺は若者の心配をしないといけないのか……。
あれこれ考えているうちに、自分はどうだったのかと思い出して恥ずかしくなった。なんで俺はマリィにさっさと結婚しようって言わなかったんだろう。ランドさんやルディ、そして開拓団のみんなは全員「俺とマリィは好き合っている」ってわかっていたらしい。あの頃の俺くらいの年頃の子供を持つ親になって、どれだけ俺が面倒くさかったかわかった気がする。
遠慮なんてするな! 若者はさっさとくっつけ!
……まだハンナは村に来ていないっていうのに、俺は何を考えているんだ? ああ、俺も年をとったもんだなあ。
これは俺だけじゃなくて、ルーク兄さんにも相談しておいたほうがいいな。いい男なら、エルムウッドのほうがたくさんいるに決まってる。人間の男よりも牛の多いタウルス高原より、エルムウッドのほうが楽しいぞ! よし、そういうことにしておこう。
***
手紙がついた数日後、本当にハンナがタウルス高原にやってきた。
「エリク叔父様、お久しぶりです。お婆様のお葬式以来ですね」
ハンナは兄さんに似た立派な銀髪が美しい女性に成長していた。マリィや子供たちはハンナとの再会に喜び、早速もてなしの準備をしている。この日のためにケイトはクッキーを作るんだってはしゃいでいたな。
「とりあえずしばらく家に住んでもらって、ゆくゆくはエルムウッドの方とも相談してだな……?」
「叔父様、私お牛のお世話をしに来たんですよ?」
当然のように言うハンナに、俺がこの前から悶々と考えていたことがさらさらと崩れていくようだった。
「牛の世話って、牧場で働くって言うのか?」
「あら、お父様のお手紙にそう書いてありませんでしたか?」
「『よろしく頼む』としか書いてなかったけれど……」
「ほら、そう書いてあるじゃないですか」
書いてない! どこの世界に子爵家の長女を牧場で働かせる父親がいるんだ!? 俺の兄貴か!! 口下手親父に肝心のことは内緒の次男、そして説明不足の長男!! 畜生、血って恐ろしいな!! 俺も人のこと言えないけど!!
「私、大学で動物学を専攻したんですよ。だからヴァインバード牛のこと、もっと知りたいんです」
「ああ、そうだったのか……」
なんだかすっかり疲れてしまった。もしかして、この気苦労こそ俺が結婚するときにルディにかけていたものだったのかもしれない。我がことながら、なかなか情けないな。
俺はマリィの煎れてくれたコーヒーを口にする。それまではただお湯に牽いた豆を入れて上澄みを啜ったり濾して飲んだりしていたんだけど、俺の発案で布を使ってドリップさせることによっておいしいコーヒーを煎れることができるようになった。ハンナもドリップコーヒーを飲んで感動している。
ふふ、異世界転生がこんな地味な形で役に立つなんて思わなかったな。うまいコーヒーを飲めるタウルス高原、っていうのも知名度を上げるならアリだな……。




