Chapter 29
それから、夏が過ぎ、暫くして山は紅く染まり、木の葉が散り、全ての物を白く染める季節を過ぎた。
桜のつぼみが、膨らみ始めた頃。
俺と麻紀は、昼下がりの駅前のカフェへ入った。
「なぁ、麻紀?」
「何?どうしたの?」
麻紀は、相変わらず、俺に優しく微笑みかけてくれる。
俺は、麻紀に大切な話をしなければいけない。
なのに、麻紀の笑顔を見ると、とても言い出せなかった。
(遅かれ早かれ言わなきゃいけないんだぞ?しっかりしろよ)
そう、心の中で自分に言い聞かせた。
「あのさ…、俺…」
「何?」
麻紀は、子供のような無邪気な目をして、俺を覗き込む。
「麻紀の事が好きだから、泣かせたくないから」
麻紀は、子供のような無邪気な目で、俺を覗き込む。
「麻紀の事が好きだから、泣かせたくないから。この笑顔を曇らせたくないから…」
という気持ちが、頭の中を駆け巡る。
俺は、麻紀に言い出すべきか暫く迷っていたが、覚悟を決めて、麻紀に告げた。
「…俺、桜が咲いたら、東京に行くよ」
それまで無邪気な表情で、子供のように微笑んでいた麻紀の表情が、俺のたった一言で、一瞬、凍ったように見えた。
「えっ?」
麻紀の表情は、戸惑いを隠せない。
「俺、バンドを本気でやりたいから…。だから、東京行くよ」
「そっか…」
麻紀は、うつむいたまま、そう答えただけだった。
「もし、麻紀が良ければ、俺と一緒に東京に行ってくれないかな?」
俺は、一か八かで自分の気持ちを、麻紀にぶつけた。
二人の間に暫く、無言の冷たい時間が流れた。
「…あのね、静流。あたしも静流と一緒に行きたいよ?でもね…、あたしがいたら、静流の足手まといになっちゃうから…」
麻紀の声は震えていた。
「そんな事ないよ。俺が麻紀を守るから。だから、一緒に行こう?」
俺は、うつむいた麻紀の横に座り、麻紀の頭を優しく撫でた。
「あたし、静流がそう言ってくれて嬉しいよ。でもね、あたしも静流が好きだから、静流のお荷物になりたくないの…」
麻紀の声は震え、うつむいたまま、涙をこぼしていた。
「そんな事、俺が思う訳ないじゃん。麻紀をここに置き去りにする方が、よっぽど辛いよ…」
俺は、そんな麻紀を見ているのが辛かった。
「…ありがと。でも、あたしは大丈夫だから…。だから、静流は頑張って。静流なら絶対出来るから」
「そっか…。分かった…」
俺はそれ以上、言葉が出なかった。
これ以上は、俺がとやかく言う事ではなくて、麻紀の意志に委ねる事だったから。
「もし、静流が成功したら、その時に、あたしを迎えに来て?」
麻紀は、目に涙を溜めたまま、優しく微笑んだ。
麻紀の気持ちは、「行かない」だった。
麻紀も、決断する事が色々辛かっただろう。
だけど、俺が無理矢理、麻紀を引っ張って行って、俺のちっぽけな夢に付き合わせて、麻紀の人生を狂わせる訳にはいかない。
俺も、淋しさを堪えて納得するしかなかった。
「分かった…。絶対成功して迎えに来るから。だから、ほんのちょっとだけ待ってて」
俺は唇を噛み締め、自分の膝の上の、右手の拳を「ギュッ」と硬く握り締めた。
「うん。待ってるね。約束だよ?」
「あぁ。大丈夫。絶対に成功して、迎えに来るから…」
そう言って、俺は、麻紀に指きりをした。
それから、数日が経った。
出発の朝。
「良し。全員揃ったな」
肩に、ギターやベースを掛けて、荷物がパンパンに入ったボストンバッグや、スーツケースを持った四人組が、駅の切符売場に集まった。
「俊哉、ちょっとだけ待ってくれないか?」
俺は、俊哉に言った。
「麻紀ちゃんか?」
「あぁ…」
俺達は、麻紀が来るのを待った。
改札口で俺達は、暫く待っていたが、麻紀の姿は一向に見当たらない。
「時間だ…。行くぞ」
無情にも、時間が来た事を告げる俊哉。
「麻紀…」
俺は、後ろ髪を引かれる思いで改札を通った。
俺は、改札の向こう側を振り向いて見回した。
だが、麻紀の姿は結局、見当たらなかった。
四人は、新幹線のホームへ上がるエスカレーターに乗った。
四人共、終始無言だった。
ホームに上がると、新幹線が近付くアナウンスが聞こえた。
その時。
「静流っ!!」
俺は、聞き覚えのある声に、ついさっき、自分達がホームに上がって来た、エスカレーターの方を振り向いた。
「麻紀っ!!」
俺は、荷物を放り投げて、麻紀に駆け寄った。
「ハァハァ…。良かった。間に合った…」
息を切らしながら、麻紀は言った。
「来てくれないかと思ったよ」
俺は、麻紀を強く抱き締め、頭を優しく撫でた。
「見送りは絶対行くって決めてたもん」
麻紀は、優しく微笑んだ。
「ありがとう」
俺は、麻紀の顔を見つめて微笑った。
向かい合う俺達の横を、長くて白い影が、桜の花びらを巻き上げながら、ゆっくりと通り過ぎ、やがて止まった。
「もう、行かなきゃ。ごめんな…」
俺は、麻紀に申し訳なさそうに言った。
「うん。頑張ってね」
麻紀は、きっと心の中では泣いていたはず。
俺は、放り投げた荷物を拾い上げ、麻紀の方を振り向かずに、背中越しに手を振り、新幹線に飛び乗った。
出発のアナウンスと同時にドアが閉まる。
俺と麻紀は、ドアのガラス越しに見つめ合った。
二人の間を引き裂くように、ゆっくりと新幹線はホームを離れる。
「絶対に待ってるからぁっ!!」
麻紀は泣きながら、走る新幹線に向かってそう叫んだ。
俺は、離れて行く麻紀を見つめ、涙を堪えて叫んだ。
「待ってろ!!必ず迎えに来るからな!!」
さっきまで、麻紀といたホームは、あっという間に見えなくなってしまった。
俺は、窓の外を流れる、暫くは見る事の無い、最後の景色見つめていた。
「静流?お前、本当にこれで良かったのか?」
俊哉が、気を利かせたように俺に問いかけた。
「…」
俺は、俊哉の問いかけには答えられず、ただ窓の外を見つめ、溢れそうな涙を堪える事で精一杯だった。




