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Chapter 48


数週間後。



「なぁ、みんなに相談があるんだけどさ?」



俺は、一緒に住んでいる俊哉達に相談した。



「みんな働いてんのに、俺だけ働いてないって…。なんか申し訳なくてさ…。そろそろ、バイトとかしようと思ってるんだけどさ…」



俺の相談に、俊哉は不安そうな顔を浮かべた。



「…お前、大丈夫か?まだ、そんなに人前に出れないだろ?また、この前みたいに発作が出るんじゃねぇか…?」



俊哉の、俺を心配してくれる気持ちは、ありがたかった。



でも、やっぱりそういう訳にも行かず、



「いつまでも、甘えてられないよ。みんなに悪いから…。俺だって、病気克服したいしさ…。リハビリついでに頑張ってみるよ」



と、俺は、笑顔で三人を見た。



「お前がそう言うなら…。まぁ、頑張ってみろ」



俊哉は、微笑んで俺を見た。



「無理せずに、静流のペースでバイト探せば大丈夫だからな?」



「ありがとう。竜也」



「そうそう。まだ、治ってないんだから、焦る必要ないんだからな」



「あぁ。分かってるよ、充。みんな、ありがとう」



俺はその日から、自分のペースで働けそうな仕事を探した。



「俊哉はスタジオ、竜也はCDショップ、充はカラオケでバイト…か。みんな、音楽関係ばっかりだな。俺は、どうしようかな…」



そう言いながら、近所のバス停からバスに乗り、駅の方へ向かった。



「駅の辺りなら、結構仕事あるかもな…。暫く、ブラブラしてみようかな…」



駅前の通りを、一人でフラフラと歩く。



「お願いしまーす」



街頭で、ビラ配りをしている若い女性がいる。



俺は、思わず差し出されたビラを手に取った。



「居酒屋か…。俺がやりたい事って、音楽以外に何があるんだろ…」



俺は、宛てもなく街中をさまよい歩いた。



ふと気付くと、俺は、Lumierの前にいた。



「…瑞希いるかな?」



俺は、休憩も兼ねて、Lumierに立ち寄った。



「えーっと…」



俺は、ウッドデッキ上の空席を探したが、あいにく、満席だったので、店内のカウンターテーブルに向かった。



「こんにちは」



俺はそう言うと、カウンターテーブルの真ん中の席に座る。



厨房から瑞希が出て来た。



「あら?静流。いらっしゃい。今日は、一人で来たの?」



珍しいと言った表情で、瑞希は俺を見る。



「うん。バイト探しててさ。街中ならあるかなって思って…」



俺は、微笑んで瑞希を見た。



「そっか。でも、無理したらダメよ?静流は、まだ病気治ってないんでしょ?」



「それ、みんなにも言われたよ…」



俺は、苦笑いを浮かべた。



「今日は、コーヒーで良い?」



瑞希は、微笑んで洗い立てのカップに手を伸ばした。



「うん。後さ、ちょっと小腹空いたから、サンドイッチも頼めるかな?」



「うん。分かった。ちょっと待っててね」



瑞希はそう言うと、厨房に向かって、大声で言った。



「マスター?サンドイッチのオーダー入ったから、よろしくね」



「あぁ。分かった。瑞希?誰か、知り合いでも来たのか?」



厨房の中から、無精髭の生えた、30代後半くらいの茶髪で背が高い、白いカッターに黒のスラックス姿で、腰には黒くて、長いエプロンを巻いた優しそうな男性が出て来た。



「やぁ。マスター」



俺は、カウンター越しにマスターに挨拶をした。



「おぉ。静流じゃないか。よく来てくれた。今日は、一人か?」



マスターは嬉しそうに、俺を歓迎してくれた。



「うん。ちょっとバイト探しててさ…。小腹が空いたから寄ったんだ」



俺は、マスターにそう言って微笑んだ。



「そうか。バイト探してんのか…。この辺には、あんまり良さそうな仕事無いだろ?」



「うーん…。まだ何とも…」



「それに、お前、まだ調子良くないだろ?無理すんなって。静流の顔見てりゃ、誰だって、なんとなく分かるぞ」



マスターは、冗談混じりに俺を気遣う。



「うーん…。まだ良くないと言えば良くないけどさ…。でも、このままずっと、俊哉達の世話になる訳には行かないしさ…」



俺は、苦笑いしながら、切実な胸の内の事情をマスターに説明した。



「そうか。だったら、ウチで働けよ。ウチなら、お前も気楽に出来るだろうし、お前の事情も俺達は知ってるからな。調子悪い時は、言ってくれたら、俺達がフォローしてやるからさ」



