Chapter 8
数日後―。
ある日、バイト先での仕事中にパート女性が、突然、俺の目の前に現れこう言った。
「今日、新しい子が面接に来るよ。20歳の女の子だって」
その女性は微笑みながら、俺を見つめた。
「へぇ。それ、竜也の耳に入ったら、絶対喜びますよ」
俺は内心、少し興味があったが、あえて無関心を装った。
「小野瀬君に話してあげたら?」
パートの女性は、意地悪そうな微笑みを浮かべた。
「あはは。そうですね」
俺は笑いながらそう言って、竜也を探す為、カウンターからフロアを見渡す。
俺が一通り店内を見渡した所、メダルコーナーで一台のメダル機の扉が開いている光景が、俺の目の中に飛び込んで来た。
「あそこか…。良し」
俺はそう呟いて、ゆっくりとその場所へ向かう。
竜也は俺が思った通り、扉が開け放たれたスロット機の所にいた。
竜也はそこへしゃがみ込んで、一生懸命にスロット機の掃除をしていた。
俺は開いたスロット機の扉越しに、一生懸命に仕事をしている竜也に話掛ける。
「なぁ、竜也。ちょっと良いか?」
「なんだ?静流?」
竜也の素っ気無い返事からは、
「今、お前には構ってられないんだよ」
と、言うような、そんな気配が感じ取れた。
それでも、俺はお構い無しに話を続ける。
女好きの竜也がどうリアクションをとるのかが、楽しみだったからだ。
「今日、新しい人が面接に来るらしいぞ。しかも20歳の女だってさ」
俺は笑いを堪えながら、半分にやけた表情で竜也に言った。
「マジで?」
俺の話を聞くや否や、竜也は開いた扉の向こう側から、只でさえ大きい目を、「これでもか」と言わんばかりに
『カッ』
と、見開き、勢いよく
『スッ』
と立ち上がった。
俺は竜也のその様子がおかしくて、堪えていた笑いをついつい暴発させてしまった。
「あっははは。食い付いて来ると思った」
「いや、マジで?」
竜也は真剣な表情で、しつこく聞き返して来る。
「あぁ。マジ、マジ。なんなら、岡さんに聞いてみな?俺は、岡さんから聞いたんだからさ」
俺は腹を抱えて笑いながら、竜也に答える。
俺の話を聞くや否や、竜也は声を張り上げながら、仕事そっちのけで、カウンターへ向かって行った。
「岡さーん。静流の話、マジっすかぁ!?」
「うん。そうそう。今日の12時半だったかな?来るらしいよ」
パートの女性も、
「クスクス」
と、笑いながら、竜也の問い掛けに答えていた。
「やったぁ」
竜也は嬉しそうな表情を浮かべ、派手にガッツポーズをしていた。
俺は、昼過ぎにパートの女性から、バイトの面接について話を聞いた。
「なかなか、感じの良い子だったよ。約束の時間よりも10分くらい早く来てくれてね…」
パートの女性の話では、約束の12時半になる少し前に、その女の子は俺のバイト先にやって来たそうだ。
俺はカウンターから離れた場所で、景品の補充をしていた為、その女の子を確認する事が出来なかった。
「へぇ。竜也は、どう言ってました?」
俺はそんな事よりも、竜也のリアクションが気になってしょうがなかった。
「小野瀬君にはまだ話してないんだけどね…。印象や感想どころか、ただ、「若い女の子」ってだけで盛り上がっちゃってるしね。言ったらどうなる事やら…」
パートの女性は苦笑いを浮かべながら、俺の問い掛けにそう答えた。
(やれやれ…)
俺は溜め息をついて、竜也がカウンターに現れるのを待つ事にした。
暫く経って、竜也がカウンターに戻って来た。
「竜也、面接に来た子、見たのか?」
俺は竜也が戻って来るや否や、すかさず問い掛けた。
「いや、残念ながら…。別の事してたり、トイレ行ったりしてたからな…。見逃した…」
「一生の不覚」と言わんばかりの、竜也の落ち込み具合を見て、俺は思わず笑ってしまった。
それから、数日後―。
その女の子が、正式にバイトとしてメンバーに加わった。
女の子の初出勤の日、俺は、たまたまカウンターの周りのモップ掛けをしていた。
すると、ちょうどその時、俺の目の前を、パートの女性と若い女の子が、事務所の方へ向かって歩いて行くのが横目に見えた。
俺は内心、
「どんな子だろう?」
と、後ろを振り返って見た。
そして、その女の子も、俺の視線に気付いたのか事務所に入る直前に、俺の方を振り向いた。
彼女の目と俺の目が合った瞬間、つい、条件反射で俺は視線を逸らしてしまった。
(今、振り向いたよな?もしかして、俺の顔に何か付いてたのかな…?)
