Chapter 24
どのくらい、眠っていたのだろう。
俺は、「ハッ」と我に返り、飛び起きた。
時計はまだ、朝の8時を回ったばかりだった。
俺の隣で、眠っていたはずの麻紀がいない。
(あれ?どこだ…?)
「…麻紀?」
俺は、部屋中を見渡した。
キッチンの方から、良い匂いが漂って来る。
俺は、ベッドから下りて、キッチンへ向かった。
「トントントントン…」
包丁が、まな板をリズミカルに叩く音がする。
「…ん?」
俺は、目を疑い擦った。
俺の目に飛び込んで来た光景は、カウンターキッチンで、仲良く並んで料理をしている、二人の女性の姿だった。
「あら?おはよう、静流。早いのね?」
姉が俺に言った。
「あっ、おはよう。静流」
麻紀も俺に気付いた。
「あ…、あぁ。おはよう…」
俺は、一瞬、何が起きたのか分からなかった。
「コーヒー、飲む?」
麻紀が俺に聞く。
「あ…、あぁ。じゃあ、ブラックで…」
「うん。ちょっと待っててね」
嬉しそうな顔をして、麻紀は、カウンターキッチンの上のコーヒーメーカーに手を伸ばした。
「静流?麻紀ちゃんが早起きしてね、「静流に、朝ご飯作ってあげたい」って、あたしの所に来たんだよ」
朝食の準備をしながら、姉も嬉しそうな顔を浮かべている。
「ふぅーん。どうりで、美味そうな匂いがすると思った…」
そう言いながら、俺は、椅子に腰掛け、テーブルの上の灰皿を取りながら、タバコに火をつけた。
タバコをふかしながら、忙しく動く二人を、ボーっと眺めていた。
「はい。どうぞ」
麻紀は、カップに注がれた、淹れたてのコーヒーを俺の前に置いた。
「良い匂いがする…。姉ちゃんが淹れたのとは、また違う匂いだね」
俺は、熱々のコーヒーを、そっと一口、口に含んだ。
味は濃すぎず、薄すぎず、それでいて、苦味がちょうど良い。
アメリカンのような、少し薄めのブラックだ。
「美味い…。俺好みのブラックだ…」
俺は、もう一口、口に含んだ。
「良かった。静流に気に入ってもらえて」
麻紀は、俺の顔を見て微笑んだ。
「麻紀、ありがとう。このコーヒー、すごく美味いよ」
俺も、麻紀に微笑み返した。
「もうすぐ出来るから。もうちょっと待っててね」
そう言うと、麻紀は慌ただしく、カウンターキッチンの方へ向かって行った。
俺は、コーヒーを飲みながら、タバコをふかし、料理をしている、麻紀の後ろ姿に見とれていた。
(あぁ…。良い…。すごく、良い…。俺の夢見た光景だ…。もし、これが夢なら、覚めないでくれ…)
そんな事を思いながら、小さな幸せに浸っていた。
キッチンにある、掃き出し窓のレースのカーテンが、風でなびく。
そのカーテン越しに、朝の柔らかい日差しが差し込んで来る。
窓の外には、爽やかな夏空が広がっていた。
トースターの方から、香ばしい香りが漂って来た。
「チンッ」
どうやら、食パンを焼いてくれていたらしい。
麻紀は、焼けた食パンを左手に、バターを塗りながら俺に言った。
「静流?静流は、パンに砂糖まぶすの?」
「いや、バターだけで良いよ」
「分かったぁ」
麻紀が鼻歌混じりに、バターを塗った食パンを皿に乗せる。
姉は、サラダの盛り付けに取り掛かっていた。
麻紀は、次の食パンを焼きながら、熱したフライパンに、溶き卵を流し込んだ。
「ジューッ…」
どうやら、オムレツを作っているようだ。
慣れた手付きで、フライパンを返す。
「あら?麻紀ちゃん、上手ね。きっと、良いお嫁さんになれるよ」
姉が、麻紀を誉める。
「そんな事ないですよぉ。あたし、レパートリー少ないし…」
麻紀が、照れ笑いを浮かべた。
(あぁ…。麻紀が、俺と結婚してくれたらな…)
俺は、二人の会話を聞きながら、そんな妄想に浸っていた。
キッチンには、卵が香ばしく焼ける匂いが広がる。
「はい。出来たよ」
そう言いながら、麻紀が出来たてのオムレツと、こんがり焼けたパンをテーブルの上に置く。
皿の上には、ケチャップがかけられた、黄金色のオムレツが乗っていた。