「えっ?良いの?マスター…?」



俺は、マスターの提案に驚きながらも、恐縮していた。



「あぁ。お前なら良いさ。それに、もう一人欲しいなって思ってた所だ。なにしろ、四人じゃ手一杯でな?忙しくてまともに休憩なんか出来やしない…。静流は確か、料理出来たよな?この前来た時に、よく料理作ってたって言ってただろ?もし、お前が手伝ってくれれば、俺達は随分助かるんだが…。まぁ、後は、お前次第だ。どうする?」



マスターは笑顔で、快く俺を歓迎してくれているようだ。



「静流、おいでよ。静流がウチに来てくれたら、あたしも嬉しいし。それに、女の子のお客さん、増えるかも。静流、カッコイイから」



瑞希も、冗談混じりに笑いながら、俺を誘ってくれる。



「マスター…。ホントにありがとう。俺で良ければ、よろしくお願いします」



俺は、マスターに深々と頭を下げた。



「良し。決まりだな。静流?ちょっとこっちに来いよ」



マスターはそう言いながら、俺の座っている席の前に来た。



そして、俺の腕を掴んで、店の奥へ引っ張って行った。



「ちょっ…、ちょ、ちょっ…。マスター?」



何が何だか分からない俺は、とりあえず瑞希に、



「ゴメン。コーヒー後で良いから」



とだけ言い残した。



瑞希は笑いながら、



「行ってらっしゃい」



と手を振っていた。



店の奥のロッカールームに連れて行かれた俺は、マスターから、



「静流は、服のサイズはMで大丈夫か?」



と、クリーニング仕立てのカッターシャツと黒のスラックス、黒いエプロンを手渡された。



「うん。Mで大丈夫。…って、マスター?もしかして、今から働けとか…?」



俺は、マスターの顔を覗き込んだ。



マスターはニヤリと笑みを浮かべた。



「やっぱり…?」



俺は、苦笑いしながら、マスターに言った。



「静流のロッカーはここな。この中に、自分の服とかを入れてくれよ」



突然の展開に慌てる俺を後目に、マスターは淡々と説明していく。



「じゃあ、表で待ってるからな」



マスターはにこやかに、ロッカールームを出て行った。



仕方なく俺は、渡された制服に着替えた。



伸びたい放題の栗色の長い髪をポニーテールで結び、エプロンを腰に巻いた。



準備が整い、ロッカールームを出る。



恥ずかしがりながら、俺は「コソコソ」と物陰に隠れながら移動していた。



「あっ!!似合うじゃないっ。静流っ!!」



「ビクッ!!」



突然、背後から声を掛けられ、俺は思わず硬直した。



ゆっくりと後ろを振り向くと、瑞希が俺を見ていた。



「や…やぁ。瑞希」



俺は、苦笑いしながら瑞希を見た。



「成り行き上、こうなっちゃってさ…」



「マスター、結構強引だからね…」



瑞希も苦笑いを浮かべた。



「ど…、どうかな?」



俺は、瑞希に問いかけた。



「すごく似合ってるよ。静流にピッタリだね。カッコイイ、カフェの店員さんの出来上がりだね」



「おっ?静流、似合うじゃないか。カフェの店員が様になってるじゃないか」



瑞希とマスターは、俺の姿を見て絶賛していた。



「じゃあ、さっそく…。瑞希?静流に仕事を教えてやってくれよ」



マスターが、瑞希に指示を出す。



「はーい。じゃあ、静流?空いた席のお皿、下げて来ようか?」



俺は、瑞希の後に付いて行った。



空の食器を片付けている最中、客の視線が自分に刺さる事が気になった。



(うーん…、見られてるよ…)