俺はそう思いながら、右手で自分の顔に触れた。
それから暫く経って、パートの人に連れられてカウンターにやって来たのは、肩に掛かるくらいの明るい茶色の髪をした、ぱっちりした大きな目が印象的な、色白の可愛らしい女の子だった。
彼女は、可愛らしい声で自己紹介を始めた。
「今日から、ここでお世話になる藍沢です。よろしくお願いします」
彼女は可愛らしい微笑みを浮かべながら、俺を見つめた。
俺は彼女の笑顔を見た瞬間、
『ドキッ』
と、胸が高鳴るのを感じた。
「…霞です。よろしく」
彼女の笑顔を見た俺は、胸の高鳴りと、頬の紅潮を抑えようと必死になった。
「今日は、ここにいる霞君か、小野瀬君に仕事を教えてもらってね」
微笑みながらそう言って、パートの人は事務所の中へ入って行った。
「じゃあ、とりあえず、この景品袋を、こんな風に折ってくれるかな?」
俺は緊張する気分と、指先の震えを抑えようと必死に格闘しながら、彼女に手本を見せた。
「はい。分かりました」
彼女は満面の笑みを浮かべながら、素直に答える。
俺は呼吸を落ち着け、彼女に優しく話掛けた。
「あっ、藍沢さんだっけ?俺、藍沢さんとは、歳が一緒なんだ。だから敬語じゃなくて良いからね」
俺は、少しはにかみながら、笑顔で彼女を見つめた。
「うん。分かった。ありがとう、霞君」
俺の言葉に、彼女の緊張が解れたのか、さっきとはまた違った笑顔で答えた。
(か、可愛い…)
彼女の笑顔を間近で見ていた俺の頬は熱くなり、気分が落ち着かなくて堪らなかった。
俺は、緊張する自分をなんとか抑え込み、午前中の業務を無事に終える事が出来た。
そして、昼休憩―。
早番のメンバーとの食事中、パートの人が突然、彼女に問い掛けた。
「そう言えば、藍沢さんは、彼氏はいるの?」
(いきなりかよ。ったく、岡さんは…)
俺はそう思いながらも、興味津々に聞き耳を立てた。
「はい。いますよ」
(チッ。虫付きか…。虫付きには興味無いな…)
心の中で強がりを言ってはみたが、内心、俺はショックを受けてしまった。
(そりゃ、そうだよな…。こんなに可愛いんだから…。当然、男もいるよな…。ハァ…)
そのせいか、俺はつい、箸を滑らせて、弁当メインの鮭を落としてしまった。
『ツルッ…。ポトッ』
「あぁ…。俺の鮭が…」
俺は立て続けのショックに、打ちひしがれてしまった。
「弱り目に祟り目」、「泣きっ面に蜂」とはよく言ったものだ。
その時の俺は、正に、その状況だった。
「お前、バカだな…。鮭は弁当のメインだろ?それを落とすなんて…。信じられんな…」
竜也は呆れた表情を浮かべ、俺に一瞥をくれながら皮肉を言った。
「ほっとけ。手元が狂ったんだよ」
俺は口を尖らせ、ふてくされた表情で竜也を睨んだ。
そんな俺と竜也のやり取りを見て、彼女は可愛らしい笑顔で、
「クスクス」
と、笑っていた。
食事を終えた俺達は、それぞれに自分達の休憩時間を満喫していた。
漫画を読みながら、俺は、ふと、事務所の時計を見た。
(もう14時前か…)
漫画に没頭するあまり、いつの間にか、休憩時間も終わりに近付いていたようだ。
ちょうど、その時。
再び漫画の世界に入り込んでいた俺を、現実の世界に引き戻すかのように、突然、店長が「机の掃除当番表」という物を持って来た。
その表には、曜日の所にそれぞれの名前が書かれていた。
(なんだ?これは?)
