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Chapter 9


翌朝―。



いつもより、早く目が覚めた。



短い睡眠時間の割に、目覚めはスッキリしていて、どこか気分が良い。



俺はベッドから勢いよく起き上がり、部屋中のカーテンを開けた。



ベランダ側の掃き出し窓のカーテンを開けると、そこから射し込む朝日が眩しくて、思わず右手を額にかざして日の光を遮った。



「良い天気だなぁ…」



俺は、掃き出し窓の外の青空を眩しそうに見つめながら、そう呟いた。



「さて…、と。準備するかっ」



そして、そう独り言を呟くと、いそいそとバイトへ行く為の身仕度を始める。



一旦、自分の部屋から出て、脱衣室の洗面台の前に立つ。



蛇口の栓を開け、顔を洗い、それから歯を磨く。



寝癖だらけの髪の毛を、ぬるま湯で濡らし、寝癖を取る。



そして、ドライヤーで丁寧に髪を乾かす。



少し長めの栗色のサラサラの髪が、ドライヤーの温風で左右になびく。



髪が完全に乾ききったら、再び自分の部屋に戻り、ゆっくりと服を着替えた。



準備を整え、自分の部屋からキッチンへ向かう。



「おはよう」



キッチンのカウンターテーブルの所で、朝食の準備をしている姉に、俺は微笑みながら声を掛けた。



「おはよう、静流。今日は早起きだね」



姉は俺の挨拶に、俺の方を振り向き、笑顔で答える。



「あぁ、早く目が覚めちゃってさ」



俺は冷蔵庫からアイスコーヒーを取り出しながら、姉の問い掛けに答える。。



「昨日は、様子がおかしかったけど、大丈夫?」



姉はそう言いながら、トースターから取り出した焼きたての食パンを皿に乗せ、俺に差し出した。



「あぁ、大丈夫。ありがとう」



俺はそう言うと、食パンに勢いよく囓り付き、アイスコーヒーと一緒に腹の中へ流し込んだ。



「ご馳走様。じゃあ、行って来るよ」



「うん。気を付けてね。いってらっしゃい」



笑顔の姉に見送られ、いつもより少し早目にマンションを出た。



別に、これと言って特別な事がある訳ではなく、ただ、彼女に会える事だけが嬉しくて…。



好きな音楽を聴きながら、鼻歌混じりで車を走らせた。



梅雨の中休み。



晴れた青空と共に、俺の心は清々しい気分だった。



俺の気分に合わせるかのように、アクセルの上に乗った俺の右足は、徐々にアクセルを踏み込んで行く。



『ブゥゥーーン』



エンジンは心地良い程の唸り声を上げながら回転数を増し、それに連動してスピードも上がって行く。



バイト先までの道のりは、意外に車が少なく、照りつけるご機嫌な太陽も手伝って、快調その物だった。



俺の運転する車は、順調なペースでバイト先に到着した。



「良しっ。ウチからここまでの記録更新っ!!ベストタイムが出たぞ」



勝手な自己満足に浸りながら、ゆっくりと車を降りた。



まだ誰もいない、だだっ広いアスファルトで覆われた駐車場の一番端っこの方から、ゆっくりと歩いて駐車場を横切る。



社員用の出入口から中へ入り、警備室の前を社員証を見せながら通り過ぎる。



荷物運搬用のエレベーターで2階へ上がる。



まだ開店前の静まり返った薄暗いフロアに出て、止まった下りエスカレーターを駆け上がる。



俺の足取りは、まるで自分の物とは思えない程に軽い。



3階部分の天窓から射し込む朝日が、いつもより数倍も眩しく感じた。



エスカレーター口から、フロアのカウンター前を足早に通り過ぎ、事務所のドアの前に立つ。



『ガチャッ』



静かにドアを開けて、ドア横に設置されたタイムカードを切る。



「おはようございます」



俺は、いつもより少しだけ大きな声で、先に来ていた店長に向かって挨拶をする。



「おはよう。今日は、早いんだね」