俺は、気付かないフリをして、トレーに乗せた空の食器を厨房に運んだ。



「静流?デッキのお客さんから、オーダー取って来てくれないか?」



マスターは、矢継ぎ早に指示を出す。



「紙とペンは?」



「カウンターの辺りに置いてないか?」



俺は、マスターの指差す方向に目を向けた。



「あっ、あった。じゃあ、マスター。行って来るよ」



「あぁ。頼んだぞ、静流」



俺は、デッキの二人組の女性客の所へゆっくりと向かった。



「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」



メニューを見ていた女性客が、顔を上げた。



「えっと…、ミルクティー2つと、サンドイッチを2つ…」



「はい。ご注文繰り返しますね。ミルクティー2つと、サンドイッチ2つ。以上で?」



「…はい」



心なしか、女性客の方が緊張しているように見えた。



「では、少しお待ちくださいね」



俺は、そう言い残して厨房へ向かった。



「ねぇ?今の人、見た?」



「見た見た。カッコイイよね…」



「うん。カッコ良かったね」



女性客の、話声が微かに聞こえた。



俺は、右手の人差し指で、頬を掻いた。



(なんか…、照れ臭いな…)



俺は、厨房で待つマスターに、取って来たオーダーを伝えた。



「マスター?ミルクティー2つと、サンドイッチ2つだって」



「了解。俺は、サンドイッチ作るから、静流はミルクティーを淹れてくれないか?」



「紅茶の葉っぱは?」



「小さいパックにしたヤツが、カウンターの下の戸棚にあるから、それを使ってくれ」



「了解。これか…」



俺は、カウンター下の戸棚から、小さく、一回分ずつに小分けにパックされた紅茶の葉を2つ取り、カップにそれぞれ入れて、熱湯を注いだ。



色が、丁度良くなる頃合いを見計らって、カップからパックを取り出した。



小さな水差し2つに、ミルクを注いで、角砂糖が入った小瓶と、淹れたての紅茶をトレーに乗せた。



「マスター?出来たからさ、先に持って行くよ?」



「あぁ。任せた」



俺は、紅茶をこぼさないよう、ゆっくりと慎重に女性客の元へ運んだ。



「お待たせしました。ミルクティーです」



俺は、二人の前に静かに、ミルクティーを並べた。



「ありがとうございます」



二人は、微笑んで俺を見た。



「サンドイッチは、すぐにお持ちしますので、もう少し待ってくださいね」



俺は、微笑んで女性客を見た。



「あのぉ…」



二人組の内の一人が、俺に声を掛ける。



「はい?」



俺は、俺に声を掛けた女性客を見た。



「お名前は、何て言うんですか?」



女性客は、恥ずかしがりながら、俺の名前を聞いた。



「霞って言います。みんなからは、下の名前で静流って呼ばれてます」



俺は、微笑んで女性客の問いかけに答えた。



「静流さんってカッコイイですね。あたし、那奈って言います」



俺に話しかけて来た、女性客も俺に名乗ってくれた。



「静流さんは、いつもここにいるんですか?」



那奈と名乗った女性客に問いかけられた。



「今日から、働く事になったんですよ。昨日までは、フラフラしてて…。それに、こっちへ来たばかりだから、何も分からなくて…」



俺は、那奈と言う女性客の問いかけに答えた。