姉が、小鉢に盛り付けた、三人分の野菜サラダを持ってテーブルに向かって来る。
「後、スープもあるからね」
そう言って、麻紀は鍋の蓋を外し、スープをカップに移した。
鍋から立ち上る湯気と一緒に、コンソメの香りが漂う。
「朝っぱらから、ご馳走じゃん」
俺は、いつもは朝食を取らないが、何故か、今日は食欲が湧いて来た。
「静流は、いつも朝ご飯、食べないんでしょ?朝ご飯は、ちゃんと食べないと元気出ないよ?」
麻紀が、俺に諭すように言った。
「あ…、あぁ。はい。すいません…」
何故か、謝ってしまう俺。
(絶対、姉ちゃんが、麻紀にチクったんだ…)
俺は、姉を見た。
姉は、とぼけた顔をして、俺から目を背ける。
(やっぱり…)
姉を横目で見る、俺。
姉が、はぐらかすように言った。
「準備OKだね。じゃあ、食べよっか?」
「あぁ。そうだな。せっかくのオムレツが冷めたら台無しだ」
三人がテーブルに着いた。
両手を合わせて…。
「いただきまぁす」
オムレツに箸を通す。
外は、フワフワ。
オムレツを割った瞬間、中からトロトロの卵の黄身が溢れ出す。
それを口に運ぶ。
「美味い。こんなオムレツ食った事ないや…」
バターの香りが口に広がり、後からほんのりとした甘さが口に広がる。
俺は、夢中でオムレツを食べた。
「麻紀。このオムレツ、すごく美味いよ」
「そう。良かったぁ。静流に気に入ってもらえるかどうか、ちょっと不安だったから…」
「このオムレツ、高級ホテルのオムレツなんかよりも、ずっと美味いよ」
「ありがとう。なんか照れちゃうね」
麻紀は、照れ笑いを浮かべた。
「ふぅーん…。あたしが作ったら、無関心なくせに、麻紀ちゃんが作ると誉めるんだね」
姉が、冷たい目線を俺に投げかける。
「フンッ。それとこれとは別」
「可愛くないなぁ…」
姉が、ふてくされている。
そんな姉を余所目に、俺は麻紀の手料理を、一口一口、汁一滴残すまいと、一心不乱に味わった。
「俺、もう思い残す事が無いや…。こんなに死ぬ程美味い、麻紀の作った料理食えたんだから…」
「そんな、大袈裟だよぉ」
麻紀が、笑いながら言った。
「あたしにも、そのくらいのリアクション、たまにはしてくれても良いのに…。ねぇ?静流君?」
姉が、横目で俺を見ながら、嫌味を言う。
俺は、姉の嫌味を無視して、黙々とスープを飲む。
麻紀は、嬉しそうに俺を見つめていた。
「あぁ…。美味かった…。麻紀、ありがとう。ご馳走様」
「どういたしまして。静流に、喜んでもらえたみたいで良かったぁ」
「静流君?サラダは、あたしが作ったんだけど?」
姉が、「あたしも誉めろ」とばかりに言う。
「ただ、切って盛り付けただけだろ?」
「まぁ、失礼ね。ドレッシングは、ちゃんとお手製ですぅ」
姉が、拗ねた顔をして俺を見る。
「あぁ、はいはい。悪かったよ」
「ホントに可愛くないんだから。麻紀ちゃん?こんなヤツのどこが良いの?」
麻紀は、俺達、姉弟のやり取りを見て苦笑いしていた。
姉が、俺に向かって、しかめっ面で舌を出して「べー」をしている。
「フンッ」
俺は、そっぽを向いた。
「まぁまぁ」
麻紀がなだめる。
「あぁ、そうだ。ライブハウスへ車取りに行かないと…」
俺は、思い出したように言った。
「そう言えばそうだね。どうやって行くの?」
麻紀が、俺の顔を見る。
俺は、姉を見た。
姉は、
「フンッ。知らなぁい」
と、そっぽを向く。
どうやら、へそを曲げたらしい。
「姉ちゃん、頼むよ…」
「静流君?人に頼む時は言い方があるでしょ?」
(くっ…)
俺は、渋々頭を下げた。
「お願いします。お姉様。ライブハウスまで乗っけて下さい」
(クソーっ…。さっきの仕返しかぁ…)
「まぁ、良いでしょう。じゃあ、食器を片付けたら、乗せて行ってあげるわ。さっさと準備しなさい」
勝ち誇ったように言う姉。
(く…くっ…)
俺は、ただひたすら、屈辱に耐え忍んだ。
