第七話 ビスケの憂鬱
ビスケは軍人の長女として生まれた。
男子に恵まれなかった事もあって彼女の父は戯れに剣術を教えた。
ビスケの腕はみるみると上達したが、やがて女子ゆえの体力の限界が見える様になった。
ビスケが十五の時だった。
失望した父はビスケに剣を教えるのをやめた。
しかし父以上に失望したのはビスケの方だった。
他にやりがいのある事を見つけられなかったのだ。
諦めきれず自主的に稽古を続けた。
体力差の関係ない飛び道具の練習にも力を入れた。
そのためナイフ投げの技量が格段と上がった。
そんな努力をしていると皮肉な事に三年で身長が20cmも伸びたのだ。
しかし父は娘に今さら剣を教える気も無くしていた。
いくら努力しても女性で有る以上、軍隊に入れる訳でもない。
普通の女性の様に結婚する事も想像つかなかった。
先の見えない、剣術を使えるだけの大女、それがビスケだった。
噴水庭園にビスケはいた。
昨晩、妙な噂を聞いたから。
馬を駆った王太子妃がこの庭園を走り回った挙句、暴漢を噴水に投げ込んだと言うのだ。
絶対尾ひれが付いている!!
そう思いつつ何となく気になって来てみたのだ。
ラトナの泉水と呼ばれる絢爛豪華な噴水を眺めつつ、漫然と突っ立っているビスケを背後から追い越す者がいた。
「何、女だったのか……」
すれ違いざまに呟く男。
ビスケは男に目も合わせなかった。
気にしても仕方無いではないか、と。
「で、ここでマリーアントワネット様が馬で駆け抜けてったって訳よ!」
騒々しい声がした。
見ると噴水の近くで一人の男が数人の男達に向かってまくし立てている。
「それでまずここでババアを跳ね飛ばして次にそっちで軍人踏み潰してあっちでガキを吹っ飛ばしてだな」
(ああ、別の尾ひれが付いているのか……にしてもなんとお粗末な尾ひれだこと!)
「本当にあれ見た時は鳥肌立ったぜ」
何と本人がこの場で見た事になっていた。
これではもう噂では無くホラ話だ。
よりによってヴェルサイユ宮殿でマリーアントワネットを腐す話をしてしまうとは。
放っておいていいものか。
考えた末ビスケは男の方へ歩み寄った。
「本当マリーアントワネットって御方はとんでもねえぜよ!」
「ちょっと聞いていいですか?」
突然口を挟んできた長身の女を男は睨んだ。。
「人を跳ね飛ばしたり踏み潰したりしたらその後その人達はどうなったのです?」
「何!?」
「どう考えても生きてはいまい。マリーアントワネット様がそんな事をしたとでも?」
「な、何だおめえは……」
「噂話もホラ話も勝手にすればいい。ただ此所はヴェルサイユ宮殿です。マリーアントワネット様が住まう場所でそんな話をして、もし本人の耳にでも入ったらどうするのです?場所を考えて物を言えという事です」
「やかましい!この大女!」
男は腰の剣に手をかけた。
ヴェルサイユ宮殿に入るためには平民はそれなりの正装をしなければならない。
それは男性の場合、帽子と剣を身につける事だった。
宮殿に入る前、商人から借りられる。
つまり男はどんな身分でもみんな武器を持っている訳だ。
ビスケは剣を持参している。
ほぼ男性の正装をしていたからだ。
剣技で負ける事はないだろう。
しかし予想外だったのは男の話を聞いていた五人の男も剣に手をかけた事だ。
彼らはみんな男の仲間だったのだ。
(こいつは……いくら相手が素人だったとしても厳しいな)
ビスケは苦笑した。
後には引けない。
しかしこんな場所で斬り合いをするなどとは何とバチ当たりな事か。
なので一応聞いておく事にした。
「素人とお見受けしたが血を流す覚悟がお有りか」
「安心しろ、俺は元軍人だ。剣も借り物じゃない」
では血を流さず倒すのは無理か。
しかし聖地とも言えるこの場所を血で汚したくない。
まさに無理難題……
ビスケは剣の鞘を指で確かめた。
これならいけるか。
「このゲイル様の剣捌きを見ろ〜!」
ゲイルと名乗った男が剣を抜き振りかざした。
そのまま突進し剣を振り下ろした。
ビスケが剣を受け止めた。
がしっ
ビスケの剣は鞘に入ったままだった。
剣と鞘のツバ迫り合い。
「どういうつもりだ?」
「場所が場所だ。血は流させない」
「ふざけた事を〜!」
二人の周りを五人の男達が取り囲み剣を抜いた。
背後から切られたら終わりだ。
それを防ぐためにも動き続けねば。
ビスケは剣と鞘の接点を中心に時計回りに回った。
それに合わせて鞘を下に引き下ろし身をかがめた。
どんっ
突き上げる様に体当たりを食らわす。
ゲイルは二、三歩後ずさった。
ビスケは自分を取り巻く男達の囲みから走り出た。
噴水を背にして鞘付きの剣を構え直す。
後ろに回り込まれない代わりに後がない。
(正に背水の陣か……何うまい事言ってるんだ)
今度は横並びにゲイル達が迫ってくる。
(さて、どうしよう?これで剣に生き剣に死ねるのか……)
オスカルではない男装の剣士が登場です。
マリーアントワネットの活躍は次回に。