「そうなんですか?こっちへは、お仕事探しに来たんですか?」



那奈は、俺の事に興味深げな様子だった。



「実は、俺、バンドやってるんです。で、本気でやりたくて…、地元から仲間達と出て来たんです」



「そうだったんですか!?ちなみに、静流さんは、どのパートやってるんですか?」



「俺は、ヴォーカルです」



「カッコイイですね。ライブとかやらないんですか?」



那奈は、テンションを上げながら、俺を質問責めにする。



「ライブは近々やる予定ですよ。良かったら、見に来てくださいね」



俺は、微笑んで那奈を見た。



「もう、絶対行きますよぉっ!!また、ここに来たら、静流さんのライブの事とか分かりますよね?あたし、毎日でも来ようかな…」



那奈は、嬉しそうにはしゃいでいた。



すると、もう一人の女性客の方も、



「あたしは、彩花って言います。静流さんのライブ、あたしも行きたいです。ライブ決まったら教えてくださいね」



と、微笑みながら俺を見て言った。



「もちろん。ありがとう。チケットは俺が確保して、サービスしますからね」



俺は、二人に微笑んだ。



「やったぁ!!」



那奈と彩花は、顔を見合わせて喜んでいた。



「そう言えば…。静流さんって彼女さんは、どうしたんですか?ってカッコイイから、彼女さん、いそうですよね?」



俺は、その問いかけに、一瞬、動揺してしまったが、



「今は、いないんです。半年前に色々あって…」



と、当たり障りのない範囲で女性客に答えた。



「そうだったんですか…。ごめんなさい…。悪い事聞いちゃって…」



彩花は、申し訳なさそうに俺に謝った。



「いや、良いんですよ。大丈夫だから…」



俺は、自分に言い聞かせるようにそう言って、二人組に微笑んだ。



「じゃあ、すぐに持って来るので、ちょっと待っててくださいね」



そう言って、俺はその場を離れた。



「何かあったの?」



厨房に戻った俺を見て、瑞希が問いかけた。



「逆ナンされちゃった」



俺は、笑いながら瑞希に言った。



「さっそく、声かけられちゃったんだ?静流、モテモテだね」



瑞希は、意地悪く微笑みながら、俺を冷やかす。



「別に、そんなんじゃないよ…」



俺は、苦笑いを浮かべて更に言った。



「それにさ、「彼女はどうしたの?いそうだけど?」とまで言われちゃったよ」



俺の話を聞いた、瑞希の表情が突然、曇った。



「静流…?大丈夫?」



そして、瑞希は、不安そうな顔で俺を見た。



「あぁ。大丈夫。適当に答えといたから」



俺は、瑞希やマスターを心配させまいと、笑ってごまかした。



「瑞希?サンドイッチ出来たから、持って行ってくれないか?」



マスターは、俺を気遣ったのか、あえて瑞希に指示を出した。



「分かった。静流は、ここにいて?」



瑞希は、微笑んで俺にそう言いながら、サンドイッチをトレーに乗せる。



「俺、別に平気だから。二人共、そんなに気にしなくて良いよ」



俺は、二人に大丈夫だとアピールした。



「お前、ここに帰って来た時、辛そうな顔してたぞ?良いから、瑞希に任せとけ」



マスターは、微笑んで俺を見た。



「しょうがないよな…。好きな女が、自分の目の前で死んでさ…。自分は、何も出来なくて…。俺が、お前の立場なら、絶対耐えられねぇよ…。それでも、お前は頑張ってる。お前は、ホントに立派だよ」