「静流?遥さんには勝てないよ?」
麻紀が苦笑いをして、俺に言った。
「うぅ…」
俺は、何も言い返せず、ただ、
「ご馳走様」
と、だけ言い残し、自分の部屋へ逃げ帰った。
「クソーっ。絶対、いつか、姉ちゃんに仕返ししてやる…」
俺は、一人、枕に八つ当たりをした。
その頃、キッチンでは、朝食の後片付けをしながら、遥と麻紀が話をしていた。
「ねぇ?麻紀ちゃん?」
「はい?どうしたんですか?」
「麻紀ちゃんって、料理上手だよね?誰に習ったの?」
「お母さんに教えてもらって…。それに家で、よく作るんです」
「そうなんだ。あたしも、お母さんに教えて貰ったんだよ。小学生くらいの時からかな?「女の子は、ちゃんと料理が出来ないとね」って」
遥は笑いながら、麻紀に話す。
「お父さんがいなくなって、お母さんが大変だから、交代で家事をしてね。お母さん、いなくなってからは、あたしが静流の親代わり…。静流も、大きくなってたから、前程大変じゃなかったんだけどね」
「大変だったみたいですね。静流から聞きました」
「えっ?あの子、知ってたの?あたし、あの子に話した事ないのに…」
「前に、遥さんが、巧さんに話してたのが、聞こえたって…」
「そっか…。あたし、あの子に、あたし達の事、本当の家族じゃないって思われるのが怖くて…。それに、静流が、そう思い込んじゃうと、静流が本当に一人ぼっちになっちゃうから…。そんな可哀想な事、あたしには出来ないから…」
遥は、淋しそうな顔をして言った。
「静流は、そんな事思ってないですよ?お父さんにもお母さんにも、それに遥さんにも、感謝してるって…。霞の家の人達が、俺の本当の家族だって…。そう言ってました。だから、静流の本当の両親が名乗り出ても、会う気は無いって…。静流は、霞家の人達が大好きみたいですよ?」
麻紀は微笑みながら、遥に言った。
「もう…。あの子ったら…」
遥の頬を、一筋の涙が伝う。
「あたし、遥さん見てると、静流の気持ち分かる気がします。霞家って、すごく居心地が良いから…。それに、遥さんと静流って、端から見たら、本当の姉弟に見えますよ?どことなく、雰囲気や性格が似てるし…」
「ありがとう。麻紀ちゃん。あたし、静流がいなくるのが怖いから…。静流は、あたしの大切な弟だから…」
遥は、間接的ではあるが、静流の気持ちを理解出来て、少し安心した表情を浮かべた。
「静流が羨ましいです。こんなに、お姉さんに大切にされてるなんて」
「でも、たまに、憎まれ口を言うのが可愛くないんだけどね…」
遥は、苦笑いを浮かべた。
「きっと、照れ臭いんですよ。静流って、結構シャイだから…」
麻紀は、微笑んで言った。
「あの子、ああ見えて、結構、人見知りするしね。ホント、困った子よね」
遥が、いつもの調子に戻った。
食器の片付けもほぼ終わったところで、遥は、麻紀に言った。
「麻紀ちゃん?悪いんだけど、静流の様子見て来てくれる?もしかしたら、あの子、準備しないで、遊んでるかもしれないから」
「はい。じゃあ、ちょっと見て来ますね」
「うん。お願いね。遊んでたら、怒って良いからね」
「あはは。分かりました」
そう言いながら、麻紀はキッチンから、静流の部屋へ向かった。
「キィーッ…」
麻紀は、音を立てないように、そっと部屋のドアを開ける。
麻紀が、ドアの隙間から部屋を覗き込む。
静流は、夢中になって、ギターを弾いて遊んでいた。
もちろん、準備などしていない。
(もぅ…。やっぱり、遥さんが言った通りね…)
麻紀が、しかめっ面をして静流を見る。
そして…。
「こらっ!!何遊んでるの?」
「おわっ!!」
いきなり、大声を出され、俺は、思わずその場で硬直してしまった。
「やっぱり…。遥さんの言った通りだったね。ちゃんと準備しなきゃダメでしょ?ほらっ、早く。向こうは片付け終わったよ」
麻紀に急かされる。
「はい…。ごめんなさい…」
(なんか、麻紀まで、姉ちゃん化してないか…?)