俺はその紙切れを見つめながら、そう思っていた。
「休憩机の上が汚いので、今日から当番を決めて、掃除をしてもらう事にしました」
店長が、その表の主旨を簡単に説明した。
(ふーん…。まぁ、良いんじゃないか?)
俺は心の中でそう思いながら、漫画の続きを読みふけった。
「今日は月曜だから、早速、葵君お願いしますね」
店長はそう言いながら、、バイト先の先輩に休憩机の掃除を依頼した。
「へーい」
先輩は、店長の言葉に気怠そうな返事をした。
(今日は葵さんか…。俺は何曜だ?)
俺は漫画を読むのを止めて、そう考えながら、壁に貼り付けられたばかりの掃除当番表を眺めた。
その横には、今月の俺達のシフト表も貼ってある。
(俺、掃除水曜じゃん。シフトは休みだぞ…。この場合はどうなるんだ?)
そう思いながら、俺はシフト表に目を向けた。
すると俺の目の中に、彼女の名前が勢いよく飛び込んで来た。
(へぇ…。藍沢麻紀って言うんだ…。可愛い名前だな…)
俺はそんな事を、ただ、
「ボーッ」
と、上の空で考えている所へ、突然、彼女が話し掛けて来た。
「何してるの?」
「あ…、あぁ。いや、掃除当番の日、俺休みなんだよね…。だから、こういう場合はどうなるのかなって…」
俺は彼女の問い掛けに、
「ハッ」
と我に返って、慌てて答えた。
「あっ。ホントだ。どうなるんだろうね?」
俺の言葉を聞いた彼女は、無邪気な表情を浮かべシフト表を眺めていた。
そんな彼女を横目で見ながら、俺は頭の中で考えていた事が彼女にバレないようにと必死になっていた。
俺は今まで、彼氏持ちの女性には一切興味は無かった。
だけど、彼女だけは何故か違った。
俺は、不思議な感覚に陥りながらも、彼女に話し掛けられて、俺の心臓は破裂しそうな程に高鳴り、顔からは火が出そうな程の勢いで熱くなっていた。
俺は緊張を抑えながら、彼女と共有する午後からの仕事の時間を、なんとか無事にやり過ごす事で精一杯だった。
その夜―。
帰宅してから、俺は自分の部屋に籠もって、ただ彼女の事だけを、
「ボーッ」
と、考えていた。
俺の頭の中はパンクしてしまいそうな程、彼女の事でいっぱいだった。
他の事は、一切何も考えられず、ただ彼女の事だけを考える事しか出来なかった。
すると…。
「静流?どうしたの?」
『ビクッ!!』
背後から突然、声を掛けられ、俺は思わず硬直した。
どうやら俺は、姉が部屋に入って来た事すら気付かなかったようだ。
「なんだ…。姉ちゃんか…」
俺は一言だけそう発し、また自分の世界に閉じ籠った。
「大丈夫?どこか具合でも悪いの?」
姉の声が、俺の耳には一切入らなかった。
「ねぇ?聞いてるの?」
姉はしつこく話し掛けて来て、俺を現実の世界に強制的に引き戻そうとする。
「ん?あぁ…。大丈夫」
俺は自分の世界に浸ったまま、中身の籠ってない空返事で姉に答える。
「晩ご飯、テーブルに置いてるからね」
「…あぁ」
「変な子…」
姉は溜め息混じりにそう呟いて、俺の部屋から出て行った。
俺は用意された夕食を、食べることすら忘れてしまう程に、彼女の事ばかりを考えていた。
「はぁ…。どうしたんだろ…?俺…?」
考えれば考える程、彼女が頭から離れない。
俺の口からは、溜め息がこぼれるばかり。
なかなか眠りに就く事も出来ず、ただ、時間だけが静かに過ぎて行った。
壁に掛けてある時計の秒針の音だけが、静かに部屋に響く。
「ハァ…。彼女…、今頃何してるんだろ…?」
ただ、彼女の笑顔だけが俺の頭に浮かび続ける。
俺は溜め息をつきながら、ベランダに接した掃き出し窓の外へと目を向けた。
夜空には、蒼白い満月が昇っていた。