店長は、一瞬、事務所の壁に掛けてある時計を見上げ、そして、目を丸くしながら俺を見つめた。



「えぇ。朝、早く目が覚めちゃって…。家にいてもやる事も無いし。だから、少し早めに家を出て来たんですよ」



「そうなんだ。ふーん…」



店長は俺を疑う素振りも見せず、ただ俺の言う事を真に受けているようだ。



「一分でも早く彼女に会いたいから、早くここへ来た」



なんて、例え口が裂けたとしても言える訳がない。



始業までの間、暫く時間に余裕がある為、俺は休憩机の椅子に座り、タバコに火をつけた。



『シュボッ…』



『チリチリ…』



「ふぅ…」



俺は、自分の口から吐き出された、自由気ままに浮かぶ煙を静かに見つめていた。



すると…。



「おはようございます」



急に俺の背後で、若い女性の声が聞こえた。



(あっ、あの声は…。彼女だ…)



そう思った途端、俺の鼓動は速くなり、心の中では緊張と嬉しさ、照れ臭さが交錯した複雑な気分に陥った。



「霞君、おはよう。来るの、早いんだね?」



彼女は子供のように無邪気で愛くるしい笑顔を浮かべながら、俺に声を掛けてくれた。



「お…、おはよう。あぁ…、ま、まぁね…。へへッ」



俺は緊張しながら振り返り、ぎこちない微笑みを浮かべながら彼女を見つめた。



その時、俺は彼女に対して、いつもと変わらない態度を取る事が、こんなにも難しい事なのかと思い知らされた。



「どうしたの?」



彼女は俺の異変を察知したのか、俺の顔を上目遣いで覗き込みながら問い掛けた。



「い、いや…、な、何でもないよ…」



彼女の視線に、俺の鼓動は破裂しそうな程、更に速く、大きく脈打つように高鳴った。



そして、他人にも分かる程に、自分の顔が紅潮し、熱くなっていたのが分かった。



「ちょ、ちょっと、着替えて来るよっ」



俺はそう言いながら、自分の気持ちを彼女に悟られまいと、慌てて逃げるように更衣室へ入った。



(ヤバかった…。あんなに近くであの子の顔見たら、緊張して死んでしまうよ…)



『ドキドキ…』



自分の胸に手を当てると、まだ心臓の鼓動が速く激しく高鳴っているのが分かる。



「はぁ…」



俺は溜め息を吐きながら、その場へしゃがみ込んだ。



(あぁ…。藍沢さん、今日も可愛いなぁ…。それにしても、彼女の、あの上目遣い…。ヤバいだろ…。可愛すぎだよ…)



そう思いながら、頭の中にさっきの彼女の表情を思い浮かべた。



その事を思い出しただけでも、口元が緩み、にやけて来るのが分かった。



『パチンッ』



俺は、たるんだ気持ちを戒める為、自分の頬に自分自身の両手で平手打ちをして、気を引き締め直した。



(駄目だ駄目だ。しっかりしろ。彼女には、彼氏がいるんだぞ?)



心の中で自分自身にそう言い聞かせ、とりあえず身体中の熱を冷まし、気分を落ち着かせる為に、暫く更衣室に籠る事にした。



すると、その時。



「おはよう」



締めきった更衣室のドア越しに、聞き慣れた若い男の声が微かに俺の耳に聞こえた。



(あの声は、竜也か…?間が良いのか悪いのか…。まぁ、とにかく助かった…)



俺は、更衣室の隅にしゃがみ込んだままの状態で、竜也が更衣室に入って来るのをじっと待った。



『ガチャッ』



そして、やっと更衣室に竜也が入って来た。



「おはよう…。何やってんだ?静流?」



更衣室に入って来るなり、竜也はしゃがみ込んだ俺を見つめ、不思議そうな表情で問い掛けた。



「おぉ、おはよう。あぁ、ちょっと立ち眩みがしてさ…」



俺は取って付けたような出鱈目な理由で、竜也をごまかした。



「大丈夫か?無理すんなよ?」



俺の嘘を真に受けた竜也は、心配そうに俺を見つめた。



「あぁ。もう大丈夫」



そう言いながら、俺はゆっくりと立ち上がった。



(ふぅ…。助かった…。これで少しは気が紛れるはずだ…)