マスターは、俺に同情しながら、微笑んで俺を見た。



「俺は、麻紀の為に、絶対にやらなきゃ駄目なんだ。だから、今、こんな事でへこんでたら、麻紀に会わせる顔が無いから…。麻紀が悲しむから…。だから、大丈夫」



俺は、マスターに微笑んだ。



「そうか…。でも、大したヤツだよ。お前は…」



マスターは微笑んで俺に指示を出した。



「静流?悪いんだけど、ここの食器、洗ってくれないか?」



「了解。あのさ?マスター?」



「ん?なんだ?静流?」



「マスター、結婚しないの?今の彼女と結構長いんでしょ?」



俺は、食器を洗いながら、マスターに問いかけた。



「うーん…、忙しくて、なかなか踏ん切りが付かなくてなぁ…。来年辺りにしようかって、彼女と言ってたトコなんだよ」



マスターは、俺の問いかけに苦笑いをしながら答える。



「マスター?結婚式、俺も、呼んでよ?俺、絶対行くからさ」



「当然、ウチの従業員は呼ばないと駄目だろ?じゃないと、後で、瑞希達に何を言われるか分かったもんじゃない…」



マスターは、苦笑いしながら、俺が洗った食器を片付けて行く。



「あはは。約束だからね?」



俺は、最後の皿をゆすいで、マスターに手渡した。



「分かってるよ。良し、終わりっ!!静流?外へ一服しに行くぞ?」



マスターはそう言うと、厨房の裏口から外へ出て行った。



俺も、マスターの後に付いて、外へ出る。



マスターが、俺にタバコを一本差し出した。



「ほらよっ」



「ありがとう」



俺は、もらったタバコを口にくわえ、マスターからライターを借りて火をつけた。



「ふぅー…」



俺達は、暫しの休息を堪能していた。



「やっぱり、働いた後の一服は良いよな?」



マスターが、しみじみと言った。



「そうだね。俺、久しぶりに働いたから、余計にそう感じるよ」



俺は、笑いながらタバコをふかした。



「マスター?ありがとう。俺なんかを雇ってくれて…」



俺は、マスターにお礼を言った。



「なぁに。大した事じゃない。俺に出来る事はこれくらいしかない。それで、お前の助けになるなら安いもんさ」



マスターは、微笑んでタバコをふかしていた。



「明日も頼むぞ?静流」



「うん。任しといて」



俺達は、微笑んでお互いの顔を見た。



ちょうどその時、厨房の裏口が開いた。



「あっ!!いたいた。もう、またサボってる…。静流まで巻き込んで…。マスター?電話よ?」



「げっ!!瑞希っ!!」



瑞希の声に、慌てたマスターは、口にくわえていたタバコを、ポロリと落とした。



「早く、電話出てよね?タバコは捨てとくから」



そう言いながら、瑞希はマスターが落としたタバコを拾って、水が張られた灰皿に捨てた。



マスターは、瑞希に急かされ、慌てて厨房の中へ入って行った。



「マスター、目を離すと、すぐサボるから…」



瑞希は、呆れた表情でため息をついた。



「まぁ、たまには息抜きも必要だよ」



俺は、苦笑いをしながら、タバコを灰皿に捨てた。



「違うのよ。マスターの場合、仕事3、サボり7だから…」



瑞希が、うんざりした顔でぼやいた。



「あはは。マスターらしいや」



俺は、笑いながら厨房のドアを開けた。



俺達が厨房に戻ると、マスターがちょうど電話を終えたらしく、受話器を戻していた。



「おぉ。静流に瑞希。曇って来たなぁ。雨でも降るのか?」



マスターはそう言うと、デッキの方へゆっくりと出て行く。



「天気、微妙だな…。一応、屋根張っとくか…」



マスターはそう言うと、デッキに出て、店の壁に取り付けられたハンドルを回した。



「キィキィ…」



