盲信は信仰にあらず
一ヶ月の家賃は1000コールだった。
装備をアレだけ買い揃えて、家賃も払って、それでも手元には5500コールもある。
夕食は豪遊でもできそうだが俺の体質上、食事は2、3日抜いても大丈夫な体なので確保するのは飲み水だけでいい。
「本当に食べんの?」
「えぇ、必要ありません、と言うか食べると頭と体がしんどくなる体質なので」
「妙な体質じゃねぇ」
俺は昔から満腹感というのが嫌いだ。
生きた人間の心地がしない。
まるでフォアグラの生産過程のようで人権を著しく損ねているような感じさえする。
「それにしても皆、元就を見ると驚くねぇ、見とるこっちとしては面白いんじゃが」
武具屋のおっさんも、賃貸物件を探しているときに会話した家主も、物珍しそうに俺を見ていた。
原因はステータスだろう。
信仰の99と言うのはとてつもなく異例だそうだ。
俺みたいな何かのステータスが突出した人物のことをこの世界の人たちはアンバランサーと言うらしい。
しかも普通のアンバランサーは数値がだいたい85前後から呼ばれるものなのだが、俺のようなカウントストップしている者は前代未聞なのだという。
「まぁ、現代社会でも元就の信仰心は尋常じゃからな」
「真理を教えてくれたのはあなた方のはずなのですが」
「私は何も教えとりゃせんよ、お前が勝手に悟っただけじゃけぇ」
どうやら俺は凡人のくせに坊さん並みに悟りが開けてしまったらしい。
俺は神様を信じるために神様を信じていない人間だ。
俺はいつしか天啓を聴くようになった。
その内容は、神を信じてはいけない、神に祈ってはいけないというものだった。
それを俺は極力正しく解釈するように努力した。
だからまずは神の存在を否定するところから始めることにした。
何故なら現実では神様に触れられるわけなどないからだ。
昔は何か良い出来事があったり、逆に地震や津波や台風などの悪い出来事も神の仕業であると考えられていた。
しかし科学が発展するにつれてそれらは原因を解明できる様になると、災害が神の仕業だと考えるものはいなくなった。
しかし、ありとあらゆる国で神は肯定されている。
人間は完全に一人になることは難しい。
むしろ何かしらに依存している。
それは俺も同じだった。
親族も学校の教師達も友達と呼んでいた人々も何一つとさえ心の底から信じたものなど俺にはなかった。
その反動からか俺はこの世のどこかにあるであろう善なるものに触れたいと願った。
それが俺にとっては神道と仏教だった。
どうやら俺は先天的に神社仏閣を見るのが好きになるように出来ていたようで、旅行先では絶対に神社と寺に立ち寄るのが常となっている。
しかし俺には願い事などなかった。
だと言うのに俺はなんだか神様や仏様に会えた様な気がして、嬉しくなってつい、財布の小銭入れに入っている小銭を全て賽銭箱に投げると言うことを何度も繰り返した。
俺は賽銭箱に小銭が入って行く音に癒しを感じるほどまでになっていた。
しかしその喜びも長くは続かなかった。
それは旅行をするたびに減って行く預金残高を眺めている時のことだった。
その時、俺は自身の幸福について考えた。
このまま行けば間違いなく破滅だ。
神様や仏様は俺が破滅してでも自分達に捧げ物があることをお喜びになられるだろうか?
そう考えて俺は『そんな神など信ずるに値しない』という結論を出した。
元就よ、もう神仏(私たち)に貢ぐ必要はありません。貴方のお金は貴方のための娯楽や食事に使われるべきなのです。人々に無理強いをさせる神など神の所業ではありません。仮にその者が神を語ったとしてもその者は邪神です。そんな神は捨てなさい。
これが、俺の得た天啓である。