俺はそう思いながら、竜也と下らない世間話をして、なんとか冷静さを取り戻す事が出来た。



二人共同時に着替え終わり、一緒に更衣室を出た。



そして俺達は、まるでお約束事のように、一斉にタバコに火をつける。



『シュボッ…』



「ふぅ…」



タバコをふかしながら、慌ただしく開店前の準備を始めた彼女を、俺は横目で黙って見ていた。



そして、タバコの火を消し、意を決して彼女にそっと近付く。



「…手伝おうか?」



俺は、出来るだけ彼女には優しく接しようと心掛けた。



「うん。ありがとう」



彼女は嬉しそうな表情で、俺を見つめる。



「両替金とか重い物は、俺が持って行ってあげるよ。後、少しフロアを掃除するから、藍沢さんは、モップを持って来てくれるかな?」



俺は微笑みながら、両替金が入った複数の布袋を台車に乗せ、優しい口調で彼女に指示を出す。



仕事だと割り切ると、意外と簡単に彼女に話し掛けられる事に、自分自身が驚いていた。



「うん。分かった」



彼女は無邪気に微笑んで、台車を押す俺の後をゆっくりと付いて来た。



「…お前、女には優しいよな?」



竜也は俺を横目で一瞥しながら、低い声でそう呟いた。



「うるせぇなぁ…」



その時の俺は、それ以上、竜也の皮肉に対して反論する気にならなかった。



そして俺は、竜也を無視して、その場から逃げるように、両替機の元へ足早に台車を押して向かって行った。



平日の午前、客足もまばらで、彼女がいる事を除くと、俺にとって特に変わったような事も無く、平穏な時間が過ぎて行った。



そして、昼休憩。



食事中にバイト仲間達と、みんなで楽しく話をしていると、突然、竜也が言い出した。



「藍沢さんってさ、ちょっとした浮気みたいな事して別れそうだよな?ほら、ほんの出来心って言うのかな?」



「そうかなぁ?」



彼女は戸惑った表情を浮かべながら箸を止め、竜也の顔を見つめた。



「そんな気がする。俺の直感は、よく当たるんだよ」



(おいおい…。どんな直感だよ…)