俺は、重い腰を上げ、外出の準備を始めた。
その間、ずっと麻紀が監視している。
(もしかしたら、姉ちゃんよりも怖い…?)
麻紀の視線が、俺の背中に突き刺さる。
(うーん…。背中の方が、妙に痛いなぁ…)
俺は、苦笑いを浮かべて麻紀を見る。
麻紀は、笑顔で俺に言う。
「早く、服、着替えようね?」
「はい。あはは…」
俺は、急いでクローゼットから服を取り出した。
ちょうどその時…。
「やっぱり、こんな事だろうと思ったわよ」
(げっ…。もう一人増えやがった…)
姉が、横目で俺を見ながら言う。
「なんで、君は、すぐに他の事に目が行っちゃうのかなぁ?ねぇ?静流君?」
「あは…、あはは…」
俺は、ただ笑うしかない。
この二人には勝てない、逆らうなと、本能が悟った。
「麻紀ちゃん。そのまま、監視しててね」
「はい。終わるまでずっと見張ってますね」
「静流?早くしなさいよ?」
俺は、今までに感じた事の無いプレッシャーに襲われた。
「はい…。すぐに…」
(こ…怖ぇ…)
俺は、なるべく急いで、準備をした。
「そんなだから、遥さんに怒られちゃうんだよ」
麻紀が、俺に言った。
「遥さんが、静流をほっとけない気持ち、分かった気がするよ」
麻紀が、溜め息混じりに呟いた。
(うーん…。それじゃ、俺がまるで、駄目人間みたいじゃないか…)
「でも、マイペースな性格の静流らしいと言えば、らしいけどね…」
(フォローになってるのか、なってないのか…)
麻紀の監視が続く中で、着々と、俺の準備は進む。
「やっと、終わったみたいね?じゃあ、行くわよ?」
俺の準備が終わる頃に、姉が、再び部屋に入って来た。
「はい。準備完了」
「なんで、さっさと準備出来ないのかな?静流君は?」
また、姉のネチネチとした、嫌味のような攻撃が始まる。
「はい。すいません…」
(もう、良いじゃん…)
「まぁ、良いわ。早く行かなきゃ。あたし、買い物行きたいし。じゃあ、麻紀ちゃん、行こっか?」
「はい」
俺を、置いて部屋を出る二人。
「お…、おいっ。俺を置いて行くなよっ」
慌てて、二人の後を追った。
姉の車に乗り、ライブハウスへ向かう。
「麻紀ちゃん、一緒に買い物行く?」
「はい。行きたいです」
麻紀が、笑顔で答える。
「静流は、荷物持ちね?」
「えぇーっ!?」
「何か不満でも?」
「いえ…、何もありません…」
そんな、俺達の会話を聞いて、麻紀は笑っていた。
「じゃあ、三人で買い物に行きましょ」
荷物持ち確定で、不愉快極まりない俺とは対照的に、姉は上機嫌である。
「麻紀ちゃん、どこ行く?荷物持ちと荷物運び用の車はあるから、色々買えちゃうよ?」
姉が、横目で俺を見ながら言った。
(好きで荷物持ちやる訳じゃねぇし…。ほとんど、脅迫じゃねぇか…)
俺は、ふてくされた顔で姉を見た。
「何か、文句でも?」
「いえ、何でもないです…」
(こんな所で降ろされたんじゃ、たまったものじゃない…。大体、マンションと、ライブハウスの中間点じゃねぇか…)
俺は、逆らわずに大人しくする事にした。
そうこう言っている間にも、車はライブハウスへ近付いて行く。
(もうすぐ…。もうすぐで自由だ…。見てろよ…)
「静流君?まさかとは思うけど、逃げる気じゃないでしょうね?」
姉が、俺を睨み付ける。
(クソッ。バレていたか…)
「逃げたら、分かってるよね?」
「はい…。逃げません…」
俺は、蛇に睨まれた蛙状態だった。
麻紀は、さっきから「クスクス」と笑っている。
(あぁ…。俺は、まるで捕虜か奴隷だ…)
俺の邪な悪巧みは、露と消えた。
「ほらっ。着いたわよ。車、取っておいで」
「はいはい…」
俺は、姉の車から降りて、自分の車へ向かった。
車に乗り、エンジンをかける。
「じゃあ、行きましょ」
上機嫌な姉。
俺は、麻紀を乗せた、姉の車の後を追った。
これから、始まる「恐怖のショッピング地獄ツアー」へ向かって。