と、言う音と一緒に、庇の影に隠れて巻かれていた、テントのような物が、梁に沿って、徐々に通りへ向かって張り出して行った。



「これで良し…、と」



マスターは満足げに、店内へ戻って来た。



「さてと、暇だな。瑞希は、今日は17時までだったな?静流も瑞希と一緒に上がって良いぞ?」



マスターは微笑みながら、俺達を見た。



「分かった。マスター?俺、明日は何時に来れば良いかな?」



俺は、翌日の出勤時間をマスターに確認した。



「ん?明日は、朝の9時で良いぞ。静流と瑞希は、明日、9時〜17時だからな」



「了解」



「ふわぁ〜ぁ…。17時まで、後、一時間か…。さてと、俺は、コーヒー豆でも挽くかねぇ…」



マスターはアクビをしながら、カウンターの隅に置いてある、コーヒー豆を挽く為のコーヒーミルに手を伸ばした。



豆をコーヒーミルの中へ入れて、ハンドルをゆっくりと回す。



「ゴリゴリゴリゴリ…」



コーヒー豆が、すり潰されて行く、乾いた音が響く。



「じゃあ、俺は、紅茶の葉っぱでも詰めようかな」



俺は、カウンターの下の戸棚から、紅茶の葉っぱが入った缶と、小分けにする為の小さなパックを取り出し、少し大きめのスプーンですくって、パックに詰めた。



それを、瑞希が次に使いやすいように、整理して箱に詰めて行った。



ピークを過ぎたカフェには、暫く穏やかな時間が流れた。



17時。



バイトの上がりの時間になった。



「お疲れさん。いきなり働かせて悪かったな、静流」



マスターは、苦笑いしながら、俺に言った。



「ううん。気晴らしになったし、これから働けるから嬉しいし、それに、楽しかったしね。マスター、ホントにありがとう」



俺は、マスターに笑顔で答えた。



「良かった。喜んでもらえて何よりだ。そうだ。静流のオーダー、すっぽかしてたな…。悪い…。今日は、俺のオゴリだ。食ってけ」



マスターは苦笑いしながら、挽き立ての豆でコーヒーを淹れてくれた。



「ありがとう。マスター」



俺は、笑顔でカウンターに座った。



「瑞希も、何か食ってけ。俺が、オゴるからさ」



「やったぁ。マスター、太っ腹だね。ありがとう」



嬉しそうに瑞希は、俺の横に座った。



マスターは、微笑みながら俺達を見て、厨房に戻った。



ロッカールームから、 瑞希と引き継ぎの、バイトの若い女性が出て来た。



彼女は、ショートの黒髪で、切れ長の目が特徴的な知的な美人といった印象だった。



瑞希は、その女性に俺を紹介する。



「おはよ。この人、あたしの友達の静流って言うの。今日から、ここで働く事になったから。仲良くしてあげてね?」



「はじめまして。霞静流です。静流って呼んでくれたら良いから。よろしくね」



俺は、その女性に笑顔で挨拶をした。



「はじめまして。あたしは、品川希です。希で良いよ。よろしくね」



彼女も、笑顔で答えてくれた。



「おっ?希も来てたか?希も何か飲むか?今日だけ特別にオゴってやるから」



「なぁ?瑞希?今日、マスター何かあったのか?」



俺は、小声で瑞希に問いかけた。



「多分、パチンコか何かで勝ったんだよ。いつもは、ケチだもん…」



瑞希は、上機嫌なマスターを横目で見ながら、俺に耳打ちをした。



「ふぅーん…」



俺は、上機嫌なマスターの仕事を、カウンター越しに眺めていた。



「ここ良い?」



俺のが座っている席の横に、希が来て言った。



「うん。良いよ。マスター、今日は、上機嫌だよね?」



俺は、希にそう話しかけた。



「そうそう。昨日、パチンコのお店から出て来るの、あたし見たよ。あたし、ちょうど友達と買い物しててさ?マスターが上機嫌で、おサイフの中身確認しながら歩いてたのを、たまたま見ちゃった」