と、思いつつも、俺は、相変わらずマイペースなただの傍観者として、彼女と竜也のやり取りに聞き耳を立てていた。



更に続けて、竜也はこう言った。



「例えばさ、こう身近な人でさ…。うーん…、そうだな…。例えば、同じ職場のヤツとかと良い感じになったりしてさ…」



絶好調の…、いや「舌好調」と言う方が正しいのか…。



竜也の「暴走した妄想話」は止まりそうにない。



戸惑う彼女を見兼ねた俺は、竜也の暴走した妄想話にゴングを鳴らすべく、話を遮るように割って入った。



「おいおい…。竜也、ちょっと待て。どんな妄想だよ?ったく、そんな事ある訳ねぇだろ?見てみろ。藍沢さん、困ってんじゃねぇか?」



俺は少し呆れた表情で、眉間に皺を寄せ、竜也を見つめながら言った。



「こればっかりは、人間だからな。分からんぞ?」



いつになく真剣な表情を浮かべ、腕組みをする竜也。



「ひょっとして、竜也が、何か期待してるんじゃねぇの?」



俺は竜也を一瞥しながら、周りの人間の注意を彼女から外させる為に、わざとらしく意地悪く言った。



「いやいや、俺は何も考えてないぞ?いや、マジで、マジで…」



俺のたった一言で、戸惑い焦り、自分を弁解する竜也。



そして俺の思惑通り、周りの視線は、一気に竜也に集まった。



「慌てる所を見れば、やっぱり、やましい事でも考えてたのか?」



それを確認した俺は、ここぞとばかりに、しつこく竜也を弄る。



「えっ?小野瀬君、そんな事思ってんの?」



それまでは、黙って俺達の話を聞いていた他のスタッフまでもが、まるで俺を援護するかのように竜也を煽り始めた。



「だから、違うって言ってんだろ?」



誤解の解けない竜也は、ふてくされた表情で、眉間に皺を寄せ、俺を睨み付けた。



「はいはい。じゃあ、そういう事にしときましょう」



俺は、不機嫌そうな竜也の視線を気にする素振りも見せず、軽くあしらうように突き放した。



「違うってのに…。なんだよ?みんな、なんでそんなに言うんだよ?そんな目で見んなよ…」



必死の弁解も伝わらず、誤解が解けない竜也は、酷く困惑した表情を浮かべて、俺達の顔を見渡した。



そもそもの原因は竜也にあるが、でも、そんな竜也を見て、少しだけ可哀想に思えた俺は、



「フン。この前、鮭弁の事で弄られたお返しだ」



と、意地悪く笑いながら竜也を見つめ、



「彼女は、困ってたんだぞ?」



と言う、竜也を弄った本当の理由を伏せ、取って付けたような言い訳をした。



「フンッ」



その出鱈目な理由を、またも真に受けた竜也は、完全にふてくされ、そっぽを向いてしまった。



そのふてくされた竜也の様子がおかしくて、事務所にいたスタッフ達全員の笑いを誘った。



「ちょっと言ってみただけなのに…。なんでこうなるんだよっ。クソッ、静流のヤツめ…。いつか絶対、仕返ししてやるからな…」



そう言いながら俺を一瞥した後、再びそっぽを向き、一人で文句を言っている竜也の様子がおかしくて、余計に俺達の笑いを誘った。



だが、俺はそんな竜也に救われたようだ。



良くも悪くも、その事がきっかけとなり、いつの間にか、彼女と打ち解けて、自然と話せるようになっていた。



「二人共、楽しいし、すごく仲良しなんだね?」



彼女は微笑みながら、俺を見つめてそう言った。



「あはは。まぁね。竜也といると飽きないし、確かに、楽しいかもね」



それまでは、彼女の前だと緊張しっぱなしだったはずの俺が、この時初めて、彼女に自分の自然体の状態で微笑みかける事が出来た。



緊張した心の中の糸が切れ、彼女と打ち解ける事が出来た俺は、和やかな気分の下、午後の仕事に戻って行った。



そして…。



バイトが終わり、初めて、彼女と事務所に二人きりになった。



パートの人は定時になると同時に、俺達より先に足早に事務所を出て行き、竜也は急な遅番の手伝いが入り帰りが少し遅くなる為だった。



突然の思いも寄らない出来事に、俺は心の中ので、



「よっしゃあっ!!」



と、ガッツポーズを上げた。



俺は事務所の中を、くまなく見渡した。



俺達の周りには、邪魔者達の気配は全く感じられない。



俺は、彼女を意識し過ぎないように平静を装い、休憩机の椅子に腰を掛け、ミルクティーを飲んでいる彼女に声を掛けた。



「ねぇ?藍沢さんは、いつも、どうやってここへ来てるの?」



「家が、隣町の向かいの島だから、隣町の駅までバスに乗って、駅まで行くの。駅前にフェリー乗り場があるから、そこからフェリーに乗って帰るんだ」



彼女は俺の問い掛けに、何の疑いも抱く素振りも見せず、素直に答えてくれた。



「えっ?それって、かなり大変じゃない?バスの時間は大丈夫?」



話の内容からは、彼女の生活の一部を垣間見る事が出来た。



俺には、ボロボロの中古車とはいえ、一応はちゃんとした車がある。



故に、行動するのは金が続く限り、俺の思うがまま自由自在だ。



だが、彼女は車を持っていないようで、どこに行くにも金と時間に縛られる。



ましてや、ここは地方の田舎町。



彼女の通勤の大変さが、俺には痛い程理解出来た。



「バスが来るのが、あと30分位かな」



彼女は、事務所の壁掛け時計を見上げながら呟いた。



「30分?まだまだ、時間があるよ?隣町の駅まで乗せて行ってあげようか?」



俺はつい、お節介心が湧いてしまい、気付くと彼女にそう言ってしまっていた。



「えっ?良いの?でも、なんか悪いし…」



当然、彼女はそう言って申し訳なさそうに返答をする。



だが、俺はそんな事は気にしない。



彼女に断られればしょうがないが、頼まれればどこへでも行く気持ちだった。



「良いって。俺なんか、どうせ、バイト終わったら暇なんだしさ。ちょっとくらいの寄り道は平気だよ」



俺は彼女を安心させる為、微笑みながら彼女を見つめた。



「ホントに良いの?」



彼女は、俺に対して本当に申し訳なく思ったのか、本来ならここで断るはずだが、一向に断る気配を感じさせなかった。



(おっ?俺にも、彼女にアピールするチャンスがあるのか?)