「瑞希の予想は当たりだね」



俺は、苦笑いをしながらコーヒーを口に含んだ。



「ほらっ。みんなで仲良く食えよ」



マスターは、大きな皿に盛られた、綺麗な色とりどりの具が挟まれたサンドイッチを、俺達の前に置いた。



「マスター?昨日勝ったんでしょ?いくら勝ったの?」



俺は、ニヤリとしながら、マスターに問いかけた。



「な…、何で知ってるんだ?」



「希が見たってさ」



俺と瑞希は、希を指差して言った。



「俺は、いっつも希に見られてるな…。さては、希は、俺の事…」



「そんな訳ないでしょ?マスターの行動範囲が、単純で狭いだけ。そんなの、あたしじゃなくても、誰だって見るわよ…」



希は呆れた顔をして、マスターに反論した。



「うぅ…。俺は、冗談で言ったのに…。希って、相変わらずキツイよな…」



マスターは、カウンターの隅にしゃがみ込んで、一人でブツブツ言っていた。



「この二人、いつもこんなだから…」



瑞希は、苦笑いしながら俺に言った。



「ほらっ。男なら、ウジウジしない。さっさと仕事するよ?」



ミルクティーを飲み終えた希は、いじけるマスターの襟首を掴んで、厨房の中へ入って行った。



「マスター、タジタジだね…」



俺は、苦笑いを浮かべて、バイトに逆に指示される、可哀想なマスターの後ろ姿を見ていた。



「マスターには、希くらいの子がちょうど良いよ。すぐサボるんだから」



瑞希は笑いながら、マスターと希のやり取りを見ていた。



暫くして、瑞希が思い出したように言った。



「静流、薫の事ありがとね」



「あぁ。あれね。大した事じゃないよ。結局、俊哉達も手伝ってくれて、説得したんだから。それに、報告は薫から聞いてるから」



俺は、瑞希に微笑んだ。



「ホントにありがとね」



「うん」



コーヒーを飲み干した俺は、瑞希に言った。



「そろそろ、着替えて帰ろうか?」



「うん。そうだね」



空のカップと皿を、厨房へ運んだ。



「マスター、ご馳走様」



俺達は、マスターにお礼を言った。



「おぉ。お疲れさん。後で洗っとくから、その辺に置いといてくれ」



マスターはそう言いながら、冷蔵庫を開けて、食材の確認をしていた。



俺は、マスターに言われた通り、流し台の上に空の食器を置いた。



それぞれのロッカールームに入って、着替え、



「お疲れさまでした」



と、Lumierを後にした。



辺りはすっかりと、日も落ちてしまって街中の色とりどりの照明が煌々と光っている。



「瑞希は、迎えが来るの?」



「うん。薫が、迎えに来てくれるって」



瑞希は笑顔で答える。



「薫、いつ来るって?」



「19時くらいになるって。今、18時半過ぎたから、あともうちょっとかな?」



瑞希は、腕時計を見ながら答えた。



「そっか。夜道は危ないから、薫来るまで、一緒にいてあげるよ」



「良いの?」



「あぁ。大丈夫」



俺は、笑顔で答えた。



薫が来るまでの間、俺達は、近くのコンビニや、周辺の店を見て回った。



19時を少し回って、Lumierの前に薫が来た。



「おっ?静流?こんな所で、何やってんだ?」



「あぁ。今日から、ここで働く事になってな?瑞希と一緒にバイト上がったんだけどさ。夜道は危ないから、薫が来るまで一緒に待ってたんだよ」



俺は、事情を薫に説明した。



「そうだったのか…。それは、悪かったな。ありがとう。後、バイト見つかって良かったな」



薫は、微笑んで俺を見た。



「あぁ。やっと、ちょっとだけ安心したよ」



「でも、静流は、まだ全快じゃないんだから、無理すんなよ?俺達には、お前は必要なんだからな?」



「あぁ。分かってる。ありがとな、薫」



「あぁ。静流も、色々とありがとな」



「あぁ。じゃあ、二人の邪魔したら悪いから、俺、帰るわ。瑞希、お疲れ。薫?瑞希と仲良くしろよ?」



俺はそう言いながら、背中越しに二人に手を振って、バス停に向かった。



バス停に、ちょうど来ていたバスに乗り込み、俊哉達のマンションに帰った。



「ただいま」



リビングのドアを開けると、三人が揃って酒を飲んでいた。



「おぉ。遅かったな。何やってたんだ?」



俊哉の問いかけに、



「今日から、Lumierで働く事になってさ…」



俺は、事の顛末を一部始終、三人に話した。



「そうか。良かったな。あそこなら、俺も安心だ」



俊哉は、微笑んでタバコに手を伸ばした。



「まぁ、無理はするなよ?」



「そうそう。静流いる時に、俺達が邪魔しに行ってやるからさ」



竜也と充が、口々に言った。



「充?邪魔するなら来んな。邪魔したらつまみ出すからな?」



俺は、笑いながら充に言った。



「まぁ、お前もここへ座れ。飲むぞ?」



俊哉が、俺に手招きをしてソファへ座るように促した。



「あぁ。みんな、心配掛けて悪いな…」



「何言ってんだ、静流?困った時は、お互い様だろ?俺達は、これと音楽で生きてんだ。今更、気を遣うな」



三人は、口を揃えて言った。



俺は、本当に心の底から、いろんな人達に支えられている事を実感した。



そんな人達の、笑顔や期待を裏切らないように、自分なりに精一杯やろうと、これまで以上に思った。



そしていつの日か、麻紀に、笑ってまた会えるように…。



(麻紀、見ててな?俺、絶対にプロのミュージシャンになるから…)



四人の、楽しそうな声が、夜の静寂に飲み込まれて行った。



夜空は、いつの間にか雲が晴れて、蒼白い満月が昇っていた。





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