俺の心の中では、彼女に対する浅ましい気持ちが渦巻いていたが、彼女に俺の考えを悟られないよう、俺は優しく微笑みかけた。



「大丈夫、大丈夫」



「ありがとう」



彼女は無邪気な笑顔で、俺を見つめながらお礼を言ってくれた。



(よっしゃ!!来たっ)



俺は嬉しい気持ちを抑え込み、ただ優しく彼女をエスコートする事に努めた。



「じゃあ、行こっか?」



微笑む俺の誘いに、彼女は、



「うん」



と、喜びながら両手でバッグを後ろ手に持ち、俺の横を寄り添うように付いて来た。



「ホントにゴメンね」



彼女は苦笑いを浮かべながら、俺の事を気遣ってくれる。



「気にしなくて良いよ。俺の気まぐれだから」



と、彼女を安心させる為に言ってみたが、俺の心の中は、嬉しさに満ち溢れていた。



二人揃って、事務所を後にし、従業員用の出入口を抜け、警備員室の前を通り過ぎる。



二人同じペースで会話を楽しみながら、ゆっくりと、だだっ広い駐車場を横切り俺の車へ向かう。



「ちょっとボロボロだけどさ…」



そう苦笑いを浮かべ、助手席に彼女を誘導する。



そして俺は、運転席へゆっくりと乗り込む。



エンジンを掛け、ゆっくりとアクセルを踏み込んで、車を走らせた。



そして車の中でも、彼女と世間話程度ではあるが、色々な会話を楽しんでいた。



「ねぇ?霞君は彼女、いないの?」



突然、話題を変えるかのように彼女は俺に問い掛けた。



「今は、いないよ。このバイト始めた頃に別れちゃったから…」



俺は彼女の問い掛けを、ただの世間話の延長程度で受け止めていた。



「ごめんね。変な事聞いちゃって…」



だが、彼女は俺の答えを聞いた途端、うつむいて申し訳なさそうに呟いた。



「いや、良いよ。大丈夫。気にしないで」



(こうして、君と二人きりで話が出来るんだから、全然淋しくなんかないんだよ)



俺は心の中でそう思いながら、うつむいた彼女の気を紛らわせる為、彼女に微笑みかけた。



「うん」



俺の言葉を聞いて、彼女は顔を上げ、今までと同じ笑顔で俺を見つめた。



俺の運転する車は、バイト先から30分程で、隣町の駅前のフェリー乗り場に到着した。



「今日は、ホントにありがとう。助かったよ。優しいね、霞君は…」



彼女は笑顔を浮かべ、俺に感謝の気持ちを伝えてくれた。



「そんな事ないよ」



俺は照れながら、彼女にそう一言だけ返すのが精一杯だった。



「霞君みたいに、優しい人に彼女いないなんて…」



彼女は、また表情を少し曇らせながら呟いた。



「今はもう、別になんとも思ってないよ。それに、もし俺に彼女がいたらさ、藍沢さんを送ってあげられなかったしね」



俺は本当に気にしていない事を彼女に伝え、安心してもらう為に、冗談混じりに微笑みかけた。



「そっか…。今日は、ホントにありがとね。またね」



彼女は、俺の言葉に安心したのか、笑顔を浮かべながらそう言うと、手を振りながら車から降りた。



そして、俺は周囲の安全を確認した後、彼女に笑顔で手を振り返し、駅前のバス乗り場で車を方向転換させた。



彼女と別れた帰り道、俺は、すごく幸せな気分で満たされていた。




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